114.バーボンとブラッディメアリー
「一応、おじさまのことだから把握されていると思いますが」
切り払った弓の弦を魔力で張り直しながら栗毛ちゃんが説明をくれる。
「ここも結界の中ですので、他人に見られたりなどの心配はなさらずにお願いします」
「だから、もっとマジになって良いっすよ」
お前さんはいつも全力全開だよな、と虎の言に苦笑いしていると。
本題がずれそうです、とその横入りした金メッシュの後ろ髪を引っ張って栗毛ちゃんが前に出る……君、虎相手だとやや雑だよね。
「ご存知の通りおじさまが派遣されてくる経緯から当初はかなり警戒していました、明らかに養子として取った方でどのような企みで怪しい経歴なのかと」
理解できますよ、と肩を竦める。
仮に同じような奴が同じ隊に居たとしたら、間違いなく最大限に怪しむ。
「一応、半年ほどご一緒させて頂いておじさまのお人柄はある程度教えて貰えた上でご本人は信じているつもりですが」
「……」
「この前のことでまた少し疑問が生じました」
番えた矢を引き絞る音と一緒に、真剣な声が来る。
「あの蜘蛛の大軍を焼き払った時やさっき私の防御をあっさり無効化したような、おじさまも何か得体の知れない力を持っていますよね?」
「変わり種なのは否定しませんね」
自分以外のものでも直接魔力を発火させる力。
こちらの一門にも炎の使い手は何人もいるが暁でさえできない、親父殿に拾われる理由になった力。
「しかも、どちらかというと悪魔や魔物より人を制圧するのが得手な身のこなしをされていますよね?」
「……」
「そんな人を、ただ実力がそれなりではなく特殊な力の持ち主をどうして? そちらのご当主や若君様が何のために?」
模擬戦用とはいえ構えた矢がこちらへ向けられる。
「その気になれば、隊長クラスでさえ出し抜けるでしょう?」
「それは買い被り過ぎです」
精々百回戦って一回か二回勝てる程度だろう。
それはともかくとして。
「何のため、ですか」
***
「お好きなものをどうぞ」
「ああ、うん」
あれはいつのことだったか?
「飲みに行きませんか?」と二十歳になったばかりの暁に連れ出されて屋敷のある田舎に一軒だけあるバーに行った時のこと。
屋敷の外で護衛もなしに二人きりは初めてだった。
バーボンとブラッディメアリーをお互い半分ほど空にしてから、唐突に暁が呟いた言葉。
「華さんのことなんですが」
「……?」
「ほとんど目立たないのですけれど、背中に、少し傷痕があるんです」
赤い液体の満たされたグラスに視線を落としながらのそんな独白。
意図も解らないし、女性のそんな内容にどう応じたものか判断できずに次の言葉を待った。
「正式に跡継ぎに選ばれて修行中、得体の知れない連中に襲撃され……撃退はしたのですが油断から反撃を許して怪我をさせてしまいました」
言葉を待つような沈黙に、少し考えてから応じる。
「……それは、その、悔しいというか」
「……」
「自分が、許せなくなるよな」
「わかりますか?」
「その……細かい状況は違うけれど、わかるよ」
言いながら目を閉じれば白い肌に似合わない酷い火傷の痕が蘇る。
「目的も正体も定かではない連中ですが、時折噂だけは耳に入ります。強い力の持ち主を試すかのように襲う、と」
「……それってつまりは」
「ええ、先日征司さんの前に現れた者と同じ目論見に属する者、と考えられますね」
突然闇討ちをされ何とか制圧した後、暁たちに連絡を取ろうとしている間に何らかの呪術によって絶命させられていた。
「済まない、あの時もう少し注意深く立ち回れば」
「いえ、あれは私が敢えて伝えていなかったので構いません……向田家が取った養子に対してどの段階で干渉してくるかを見ていたのですが思ったより早かったです。根は深い問題かもしれません」
「そういうことか」
重い話に止まっていた手をようやく動かしてロックのバーボンで喉を焼く。
今更ながらこんな話をここでして大丈夫かな? と思いながら皿を拭いているマスターを横目で見れば暁が察したのか。
「ここのマスターは家業について知っていますから信頼できますよ」
「そうか」
安心してジャーキーを一つ摘まんで嚙み千切っているところに暁が自分の酒を飲み干しながら呟くように言った。
「いずれにしろ、いつか必ず手掛かりを掴み、灰も残さず焼き尽くしてやるつもりです」
