119.一方的な決め方
「あんまり、遊ぶって感じじゃなくなっちゃったね」
あの後。
「でも雛菜が危険なのは認めない」とだけ呟いて病室を出て行った後、閉められた扉を見て妹ちゃんが唇を尖らせながら言う。
こちらはあんな台詞を残して出ていく割に静かに閉めて行ったな、と妙に関心をしていたりしたが……律儀な性格をしているのは今日初対面だが間違いないのだろう。
「ごめんね、水音お姉さんセッカク来てくれたのに」
「いいえ、それは気にしないでください」
手を合わせて頭を下げる様に髪を揺らして首を横に振る。
「この埋め合わせは……って、それじゃあたしが催促してるみたいになっちゃうか」
「いつになるかはわかりませんが、でもまた来ますよ」
「……これで、良かったのでしょうか」
「まあ、流れ的に仕方なかったとは思いますが」
「いえ、そうではなくて」
病院の総合玄関を出ながら水音さんが迷いを隠せず口にした。
「その、今更なんですが私とその……顔を合わせることによって雛菜さんや鷹史郎さんたちに危険が及んでは、と考えてしまって」
「ああ……」
「でも、雛菜さんの様子を見ていたらもう来ませんとも言えなくて」
「ですね」
その気持ちはわかる、と首を縦に振る。
「一応、魔術は秘すべきの前提には従っている様子ですので注意は怠らずに、でも神経質になり過ぎるのも良くないでしょう」
「……はい」
「難しいかもしれませんが、ずっとそのことに囚われていても気持ちが晴れないでしょうし」
そんなことを話しながら駐車しているところまで戻って来たな、と思ったところで少し距離が離れていたことに気付く。
正確には、水音さんが足を止めていた。
「どうしました?」
「あの、その……」
スカートの布地を握って言葉を探すような様子の中。
「あ、そうだった」
「?」
黙って頭の後ろで指を組んで最後尾を付いて来ていたワンコちゃんが唐突に声を発した。
「どうしました?」
「ちょっと見に行きたいお店が近くにあったんだった」
そう言うと早速スニーカーの爪先を表の通りの方へ向ける。
「こっちの帰りは一跳びだから心配しなくていいからね?」
そう言いながらツインテールを跳ねさせながら駆けていく後姿に、確かにうちの隊の中でもガードは固いし攻撃に対する反応も悪くないしそもそも一人なら一瞬で逃れることも出来るのか、と過剰な心配は引っ込めたところで。
「征司さん」
「はい?」
「この前、とは逆ですけれど」
スーツの裾を掴まれる。
「少しだけ、お時間頂けますか?」
そんな言葉が普段より真剣さを増した表情の唇から紡がれた。
「何か、他にも心配事ですか?」
一先ず病院の敷地から車ごと離れて、比較的静かそうな駐車スペースを見つけて停めるとそこは水辺のある公園だった。
折角だから少し歩きましょうか、とのお誘いに気が付けば遊歩道を並んで歩いていた。
「心配事……」
「……」
「そう、ですね。心配なことです」
「?」
少々不思議な物言いに内心で首を傾げた後。
「何でも、気にかかるならおっしゃってください」
あの件の諸々で負担が掛かっているだろうし掛けてしまっているよな、と軽く目線を下に向けて尋ねれば。
「征司さんが」
「俺が?」
「先程から難しいというか、固い表情をされているのが気がかりです……その、こんな小娘が生意気かもしれませんけれど」
「固い?」
言いながら顎に手を当てるが剃り残した髭の感触。
確かに硬質だがそういう意味ではないだろう。
「どんな感じに、ですか……」
「その、前に私のせいで怪我を負わせてしまった時の……痛みを我慢している感じ、です」
「……とうの昔に治りましたし、今は健康そのものですが」
大丈夫、という意味を込めて軽く首を傾けてみたものの、隣からじっと見上げてくる視線はそれでは全く納得してくれ無さそうだった。
「さっき、あの二人に言っていた言葉から、何か……辛くて悲しいことがあったんじゃないか、って」
「……まあ、色々あったはありましたね」
薄く目を閉じて、今でもはっきりと思い出せる涙を零しながら怒る表情を瞼の裏に浮かべていると。
並んでいる側の手元に気配がして、今まで何度かあったように袖を一瞬触れられた後、柔らかな手に甲に触られていた。
「私」
「……」
「征司さんに色々と助けて頂いています……その、護って下さったりとかの他に心の迷いや痛みが晴れるような言葉や態度なども」
