29.Shaula
「征司さん」
いつもの任務がある日、第三会議室の前で最近耳慣れ始めた心地よい声にまだ新鮮な呼び方で呼び止められる。
「お疲れ様です」
「ええ、今日もよろしくお願いします」
「はい」
当たりも障りも無いやり取りの後、何かを期待するような視線が……結構強くて流し切れない。
「水音さんたちも、よろしく」
「はい」
「今回は蠍型の魔獣になります」
昼の間に偵察してきた澱みの中に巣食うものの情報を共有しつつ、説明する。
「難易度で言えばD相当ですが、危険度だけはCですので」
「これ、ですね」
医療班謹製の解毒薬を更にお祓いして貰った錠剤を人数分+二個を隊長さん……いや、水音さんが確認する。
「やっぱり、毒がヤバいの?」
その効き目は有りそうながら健康には本当に良いのか不安になる色合いのタブレットを覗きながら言うワンコちゃんに説明する。
「こっちに蠍って基本生息していないでしょう?」
「うん」
「つまりイメージから精製されたタイプなので、その毒虫というモチーフ通り」
「危険が伴う、というわけですね」
「あと、これが100%効くわけでもないので刺されないようにするのが一番重要です」
頷き合い確認した後、もう一つ確かめておくことを思い出して話を振る。
「そうそう、虎」
「どうしたっすか?」
「その使っている太刀、かなり大事なものか?」
「昔から使っているものだからもちろん大事っすけど……」
何で? と大書してある顔に補足説明を。
「蠍って前のハサミで獲物を抑え込んで毒針を入れてくるから」
「挟まれたら一旦手放してでも避けろってコトっすね」
「もしくは、こうだな」
今日は二本持ち込むことにした木刀の更に予備を使うか? と見せる。
「いや、感覚違うほうが嫌なのでいつもので行くっす」
「まあ、虎ちゃんはそうだよね」
「っす」
レオさんとうんうん、と頷き合ってから前衛二人がこちらを見る。
「ところで、セージ」
「ちょっと聞いときたいんすけど」
「やっぱり今夜は……食べちゃうの?」
「蠍料理!」
「……」
ワンコちゃんまで加わって……やっぱりそう来るか。
「よろしかったら、知り合いの上海料理店ご紹介しますけれど?」
また栗毛ちゃんはいい笑顔をなさること。
そしてやっぱり……それを嬉しそうにみているんだよな。
「思ったより大きいね」
「それに……」
気持ち悔し気に栗毛ちゃんが蠍を見る。
昼間は巣の中にいてわかりにくかったが何やら粘膜のようなものに覆われ火も雷もかなり通りが悪い状態だった。
実際、先手を打って叩き込んだかなり大きめの雷がほぼ効いていないのにかなり驚きを顔に出して、今は気持ちを切り替えてきた模様だった。
荷物の中から矢筒を取り出し物理的な矢を番えている様子を確認しながらやはり虎には太刀で来てもらって正解か、と内心頷く。
「じゃあ打ち合わせ通りに……杏ちゃんよろしく」
「オッケイ」
「気を付けてくださいね」
今度は動きに出して頷いてから、両手にそれぞれ木刀を持ち火は攻撃手段としての出番がなさそうなので防御の方に魔力は集中させる。
いつももターゲットになるならこちらにという意識ではいたけれど今回は明確に囮として。
見た目だけは派手な火球を一発放ってから目配せをして敢えて真正面から走り込む。
小学生くらいの大きさはあるハサミを振るってくるのをいい角度になるようにいつもより長いものを準備した木刀を突き出す。
右、左、と同じことを繰り返す中、矢と銃弾が撃ち込まれて苦悶に悶えているがそれでも本能が勝るのかかなりの力で両腕が沈み込まされる。
片膝を付かされた状況で毒針を持つ尾が鎌首を擡げ、わかってはいたし意図的に作った状況だけれど背中を一筋冷たい汗が流れる。
まあ、これを他の誰かにやらせるわけには行かないのは間違いない。
それでもすぐさま碧いヴェールが守るように覆ってくれたし、そもそも。
