33.オクトパス・ホールド
「さて、と」
いつもの時間、いつもの第三会議室前。
ちょっと腰が引けるくらいの大病院で非常にご丁寧に検査してもらい問題ないとの太鼓判を頂いてきた翌日。
午前中は各種報告を片付け夕方から通常業務を再開しようかというところで、ふと扉の前で伸ばした手が止まる。
前回が前回だったので何か言うべきか、それとも普通に入るべきか。
「……いや」
そこで何か言うとして気の利いたことが出る訳ではないし、そもそもそういう考えに至ることがおっさん臭いと判断して普通に入ることに決めて今度こそ扉を引いたところ……妙に軽い。
「ひゃっ!」
違和感を覚えたと同時に部屋の中の面々と目が合って、その視線の下から驚いたような声が上がる。
「水音さん?」
「び、びっくりしました」
変にタイミングが一致したのは確かだけれど突然目の前に現れてそんなに驚かれると若干気になってしまう、というか有体に言うとやや悲しい……学生生活の幾つかの思い出のうち、体付きがいいからとホラーハウスでフランケンシュタインの役をやらされたことを思い出す。
「征司さんが遅いのでどこかで体調悪くなっていないか心配で」
「検査結果をご報告した通り至って健康体ですよ」
一応隊の長ということと、心配をさせてしまっている自覚はあったので昨日の結果は即伝えていた。
それと先日の最後に入れたお礼の一言もなかなか既読されなくこの子にしては珍しい……と思ったものの心身ともに疲れた上に学校も休ませてしまったことを考えればそれなりに慌ただしかったのだろう。
「はい、よかったです」
頷いた彼女は軽く一つ控えめな微笑みをくれた後。
「では、今日からあらためてお願いしますね」
「!」
スーツの袖を握って会議室の中に軽く引き込まれる。
いや、自分で入れるけど……確かに突っ立ってはいたけれど。
先日、その必要が合ってそうされたので初めてというわけではないけれど。
「「「……」」」
そして、そんな様をじぃ、っと他の皆に見られていることにワンテンポ遅れて気付く。
「何ていうかさ」
「は、はい?」
まず、頬杖をついたレオさんが口を開く。
「むかーし、見学させてもらったサーカスのゾウさんの調教思い出したかも」
「あ、俺、クマ牧場見に行ったことを思い出したっす!」
「えー、二人ともいいなぁ」
ワンコちゃんよ、そうじゃないだろ……。
にしたって、確かにこの体格差じゃ大きな動物か、うん。
「私は」
っと、ここでラスボス栗毛ちゃんの感想が。
「介護のように見えましたけれど?」
「……ここ三日の食事、ちゃんと全部食べたもの覚えてますよ」
「さすがですね、おじさま」
「何はともあれ、さ」
「はい」
「メンバーが変わることなくまた出れて嬉しいかな」
「あ、俺も俺も」
打ち合わせを終え、転移先で並びながらレオさんと虎に両脇から肩を叩かれる。
「虎ちゃん、かなーり狼狽えてたもんね」
「おっちゃんがホッシーさんに担がれて行った後、半泣きだった人に言われたくないっす!」
「コラ、それ言うなって言ったでしょ!!」
んー、心配してくれたのはありがたいけれど、挟んで言い争いはちょっと耳に痛いぞ。
「あ、私も千弦も心配したからねー!」
「ま、まあ一応?」
「でも、一番泣いていたのはねえさまで間違いないかな」
「あ、杏!!」
そして背中の方でも暴露合戦が誘爆していた……こういう時、素直な子は強いな。
「あれ、セージなんで真顔?」
「いや、その、今回の対象は自分で見に来ていないので……やや、落ち着かなくて」
一線を引退した方や技量的に達していない人が中心となって巡回をし、個人では対処が厳しい相手にはこうして隊が送り込まれるシステム。
普段の日中は俺もそれに加わっていて……諸々の確認のため、下見は欠かしていなかったけれど、今回は色々と仕方がなかった。
「……」
それでも念入りに気配を探るものの違和感はなく、二回連続で仕掛けてくるかとは思えなかった……リハビリも兼ねて大分難易度の低い方に来ているのもある。
絶対に油断はできないが、肩の力は抜いて良さそうだった。
「ただ、まあ」
「うん」
「それなりに皆さんにその……気にかけて貰えているようで、安心しました」
「「「「「……」」」」」
あれ? 何で皆黙る?
