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30.枕と写真

「せーちゃん、まだ痛い?」

 汗を拭ってくれた後、そっと頭を撫でられた感触がした。

 返事をしたかったけれど、ぐっと口を噤んで痛みに耐えている行為が少しでも言葉を発しようとしたら破綻するような気がして辛うじて頷くように首を動かすことしかできなかった。

 ただ、それでも助けを求めたくてその声の方に手を伸ばして……するとそっとその手が包まれて慰めてくれるように握ってくれる。

 そのことに心から安堵して、そのまま再度眠りに落ちた。




***




「ぅ……」

 どのくらい経ったかはわからないけれど、次に意識を取り戻したときには痛みの方はかなり落ち着いていて、そして手がまだ握ってもらえていることを認識する。

 鈍痛に耐えてはいるけれど余裕も生まれて首を動かし目を開けることができた……何故そうしたかと言えばそんな優しさをくれる唯一の人の顔を見たかったから。

「……?」

 ただ、視界に映ったのは予想とも期待とも違っていて銀色の髪をした浮世離れした少女だった……どことなく見覚えのある不安げな表情だったけれど、現実味がなくて。

 それだけで体力が尽きたのかもう一度瞼を閉じてしまって、そこから意識の浅瀬を行き来しつつ代わりに口から率直な感想が零れ落ちた。

「お迎えってやつか……」

 知っている中であちらに逝った人は何名か居るが迎えに来てくれるほど親しい仲だった人はまだあっちに居ない筈だから、代わりに天使かそれに類する子が来てくれたのだろうか。

 それは手間を取らせて悪かった気がするけれど……今までの行いに反して天国とかに行けるんだろうか?

 向こうも飯が美味いといいのだけれど。

「縁起でも……ない、こと、言わないでくださいっ」

「!?」

 ぽとりと鼻先に暖かい雨が降ってきて今思えば六割くらい朦朧としていた意識が八割くらい覚醒する……と同時に視界がしっかりと像を結ぶ。

「みな、と……さん?」

「はい」

 返事を聞きながら、何故このようなことになっている……? と途中で強制停止していた記憶を遡れば幾つかのことを思い出す。

「すみません」

「え?」

 我ながら随分掠れた声になっているものだ、と驚きながらも腹に穴が開いた割にそこまで苦しく無く喋れることに安堵する。

「少し乱暴にしてしまったことと」

「……」

「服を、汚してしまいましたね」

 しばし呆気にとられていた顔が、突然くしゃりと歪んで……本降りになった雨としゃくり上げるような声になる。

「何を、言っているんですか」

「いや、その」

「征司さんこそ、危なかったんですよ」

「……」

 それは確かにその通りだった、と脇腹に残っている鈍痛と嫌な感触に頷く。

 ただ。

「目の前で誰かが危なければそうしますよ」

 この子が無防備に食らうよりは頑丈さという意味でも全然マシだったと思うし。

 それと。

「あと……誰かに泣いてほしかったわけではない、ので」

「……」

「その、泣き止んで頂けたら……」

 そう言いながら普段とは逆の高低差で見上げるけれど。

「……」

 両手で顔を覆って首を横に振られてしまう。

「今度は、もっと上手くお守りするので、何とか」

「…………今度があるんですか」

「言葉の綾なので許してください」

 蚊の鳴くような声での抗議に平謝りをするしかできない。

 こんなおじさんが年頃の女の子を泣かせた以上それ以外にできることは少ない。

「……ごめんなさい」

「え?」

「助けていただいて、大怪我までさせてしまったのに……せいじさんを困らせたいわけじゃないんです、でも」

 しゃくり上げながら目元を擦っている仕草に、声の震え方も合わさっていつも以上に年下に、本当に小さな女の子のように思えてしまって。

「大丈夫」

「……?」

 前言を、翻す。

「その方がすっきりできるなら……最後に泣き止んでもらえるなら、それで」

 そんなことを口にしていると、普段適正なものを心掛けている注意より昔の記憶が勝ってしまい、届くように身体を起こして彼女の頭に手を伸ばしてそっと撫でた。

「!」

 そのサラサラの感触に感動にも似た驚きを覚えた瞬間。

 まだ把握しきれていないくらい横になっていた身体というか血流のポンプ機能が本調子ではないのか軽い眩暈と共に目の前が暗くなり。

 そのままがくりと前のめりに崩れてしまう自分を制止できなかった。




「だ、大丈夫……ですか?」

 いや、全く大丈夫ではないです……と言いたいものの、混乱に声が出ない。

 ノーガードで突っ込んでしまった顔面は幸い柔らかな太ももに受け止めて貰えたものの、それはつまり良い年した大の男が小柄な少女の膝にうつ伏せに枕されているという状況で。

 どこをどう好意的に捉えたところで犯罪のにおいがする。

 しかも今気付いたのだけれど、まあ腹部から大出血をしたのでそれはそうなのかもしれないがこちらは今非常に風通しのいい服装というかまともに服を着てない半裸状態であり、つまり犯罪臭に大幅な加点がされてしまっており……もう臭うどころかそのもの、だった。

