12.Smoky‐smoky
「まあ、流石に起きるよね」
「寝ていてくれれば楽だったんですがね」
太陽は傾き始めたが夕方というには早い時間帯。
事前調査で夜行性と見られた怪異だが寝床と見られる廃屋に踏み込めば奥から爛々とした黄色い目と威嚇するような唸り声が出迎えてくる。
事前に確認したが再度確かめた人払いの術は間違いなく、タブレットに目を落とせば脅威度判定も事前のまま。
「行きますね?」
「よろしく」
最初にダメージを、の目論見で今回も先制するが相手は一体、尚且つ身軽という訳で今回は時間差を付ける。
果たして雷の矢を側転するような動作で避けた巨大な狒々が周りのガラクタを蹴散らしながら仕掛けた栗毛ちゃん目掛けて突っ込んでくる。
「千弦!」
「うん」
その狒々の突進を碧いヴェールが受け止め、動きを止めた瞬間二の矢が狙うもののバックステップのような動きで更に避ける。
「今か」
その移動先に向けて威力ではなく速度重視で火球を放つ、が流石に軽すぎたか左腕を覆っている毛に引火させただけで転がるようにして揉み消される。
まあ、隙を作らせる最低限の目標は達したといった程度か。
「でぇい!」
そこから向こうが身体を起こした瞬間に虎が飛び込み剛毛の無くなった腕に一太刀を浴びせ、その犯人を視線で追って無防備になった後頭部にレオさんが三発必中で銃弾を当てる……ただ、そちらも太い毛と頭蓋で滑らされ皮膚を深く抉るものの深手には至っていない。
「さて」
唸り声を上げながら四方を囲んでいる此方を見比べ……誰を狙う?
「虎ちゃん!」
「大丈夫っす!」
盛大な咆哮の後、一番大きな手傷を与えた相手に転がっていた冷蔵庫を投げ付け……タイガーが落ち着いて叩き切る。
その隙という程でもない合間に、七割くらい狙いに行くと踏んでいた栗毛ちゃんの方に再度狒々が突っ込んで行く。
類人猿に近い類は女性を攫いに狙う性質があり、四人の中でしっかりシスター服を着込んでいるレオさんに比べればまだ髪を見せている姿の関係上でわかりやすい方に向かったのだろう。
「二度目はありません」
「……!」
しかし、栗毛ちゃんの方も冷静に動きを見て弓を射かける動作でフェイントを仕掛けステップを切った先に今度こそ矢を放つ……着地の瞬間、無防備に直撃を受け耳をつんざくような悲鳴が響く。
「いっまだぁ!」
「よし」
ダメージに加えて電撃で動きが止まった瞬間を見て事前に取り決めていた各々が痛撃を与えられるであろう箇所に殺到する。
四肢より切り落とし易くバランスを失わせるのを狙える尾にタイガーの大太刀が、剝き出しの弱点である眼にレオさんの銃弾が、そして自分が動きを鈍らせるべく足首の骨に向かって渾身の力で木刀を叩きこむ。
そしてその目論見のまま床を転がるしか抵抗の体をなせない狒々に向かって。
「皆さん、下がって」
本日最大威力の青白い矢が止めとばかりに突き刺さった。
「何だか嬉しそうですね」
「そう、ですか?」
完全な絶命を確認した後、進み出た隊長さんの表情と足取りにそんなことを感じて呟く。
「そうかもしれないです」
一旦足を止めてこちらを見た後、さらにもう少し顔を緩めてそんなことを言って進んで行く。
「……ですから、あまりお姉さまに不埒なことを」
「舞の前に気を散らすこと言わないの!」
嗚呼、たったこれだけなのに非難轟々。
「不埒と言えば、セージ」
「今夜のメニューは決めたっすか?」
んな恒例行事のように……。
「燻製、だな」
「え? 何でっすか?」
「確かに黒焦げだけど……」
「いや、そこ」
先ほど真っ二つに叩き切られた冷蔵庫を指差す。
餌として調達してきたのか業務用と思しきそれからハムやら腸詰が転がり出ていた。
