26.二と八④
「おっちゃんはそんな短いのでいいっすか?」
「ん? ああ」
道場の備品の竹刀の中から中学生用位のサイズを選んで両手で感触を確かめていればそんなことを虎から尋ねられる。
「取り回し重視、だよ」
「そういえば普段使ってる木刀も小振だったっすね」
頷きながら左手で柄の端を握って軽く手首を回す、まあほどほどにしっくり来るかな?
「四連勝、頼むわよ?」
肩を叩いた後、解すように二の腕を揉んでくるレオさんに返事をする。
「勝率は贔屓目に見て二パーセント、ってとこだと思いますよ?」
「悲観的すぎない?」
「自分を買い被ってないんですよ」
というか、普通に隊長クラスともなれば化け物だろう。
対してこちらは小細工で何とかしてきた身、正面衝突では良いとこそんなもんだろう。
「ともあれ、頑張っといでー」
「ファイトっす」
そんな声を背中に受けながら。
「お待たせしました」
「確かに、待ってたかも」
こちらも標準より気持ち小さめの竹刀を選んでゆったりと構えながら迎えられる。
「じゃあ、やろうか」
「来ないのかい?」
一礼の後、左手で握った竹刀に右手を軽く添えてやや下段に構えたこちらに対して、あちらは右手一本でサーベルのように持ちながら空いている左手で手招きしてくる。
「そんな危なそうな間合いに不用意には入れませんよ」
「ん、そっか」
じゃあこちらから、と呟きが聞こえた瞬間。
いつの間にか、と言いたくなる自然さで左斜め前身長差分下に笑顔で滑り込んでくる。
「っと」
そのまま繰り出してくる突きを軽く上から抑えながら右足を軸にしていなすように流そうとした、瞬間。
「!」
柄を握っている手に掛かっていた重みがふっと抜けた、と感じた時には思わず左手を跳ね上げて交差した形で支えた竹刀で左側をガードに移る……けれどそれを反射的にしながらもそれは違う予感に右手を離す。
「おっと」
「……」
果たして。
右の腰のあたりに広げた掌にそれなりの衝撃。
右側から胴のあたりを薙ぐように入ってきた切込みを丁度相手の右手を叩く感じにして食い止めた。
ほぼ勢いの死んだ向こうの剣先がスーツの裾には当たったけれど全く有効打ではないだろう。
「そうやって防ぐんだね?」
「両手で竹刀を返しても間に合いませんので」
「確かにね」
そう言いながら鍔競りの体勢に入りつつ、一度押し込まれた力が抜ける。
それに同意して互いに五歩ずつ離れて仕切り直しに……その間に一旦右手も添えつつ左手の把持位置を鍔の方に移す。
「じゃあ、もう一丁」
今度は真正面から飛び込んで繰り出される下段突きを余らせていた柄を用いて左に反らし、返す刀で上から狙われた右肩への振り下ろしにも最短距離で竹刀を割り込ませる。
鋭さで大分押し込まれはするが力でこちらに分があるのでそのまま弾き返す。
重力を感じさせずに着地した彼女に流石にそろそろと反撃を一発、と思うものの……全く隙が見当たらないし、逆に強引に出ればこちらに綻びが生まれてしまうと判断して一歩だけ詰めた足を止める。
「残念」
「と言いつつ、カウンター瞬殺で短く終わってもご不満でしょう?」
「それはそうだね」
言い終わるなりまた予備動作を見せない動き出しから今度は仕留めに来る意思は弱めながらも連続する突きを仕掛けられる、がこちらは竹刀の両端と右手を用いて一本しかない相手の攻撃に対応して見せる。
「それはちょっとズルくない?」
「別に剣道をしているわけではないですから」
「それは確かに」
攻め手の勢いが一割ほど緩んだ、と感じた瞬間。
「そうかも」
下から来たさっきまでと比べ少し低い声に後ろに跳び退きながらそれでも足りない感覚に顔を逸らす。
視界の色合いがちょっと変わった、と思った次に頬に僅かに鋭い痛みが生じて、その後眼鏡が床に落ちる音がした。
「……これも躱しちゃうか」
「それだけじゃないのはわかっていましたから」
「そうなのかい?」
「ええ、まあ」
向こうの面々が明らかに物理的な攻撃に偏り過ぎているのに違和感はあったため頭の片隅で警戒はしていた。
それに、何より目の前にいるのは隊長を任される程の練達の剣士。
畳み掛けては来ないのか、と一応警戒はしながらも頬を触れば包丁で指先を切った傷口を振れた時のような痛みと、心持薄い血の色と感触。
水を利用した斬撃だろうか?
