38.セーラー服は寄り道禁止
「んー」
「決めました?」
「うん、やっぱり今はノンアルコールにしておく」
あの後、更に少し散歩をしてから昼食のピークを外した時間帯まで待って。
ファミリー層向けより少し落ち着いたレストランでドリンクメニューを選ぶ、こちらも無論ノンアルコールで。
「じゃあ、午前の部、お疲れ様」
「ええ、お疲れさまでした」
お互い、度数ゼロのワインとビールでグラスを合わせる。
「お昼からお酒にも、惹かれたけどね」
「持論ですが」
「うん?」
「そういうのは何もかも自由の日にやる方が満喫出来て好きですね」
最近はノンアルコールでもわりと味は良くなってきたよな、と思いながら飲んでいると。
「それって、休みの日のこと?」
「まあ、そうですね」
頷くとグラスを置いてレオさんが質問を重ねてくる。
「あとパパから確認して来いって言われたことがあって」
「はい」
「ちゃんと休み、取ってる?」
「ああ」
そういうことか、と理解できたので説明する。
「ちゃんと郊外にドライブしたり帰りに美味しい店を探しに行ったりしてますよ」
そのついでにまあ目についたものは色々焼き払っているので……スコアは加算されていくのだけれど。
そう言っただけで察してくれたらしくそういうことね、と頷いてくれる。
「そんなに稼いじゃって、どうするの?」
「そりゃ、とっとと引退して海か湖の近くにでも家を買って悠々自適の老後を送りたいんですよ」
「……」
虚を突かれた顔が、徐々に呆れたものに変わっていくのを正面で観察することになった。
「セージ」
「はい」
「過去一枯れた発言だと思う」
ご指摘はごもっともなんだけれど……偽らざる本音なんですよ。
「御馳走、してくれるのはいつもありがたいんだけど」
「はい」
「さっきのセージの野望を聞いた後だと、ちょっと申し訳なくなる、かなぁ」
のんびりとした昼食を終えて再度歩き出して三歩目でそういう声と目線が斜め下からくる。
「まあ、そういう目論見というか将来設計は確かにしていますが」
「うん」
「だからといってそれまで全く楽しみを持たずに生きていくつもりもないんですよ」
女の子とお食事の際はその時間を楽しめたなら御馳走しなさい、だっけか? 姉さん。
姉さんのことも美味しくて豪勢な食事に誘いたかったけれど……終ぞその機会がなかったのは悔やまれる。
「……」
「セージ?」
「いえ、何でも」
後悔の念は奥に押し込めて軽く片手を振る。
未練を残しているからといって決して代わりにこういうことをしている訳ではない、それはレオさんにも姉さんにも著しく礼を欠くことだと断言できるから。
「……誰か別の女の子のことでも考えてた?」
「……違いますよ」
明後日の方を向いて答える。
二つ年上だから、怒られるかもしれないけれどもう女の子とは呼べない歳の筈……我ながら酷い言い訳。
「水音ちゃん? それとも千弦ちゃん?」
「洒落にならないですよ」
女子大学生でもギリギリアウトなのに、現役女子高生は流石に拙い。
拙いと思いつつ、一つの考えに辿り着く……そういえば最後の記憶の中にいる姉さんは丁度彼女たちと同じくらいの頃、だったか。
「……」
いや、そんなことを考え付くんじゃなかった……ただでさえごった煮に近い脳内が闇鍋のように結論不明になっていく。
そんな隙に。
「そういえばさ」
「はい?」
「セージに奥さんがいないのは聞いたけど、恋人とかは?」
「……そういうのに縁がなかったもので」
孤児院の頃は日々の生活に、今の家に拾われてからは最低限の通学はしたものの修行に追われ……そしてある程度の自由とゆとりを得た頃には女性と知り合う機会など極限されている。
「ふーん」
「レオさん?」
「えいっ」
口元をニンマリとさせたかと思いきや唐突に無理やり腕を組まれていた。
シャツとスーツ、二枚の上からだけれど体温は伝わるくらいの密着。