「今更そーいうこと言う?」
「あたっ」
背を伸ばしたレオさんに軽くこめかみを小突かれたのを皮切りに。
「ホント、そーいうとこっすよ」
「だよー!」
虎には中央部に腹パンを入れられ、ワンコちゃんには治っているのを知っているからだろうが脇腹の問題の箇所を両人差し指で連打される。
「わかった?」
小突いた小振りの拳で今度は頬をグリグリと抉ってくるレオさんが至近距離でいい笑顔で尋ねてくる。
「……理解しました」
「ん」
美人の笑顔もそうだけれど、別の意味でも照れ臭く身を捩って逃れる。
「では、さっさと料理して戻りますか」
「あー、セージったら」
「ついに料理とか言い出したっすね!?」
いや、だって……さぁ?
「……まあ、確かにいい匂いするよね」
「っす」
「うん」
断末魔の痙攣が止まってから更に三分ほど全員臨戦態勢で構えながらも、とうとう耐えきれなかったのか呟いたレオさんに各々同意する。
今回は俺も切断優先で打刀を準備し切り刻んだ蛸の足が散乱していて電撃と火で焦げていて……うん。
「やっぱたこ焼きっすか、おっちゃん」
「まあ、そうなるよな……ビールとも合うし」
「意外と白ワインとも行けそう、タコだし」
うんうん、と三人して一応注意は解かずに頷き合う。
嗜むというか合わせるように軽く飲むならショッピングモールのフードコート辺りで調達してそれもアリか。
「セージの快気祝いにパーっとやっちゃう?」
敬虔なシスターはどこかに行って口元をだらしなく緩める女子大生がやっていらっしゃる。
まあこちらとしても異議はないのでそういう流れに今日はなるかな、と思ったところだった。
「たこ焼き……」
「お姉さま?」
「小さかった頃、お祭りで食べたのおいしかったよね」
「はい、三人で分けて食べたときですね」
背中の方から聞こえてきたお嬢様二人の会話が耳に入り……。
「レオさん、虎」
「うん」
「っす」
二人を手招きして肩を寄せ合い声を潜める。
「これは……お嬢様方も食べたいという判断で良いのでしょうか?」
「まあ、あたしもそう思うけど」
「美味いものは食べたいっしょ、ふつーに」
「ねーさまは量食べれないけど好き嫌いはないよ」
そんなことを言いながら下からワンコちゃんが生えてきて話に加わり円陣になる。
「あと、大人数でご飯食べるの、好きだし」
「……ですよね」
接し始めてからの諸々で何となく察してはいる事情。
「しかし、そうなるとフードコートとかというわけにはいかないのでは?」
「ちょっとセージ、あたしたちならそれでもいいってコト?」
「いや、まあ、その……」
「別にねえさま、そういうの気にしないけど」
「俺が気にするの!」
憚られるでしょ? あんな綺麗で世間ずれしてなさそうな子を連れてフードコートとか!
「つまり……タコパっすか?」
「そ・れ・だ!」
虎の何の気無さそうな呟きに即食い付くレオさん……うん、物凄く嫌な予感がし始めたぞ。
「プレートはあたしが持ってるんだけど、ちょっと六人入るには家の掃除が大変そうかなー」
うわー、白々しい。
「虎ちゃんは下宿だし、杏ちゃんたちのところは……」
「庭ならいいと思うけど……ちょっと池とか石とか邪魔そうだけど」
「雅な日本庭園でたこ焼きとかどんな冗談ですか……」
あ、うっかり突っ込んでしまった。
「だったら、わかるよね? セージ」
「……家もそんなに広くはないですよ」
「あたしのパパ、そこそこ事務方の偉い人なんだけど」
ん? 想定外の方向の話題。
「セージが企業紹介されて使ってる部屋、一人暮らし用じゃなくて3LDKのかなーり広いとこでしょ?」
「それ、ズルくないかな!?」
こちらの情報丸裸か。
「あ、オジサンのお部屋、興味あるかも」
「俺も俺も!」
「ほーら、みんなそう言ってることだし」
「あのですね……」
なお渋ろうとしたところに、レオさんが声を張る。
「水音ちゃーん、今度セージの部屋遊びに行かない!!」
「え?」
「みんなでたこ焼き作る準備してさ!!」
いいのでしょうか? と一応表情でこちらにまず聞いてくれるのは何と配慮のできた子だとは思うものの……。
そんなに顔を隠しきれてない嬉しさ満載で聞かれたら、断り辛いことこの上ない。
「……狡いですよ」
「……どーしてもダメなら、家を何とか掃除するけど」
「……二重に狡いです」
小声で一応抗議はしたものの、突然そんなにしおらしくされてしまうと、頑なに断り続け辛い。
「日時の指定と掃除の猶予は下さいね」
「モチロン」
じゃあ、そういうことで……と決まってしまえば頭の中でやるべきことの整理が始まり、それを案外楽しんでしまっている自分に戸惑う。
そして。
「……」
いつも通り綺麗な神楽の所作が、踊っているように感じるのも気のせいではないと思えた。