「察しは、悪くないようだね」
「そちらの家にそういう術の使い手の方が多いのは知識としてありますので」
「では、織り交ぜさせてもらうので第二ラウンドと行こうか」
「その粘り腰は感心してしまうけれど」
「はい」
連撃で足を止められ素早く左側に回り込まれる。
そこから伸ばされる手首狙いの一撃をこちらも手首を回して竹刀を外側に突き出しシャツの上から精々痣ができるくらいの接触に止める。
そう思いきや反対側に不可視の力が流れて刃を形成する、それにはこちらも火をぶつけて完全には相殺できないものの刃先としての鋭さは殺してコップ一杯の湯を浴びせられた程度のダメージに抑える。
「勝つ気が見えないのはちょっと期待外れかも」
「このまま長引けば就業時間終わるので引き分けになりませんかね?」
無駄な残業は禁止されているし、ね?
「隊長権限で無期限延長戦で付き合ってもらうよ?」
「それは、困りますね……少なくとも学生さんたちは帰さないと」
「まったく、そんな風にはぐらかすようなことばかり」
「勝てるとしても、その土俵はこちらじゃありませんので」
***
「そんなに剣先ばかりに集中してどうしますか」
また一太刀を防いで手首に来る衝撃にいつかの記憶が蘇る。
必死の防戦の中、足を払われ地面に転がされた自分を無表情に見下ろす年下の師匠の顔と左耳につけているガーネットが透かした赤い光。
「多少学校で剣道を嗜んだ程度のあなたがこちらの世界で剣で勝てる相手はほぼ居ないのはわかっていますか?」
「それは、もう」
年下の女の子に手も足も出ずに叩き込まれていた現実。
「ならば意識は勝てる術の方に置いて、あくまで剣と拳は呼吸するように身を守りなさい」
***
「……っと」
もう幾度か防戦一方の展開を経て、次の攻めがふとギアを半分上げたように感じる。
見守ってくれている皆から歯痒そうに息をのむ音が聞こえるがこれでも精一杯踏ん張ってはいるつもり。
それはそうと、そろそろ飽きて仕留めに来るか? と判断し、同時に襲い来た竹刀は右の掌底でいなし、水の刃はこちらの竹刀を両断するに任せる。
出来る限り粘るつもりではいたけれど格上相手には難しいものだったな、と思いながらも……多少の意地が内心で首をもたげる。
「当たれ」
その攻撃モーションの終わりに合わせ威力は低く大きさは確実に触れるように調整した火球を放つ。
「効かないよ?」
「……でしょうね」
薄く防御するように纏っていた霧のような膜に阻まれ全く通用していないけれど、こちらの目的はあちらの魔力に触れさせること。
先日の死霊に触れたときは食べる気も失せるような感触だったけれど彼女のものは山奥にある清流に感じられた。
「これで」
「!」
「仕舞いだよ」
そんな認識をしているうちに綺麗に真ん中から切断された竹刀の残りを今度は握っている部分ギリギリを切り飛ばされ、次にその水の切っ先が飛沫になって散ってこちらの視界を潰してくる。
その水煙の向こうから鋭く突き出されたあちらの無傷の竹刀が喉元に突き付けられる。
「参りました」
これが実践なら首を撥ねられて終わりかな……と思ってから、向こうが本当に遊びなしの本気ならここまで粘らせてももらえなかったか、と考え直す。
まあこんなところかな、と竹刀の柄の残骸を親指で握りながら左手の残り指四本を挙げて言葉通りの意思を示す。
そんな俺に対して。
「もし」
「はい」
「その突き付けてきた手にボクの防御を貫く性能があったら、相打ちだったのかな?」
彼女に真っすぐ掌を向けて突き出していた右手を興味深そうに眺めながらそんな指摘をされる。
「可能性はあったかもしれませんが、こうも見事にされたら降参あるのみですよ」
「……ふーん」
思い切り気に入りませんという顔をしながら、軽く切っ先で頸動脈のあたりに触られる。
「気に入ったよ」
「へ?」
「身体検査は無論一発合格だし、なによりいい性格をしてる」
良い形をした唇の端を上げながら。
「はい?」
「どうだい? 二番隊に来る気はない?」