「せりゃあ!」
横から飛び込んできた太刀の一閃が尾の先端部を一撃で切り飛ばし、そのまま落下の勢いに体重まで乗せて蠍の脳天を叩き割っていた。
「ふむ」
懐に手を突っ込んで予備のナイフをすぐにでも抜けるよう備えながら断末魔の痙攣が収まるのを確認して、更に一分ほど置き木刀を二本回収する。
「見てもらいますか?」
「ですね」
その表面にべったりと張り付いた粘液を見ているとまだ表情に悔し気な色が残っている栗毛ちゃんにそう話しかけられ、二本ともそれぞれ分けてビニールの包みに入れる。
技術班に一応どういうものなのかを確かめてもらい今後の参考や備えにするのが間違いないだろう。
「あと、一応」
「?」
斬り飛ばされた切り口のうち本体の方を選んでグロテスクな色をした中身に指先に灯した火を近付けてみる。
「フツーに燃えるね」
「ですね」
手を出したら顎を乗せてくる犬の動画を再現できるんじゃないかってくらいひょいっと覗き込んでくるワンコちゃんに頷き返す、本当接すれば接するほど犬系女子。
あ、緋袴の裾とかスニーカーの爪先は気を付けてね。
「上手いこと利用できれば良いんですが」
例えば火や雷を操る者を相手にしなければならない時に……。
そう思いながらいっそのことこの蠍全部を回収したほうがいいのだろうか? と考えていると。
「利用って……」
「火の中に入って料理を直接食べるとかっすか?」
「んなわけあるかい」
「あたっ」
思わず手近に来た虎の頭を叩いてしまった、けれど……これは悪くないよな?
「では、綺麗にしてしまいますか?」
「……そうですね」
まだ気にしているのが様子に出てしまっていたのか確認するように見上げられて返事をしながら頷く。
サンプルとしては充分な量を持ち帰られるし、穢れを祓ってしまった方が後々良いだろうと考えることにした。
それに。
「?」
前回は模擬戦で結果的にお預けになったが彼女の神楽を見たい気持ちがかなり強めにあると言えばある。
「お願いします」
「はい」
小柄ながらも背筋を伸ばして進み出ていく姿を後ろから見ていると。
「セージ、食べるのも好きだけど神楽みてるのも好きだよね」
「良いものはいいと思いますが」
「巫女さんフェチ?」
「あら、そうだったんですか? おじさま」
「違います」
何を言ってくれちゃってますかこのシスター。
ほら、栗毛ちゃんの視線が刺さるでしょ?
というか、年下の女の子の巫女姿が好みだとか洒落にならないにも程がある。
「そういうのではなく……!?」
何と説明するか、そう考えた矢先。
細かいシミのような気配を感じ嫌な予感に考える前に足を踏み出す。
駆け寄りながら視界の隅で光ったものの正体に感付いてそこに割り込みながら、小柄な身体を伏せさせながら……。
「きゃ!?」
よりによって手が空になっているタイミングで……と思いながらも右手の掌底だけで往なすだけでは足りないと直感して。
「ぐっ……」
左脇腹で前触れなく撃ち出された細めの鉄パイプくらいは有りそうな蠍の毒針を受ける。
左手で自分の分の薬を口に運びながら右手を傷の付近に宛がい針に付着している毒液と同時に止血代わりにその周囲の自分の組織も焼いていく。
多分、激痛が走っているような感覚もするが、それに吞まれると確実に死ぬという感触に強引に意識を働かせる。
「征司さん!」
「何だ今の!?」
「りだ……」
この場を離れることを訴えようとしたものの途中から自分の中から勢いよく漏れ出した鉄の味がする生温いものが喉を塞いで阻まれる。
ああ、綺麗な巫女装束にこんなに血を付けて申し訳ないな……とか考えた瞬間、強制的な転移が作動して。
「セージ、しっかり」
「救護の方に連絡します!」
皆の声が響く殺風景ながらも見慣れた場所に戻った、と確認した直後。
一旦の危機は乗り越えたかと安堵してしまい意識が切れた。




