99.理想像
「山瀬と申します。そ、その……大変ご迷惑をおかけいたしまして」
一応、形ばかり病室の窓を開けて招き入れた女性の霊は畏まった様子で頭を下げる。
パッと見、そんな周囲に悪影響を及ぼす感じには見えないが、本人の意思とは関係なく何かがある場合もあるか、ととりあえず話を聞くことにする。
「……どうしたの? おじさん」
「いえ、前回といい関わった霊が悪意のない感じだったのは幸いだな、と」
「そんなもの?」
「ですよ」
少し送った視線に気付いてベッドに腰掛けて見上げてくるある意味無邪気な瞳に軽く肩を竦めて見せる。
「憑りつかれたりした場合はその人の未練にもよりますが代償行為で自分や誰かを傷付けたり命を絶つようなことにもなりかねませんから」
「……」
「今度からは私たちにすぐに相談してくださいね」
「はぁい」
尖らせた唇から一転、まあいい笑顔で、水音さんの言葉なら素直に頷くのな……。
ある意味これで三人目、か。
「あ、あのぅ……」
「ああ済みません、話の腰を折りましたね」
一言謝ってその女性を促す。
年の頃は俺と同じかもう少し上、くらいかな?
「その、雛菜ちゃんに憑りついて何かしようとか大それたことは全く考えていませんので、何とかあんまり痛くない方法でスパーンとやって頂けると幸いです」
「それは勿論気を付けますので、経緯をお話しいただいてもいいですか?」
「……はい」
柔らかく話しかける水音さんの様子を見ながら、話が通じる相手にはあの物腰が適する場合も多いよな、と内心頷く。
「その、お恥ずかしながら私、突然の事故でこうなるまで……一度も男性と交際したことがなくって、ですね」
「……え? あ、は、はい……そう、なんです、ね」
「トラックに撥ねられた後、気が遠くなっていく中で恋でもすればよかったとか、そうじゃなくてもお金だけ溜めてたんじゃなくっていっそのこと柄じゃないですが夜の街で一晩だけでも大いに使ったりしてしまえばよかったな、とか考えたんですよ」
上司に言われるがまま残業一筋というのも考え物でしたねぇ、と寂しそうに笑う。
まあそれは無念ではあったろうけれど……湿っぽいわりに割り切ったところもあるので、成仏出来なくなるほどかな? と疑問に思ったところで。
「そんなことを考えていてし損ねているうちに他の女性の悲喜こもごもを見てしまって……その中でも『恋人に蔑ろにされた』とかそういうのを聞いているうちに……なんだか、どうすればよかったのか、と」
一瞬、朧げな姿にノイズのように黒いものが走る。
負の感情の影響を受けて穢れを吸い込んでしまい、それに縛られているのか。
「そんな訳で浮遊霊みたいになっちゃったところで、こちらの病院に居たおじいちゃん先生と偶然知り合って時々顔を合わせたりちょっとお話もしていたんですが……最近お姿を見ないな、と思って様子を見に来たら無事に成仏なされたみたいだとお聞きしまして」
「なるほど」
「その際に雛菜ちゃんから自力が難しいならこの前来ていた退魔師の人が来るように仕向けたら? と提案されまして申し訳ないんですが少々五月蠅くしていました」
その、このままでは悪い霊になってしまいそうでしたので、と寂しげに笑う。
なお、俺たちが来るように仕向けたのは退屈しのぎの一面もあるだろうが、このまま穢れの影響を受けていくと確かに悪霊と化す可能性もあるので悪い案ではなかったか。
勿論、今後は気を付けてもらう必要は大いにあるが。
「まあそんな彼氏いない歴イコール年齢のOLの仕方のない愚痴なので……」
「「「……」」」
「今から少しだけお時間貰って未練の無いように何か所か回って戻ってきますので、その後一思いにお願いします」
少々お疲れ気味のOLさん、といった趣の彼女は一つ頭を下げた、と思った次の瞬間にその姿は窓の外へと流れて行った。
「お、終わったかな?」
それを待っていたかのようにノックと共に病室のドアが開く。
例の看護師さんが片手にトレイをもってするりと入室してくる、トレイの上にはほんのりと湯気を立てる器が幾つか。
そういえば昼食時間だったか、おばあさんたちに色々貰ったので現状としては軽い空腹感くらいだけど。
「話は付いた感じ?」
「はい、経緯は理解しました」
「でも、実際にやるところには連れて行ってもらえないみたい」
ベッドの上で肩にかかった先端が少し巻いている髪をくるくると遊びながら唇を尖らせる。
「当たり前だ」
