40.水音の告白
「……ここは?」
何も見えない暗闇だった。
僅かにでも光があれば白い巫女装束が朧気にでも浮かぶだろうにそれすらもない、完全な闇。
彼女の声と体温と肌の感触が彼女の存在と共に自分自身が在ることも教えてくれていた。
「恐らく高位の魔物が作り出す亜空間の一種でしょうね、一定以上強力な魔力を持つものは逆に現世に存在しにくくなりますから」
「……征司さん?」
「はい、居ますよ」
呟きに返事があって、それから手首を掴まれているのを認識したのか確認をされる。
「どうして……」
「あの状況で女の子を放って置けますか?」
本心で言ってから、矛盾が胸に刺さる。
本気でそうならもっと完全に防ぐことだってできただろう、と。
「……」
それを聞いた水音さんの細い手が小さく震えた。
「気持ちが悪かったり、しますか?」
そこまで有毒だったり害のある感じではないが濃い魔力に満ちた空間にそんなことを心配した、けれど。
「いえ、そうじゃ……なくて」
「?」
声の方も震えてから、しゃくり上げるような響き方をした。
「せいじさんが、いてくれて、ほっとしてしまったんです」
「居なくてほっとされるより個人的には嬉しいですが」
「そうじゃ、ないんです!」
少し強めの……いや、この子にしてはかなり強い声で言われる。
多少和んでくれればと思った軽口だけれど、この状況では無理があるか。
「だって、私が……私だけで」
「……少し、落ち着きましょうか」
こちらはなるだけ穏やかな声を意識して軽めに制する。
「それに」
「?」
「近くに色々、居ますので」
話をしながら探っていた幾つかの染みに意識を集中する……不規則な魔力の濃淡ではなく、規則を持って動いているのが周囲五百メートル内に六体ばかり。
「少し眩しいかもしれませんよ」
一言注意してから力を放つとそれらが一斉に爆ぜて燃えカスを散らしながら飛散していった。
そしてその灯りで見えた彼女の顔はやはりというか泣き濡れていた。
「とりあえず、これで一旦は安全ですが……」
遠くからゆっくりと濃い気配が動き出すのを感じる。
この空間の主で間違いないだろう。
「数分くらいはあると思うので、もし……吐き出して楽になることがあれば」
そしてその主の下僕にしては多かった染みの内幾つかはそれをけしかけた相手の使い魔だったろうがそれも一掃したので。
少し、話を聞くには向いた時間かと思えた。
「とりあえず、少し明るくしますか」
上着の内ポケットから小さな固形燃料を取り出し口で皮膜を破って火を灯す、そうして完全に視界を確保してからその中で気付く。
「あと、すみませんでした」
「?」
「痛くはなかったですか?」
完全に視界が利かないため掴んだままだった彼女の手首を今更ながら慌てて離す……折れそうというか多分その気になったら造作もないくらいの細い手首を。
「大丈夫です、その」
「はい」
「ありがとうございました……」
小さな声が消えて一瞬静寂が来て、それから。
「あと、こちらこそ、せっかく私のことを心配してくださったのにあんなことを言ってごめんなさい」
「それは、気にしてませんよ」
「……でも」
これで二回目です、という呟きと緋袴を握る音が静寂の空間でしっかりと聞こえる。
「まあ、このやりとりも二度目になるので止めておきますか」
「え?」
「お互いに、近しい誰かが傷ついたりするのは嫌なものだ、で……こちらは男の面子もありますが」
出来るものなら軽く片目くらい閉じて見せれればいいのだろうけれど、暗がりでこんな顔の奴がしたところでホラーにしかならなさそうなので小さく笑ってみるに留める。
「でも、でも、やっぱり……これは違うんです」
「……」
「あの、征司さん」
一方、綺麗な顔をした女の子はまだ乾ききらない涙の表情で見上げてくる。
「……言って楽になるなら、というのは未だに継続していますよ」
「ええと、その……」
「はい」
少し時間をおいて迷うように言葉が出る。
話すことそのものよりどこから切り出すのかを考えていたのが何となく伝わった。
「私、戦闘ではお役に立ってないですよね」
「……どちらかというと、それを止められているような印象ですが」
栗毛ちゃんはかなり露骨だし、ワンコちゃんも基本傍をピタリと離れない。
「全く力がないわけではないんです、けれど……上手く扱えないというか」
「……」
「強く使おうとすると酷く調子を崩してしまうので」
「酷く、とは?」
俺も昔、自分の意志で力を行使するようになったときは眩暈等に悩まされたが、と忘れられない感触を思い出しながら尋ねる。
「その、意識を失って……数日間昏睡してしまうんです」
「それは……」
こういう場ではかなり危険というべきか。
「そ、その、昔はそうだっただけで軽く出すだけなら慣れてきましたし」
「まあ、確かに」
さっきこちらが火を灯した程度に、軽く冷気を送ったりしてくれることはあったのは確か。
「……もしかして」
「はい」
「前にここを治してくれた後、病院の結果を送った時も」
脇腹を押さえながら訪ねる。
この子の律儀な性格上すぐに来そうな返信が無かったのも、数日ぶりの学業が忙しかったわけではなくて?