「よく見てるんだね、オジサン」
「周辺状況は大事ですから」
にしたって、なんだか犬が何かを探し当ててきたようないい方しなくても……というか、この子の方がお姉さんへの懐きっぷりとかで余程犬系の気がする。
まあ、気を取り直して。
「丁度この前仕込んだベーコンやらチーズが良い頃合い……」
「セージ」
そう口にするや否や、目の座った顔で両肩を思い切り掴まれる。
「それ、ちょっと詳しく聞かせ……いや、というか食べさせて」
「いや、自家製なので流石に人にお出しするようなものじゃ」
「上物のスペインワイン持っていくからぁ」
「ちなみにそれの出所を伺ってもよろしいですか?」
危険な香りに質問をする。
「家のパパのワインセラー」
「却下で!」
レオさんのお父様といえばこちらに派遣されてきた後日本文化にハマり逆に海外組織とかの折衝を担っている総務部の部長、つまり最初にこちらに転勤した時に少し話した人だが、色々な権限を持っている。
そんな人に睨まれちゃたまったものじゃない。
「おじさまにレオカディアさん?」
そんな俺たちに柔らかくも剣呑な声がかかる。
「お姉さまが神楽をされる時に騒々しい上に内容が欲に塗れすぎです」
「済みません」
「ゴメンなさい」
両名二十歳過ぎだが高校生に頭を下げる。
「第一、レオカディアさんのような年頃の女性が一人暮らしの男性の家をお酒を飲むような時間に訪問されるなんて……その」
「「……」」
「あの……ええと」
お説教が止まったな、と思いはするものの、流石に続きを促すには微妙な内容だな。
というか、栗毛ちゃんの髪から見える耳が見る間に染まって行く。
「……不潔、です」
いやまあだから、真っ先に配慮したでしょ? 俺。
「ふー、戻って来た」
「お疲れっす」
個人的には高層ビルの高速エレベーターに乗っている感覚に近いと思う奇妙な感触の転移術の後、本社ビルの地下にある無機質な大部屋に周囲の光景が切り替わる。
空間をずらすという高度な術の行使の際に可能な限り余計な齟齬が出ないように配慮されたそれ専用の空間だった。
「皆さん、いらっしゃいますね?」
「はーい」
「大丈夫なようです、お姉さま」
業界お約束の怪談でその際に人数が増えたり減ったり中身が変わったりとかいうのがあるけれど、幸い遭遇したことはない。
ただし、取り決めできちんと人数確認をした後、エレベーターに向かうべく全員で扉の方に移動する。
「あれ?」
ここでも先頭に立つことが多い虎柄のスカジャンがレントゲン室を連想してしまう大きな鉄の扉を開いたところで停止した。
「どうしたの?」
「もー、早く行ってよ!」
「!」
正直、気配に気づかなかったのは戻って来て緊張を解いたのと、今宵の燻製に考えが飛んでいて油断していたのは否めない……普段は特に人の居ないそこに二十代半ばな二人の人物が立っていた。
思われるではなく、見かけより実際はもう少し上な具体的な年齢も知っている。
「はじめまして、八番隊の皆さん」
そんな中、二人のうち少し手前に立っていた長髪の男性が口を開く……時々女性に間違えられたこともあるが間違いなく男である。
「は、はい」
「……?」
「少々本社に用があって上京したので折角ならご挨拶をと思いまして」
うん、いつ見ても完璧な所作で軽く頭を下げて……。
「向田暁、と申します」
「むこうだ……?」
「それって」
隊長さんから順番に気付いた人からこちらに視線が向けられる……いや、虎が何のことか思い付いて無さそうなアホ面のままだけど。
「兄がいつもお世話になっています」
女性陣に優雅に微笑みかけた後、少し色の違う笑顔をこちらに向けてくる。
「そんな煙たそうな顔をしないでくださいな、兄上」




