21.ジェノベーゼとペペロンチーノ
「さて」
昼休みということは昼食時なので、つまりは昼食は何を食べるか、ということになる。
学生の身分である皆と違ってこちらは一応この会社に就職した会社員的な身の上であり、だが常駐する人間は二桁に辛うじて乗る程度の本社ビルに社食などあるはずなく周囲で探す他に手段はない。
普段なら外回り的に雑魚の掃討や隊での討伐の下見に出ているのが……今日は昨日のイレギュラーの報告等に忙殺されて脱走するチャンスを逃していた。
本当、類似例があまり報告されていない件に関してハチの巣をつついた騒ぎになるのは理解できるものの、あそこまで根掘り葉掘りでなくても、とも思ってしまう。
勿論と言ってはあれだけれど、昨日も学生達を最低限の証言だけで返した後少々遅くまで現場確認に立ち会う羽目になった……よって昨晩の夕食はいつものラーメン店にお団子ちゃんもとうに上がっている時間帯の閉店間際に駆け込み慌ただしくラーメンを一杯食べただけ、だった。
ビールもチャーシューも食べようとすれば閉店時間を圧迫してしまいかねなかったため頼み損ねてそれだけ恨みは深いので、今日は多少豪勢な昼食でも許されるであろう……というか、自分に許可する。
「オジサマ」
「……」
さて、そうなると昼はお米と肉……つまり何か定食的なのが良いかな? 生姜焼きとか? カツ丼も捨て難いが。
「オ・ジ・サ・マ」
「いや、麵もいいな」
「こーら、無視しないで」
二度ほど背中を叩かれたのを流せば、今度は耳を引っ張られる。
「そちらこそ」
「うん?」
「昨日あの後、さらりと居なくなってましたよね?」
女性の年齢を詮索するのは失礼ながら、昨日の狩衣姿から普通のパンツスタイルになり長い髪を首の後ろで括った様子は雰囲気的にはレオさんよりやや上に感じられるので多分学生ではないのでは? といったところと予想する。かなり多忙な隊長職に就いているからには。
ほんの少しだけリボンが大きいのが彼女なりのお洒落だろうか?
ともあれ、そういう立場だから、昨日あの後こちらの隊長さんたちにも声をかけていたと思いきやしれっと行方を眩ませられなければこちらの負担はちょっとは減ったんじゃないかな? と軽く抗議をしたくもなるわけだ。
この彼女ならまずしないような悪びれない笑みを浮かべる隊長さんのお姉さんは。
「ごめんごめん、ウチの隊のメンバーにも一応待機していてもらってたから、先に伝えに戻ったんだ」
「なるほど」
それは確かに必要かもしれないし、事態に備えてくれていたのには感謝の気持ちも生まれる。
「それにほら、あくまでボクは居合わせただけだしね?」
「それはそうです、ね」
それはその通りだし、こちらの隊の管轄だったのは間違いない。
さっきのは所詮詮無き恨み言。
「大人げない態度で済みませんでした」
「本当に大変だったと思うから気にしてないけど……そうだね、お昼御馳走してくれたら全部水に流そうかな」
「では、それで」
「丁度近くにね、おいしいパスタが食べられる店を知ってるんだ」
おや、結構話の分かる人かな? とかそれだけで考えてしまう。
『ご飯あげるからって知らない人に付いてっちゃダメだよ』
「わかってますよ、姉さん」
今回はこちらが出すし、そもそも知らない人ではなく身元のしっかり割れている人。
「何か言った?」
「いいえこちらの話」
昔そういう話題でからかわれたことをふと思い出す……ええ、単純だという自覚はあります。
「じゃあこちらはホタテのジェノベーゼにアイスティーをストレートで」
「はい」
「よろしくお願いしますね」
注文を取ってくれている同年代の女性店員さんに品良く微笑む……本当、こちらに来てから知り合う相手は皆さん顔が良い人が多い。
その中でもこの人はほんの十数分行動を共にしただけだけど所作などが非常に流麗で席備え付けの紙エプロンなど使わなくても花の刺繡のワンポイントのある白いブラウスは絶対安全なのだろうな、と確信できる。
「さてと」
「?」
「改めて、妹たちがいつもありがとうね」
「大したことはできていませんが」
「いやいや、千弦や杏にも聞いたけれど手堅くフォロー等してくれていると感じるよ? 何せ、若い隊だから気がかりではあったんだ」
