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44.千弦の笑顔

「一体それは」

「どういう意味でしょうか」

 おお、前と後ろからかなりの殺気が。

 流歌さんに栗毛ちゃんが同時に本気で来たならば……切り抜けてここから脱出するだけなら何とでもなるだろうけれど、その後の関係はそれこそ嫌われるでは済まないだろう。

「勿論、無暗に誰かを傷つけたいという意図はこれっぽっちもありませんが」

「……」

「こちらにもタダで派遣されている訳ではないので、気絶していた時ならともかく、二度目のお宅訪問で何もわからなかったで帰ってきてはどこかの優男が納得しないだろうし何も無かったと言っても信じない、ということです」

 実際はそこまで見切りは早くないだろうけれど、まあこちらとしてはそう主張したい。

 そして姫カットお嬢様はやはりあの男の差し金かとまた扇の陰でも隠しきれていない渋い顔をし、すぐ下の妹さんに「わかっていただろうに」という顔で呆れ半分に宥められている。

「一切他言無用ではなく?」

「報告して構わない分は譲ってくださいね……あと、ご存知かと思いますがあいつも悪い趣味は持っていませんよ?」

 栗毛ちゃんの確認に頷けば半分にはなっていた斜め後ろからの殺気が、更にもう五分の一くらいに萎む。

「おじさまにも立場があるということですね」

「拾ってこられた身なので吹けば消し飛ぶほどのものですが」

 軽く振り向きながら小さく笑って肩を竦めて見せてから体勢を戻すと。

「なるほど」

 扇の陰でそれを聞いた姫カットお嬢様が怪しい笑みを浮かべている。

「不躾ですが、征司さま」

「はい」

「征司さまは拾われたとおっしゃいますが、一体どのような条件で?」

「と、いいますと……」

 聞き返す言葉が口から出た後で、頭が追いついた。

「あちらのものより良いものをご提示させていただきますよ?」

 ああ、ヘッドをハンティングするやつね……と納得しながらも、こうも思う。

 輝夜姫は無理難題を出す方じゃなかったっけ? と。




「報酬でしたら三割……いえ、五割増しでご準備いたしますし、社会的な地位でしたら私共幾つか会社も経営しておりますから、お好きなところに」

「あの、いえ……」

「あ……それとも」

「……はい」

 何だ? 初心な女の子のように顔を染めて。

「征司さまは独身と伺っていますが、一族の方から綺麗どころを見繕った方が?」

「謹んでご遠慮申し上げます」

 流石にそれはない、と若干被せ気味にシャットする。

 全く、いつの時代の話だろうか。

「もしかして……」

「はい」

「……心に決められた方がいらっしゃったり」

「それは今回の話と関係はありませんよね」

「あら……確かに」

 何でそんなにノリノリで、とさっきまでと全く違う調子に内心で苦笑いするが、わかったぞ……俺を引き抜いて暁を出し抜いた感を出したいのね、きっと。

「困りましたね……案外無欲な方で」

「……」

 頬に手を当て溜息を吐く姫カットお嬢様の隣で流歌さんが微妙な表情をしつつ笑いを堪えていて、そして。

 斜め後ろからは「むしろある欲の塊です」とでも言いたげな視線が刺さる……けど流石に食べ物に釣られて鞍替えするほどだとは思われてはいないだろうか突っ込まれはしない。

 まあ、今はそこじゃないか、と軽く座り直して返事をする。

「高めに買っていただけるのは有難く思いますが、一応これでも恩義はきちんと覚えておく性質でして」

 危険とは隣り合わせとはいえ、食べていく術を与えてくれたことは間違いのない事実。

 あと、契約金代わりと言ってはアレだが末期的な経営状況だったあの孤児院に少なくない援助を貰ったことも忘れてはいない。

 そして、結果的に意味はなかったけれど高度な整形技術と設備を持つ病院への紹介状と手術費用……。

 後ろ足で砂をかけるには少々、いやかなりの額を使わせてしまっているとは思う。

「残念ですが……言って下さればいつでも歓迎いたしますね」

「ええ、覚えておきます」




「少々話が逸れましたね」

 扇の陰で咳払いして、話が続けられる。

「それで、征司さまはどのくらいのことを報告される御積もりですか?」

「水音さんには秘めた力があるものの制御に難がある、くらいですね」

「……力の性質については」

「現状誰にも言うつもりはありません」

 そう返答したが、不満げに眉を顰められる。

「こういう場合は『誓って他言いたしません』くらい言って下さるものでは?」

 そう言いながら懐から持参していた紙を広げられる……ああ、誓約を破ると即座に呪い殺されるタイプの奴か。

「万が一、それを言うことによって彼女が救われるようなケースがあるのなら、そうするかもしれませんね?」

 それにあと、そのタイプの呪詛を破るのは案外得意なので意味はないな。

 わざわざ伝えることではないので黙っておくけれど。

「ですので、みだりには口にしません、までですね」

「……」

 眉の角度はなお不満げではあったが。

「清霞さま」

「はい」

「おじさまは全面的に信じられるほどではないかもしれませんが、秘密を弄んで愉快がるような人ではないということは信用してよいかと」

「……そのようですね」

 その言葉に、不承不承頷く。

 しかしまあ、何とも微妙な弁護だこと……弁護してもらえるくらい、にはなったと考えれば幸いだけれど。

「……わかりました、何卒配慮はして頂けますように」