軽く触れていた手が、そっと握られる。
「私も、ほんの少しだけでもお返ししたいです。征司さんが少しでも、その……痛くなくなるなら」
「つまらないと言うか、仕様もない話ですよ?」
苦いというか、掠れた笑いしか出ない思いを口にするものの、真剣な眼差しも握られた手も離してはくれなさそうだった。
「あそこのベンチ、借りましょうか」
丁度遊歩道から少し外れる位置に無人の場所を見つけて、元々かなり緩んでいた歩調をそこで休めることにした。
「以前、うっかり寝言か何かで言ってしまったのでご存知かと思いますが」
三人掛けのベンチに少し間を開けて座ってから、そんな前置きから入る。
「昔、孤児院にいた頃、姉と呼んでいた人が居ました」
「……それって」
声色に込められた疑問に答える。
「ああ、実の姉ではありません」
「そう、だったんですね……」
「どっちが先だったかは覚えてないですが、そのくらい古株同士で二つ上で、小学校の高学年になる頃には皆の纏め役で、料理上手の明るい人でした」
ボロボロの台所に立つ縫い目だらけのエプロン姿が蘇る。
「農園で作った野菜とか海で釣ったものとか、あとは近くの農家さん漁師さんから貰ったものを賞味期限の怪しい調味料でなんやかんや食べられるものにしてくれましたね」
不思議と美味かった謎構成のハンバーグの味が蘇る。
「お姉さん天才だし。カリスマ料理人にでもなっちゃおうかな?」……ついでにフライパン片手のそんな軽口も。
「まあ、そんな一〇年ばかり仲良くやっていた家族同然だった人を、親父殿に拾われてこちらの世界に入る時に……泣かせて怒らせたんですよ」
「……」
経緯を頑張って想像しようとしている表情に、言葉が足りなかったかと補足する。
「その……自分が力を自覚する一件の前にその孤児院の責任者の神父様が良くない方向に交代しまして、院の中に虐待に近い状態が生じた上に一気に経営が傾いていたのがあって正直親父殿の財力に目が眩みましたし、もうこれだとガキが自分で全部を解決させると有頂天になって」
一気に吐き出してから、少し夕方に差し掛かり冷え始めた空気を吸って。
「……『人には言えない所に行くけれど、これで皆幸せになれるし姉さんも夢を叶えてよ』って言った瞬間思い切り殴られましたね、勝手に決めるなって」
また思わずその個所を右手で押さえていた。
その後に来た追撃に関しては伏せるが。
「確かにその通りだと思いますよ、相談も何もせずに決まること決まってから言って、笑顔が素敵だった人にあんな悲しい顔をさせて」
「……征司さん」
「だからまあ、あの兄妹には取り返しがつくうちにしっかり話をしてみろとはアドバイスしたくなりますよね? 老婆心ながら」
馬鹿な男の昔話は以上です。
そう言って立ち上がって、帰りましょうかと促そうとしたところ。
「ごめんなさい」
「?」
俯いた、黒髪に隠れた表情からそんな言葉を発せられる。
「征司さんが少しでも痛くなくなるように助けになれればって言ったくせに、私……」
「ああ……」
「全然役に立たなくて」
またスカートの膝を握る仕草に、少し迷ってから軽く手の甲に触れ返した。
「良いんですよ、これは俺の自業自得なので……大切な人を傷付けて逃げ出した報いにしては軽いくらいです」
「逃げ出した……?」
「言ったのは、お別れの日にでしたからね」
我ながら酷い話だ、と乾いたを通り越して掠れた笑いになる。
「救いようのない馬鹿なガキの話なので、処置ナシでも気にしないでください」
「でも、あの……」
「……」
「征司さんがそこまで真剣に考えて……ずっと痛いくらい悔やんでいることを伝えて、謝れば……」
「合わす顔なんかありませんし、それにもう会えない人なので」
「!!」
「そういう、昔話です……聞き流して、忘れてください」
その後。
行きより遅く離れた距離で車まで戻り、無言の車内を経て邸宅まで送り届けた。
「ではまた、その……仕事の時に」
「……」
そう言って門に戻るよう促したものの、泣きそうな顔で見られる。
「嬉しかったですよ?」
「え?」
「水音さんが、痛みが軽くなればと言ってくれたことは嬉しかったです」
それだけ言って踵を返す。
これ以上何かを言わせても傷付けるだけにしかならない気がして。




