31.焼肉禁止令
「まあそれはさておいて」
「「……」」
あんな人には見せられないさまの写真を軽くさておかないで欲しいが、聞いては貰えなさそうなので黙って流れに従う。
いや、むしろこのまま永遠に置いといてほしいけれど。
「一応、経緯を軽く説明しておこうか」
「お願いします」
確かに、うっかりお迎えが来てしまったかと勘違いするほど何やら浮世離れした白木造りの部屋には静謐な空気の中にせせらぎのような音が聞こえ果たしてここはどこか等々気になってはいたところだった。
「直前にこちらも本社に戻っていたんだけれど、突然慌ただしく君たちが戻ってきた上に様子がただ事ではないと思って見に行けば腹にあんなものが突き刺さった血塗れのお兄さんが倒れていたわけで」
「はい」
「ボクと水音で何とか治癒を試みたのだけれど毒素やら焼いたような傷口でどうにも難儀しそうだったし、出血量も洒落になっていなかったので」
棒ならともかく針というか管だったものな、アレは。
あと、緊急のためとはいえ焼いてある程度塞いだのは俺です、ごめんなさい。
「緊急時に使用する我が家の治癒の力を最大限に引き出すことができる庭に運ばせてもらったという次第さ」
「なるほど」
「父や姉は少々渋ったけれど、水音の恩人だし、お兄さん個人にはともかくそちらの家に借りも作りたくないみたいだし、押し通したよ」
「それは……どうも?」
旧家同士色々あるのは小耳には挟んでいた。
まあ、そこまで知ったことではないのが本音だけれど。
「ちなみにあれから三日経ってる」
「それは結構寝過ごしましたね」
「いやいや、想定より結構早く治ったよ」
ちょいと失礼、と言いながら問題の箇所がある脇腹をまじまじと見つめられる。
「もう少し痕が残るかもと思ったけどわりと綺麗に塞がったね」
コピー用紙の端で指を切った、くらいの軽さで言う姉に対して妹さんの方は膝の上に置いた手で音が出るくらい裾を握ってまた瞳の方に涙を溜め始める。
「ほぼ目立たないと思いますし、その……ご覧になられたかと思いますが一つや二つ増えたところでどうということはない身体なので」
「確かに、歴戦のいい身体してるよね」
「色々ありましてね」
実際のところはそれ以外の理由の傷も多いのだけれど、とてもここでは言えないのでそこは濁すけれど。
「~っ」
「あ、泣かせた」
揶揄するような声を出す人は一旦放っておいて、結局またも泣き出した子に対して慌てて声を出す。
「最終的にほぼ消えましたし、女の子に怪我をさせるよりは全然よかったですから」
「……誰かより自分が、って言うのは私も同じですっ」
「いや!」
「……!?」
思わず出てしまった大きな声に一瞬怯えたような顔をさせてしまい、その為に再び脇腹に走った激痛はその罰だと甘受する。
咳込んでしまった呼吸を整えてから、また口を開く。
「すみません、大きな声を出して」
「いいえ……」
「ただ、どうしても嫌なんです……女の子が怪我をしたり泣いたり、は」
「……」
何度か口を開いては言葉を出せない水音さんを見上げながら強い言葉で封じてしまったことは申し訳なく思う……ただ。
『見ないでよ、せーちゃん』
それだけは、譲りたくはないので。
「……」
「……」
「はいはい、二人ともそこまで」
しばらくの膠着状態はパンパンと二度手を打つ音で遮られた。
「水音、悲しかったのはわかるけれど起きてしまったことは変わらないし、恩人をあんまり困らせない」
「……はい」
「お兄さんには姉として心から感謝するけど……あんまり泣かせたら今度は本気でぶちのめすからね?」
「肝に銘じます」
「うん」
よろしい、と大仰に頷く仕草に、この人もリーダーやってる人だったな、と再確認しつつ居てくれてこっそりと感謝する。
「じゃあ水音、もう少し回復させてあげて……そうしたら退院出来ると思う」