「それは、間違いなくお約束します」




「では、夜も遅いのでこの辺りでお暇を……」

 わざわざ呼ばれての話というのはそのことだろう、と腰を浮かしかける。

 大き目のおにぎり二個で多少腹も落ち着いてはいたけれど満ちるほどでは無かったのでそろそろ帰りたいところだった。

「いえ、もう一つお願いというか、お聞きしたいことが」

「と、言いますと?」

 先程よりは険が取れて、代わりに何かを願っているような響きが加わる。

「水音の火を制御されたという手法、教えて頂くわけにはいきませんか?」

「……」

 まあ、そうなるよね。

 それができるなら彼女の、そしてその周囲の問題は根本から消えずとも一気に改善はする筈だろう。

 ただし。

「一つ、宜しいですか?」

「ええ」

「つまり、自分の手の内を誰かに教えるということについての、こちらのリスクはどうお考えですか?」

 力技で勝てるような本当に強い使い手ならともかく。

 なるだけ搦手を隠しておきたいタイプの人間なので。

「……それは勿論、勿論わかっていますが」

「それでも、ボクからも曲げてお願いしたい」

「……」

 お姉さん二人から深く頭を下げられる……そのことによって伝わってくる、本当は二人とも妹のことを思っていることに、内心の天秤がさらに揺れる。

 そもそも、合理性から言えば揺らす必要は無い筈だけれど、寂しそうな顔を思い出すとつい傾いてしまう。

「……わかりました」

「「!」」

「ただ、条件は付けさせていただきます」




***




「凄いですね」

「え?」

「あのタイミングで、お腹を鳴らすことが」

「……ははは」

 呆れたような感心したような、でもやっぱり心底呆れたような表情で今は隣に座る栗毛ちゃんから呟くように話しかけられる。

 承諾した直後、二人から手を握られんばかりに感謝をされ……約一名さり気無く義弟とは大違いとか何とかを交えられ、まあ最初は悪い気がしないくらいのものだったが、やや居づらくなったところに懸念通り限界を迎えた腹の虫が盛大に主張をした、といったところだった。

 では食事を準備させましょうとかなんとか始まったが、あまり長居もしたくなかったし、なによりあの和風の御屋敷だと味はともかく脂やカロリー面で物足りなさを感じる食事になりそうな上に肩肘が張りそうで何とか躱して逃げ出してきたところだった。

 ……付け足すなら、逃げ出した後こちらに転移で来ていたことを失念していたことを思い出して途方に暮れつつ駅まで歩こうとしたところに、瀬織邸より自宅から呼び寄せた車で帰宅するところだった栗毛ちゃんが助け舟を出してくれ今に至る。

 船ではなくて高級セダンの後部座席だが。

「それなりの量のつもりでしたが、足りませんでしたか?」

「……美味しかったんですが、済みません」

 と口にした後、ふと気付く。

「ということは、あのおにぎりは鳴瀬さんが?」

「……本邸の料理担当の方がお忙しそうだったので」

「それは、ありがとうございました」

「いいえ」

 やや仄暗い車内で、見えるほどには表情を変えずこちらとは反対の窓の外を眺めていて。

 信号待ちを二度挟んでから唐突に話を再開する。

「むしろ」

「え?」

「おじさまこそ、お姉さまのための申し出を受けて下さって本当にありがとうございました」

「ああ……」

 この子の価値観から言えばそうなるのか、と思ってから……どういう経緯でこういうことに、これほどまで水音さんを慕うことになったのかと興味がわく。

 わいたけれど、安易に立ち入っていいものではないのだろうな、とすぐに自戒するけれど。

「その、上手く言えませんが」

「はい」

「本当は仲が良い筈の家族が上手くいかないのは、哀しいものだと思っただけですよ」

「……」

 その回答に表情を無くしてまた外の方を向いて……しばらく車の走行音だけが時間を支配して、それから小さな呟きが聞こえる。

「事情があったとはいえ」

「ええ」

「許し難いという気持ちが消えない私はおじさまに比べて心の狭い人間なんでしょうね」

「この前まで部外者だったので積もるものはありませんし……単に歳をとって丸くなっただけですよ」

「……」

 そうおどけ気味に言った言葉は聞こえたはずだが、押し黙ってしまう様子にもう一つ付け足す。

「中学生の時なんですが」

「?」

「俺も姉絡みで上級生と殴り合いになりましてね……相手二人は叩きのめしたんですが、孤児院の神父様と担任教師からこっぴどく怒られましたよ」

 街灯の光に驚きと呆れの表情が浮かんだ後、小さな笑い声が聞こえた。

「それはまた、随分でしたね」

「でしょう?」

「ちなみに」

「ええ」

「おじさまのお姉さんは、お怒りになられたのですか?」

「ははは……」

 やや小柄だった癖に腕を組んで仁王立ちする、その光景を鮮やかに思い出してから、答える。

「正座させられたところに二度とやるなと拳骨を落とされて、それから」

「……から?」

「あーお陰でスッキリした、とも言われました」

 大袈裟に肩を竦めて見せれば、今度こそ本当に声に出した笑いが起きる。

「本当、おじさまったら」

「何でしょうか」

「昔から、その、正直な人だったんですね」

「……褒めて貰えてます?」

「ええ」




「とてもお姉さん思い、だったんですね」





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