「……すみません」

「い、いえ……」

 戸惑いと焦りは感じるものの嫌悪感は露にするほどは無さそうで一安心する。

 悲鳴でも上げられたらこちらは一発アウト、間違いなし。

「その、ゆっくりでいいので……あの」

「はい」

 わかっています、可及的速やかに退去させていただきます。

 そう、思ったものの。

「……」

「征司さん?」

 頭そのものは柔らかな枕に安定させてもらえているものの中身の方が揺れているような感覚で身体の諸々に力が入らない。

 決してこの体勢を維持して感触や香りを堪能したいという下種な心ではないと信じたいけれど、信じられないくらいに動かない。

「あの、申し訳ないのですが」

「はい」

「多少乱暴でもいいので、水音さんの方で動いて、貰えると……」

 心情的には張り飛ばしてでもいいので、と言いたいけれどそれだとこの子はむしろ出来なくなる性格をしているし、な。

「え、ええと」

「構いませんので、一思いに」

「わかりました」

 肩の辺りに知ってはいたけど細い指先が当てられてグイっと持ち上げるような力が加わるものの……。

「~っ」

 残念ながら、こちらはびくともしない。

 手とか足に彼女なりの力が籠っていて、苦悶の声からは頑張ってくれているのは伝わるものの……。

 むしろ太ももの筋肉が動こうと締まる感触がもろ頬に伝わるのが危険すぎる。

 何とかこちらで少しでも負担を減らせはしないだろうか、とやや感覚に乏しい指先を動かしたところ。

「ひゃ!」

「……済みません」

 多分位置的に足の小指の先あたりをくすぐってしまったのか、更に犯罪感を増してしまうような声がして……彼女の方から力が抜けてしまう。

 太ももから離れるまでいかなかったものの浮きかけていた顔がまた深く沈み込む。

「せいじさん……」

「はい」

「私では、むりかもしれないです」

 確かに、そのようだった。

 位置関係と体重、体勢的に厳しいし、むしろ無理に何とかしようとすると新たな問題を発生させかねない。

「何とか、動けるように頑張りますので……」

「は、はい」

「少々のご無礼は大目に見ていただけると」

「……が、頑張ってください」

 多少脳が揺れる感覚は収まってきたのでなるだけしないようにしていた呼吸を整える……この体勢で息を吸うこと自体罪深いがこの際仕方がない。

 一刻でも早く、離れなければいけない。

 この体勢が非常に拙いのもあるが、それより何よりこの子がいて看護していてくれた、ということは恐らく彼女たちも近くにいる筈で。

 見られたらただじゃすまないと、断言できる。

「!」

 そしてそんな考えに至った瞬間、板の間を進んでくるような足音。

 まだほんのり脇腹に残っている痛みが理由では無い汗が浮かぶ。

 栗毛ちゃんなら怪我に最低限配慮はしてくれるものの大切にしているお姉さまの膝にこんなのがいたら間違いなく怒髪天だろうし、ワンコちゃんなら最近多少慣れてくれたとはいえ逆に遠慮なしに蹴とばされるかもしれない……それでいっそ退くことができればまだマシか?

「おや、おやおやおや」

 果たして。

 刑の執行に備えて身を固くしながら聞こえてきた声は、そのどちらでもないものの聞き覚えのある声で。

「無事に起きてくれたようで何よりなんだけれど」

「……」

「ボクの末の妹に大変愉快なことをしてくれているようだねぇ」

 獲物を舌なめずりしながら吟味するような声に続いて。

 何やらシャッター音のようなものが聞こえた。




「ご面倒を、おかけしました」

「いえいえ、お安い御用だよ」

 結局、こちらは成人女性の標準よりやや小柄ながらも並の男以上にしっかりとした筋力をお持ちの方の協力を得て何とか元の布団の上に身体を戻す。

 本当は水音さんとそのお姉さんに対しては土下座案件なのだけどここで無理をしてさらに厄介を生むわけにはいかない。

「むしろ」

「?」

 同じ正座の体勢の中ですっと居住いが正されたのがわかった。

「妹を危険から守ってくれたことについて感謝させてほしい」

「!」

「本来なら父や姉がお礼をすべきなのだけれど……少々込み入っていてね、ご容赦願いたいかな」

「別に、当たり前のことをしただけですが」

「それでも、ありがとう」

 心持ち砕けた響きに言葉が戻って、こちらも少し言葉が軽くなる。

「いえ……ああ、でしたら」

「うん?」

「さっきのは、消してください」

「ぁ」

 これのこと? と愉快そうにわざわざ懐からスマホを出して写真データを開かれる。

 嗚呼……どうにも言い逃れできない事態が克明に写っているのと、あと……どう見ても男性に免疫が薄そうな彼女は想定通りの顔色をしていたのか、と確認できてしまう。

 そんな彼女の頬には涙の後も残っていて、更に宜しくない絵面になってしまっている。

 せめてうつ伏せでなく仰向けなら……いや、どっちにしろアウトだ。

 そして。

「それとこれとは話が別、だね」

 俺の懇願は軽く舌を出す仕草で一蹴され、あべこべに保護を掛けられていた。





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