「な、なにを?」
「ふふふっ」
やや声の端が裏返る……情けないことに。
それに対して満足そうな得意気な顔で、説明をされる。
「色々ご馳走してもらっていることへの、サービス」
「……別にそういう魂胆でしていたわけでは」
「いいじゃん、減るものじゃないし」
「それ、逆では?」
当初の驚きはほんの少し、言い返せるくらいには落ち着いたものの、引き剝がす隙が見いだせない。
「そもそも、今日の地域港湾近くのデートスポット多いところだし」
「……だったんですか」
「気付いてなかったの?」
「良さ気な店が多い地域だとは思ってましたが」
言ってる間に、ぐいっと腕ごと引っ張られる。
女性としては結構鍛えている力だったけれど、踏みとどまれないことも無い筈なのに抗えずたたらを踏んでしまう……うん、我ながら情けない。
「さ、このままサクサクっと行こうか」
「いや、だからちょっと待って……」
狼狽、と言ってもいい状態になってしまった精神では張り巡らされている術も気配感知も滅茶苦茶に乱れて千々に消え失せる。
つまり注意力散漫で隙だらけの背中側には。
「せいじ、さん?」
「!?」
声を掛けられるまで意識が行っていなかった。
「おや、噂をすれば水音ちゃん」
「うわさ、ですか?」
元々驚き気味だった顔を再びきょとんとさせて小首を傾げる。
「そうそう、今ね……」
「それはそうと、水音さんはどうしてここに?」
ようやく取り戻した声で、かなり強引極まりなく話に割り込む。
今はレオさんに喋らせるとマズい気がしてならない……一応さり気無く腕を離してくれたのはこっそりほっと胸を撫で下ろす。
「私は、その、学校から帰っている途中で窓から征司さんの後姿が見えたので、折角だからご挨拶をと思って」
下校途中というのはとても分かりやすい……今時逆にレアじゃないかと思うくらいシンプルな濃紺に白のラインとリボンのセーラー服を纏って、長い黒髪と合わせてまるで半世紀は前を舞台にした映画から出てきたんじゃないかというくらい。
そしてそんなシックとも言える装いなのにやたらと眩しく見えてしまう……十年以上前に自分が失ってしまったものだからだろうか。
それとも……。
「征司さん?」
「……別に、なんでも」
いや、そうじゃないな。
「制服、お似合いですね」
「ありがとうございます」
はにかむ表情に正解だったかな、と胸を撫で下ろしながら。
それはそうと、窓? とはどういうこと? と思いながら向こうの方を見ると駐車可能エリアにハザードを出している見覚えのある高級セダンに気付く。
あと。
「お二人とも、こんにちは」
「オジサン、レオと何してたの?」
その車から降りて後をついてきたらしい、当然のごとく一緒にいる、同じセーラー服姿の二人も。
「いやー、そもそもはウチのパパからの依頼でセージの仕事ぶりを見学させてもらってたんだけどね」
「ああ、あの件、ですね」
「……知っていたんですか」
これは少々意外、と水音さんを見れば胸を張って答えられる。
「一応、征司さんの隊長さんをさせてもらっていますから」
「ご面倒をおかけしています」
水音さんの方も、少々素行とか辺りを聞かれたりしたらしいな。
「いえいえ、いつも助けてもらっていますし……あと」
「はい」
「そんな不正をするような方ではない、と言っておきましたから」
「ありがとうございます」
これは彼女の方には悪気は一切ないのだろうけど、別の意味でチクリと刺さるな。
彼女に対して隠し事をしている身としては。
「それで、ご一緒されていたんですね」
「ええ、そういう訳なんです」
それ以外にやましいことは一切ございません、と言外に込めて言い切る。
そうしたつもりだったのだけれど。
「その割に」
「ちづちゃん?」
「お二人、先ほどは妙に距離が近くはありませんでしたか?」
「あー、ちょっとそういう色っぽい話もしたし?」