「まあ、それは」
対応能力増強のために急遽新設されただけあって、通常なら他の隊に二名ほど派遣されつつ研修をしてという通常の育成手順を外れている。
「そこにオジサマの家から手練れを派遣してもらえると聞いたからそれはもう安心したものだよ」
「踏んだ場数が多いだけですが」
「またまたご謙遜を」
最初に配膳されたレモンウォーターのグラスを一口傾けてから。
「新しい隊を早く見てみたいな、と思っていたらうちの隊がこれから回ろうとした先を一気にそちらの次期当主さんが片付けて行ってくれたみたいで」
「ああ……」
暁たちが先日こっちに来た帰りに軽く大回りしながらこちらとあちらの間の地域を綺麗に片づけていったらしいことは本人からも少し聞いた。
善意なのか裏があるのかの判定は微妙なところ。
「予定より、早く戻れたんだ」
「そういうことでしたか……うちの若様が出過ぎた真似を」
「いやいや、言ったでしょ? 早く見てみたかったんだ、って」
すっと瞳の焦点がこちらのようで少し異なる場所に合わさる。
「香ってきているよ? オジサマ」
「え?」
一応まだそこまでの歳ではないけれど若い女性が周りに多いから気を使っていたのに。
「加齢臭には気を付けていますけど」
「もちろん、そうじゃなくってね」
シャツの袖口に鼻を近づける仕草に笑われる。
そんなタイミングで注文したアイスティーとコーヒーがテーブルに届けられ、運んでくれたお姉さんが下がったタイミングで囁かれる。
「ストレートじゃない、強さが」
「……買い被りですよ」
「それはそれとして」
「ええ」
「ボクの可愛い妹、は頑張っているはずだけれどどうかな?」
グラスにストローを差し込んで、軽く曲げながらさらりと話題のベクトルを心持変えられる。
「本当に見事で綺麗な神楽を舞われるとは思っていますが」
「妹は昔から真剣に練習していたし、家はそういう神事の家系だからね」
なら目の前のこの人もかな? と軽い興味は湧く。
「ただ、他の部分は大分苦手な子だから……助けて貰えるとこちらも嬉しいよ」
やはり、そういう意味では力に劣るという認識でいいのだろうか? 他ならぬ血縁者がそう言っているのだから。
「だから、なんですか?」
「うん?」
「真に受けたりはしませんが、良い噂は聞きませんし」
時折耳に入った酷いものを一言で纏めるなら「出来損ないの子を体裁を整え差し出した」というような形だろうか。
「彼女の自信の無さそうな素振りや隊長職を頑張り過ぎているところが気にはなります」
余り思い出したい記憶ではないけれど「頑張っていい子にしていれば両親が迎えに来てくれる」……そう信じていて痛々しかった子を何人か孤児院で見てきてはいる。
「……そう言われてしまっても仕方ない自覚はあるよ」
「……」
「ただ、頼れるボディーガードが近くにいることに安心しているのは本当」
あれ以上こちらの家から人を出すのはバランス上好ましくはないからね、と付け加えられる。
「そちらの家がご厚意だけで派遣してくれたとはちょっと信じてなかったけれど」
「……」
「オジサマご本人は信じても良さそうだね」
少々お芝居じみた物言いや表情を取り払って本心に近いと思わせてくれる笑顔を向けられる。
そしてそれに即答するには暁から言われていることが棘になり過ぎる。
「おや、何か引っ掛かるかな?」
「……その、学生くらいの年代の子ならともかく、そちらからもそれだけ上に見えるのかな? と思いまして」
信じる、と言う言葉の方が苦しくてそちらに逃げる。
「ふふふ、確かにそうかもしれないね……千弦や杏に流されたよ」
「い、いや、そこまで真剣に気にしてはいませんが」
「でも、次の機会までに改める方法を考えておくよ」
快活な言葉を向けられたところで、計ったようにジェノベーゼとペペロンチーノのパスタが届けられる。
「さ、食べよっか? 言ったかもしれないけれどここのパスタは本当に美味しいよ?」
さあさあ、と彼女の奢りのように良い笑顔で勧められるけれど。
確か、ここの支払い俺持ちだったような気が……?
「!」
「でしょ?」
まあ、確かに美味しい店なので別に良いか。




