43.瀬織邸にて
「ふぅ……」
あの閉じ込められた空間から戻る際と違って高級車の後部座席並の乗り心地で瀬織家の本邸に二度目の訪問を果たした後、通された飾り気のない部屋でかれこれ一〇分ばかり手持ち無沙汰状態に置かれていた。
そういえば昔孤児院にいた頃、小さな子が間違えて手持ちブタさんとか言ったなぁ……なら今夜の夕食はトンカツ? いや、敢えてトンテキとかでもいいな、とか思いは巡る、暇過ぎて。
あと、本来なら報告処理なども終えて夕食にありついている時間帯なので。
ただ。
「帰してもらえるのかね、これは」
敵という訳では勿論ないけれど、水面下では旧家同士バチバチやっているらしい家に単独訪問して。
……あと、個人的にも、後ろめたいものが全くないとは言い切れないので。
「おじさま」
「あ、はい」
障子がノックされ馴染みのある声に少しだけほっとする。
「水音さんは」
「庭の方で安静にしています……あそこなら、清浄な水の力に満ちていますから」
「……付いていなくてもいいので?」
思わずポロリと言ってしまった後、少々ご機嫌が宜しくない空気になったので思わずしまった、と後悔する。
「一族の末席ではあそこは入れて貰えないのです」
「……そうなんですね」
成程と頷きながら……そういえば先日治療を受けた際もあそこに栗毛ちゃんの姿はなかったな、と納得する。
あと、前回のアレがどれだけ特例だったかも。
「それに、お客様にお茶が必要なのと……お姉さまがおじさまに何かご飯を、と心配していたので」
「……面目ない」
あのしんどそうな体調で気にかけてもらえて嬉しいような……やや、情けないような。
世間体としては間違いなく後者。
「簡単なものですが、どうぞ」
大きな湯飲みにたっぷりの緑茶と、皿にのせられた大きなおにぎりが二個、と漬物が小皿に。
そんなお盆をそっと差し出される。
「むしろ、こういうのが一番美味しいですよ」
「! ……そう、ですか」
頷いた後、そそくさと席を立ちながら。
「後ほど、流歌さんを始めとした本家の方々がお話をしたいと」
「……おにぎりだけ頂いて帰ったら駄目ですかね」
「そうしたら、おじさまのお宅にもっと物騒な方法でお邪魔するしかありませんね」
「ですよね」
改めて腹を括るしかないか、と溜息を吐いたところで。
「その時は、私も同席させてもらいますから、少しはご安心を」
「あ……」
少し声色を変えて、ではごゆっくりと……と下がろうとする栗毛ちゃんを思わず呼び止める。
「……何か?」
「その、それって……味方をしてくれるという意味かな?」
そう問いかけると、間髪入れず答えが返ってくる。
「私は、お姉さまが大切なだけです」
「……」
「なので、おじさまがお姉さまの実のご家族以上にお姉さまの味方なら……結果的に、そうなりますね」
少しやるせない怒りの混じった、意味深な笑顔を見せて障子の向こうに。
あんな顔を見せられた後だと……食事の味もわからなくなりそうだった。
「……」
いや、前言撤回。
少し強めに塩味の利いたおにぎりはごくごく普通に美味しかった。
「美味しかったです、御馳走様」
「……それはよかったです」
もう一〇分ほど経った後、姿を見せた栗毛ちゃんにお礼を言えばそっとお盆を下げて廊下に控えていた人に渡す。
それから部屋の中に戻ってきて、俺の隣気持ち斜め後ろに静かに正座する……さっき語ってくれた通りの立ち位置、ということなのだろう。