「はい」
病院じゃないんだろうと内心突っ込みながらも確かにそれが一番わかりやすいか、と少し可笑しく思う。
「ボクは色々連絡をしてくるよ、まず他の皆を安心させたいしね」
片手を挙げて去っていく後姿を何となく見送っていると、脇腹の傷跡辺りにそっと手が触れられる。
そこから何とも心地よい感触が広がってきて痛みの残滓が和らぐ。
「あの……」
「はい」
「助けていただいたのに、すごく困らせてしまってごめんなさい」
「大丈夫です」
何が大丈夫なんだ、と内心思いながら。
こんな顔をさせるのも嫌だし進歩がなさすぎると自分を叱責する。
「その……」
「はい」
「野郎のエゴでしょうが綺麗な女の子には傷一つつけたくありません」
「!」
「あと、怪我は勿論なんですが、泣かせてしまうのも悲しい顔をさせてしまうのも本意ではないので」
「……はい」
「今度はもっとしっかりと、お守りすると約束します」
そう口にすると、彼女がやっと望んだ表情になってくれたのが見えて……再び安堵に意識が落ちた。
「ご気分は、いかがですか?」
「……さっきより更に楽になりました」
「よかった」
二度目……いや、三度目か? の目覚めも彼女に見守られながらだった。
今更ながら年下の少女にこうされているのが気恥ずかしくなる、だからといって年上の女性ならいいのかと言われると、そもそも自分がいい年だろうと頭の中で結論する。
「さっきは、気が付かなくてごめんなさい」
「?」
「お水、飲めそうですか?」
その言葉にお盆の上に置いてある吸い飲みに気付く。
「いえ、普通に飲めそうですが」
「ですか」
私はよくばあやにこれで飲ませてもらったので、という呟きを聞きながら細心の注意で半身を起こす。
先ほどの二の舞は踏むわけにはいかない……心地はとてもよかったけれど、絵面が酷過ぎた。
「どうぞ」
「ありがとう」
同じく盆の上にあった小さめのコップに注いでもらった透明の液体を慎重に口に含む……下手に咽て更に御厄介を生みたくはなかった。
あと、コップのサイズ感がちょうどいいので普段ならこういうのならコメから精製した液体の方が良いけど流石に不謹慎か、と内心でだけ苦笑いする。
「変に浸みたりとかは……」
「大丈夫です、むしろ美味しい」
「よかった」
安堵の表情を浮かべつつ少しずつどうぞと水を足してくれながら……そういえば、という風に口を開く。
「征司さんも、お姉さんがいらっしゃるんですね」
「え!?」
そんなことを話したか? とちょっとだけ水を漏らした口を拭いて驚いているとそれが伝わったのか小さく微笑みながら教えてくれる。
「何度か、呼んでいらっしゃったので」
「……ああ」
納得しながらも気恥ずかしさに目を逸らしていると、微笑みに寂しそうな色を加えて続けられる。
「仲良しさんみたいで、羨ましいです」
「……まあ、悪くはな……いですよ」
危うく過去形で語りそうになって久しぶりに潤した喉のせいにして軽く咳込んでから、言い直す。
「それなりに喧嘩とか叱られたりもしましたが」
「それも、羨ましいです」
「……」
「一番気にかけてくれていた流歌お姉ちゃんでも……」
目を伏せながらの呟きをじっと見ていたのを悟られる。
また一度目元を擦って。
「ご、ごめんなさい……こんなことを言っても仕方ないですよね」
「いえ……」
探って来い、と次期当主様から言われていたのは事実だし確かにそれを今思い出したはだしたけれど。
「身近ではないそこら辺の丸太にでも吐き出して楽になるなら、それでも良いと思いますよ」
「!」
もし彼女がそうしたなら、本当に丸太にでも徹して聞き流すつもりだった。
「じゃあ、もしもどうしてもそうしたくなったときは」
「……お役に立てるなら」
「はい」
「おや、今回は普通にしていたね」
「……忘れてください、本気で」