折角話題が逸れてくれたのに、そしてまた片目を閉じてしれっとそういうことを言う……。
「セージの華麗なる遍歴、みたいな?」
「おおー? オジサン、結構やり手だったの?」
「……やっぱり不潔です」
目を輝かせるワンコちゃんに、対照的に一歩下がる栗毛ちゃん。
「ふ、二人ともあまりそういうのを推測するのは失礼では」
「ねえさまは気にならないの?」
「な、ならないわけではないけれど……」
「いや、少々お待ちになって下さいよ」
さっき食べた野菜がたっぷり溶け込んだスープみたいに少々入り混じって混沌としてきたな……ちょっと年頃の少女っぽいな、と再確認もしていてそこは微笑ましいけれど。
ただ、そのお題にされてしまうのは心の底から遠慮したい。
「そもそも……」
語れるようなことなど殆ど無いものに遍歴も何も……と言いかけて、それはそれでいい年をした男として沽券に係わるな、と思い直す。
「……そんな大っぴらに言うことではないですし、今あの無駄に広い部屋で一人暮らししているのが結論ですよ」
ちょっと口の端に苦い味がするものの、そんな風に笑い飛ばす。
ただ、それは少々失敗した……というか別の部分を突いてしまった模様で。
「でも、それは……」
「ねえさま……」
一瞬濃く出た憂いに、しまった……と思ったけれど。
「い、いえ何でも……でも、征司さんの日常のお仕事についていくのは面白そうです」
「そんな大したことはしていないですよ」
「あたしは、結構楽しめたけど」
……まあ、実質食べ歩きだものね。と、持ち直した話題に胸を撫で下ろす。
「だって、レオ、美味しいもの食べてきた匂いがするよ」
「ありゃ、バレちゃった?」
小さく舌を出したレオさんの方から、ワンコちゃんがこちらを振り向く。
「ずるい! 私たちにも美味しいものおごってよ!!」
「機会があれば吝かでは……」
「おじさま?」
ただ、その機会というのが。
柔らかい表情を浮かべているようで、目だけは本当に射るような視線でこちらを見る栗毛ちゃんが、問題。
「でも、杏ちゃんさ」
「うん」
「ちゃーんと、セージにお礼のサービスしないと、だよ?」
「……だからそういう下心ではないと言ってますでしょう」
「んー」
真面目に考え込んだ後、何かを思いついた顔をして。
「こう?」
唇付近にあてた指先をこちらに向かって放ってくる……うん、確かにレオさんもやるけど、そういうの。
「杏」
「……はい」
「お姉さまそっくりな顔でそういう破廉恥なのはやめてくださいね、本当に」
「もうしません」
ただ、その途端に本気で怒りそうな気配を察して小さくなっている。
……そして、身近にいる人でもそのレベルで似ているということで相違ないらしい。
確かに、今日は揃いの制服のせいでその度合いが高く見えるな……と密かに二人を見比べていると。
「おやおや、セージったら」
「はい?」
「現役女子高生の制服姿はやっぱり眼福?」
「!?」
そんな解釈をされてしまう……確かに、それはそうか。
「一般男性で嫌いな人はいないでしょう」
まあ、だからこそ無難に返せるわけだけれど。
「!」
そしてお姉さまを自分の体で隠す栗毛ちゃんはそんなに睨まないで……でも、女性としては気持ち背の高い栗毛ちゃんで隠されるんだから本当小柄だな、この子。
「いや、邪な気持ちでなくてですね」
「なんで! ねえさま可愛いじゃん」
「だからそうじゃないとは言ってません!」
とかなんとか言ってるうちに……徐々に周囲からの視線を集めていることに気付く。
そりゃそうだな、見目麗しい女性が四人に大男が一人、それがやいのやいのしてるんだから。
「まあ、このまま通りにいるのもアレですから……ちょっと甘いものでも食べに行きますか?」
「え、ええと……お気持ちは嬉しいのですが」
「校則で寄り道は禁止されています」
うん、そんな気はしてたんですよ、お嬢様。




