134.秋、ドライブ
「じゃあ、本格的に出発しますか」
「はーい」
「忘れ物はないね?」
「大丈夫だよ」
「うーっす」
前回海に行った際と同じ車種、同じ席順でコーヒーショップで調達した飲み物をホルダに収めながらエンジンに二度目の始動をさせる。
ガソリンも満タンを確認しているし、ETCカードの挿入もOKだな。
「珈琲も必須、なんですね」
「ある程度長距離なら欲しいですね」
「そういえば、征司さんの車にもペーパーカップが時々」
「……市場とか道の駅で買ったものが多いとうっかり忘れるんですよ」
中身は空になった後なのでご安心を、というと頷きながらくすくすと笑われる。
面映ゆい気持ちを押しやるのと同時にウォッシャー液を無意味に出してワイパーを動かしながら紙コップに手をやる。
信号が切り替わって流れ出した車線をナビゲーションに従って高速道路へ入る右折車線へ。
そこそこ早い時間帯、まばらよりは少し多いが走りやすい。
「そういえば、今日の目的地ですが」
「はい」
「難易度が脱初心者のハイキングコースですが、よろしいので?」
今なら変更できるよね、の意図を込めて。
「征司さん」
「はい」
「幾ら私が細いからといって体力、普通の高校生くらいはありますから」
助手席で軽く胸を張って人差し指を立てる様に軽く頭を下げる。
「失礼いたしました」
確かに。
この業種の中では控えめに言っても下の方とは言え、この場合は物差しが違うのだった。
「それと」
「?」
ETCゲートを電子音と共に潜り、本線に合流するのを待って助手席からそっと続きが語られる。
「ずっと前に、家族で行ったことがある山なんです」
「……そうなんですか」
「両親の手を借りながら、でも未就学児が登れたんですから」
細い指で握り拳を二つ作って見せてくれる。
ならば問題ないか、と思った途端に彼女の両親という別の繊細な問題が頭を過ぎるが、時間を使いながら選択する時に選んだのだからこちらが口を挟むべきではないか、と喉の奥に飲み込んだ。
純粋にいい思い出の場所として扱うのなら、それに倣うべきだろうって。
「あとは」
「ええ」
「ちょっとアクセスが遠いのと初心者向けではないので混んでいないのが良いかな、と」
「それは確かに」
山歩きを楽しみたいという目的から言っても、そこまで混雑していないことは重要だった。
「じゃあ、ロープで」
「はぁ!? おっちゃんまで『ぷ』縛りっすか!?」
「ルールでは何ら禁止されていませんのでアリですね」
何故か。
「プリン、とかどう? とら」
「ちょ!?」
「どうする? 降参する? 虎ちゃん」
レオさんの軽い提案から始まり徐々に過熱しかなりのガチ試合となりつつあるしりとり大会を繰り広げながらも高速道路の旅は続く。
「あ」
「お」
苦悶の表情を浮かべながら「ぷ」責めを抜ける言葉を探す虎をバックミラーでチラリと見た後、通過しようとした電光掲示板の表示が切り替わり一瞬だけ渋滞情報が映って前座席の二人して声が出てしまう。
「どこの辺りか見えましたか?」
「いえ、一瞬すぎて」
「ですよね」
一応、水音さんが高速情報のアプリを見てくれるけれど、反映のタイミングがどうかわからないのでドライブソング集から切り替えてラジオも入れる。
見事なタイミングでパーソナリティが入ったばかりの情報を読み上げてくれ、こちらが取るルートとは関係ないことが判明して軽く胸を撫で下ろす。
そんな内にスピーカーからはリクエスト曲が流れ出す、聞き覚えのあるグループ名は。
「……征司さん?」
「いえ、何でも」
馴染みのラーメン屋の看板娘ちゃんとその友達は大喜びしそうなチョイスで思わず口元が笑ってしまった。
「そういえば、クラスの子が好きだと言っていましたね」
栗毛ちゃんの呟きに、好きとはまた随分控えめに言ったことだ、ともう一度笑いが零れる。
そんな中、歌詞の一節に「ウィンク」という単語が入っていて、CMに入ると同時にレオさんが口を開く。
「そういえば皆、ウィンクって出来る?」
「え? 簡単じゃん?」
打てば響くようにワンコちゃんがテールを揺らして片目を閉じる、電車広告にでもありそうなハンドサインのおまけ付きで。
勿論あたしも、と続く言い出しっぺと合わせてバックミラーの中が一気に華やぐ。
「杏ちゃんいいじゃん、あたしとユニット組む?」
「んー、レオもモチロン好きだけど杏は姉さまの家の子だし」
「ちぇー、振られた」
仲良しめ、と思っていれば。
「まあ、出来ますが」
一方、澄ました顔のままそうとだけ言って実演はしない栗毛ちゃん。冷静な言い方といい彼女のことなら間違い無く可能なのだろうけれど。
「ふ……ぬっ」
「とらー、出来てなくはないけどそれって無理やり片目閉じてるだけじゃん」
「駄目っすか?」
「もうちょっとスムーズにしないとダメよ」
そしてそんな風に後ろが盛り上がった後、自然に前側にもお鉢は回ってくる。
神楽を舞う時の八割くらいの真剣な顔をした後、こちらを向いて深呼吸をして結構頑張って片目を瞑る。
「一応、何とか、できます」
「セージ、判定」
「出来てますよ」
ややぎこちなさはあるものの可不可であれば間違いなく前者。
あとは良いものではあるのかもだけれど彼女に求める可憐さとは若干ベクトル違いかな、という感想。
「で、オジサンは?」
「今、運転中ですので」
「絶対それ回避する言い訳じゃないっすか!」
「求められてないし、表情筋が硬いのは見ての通りだよ!」
言い返しながら、運転頑張っていますよと言わんばかりに多少わざとらしくサイドミラーに顔を向けたりなんかもしてみる。
「まあでも、おじさまのお顔の動きが硬めなのは特に最初の頃はそうでしたね」
「……ぶっちゃけヤバい人が御目付け役で来たと思ったっす」
「まあ、中身は食いしん坊で面白かったけど」
「……」
君らね?
「でも、最近は随分お顔も柔らかくなったよね? 時々剃り残しが生えてるけど」
「はい、私もそう思います」
「……んなことはないですよ」
苦し紛れにそんなことを呟くが、隣から「あります」と言わんばかりのさっきより全然自然な微笑みが向けられる。
……全く、どんな顔をしろって言うんだい。