そうしながら三杯ほど水を飲んだ後、面白そうにしながら戻って来られる。
今回一番被害を与えてしまった人を盗み見れば目を逸らされてしまう……本当、怪我のための貧血とはいえ申し訳ないことをしてしまった。
「とりあえず、こちらの家にそんな立派な体格の人がいなかったから遅くなってしまったけど、着るものを調達してもらったので」
「すみません」
「いやいや」
どこかの安めのアパレルでいいだろうにデパートの紙袋を渡される。
中身は無地のシャツにスラックスだけど……やや色合いがオジサン臭いというか、お父さんだな、これ。
「水音が千弦と杏に頼んだんでたんだけど」
「?」
疑問が顔に出たのか、可笑しそうに補足される。
「杏に教えてもらったんだけど、最初にそれなりに若そうなのを千弦が選んでいたら店員さんに『彼氏さんにですか?』と聞かれて途端に『父です』ってこっちにしたんだってさ」
「……」
「おかげでめっちゃ機嫌悪そうだったから、気を付けてね、お父さん」
爆笑しながら言われてもこっちも困るんだが……。
一応それでもお姉さまをお守りした補正の方が強くてどうにかなると信じたい。
「別室でもお借りできますか?」
それはそれとして、本気で世の父親みたいにここでは着替えられないのでそう申し出るものの。
「残念ながらここは庭の東屋みたいなものだから、あっち向いているのでお気になさらず」
「え、ええと……お手伝いしたほうが?」
「それは大丈夫です」
再度慎重に立ち上がってから、開封まで済ませておいてくれた中身に袖やら足を通す。
この季節でも長袖を買ってくれていたのは助かる……気を使ってもらえたのだろう。
その動作の中でも痛みはなくて若干の眩暈くらいなので本当、信じ難い早さで傷を治療してもらえたことは身に染みて理解できた。
「さて、一応傷は問題なさそうだけど気になるならウチの経営している病院に入院してもらってもいいけど……」
「いえ、違和感もないので帰宅させてもらえれば」
というか、実際治ってしまっているように思える。
「一応、VIPルーム手配できるけど」
「むしろ落ち着かないです」
「だよね」
言うと思った、と肩を叩かれる。
そう思えば次はもう一人に袖を掴まれる。
「で、でも」
「はい」
「一応きちんとつながっているとは思いますけど、手配してもらいますので病院で検査は受けてくださいね」
「わかりました」
そこは絶対に譲ってはくれないだろうし、変に拘るところでもないので素直に頷く。
だとすれば一旦家に戻った後、病み上がりの自覚はあるので飲酒は自粛するものの……血が足りてないからレバーでも焼いて食べるか。
「あと、確認取れるまでお腹にやさしいものを食べてくださいね」
「!?」
「お、今夜はレバー目当てに焼き肉でも行こうかと思っていたのに釘を刺された顔」
え? 何でわかるの? と戸惑っているところで袖を強めに引っ張られる。
「怪我をしたばっかりなんですから、自重してください」
「い、いや、だからこそ栄養をガツンと取らないと」
「お腹、びっくりしちゃいますよ!」
私、病気の後はお粥くらいしか入らないんですから……という呟きが聞こえる。
うん、何と言うか……体のつくりと過ごしてきた環境が違う。
「粥じゃ……食べた気にならないじゃないですか」
「そんなシュンとした顔をしても駄目です!」
「だとしてもせめて固形物を」
「……おにぎり、準備してもらいますから、それで我慢してください」
「ちなみに、具は?」
牛のしぐれ煮とか海老天が理想だ……それとも鮭とかツナとか……。
「塩です」
「そこを何とか」
「本当に、大丈夫なんですか?」
「誓って平気です!」
何を言っているんだという気もするけれど、今晩の食事内容に直結するからには真面目に主張するしかない。
「……昆布までなら、いいです」
「…………はい」




