126.ハンバーグと嘘
「素敵なお店ですね」
「そうだね」
水音さんの呟きを拾って打たれた相槌にこちらも頷く。
一世代前のアメリカな感じの店の前にある三台分の駐車スペースにゆっくりと車を入れる……気持ち狭めなので両ラインの真ん中を意識して。
運転席から降りれば店の方から漂ってきた香りがすでに美味しい。
余程のことが無ければこの時点で今日の夕食は正解。
レオさんを先頭にドアを潜れば大学の友人だというのがすぐにわかる愛想のいいデニムにエプロン姿の女の子に席を案内された。
……店内BGMは音量は抑えめながらも心地好いジャズで更に加点、難点はお酒が欲しくなるところ。
「お勧めは牛100%のハンバーグになっています」
ルックスからの予想通りレオさんの友達だというショートの女の子がメニューを配りながら説明してくれる。
二人が連れ立ってキャンバスを歩いていたらさぞ人目を引くのだろうな、という感想が出てくる華の女子大生さんだ。
「じゃ、俺はそれをデミグラスソースで行くっす」
「アボカドも気になりますね」
「私は和風で……」
自慢だというハンバーグをメインにトッピングやソースを選んでいくスタイルか。
メニューの見開き部分を軽く見た後、そこは畳んで他の部分をチェックする。
一応目的というかあって欲しかったものがそこにあり内心で安堵の息を吐きながら何となく順番の最後尾になる。
「サーロインステーキを一ポンド、レアでお願いします」
あとはバーボンウイスキーなんかもあれば……というのは内心だけにしておく。
「ステーキで、よろしいんですか?」
「ええ」
キョトンとされた後、念のためといった風に聞かれてしっかりと頷いて意思表示をする。
量で驚かれたのではなく、ハンバーグ以外の注文がレアケースなのだろう。
「それで、お願いします。あ、あと黒烏龍茶も」
「かしこまりました」
今時ちょっと懐かしささえある手書きの注文の復唱を聞きながら。
一瞬斜め向かいの水音さんと目が合って、何でもないですよ、という顔を作って見せた。
「おいしそうだね、ねえさま」
「うん」
暫し頼んだ飲み物を口にしながら談笑していればほどなくして熱々の鉄板に乗せられたオーダーが到着し始める。
店の外まで届いていた良い香りが更に至近距離でどうしようもなく口の中に期待が溢れてしまう。
そんな中、トリとして。
「お待たせしました、1ポンドです」
「わーぉ」
「すっげ」
ドスンと届いたビーフの塊にレオさんと虎は笑い声をあげるも。
「「「……」」」
高校生女子三名は唖然とした目でそれを見ている。
「おっちゃんがこのくらいペロリと食べるの知ってるっしょ?」
「まあ、そうですが……」
フォークを手に取りながら笑う虎。
ちなみにその前に置かれているのはダブルハンバーグだから総重量的にはこちらとそこまで変わらない筈なのでこっちだけその反応は少々納得がいかない。
塊のインパクトという意味で解らなくもないけれど。
「では、揃ったとこで」
「いただこっか」
冷める前に……ってまだ鉄板が余熱で音を立てているくらいだからその心配はないけれど。
だからこれは目の前に美味しそうなものがあるから、ということか。
ナイフを手に取って、いざ尋常に……。
敢えて厚めにカットして最初は少なめにソースを。
そこに一息吹いてから口の中に運ぶ。
「ん!」
仕入れ先から拘って、というだけあって濃厚で芳醇とさえ言いたくなるくらいの肉汁が口の中を満たす。
最初だけしっかりと顎に力を入れなければいけなかったが、その後は驚くくらい柔らかに繊維が解けて行きどんどん旨みが広がってくる。
これは、美味い……一口で巡回先リストに入って来たぞ。
一口目を食べ切ってから、余韻を楽しみつつ二つ目を切り分けるべく再度ステーキに。
「セージ、ご機嫌じゃん」
「ね」
「そりゃ、美味いですから」
飛んできた声に胸を張って応じつつ、熱々の肉汁をまた迎える。