「今、おいでになります」
「わかりました」
その言葉からワンテンポ置いて再度音もなく障子が引かれる。
「お待たせいたしました」
「……いえ」
「当主が所用のため代理でお話をさせて頂きます、瀬織清霞と申します」
スーツではなく十二単でも纏ったなら輝夜姫で通じるんだろうな、という容姿の女性が固いながらも笑顔を見せてくれる。
そしてまず間違いなく水音さん、と続いて姿を見せた流歌さんたち姉妹の長姉だと断言できるくらいにはどこか似たところのある人だった。
これはご丁寧に、とこちらも自己紹介を済ませた後、遠くから鹿威しの音が聞こえたのを契機にして姫カットのお嬢様が口を開く。
「それで、鳥居さんは……」
おっと、初っ端からこう来るかい。
「先程、こちらも名乗らせて頂いたかと思いますが」
「あら、済みません……御不快でしたよね」
「いえいえ、久方ぶりに人から呼ばれて少し驚いただけですよ」
その下に捨てられていたということで昔はそんな名字を名乗っていた……教会の孤児院に居たのに出来の悪い冗談だったと今でも思う。
そしてこちらの出自はわかりにくくはしてあるものの痕跡を完全に消すことはできなかったため……当然調査済みだったということか、姫カットさんは勿論のこと他の二人も落ち着いた雰囲気のままだ。
ともあれ、軽いジャブ、と解釈すればいいのだろうか。
「水音にとても優しく接してくださっているという男性が口に出すのもおぞましいあの家の方だとは思いたくありませんの」
「はぁ……」
あら、そんなに蛇蝎のごとく嫌われているのか、我が家。
「そう、あのよく口の回る見た目だけは良い優男の」
「……はい?」
「あら、失礼」
慌てて優雅に扇で口元を隠したけれど……さっきの発言はかなりのマジトーンだった気がする。
家ではなく、個人ピンポイント?
一つ、探ってみようか。
「……あまり大きな声では言えませんが、他人の気持ちというものを考えたことがあるのかどうか疑いたくなる時はありますね」
「でしょう!」
誰かさんの耳に入ったら首元にナイフを突き付けられる発言だが撒き餌としての体裁でここぞとばかりに思っていたことを言えば、膝立ちになって賛同してくれる。
あ、これ、ポーズじゃなくて本気の奴だ……一体何をしてここまで嫌われたんだろうか、義理とはいえ兄として心配になる。
まあ、旧家の跡継ぎ同士で社内の主導権やら何やらを争っていればそうもなるのか。
「そう、あの優男ときたら昔からこちらの提案を無下にしたくせに、いざこちらの協力が必要な事態になれば何の臆面もなく共同戦線を持ち掛けてきて……」
「……悪気があるのではなく、効率優先な性格なんです」
すみません、と謝りながらもフォローを入れれば目尻が途端に吊り上がる。
「やっぱり……義理とはいえ弟さんは可愛いのですね!」
「可愛げとは世界で一番無縁の奴だと思っていますが」
「やはり征司さまはお話が分かる方なのですね!」
あれ? 意外な切り口から思ったより話は合いそうだぞ……と思ったところで。
こちらが思うくらいなのだからあちらもこの脱線は良くないと判断したのか。
「清ねぇ……流石にその辺にしときなよ、あの人嫌いなのはわかったからさ」
「でも、折角盛り上がりそうだったのに」
すぐ下の妹さんに諫められて不服そうな表情をしている……いや、盛り上がるほど自分の家の次期当主のことをどうこう言うつもりはないですよ?