「あの庭の場の力を借りていたのでそこまでではありませんでしたよ?」
「本当に?」
「……丸一日、熱を上げて眠ってしまいましたけれど」
「そう、ですか」
ただ、それは流石にしてもらう必要がなかったとはとても言えない。
少々怪しかった命を拾わせてもらった実感は確かにある。
「そんなのですから、初めて父や姉たちの前で力を使おうとして倒れてしまって以来……あまり本宅にも上げて貰えなくて」
「……」
「上手になればまた昔のようになれるかな、と思って頑張ってみたんですが、慣れようとする度に思うようにできなくて上手くいかなくて」
「そう、だったんですね」
辛いならそれ以上は、と言いたくなる内容だったけれど。
澱みはなく口にする様にただ頷いて見せるのみとした。
「お神楽の方は、自分の力をそんなに必要としないので、たくさん練習できたんですが」
「……初めて見たときから、綺麗な所作だと思っていましたよ」
「ありがとうございます」
吐息の片隅と雰囲気の僅かな部分だけだけれど、この場の中で初めて微笑みに近いものを感じてほんの少しだけ安堵する。
「そんな時、新たな隊を結成するという話が出て、私たちの一門からはちづ……千弦ちゃんが選ばれたんです」
「鳴瀬さんも、かなり優秀な方ですからね」
それこそもっと経験を積んでいけば隊長職を立派に努められるくらいだろう、鍛えるのが難しい生まれ持っての力がかなり大きい。
そんな相槌に「気を使わないでください」と寂しそうに笑う。
「でも、私……知っていたんです」
「何を、ですか?」
「数十年前から何らかの目的で強い力を持つものを密かに狙う人たちがいて、実際に隊長の役目を担った人たちが襲われたことがあった、と」
「!」
当然ながら、何人もの隊長やそれに並ぶ実力者を輩出した一族も知ってはいたのか、と頭の中の冷めた部分が再確認する。
「私なんかの代わりにちづちゃんが出てくれるのはむしろ当然だと思います、でも」
「……」
「危険で怖いことに対しての身代わりになんて、絶対したくなかったんです」
言葉と睫毛が震えた。
「だから、無茶を承知で名乗り出たんです……私が、やります、って」
「そう、だったんですね」
「でも」
地面に置いた固形燃料の火を見ていた視線が、こちらを向く。
「考えが足りていませんでした……私のせいで、他の人が危険に遭うこともあるんですよね」
おずおずと差し出された手が先日の怪我の辺りに伸びようとして、慌てて引っ込められる。
「それは、違いますよ」
「え?」
「俺が怪我をしたのも、ここに居るのも、水音さんのせいじゃない……君に力を持つ持たないの選択は与えられなかったし、何より悪事を企てる奴が悪いに決まっているじゃないか! そんなことで女の子泣かすんじゃねぇ!!」
「!」
驚いたような瞬きに、自分の発言を顧みて……口元を押さえて言い直す。
「悪い奴が悪いに決まっていますし、悲しい顔はしないでください」
「……ふふっ」
「……」
ばつが悪くなってしまい、少々目線を逸らすが、小さな手で袖口を引っ張られる。
「ありがとうございます、征司さん」
「……いえ」
「そう言っていただけて、あと……守ろうとしてくださって、うれしいです」
「お役に立てたなら、幸いです」
僅かの灯りの中でも何故か眩しく思えてしまい、直視はできなかった。
「大分、近付いてきましたね」
「足が遅いタイプで助かりました」
もう一分ほどすれば互いに間合いか、というところまで濃厚な瘴気が近付いてきていた。
来なければあのまま袖を握られつつ沈黙するしかなかったので、その意味でだけは襲来は有難い。
「ここから出るには、倒すしかないでしょうか?」
「時間をかけて手順を踏めばあるいは、ですが」
水音さんの確認に簡潔に答える。
「B級、ですよね」
「力の大きさからも、こんな空間を作り出すことから言っても、そうなります」
そこまで確認すると、ゆっくりと袖から手が離される。
「あの、征司さん」
「はい」
「もし、抜け出すときに私が動けなくても……置いて行っても恨みませんから」
「……そういう性分じゃないとそろそろ解って頂けてると思うんですが?」
「はい、そう言ってくれるって信じていました」
緊張した声が、その一瞬だけ緩んだ。
「征司さんなら、そう言ってくれるって……」
「……多少扱いは手荒でも、許して下さい」
「多分、私、覚えてないと思いますから」
それにそんなこと言って優しい人なんですから。
そう言いながら彼女は膝の裏までありそうな炎の灯りを反すほど艶やかな髪をそっと手に取って。
厳重に編まれている鈴の付いた紅い紐に指を掛けた。