あー……肉、食べてる感じがする。
そして。
「でも、確かにそうかも」
「案外アボカドも合いますね」
「うめぇっす」
各々のハンバーグを食している面々も。
一言二言感想は出ているけれど全然口数を減らして別の動作に集中しているのだった。
「美味しいお店でしたね」
デザートのさっぱりとしたソルベまで堪能してから、レオさんと栗毛ちゃんをそれぞれの家まで送って最後のお宅まで、となったところで。
斜め後ろに向かって手を振り終えてからしっかりと座り直して水音さんが夜道にちょうどいいボリュームで話し掛けてくれる。
なお、最後のもう一人はレオさんが降りて暫くしてシートベルトにツインテールと顔を引っ掛けて眠りに落ちている……栗毛ちゃんもそれに構わず水音さんに声を掛けて降りて行った。
何というか、多少凸凹感はあるが遠慮とかがない気安い関係なんだな。
「雰囲気も良かったですし、まだ行こうかと決めましたよ」
「実際、おっしゃっていましたね」
くすりと笑う声にふと思い出す、最後に「また来ます」と口から出たのはリップサービスではなく本心。
サービスというか甘やかすのは自分の胃と食欲。
「誘って頂いたレオさんにも感謝ですね、私も楽しかったですし」
「ちょっと遅くなったのだけが申し訳ないですが」
ハンドルを握る左手の先にあるデジタル表示はちょっと責任を感じる時間帯。
「大丈夫ですよ」
「?」
「銀子さんも征司さんならしっかりしているから、とお許しをくれましたし」
「……まあ」
万が一、億が一さえ起きないくらい心を配ってしまうのだけれど……この子が関わる時は。
一部からは過保護とからかわれるんだが。
「だから、日を置けばまた私も……」
そこまで言いかけて、言葉が止まる。
「どうしました?」
「ご一緒したいな、って思ったんですけれど……そうしたら征司さんがリラックスできないですよね」
「別に、最初の頃はともかく今は水音さんがいるからと言って無理に控えてはいませんよ」
堂々とでかいステーキを頼んでデザートまで。
「いえ……そういう意味ではなくって」
「まあ、多少はそういうのはありますが」
警戒、とかそういう意味。
「水音さんと一緒にいて心地いい意味の方が上回るので気にしないで下さい」
「!」
隣で少し大きめに反応する瞳と同じくらいそんなことをポロリといった自分に驚くが……そんなことはおくびにも出さず。
事実は事実、だから。
「だから、またこういうのもいいかもしれませんね」
「はい」
普段の落ち着きや印象を少し置き去りにする勢いのある返事に、心がくすぐられる。
あちらはあちらで、そんな自分に驚いたのか暫しの間唇を結んで心の中で何かを処理しているような仕草が見えた。
それから、方向を軽く整えるように話題のベクトルが僅かにずれる。
「ちづちゃんが食べていたアボカドのも挑戦しても楽しいかもしれませんし」
「新しい発見、いいじゃないですか」
それなら、こちらは。
「俺は、そうですね……別の部位のステーキを頼むのもいいかもしれません」
退店時にハッカキャンディーを配ってくれたレオさんのお友達には「今度はハンバーグを是非どうぞ」と言われたが……。
「ハンバーグは、昔お腹を壊されてから苦手、でしたよね」
「ええ、まあ」
前に出た話をしっかり覚えていてくれたのか、と思うと同時に。
丁度ボリュームを控えていたラジオから流れる曲に「嘘つき」というフレーズがあって喉の奥の当たりに苦いものが生じる。
『はい、せーちゃんの大好物のハンバーグ』
こんな日だからか、当て布だらけのエプロンで皿においてくれた肉料理が蘇る。
酷い自作ハンバーグで腹を壊したのは本当、でもそれで苦手になったというのは嘘。
嘘というのも本当ではなく……食べずに済ませるための方便。
単に、食べたくないだけ。
「征司さんに苦手な食べ物というのも珍しいですね」
「よく言われますよ」
単に、姉さんが作ってくれたそれ以外を食べたくないだけ。