でもまあ、本題ではないという自覚はあったのか一呼吸してから再度こちらに顔を向けてくる。
「それで、水音のことですが」
「……噂で伺っている話とは違って随分と大事になさっていらっしゃるようで」
若い世代の強者談義でも必ず名の出る実力者で辣腕をふるっている長女に二番隊隊長として華々しく活躍している次女……他二人の女子とも比べても日陰に置かれていた子。
噂などで確認しなくても、事実目の前で時折寂しさを滲ませていた子。
「勿論、故無くして実の妹と距離など置きません」
「……お聞かせ願えると思っても?」
一拍置いて付け足す、軽く嫌味を添付して。
「どうやら今回は昔の話をする夜のようですからね」
「この期に及んで逃げは致しませんので」
「はい」
「まずは征司さまの水音へ対する認識から伺ってもよろしいですか?」
そう聞かれて、一度目を閉じてから答える。
「大人数での食事や皆で出かけることに少し憧れている、女の子」
「……」
目の前の姉二人が顔を曇らせるが……まあ、このくらいは言わせて貰ってもいいだろう。
「失礼しました」
「いえ」
「本人は優れた水の属性をお持ちなのに、理由はわかりませんが内側に火の力が……埋もれている」
上手い表現が思い付かずとっさに口にしたが、それでしっくりくる気がした。
「そしてそれがギリギリのバランスで成り立っているので、許容範囲以上に本人の力を使うと中にあるものが制御できなくなる、といったところですか?」
「同じ認識ですね」
「ああ」
二人が頷くことで、最初の答え合わせが完了する。
「それでおじさまは」
「ええ」
「先程、お姉さまに何をされたのですか?」
ここでこの場で初めて栗毛ちゃんが口を開く。
彼女が一番聞きたいことは、そこだろう。
「一応、端くれとはいえ火を扱う者なので……少々、軽減できるように働きかけをさせてもらいました」
「そんなことが」
「本当に……?」
「でも、確かに今までより全然……」
三者三葉に驚き合っている面々に、今度はこちらから疑問を呈する。
「むしろ、何故火だとわかっていたのならそれを試してみなかったのですか? 割と有り触れた属性ですから、例えばこちらの一族以外にも当ては付くと思うのですが」
「……その、失礼を重ねますがよろしいですか?」
「? ええ」
「力の属性というものも、遺伝する傾向が非常に強いのです……そして千年以上のこの家の歴史の中で火の力を持つ者など記録がありません、そして父は勿論母も我が一族の遠縁から娶られています」
両親の顔も知らないことには気を使われたのかな、と思ってから。
そういうことか、と腑に落ちる。
「つまり、受け取り方によっては色々な方の不名誉ともなりかねない、という訳ですね」
「ご理解が早くて助かります」
頷いた清霞さんが、少し置いてから付け足してくる。
「勿論、私たちのお母様はそのようなことをする人ではありませんでした……けれど水音のその件が明らかになる前に亡くなっており、その、仮に何かの事情があったとしても真実はもう知る者がおりません」
「……」
「そして父は……私たち娘にも基本的には充分な愛情がある人なのですが、それ以上に母のことを溺愛しておりましたので」
「誰にも触れることが出来ない案件になっていた、という解釈でよろしいですか」
「構いません」
再度頷いたあと、補足するように。
「ただ力がないというだけであれば信頼のできるところに養女に出してこちらの世界と関わらせないこともできたのですが……」
「そうもいかないくらいの力をお持ちですからね、何かのきっかけで真実が知られればそこに目を付け狙われる」
例えば、ついさっきのように。
「ええ、ですので家の名の庇護が及ぶ範囲で、けれど近付けさせない、という方法を取ることにしたのです……それとなく、力が弱く戦いに耐えないと噂も流して」
「理由はわかりましたが……あの姿は、少し哀し過ぎますよ」
「承知の上です」
冷静に、それでも痛みは感じさせる返事にこれ以上部外者が口を挟むべきではないと判断する。
色々な親子の、家庭の事情というものは見させられてきたから。
ただ、いつだって一番傷付いているのは事情を全て知ることのできない子供の側で……味方になれたら、とも思う。
そんなことを考えこんでいると。
「お兄さん、無論このことは一切他言無用」
「まあ、そうなりますよね」
「……よろしくお願いするね」
それは至極当然のこと、だけれど。
「ただ、困りましたね」
「「「!」」」
「一応、どこぞの優男のそれなりの目論見の中でこちらに遣わされたんですけれど、俺としては」