だから前回一回きりだとすれば会わせずに済まそうと思ったに、と看護師さんがトレイをテーブルに置きながら言う。
格好はやや派手だがしっかりした人だ。
「お、これお兄さんの名刺?」
「ええ、これからは何かあった際に連絡を貰おうかと」
「成程……一応アタシも貰っといていい? そこのお転婆が何かやらかしたときのためにも」
「ええ、勿論」
「ちょ、ヒドクない?」
斜め下から聞こえてくる抗議には耳を貸さずもう一枚取り出した名刺を看護師さんに手渡す。
「ちなみに、プライベートで連絡してもいいのかな?」
「内容によりけりですが」
「つれない反応だね……冗談さ」
両手をその言葉を表現するように開いて上げた後、二の腕と肩の境付近を軽く叩かれ。
「うわ、凄い筋肉」
「仕事柄鍛えてますので」
「これは良いものをご馳走様」
「恐縮です」
二回ほど掴み直されながらよくわからない会話をする。
「じゃ、行くけど……お嬢ちゃんたち、お仕事の方はよろしくね」
「はい、承りました」
「雛菜、残念ながらあんたの苦手なもの多いけど八割は食べなよ?」
「……はーい」
去り際にビシッと指差され不服気な顔。
チラリと器の中身を見るがどれも美味しそうじゃないか、やや薄味そうなのは仕方ないとしても。
「あ、そうだ! おじさんおじさん」
「ん?」
「ちょっと手伝ってくれない? 可愛い女の子が食べさせてあげるからさ?」
「却下」
「えー」
言下に拒否する、身体のためにもきちんと食べなさい。
にしても自分で可愛いとか言うのはいい度胸だ……まあ、そちらはわりと肯定できるくらいではあるのだけど。
「じゃあ、お食事の時間ですから私たちもこれで失礼しますね。教えて頂いてありがとう」
微笑んでからしっかりと頭を下げた水音さんに。
「あ、あのさ」
「はい?」
「また、遊びに来てくれるの……ホントでいいんだよね?」
「ええと……」
さっきとはまた違う色で笑って。
「ちゃんとご飯を残さずに食べたら、ですね」
「食べる、食べるから!」
「はい、お約束します」
病室を辞してから病院の屋外に。
「可愛い子でしたね」
軽く病棟の方を振り返りながら誰に言うともなしに呟いた水音さんに。
「いいえ。まあそれなりですが、お姉さまの方が断然かわいいです」
「ち、ちづちゃん!」
「それに、ねえさまには杏たちがいるでしょー!!」
「杏ったら」
両サイドから妹ズがサンドイッチする……正確にはワンコちゃんに突っ込まれて横にずれる水音さんを栗毛ちゃんが逆側から支える形で。
うん、ここ数か月見て来たけれど安心できる仲の良さだ。
ただ、この三人は近しい気心の知れた間柄で水音さんが一番上でも差はほとんどないので……お姉さんぽい振る舞いは少々新鮮だったのは否定できない。
『お姉ちゃんがニンジン一本は食べるから、もう一本は頑張ろう』
昔、子どもの好き嫌いをなだめていた様を、ふと思い出す。
……俺はそちらの面では一切世話にはならなかったけど。
「ねー、オジサン」
「はい?」
「オジサンは、どう思った?」
面白そうに聞いてきたワンコちゃん、の後ろで水音さんが割と真剣な目をしている。
「そうですね、素質はかなりある印象は受けましたが、主に精神面で……」
「「「……」」」
物凄く、物言いたげな目で見られてしまう……はい、わかっててそう言いました。
「その、素材は良いとは思いますが、色々と……例えばいくつかの点で水音さんを見習えば、とは思いましたかね」
方向性としては食い合わせが悪い可能性もあるが、とりあえず真面目さと落ち着きを持ってほしい、という点で考える前に口からそう出ていた。
「つまり」
「?」
「オジサン的にはねえさまは結構理想ってコト?」
「……まあ、そうなりますね」
一つ咳払いしてから。
「お手本にすべきところ、したいところは多いと思いますよ」
「あ、ありがとうございます」
褒め過ぎです……と呟く水音さんの紅い頬を押さえる仕草も、そういうところだよな、と思うのだけれど。
それよりその後ろで物凄いドヤ顔をしている栗毛ちゃんの方が強烈過ぎる。
もっとも、その直後水音さんの様子に気付いて……。
「まあ、おじさまは」
「はい?」
「あの子より看護師さんからの連絡の方を待っていらっしゃいそうですけれど」
そんな風に混ぜっ返してくる、情緒が忙しいな。
「そんなことはありませんが」
「あら、即答ですね」
だって。
「その時ってほぼあの子か病院絡みの厄介事、じゃないですか」