いつも余裕の姿を崩さない男の、真剣な声。
「征司さん」
「ええ」
「次期当主という立場ではなく一人の男としてお願いがあります……奴らを捕らえる好機が来た際は協力して貰えますか?」
「どうして、その話を俺に? 命令すればいいだけだろうに」
「あの火種はあの輩たちを相手にするには適していると思いますし」
「……」
「何より、以前父上に出した条件から征司さんには私の気持ちを分かってもらえると確信したからですね」
結局不要となった高い技術を持っている病院への紹介状と手術費用のこと、か。
「判った」
こちらも一人の男として。
痛いほどその気持ちが解るから。
「では」
「ん」
お互い同じものをマスターに頼み、グラス同士を掲げて軽く合わせる。
「改めてこれからよろしくお願いしますね、兄上」
***
「まあ、男の約束なので理由はみだりに口には出来ませんが」
「……」
「断じて、鳴瀬さんの大切な人を傷付けないこと、傷つけさせないことは誓えます」
弓を引き絞ったまま、こちらを見る様に言うだけなら幾らでもできてしまうよな、と内心で思いもう一歩言葉を進める。
「それと、自分も昔、養子として修行していた際に奴らの仲間と思しき連中に襲撃されたことはあります」
「え?」
「マジっすか!?」
「ああ。まあ二人とも見てきた通り魔力の量とかは普通かやや少ないくらいなのでお眼鏡に叶わなかったのかそれっきり、だけれど」
本当はこちらに付きまとってくれればそれで良かったのだが。
「なので不本意ながら今の状況を……水音さんのことを利用していないと言えば嘘にはなってしまいますが、先程誓えるといったことは嘘ではありませんし、何でしたら」
もう一度ナイフを取り出し指先に軽く当てる、無論刃先を。
「何かしらの呪術に血判しても構いませんが?」
「……」
「まあ、それ以前の問題で……女性を害せよなんて命を下すなら個人的な信条から例え親父殿や義弟相手でも殴り飛ばした上で縁を切るつもりですが」
そう言うと栗毛ちゃんの弦を引く力と眼差しが少し緩むのが見て取れた。
「ちなみに」
「……はい」
「女性を泣かせたくないには勿論鳴瀬さんも含むので、二重の意味で水音さんのことはしっかりお守りしますよ」
「逆にそこまで付け足すと軽く聞こえると思いませんか?」
「確かに。でも本心ですよ」
そこに。
「はいはい、千弦ちゃん、そこまで」
軽く手を叩く音がして場の一角が陽炎のように揺らぐと見慣れたシスター服のレオさんが姿を見せる。
「提案通り聞かせてもらっていたけど、セージが嘘を言っているようには見えないし、実際のところそうみたいよ?」
そう言いながら左手に持っていた天秤のようなアイテムを掲げる。
ああ、教会での懺悔か何かで偽りを言うと傾く系のヤツ? おっかねぇの。
「大体、それを言い出したらあたしや虎ちゃんも疑わなくちゃいけなくなるしキリがないでしょ?」
「……大河さんは腹芸など出来なさそうですけれど」
「うぉい!」
割といつもの表情に戻って弓を下げる様に内心でこっそり安堵の息を吐く。
ありがとう大人の発言、今度また奢ります……とか思ったところに。
「ただまあ」
「痛ッ!」
一瞬で姿が掻き消えた、と思ったところに後頭部に衝撃。
思い切り後ろからチョップを食らってた。
「セージも、ちょーっと隠し事が多いんじゃないの?」
「引き出しと言って下さいよ……こちらは後攻からひっくり返す必要があるんですから。それに切り札くらいレオさんだって隠し持ってるでしょ?」
「女の子は秘密の一つくらい持っているモノよ」
「聖職者的にどうなんですか、それは」
そう言い返すと。
「まあ、それはともかくとしてね」
小さな音と共に今度はレオさんの銃が向けられる。
「セージの出し惜しみなしのガチで一回やってみようよ」
「別に普段手を抜いていたとかではありませんよ?」
大仰に肩を竦めて見せるも、にっこりと笑って二丁目が腰の後ろから出てくる。
それを指先でくるりと回しながら。
「水音ちゃんに指一本触れさせないって言えるだけのところ見せて貰わないと、ね?」
「確かにそれは証明して頂かないとですね」
「面白くなってきたっすね!」
「えぇ……」
レオさんに続いて二人も得物を構える。
話は終わったんじゃなかったんかい!




