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なにもない田舎道を、ただ走った

 次の日の朝、詠は去年と同じように新幹線から電車に乗り換えて目的の駅に到着した。そこから見える景色は、去年となにひとつ変わっていない。

 建物の建築、解体、改装。大型ディスプレイの内容に看板。いたるところがすぐに変わる都会の景色とは違う。


 景色に出迎えられているような気さえして、詠は思わず笑顔になる。


 シンプルな造りの駅の階段を降りて、人がいない古びた商店街を横目に大きく息を吸ってみる。去年は分からなかった東京とここの空気の違いがわかる気がした。


「詠ちゃん、久しぶり。少し大きくなったね」

「おばあちゃん。今年もお世話になります」

「そんな他人みたいな寂しい事言わんで。お父さんも楽しみにしとるから」


 迎えに来た祖母は、嬉しそうにしていた。そして車に乗り込むと「菫は元気ね」と母の事を聞きたがった。詠は去年と同じような事を話しながら外の景色を眺めた。


 気持ちばかりがはやって、やがて内側だけに閉じ込めておくことができなくなる。

 この感覚は、去年神社で響が自分を知らないという事を理解した時と同じ。


「今年もまた響くんと遊ぶんね」

「うん、そう! 凄く楽しみにしてるの!」

「そうねそうね。詠ちゃんがここでいっぱい楽しんでくれているのを見ると、私もお父さんも嬉しいわ」


 山に向かって真っ直ぐに伸びる道の途中で左に曲がると、右手に見える山の(ふもと)まで続く大きな田んぼ。奥の方に響の家が見える。畦道の先に石でつくられた鳥居も見えた。詠は祖母越しに目を凝らして眺めたが響らしき人は見えなかった。

 詠が諦めきれずに右側に視線をやっている間、左手にあるバス停と響の通う小学校を通り過ぎた。車は海の近くの商店街の中に入って行く。


 去年と同じように祖父に案内してもらった部屋で大した荷解きもせず、荷物を放った。

 去年と違ったのは、ご近所さんが詠の顔を見に来ない事だった。二人が詠の為に配慮してくれたのかもしれないし、もしかすると去年散々見た芸能人の顔に飽きてしまったのかもしれない。だから今年は、祖父母と詠の三人で出来立ての定食を食べたが、別に出来立てかレンジで温めるかなんて、今の詠にはどうでもよかった。


 さっさと食事を終えた詠は、「そんなん、せんでいいのに」という祖父母の言葉を背中に聞きながら食器を洗った。


 それから走った。先ほど車で通った道を全速力で。そして疲れて、肩で息をしながら歩いて、少しすればまた走った。

 買ったばかりの携帯電話を携帯できていない事に気付いたのは、畦道を駆け抜けている途中だった。しかし、わざわざ旅館にとりに戻る気はさらさらない。それすら気に留めたくないくらい、詠は焦りにも似た気持ちを抱えていた。


 早く。一秒でも速く。


 石造りの鳥居をくぐった。十段ほどの階段を駆け上がって少し開けた場所から見上げれば、社殿まで続く長い階段の中間地点には石灯篭に寄り掛かって本を読む響がいた。


 木漏れ日が、響の顔で揺れている。


 世界の全てが温かく照らされて、鮮明に彩られていく。


「響!!」


 詠は渾身の力で叫んだ。響は弾かれたように顔を上げて、それから優しい顔で笑った。

 木漏れ日が響の顔から肩へと移動して、地面に落ちる。


「詠、久しぶり」

「本当に待っててくれた!」

「本当に来た」


 響が立ち上がる間、詠は長い石段を駆け上がった。

 詠は響の前で立ち止まると、石段のさらに上を指さした。


「あれやりたい。手、合わせるヤツ」

「詠、意外と神様とか信じるんだ」

「別にそういうわけじゃないけどさ。わざわざ手を合わせるんだから、なんかいい事あるんじゃないかなーって思って」

「そんなヤツには絶対いいことないよ」


 石段を上がる詠の後ろを、響は呆れた様子でついてくる。そして去年同様、二人で手を合わせた。

 しかしやはり詠が目を開いても、響はまだ目を閉じていた。


「響は神様っていると思う?」

「さー。どうだろうね」


 閉じていた目を開きながら響はそういって、それから踵を返して石段に向かって歩き出した。


「もしいるなら、去年私達綺麗に掃除したし手も合わせたからきっと幸せな人生になるね」

「じゃあ神様がいるかどうかなんて、死ぬときにならないと分からないね」


 響は何の気もない様子で石段を降りながら言った。


「詠、昼ご飯食べた?」

「食べてきたよ」

「じゃあ、いったん俺の家に行こう。お腹空いた」


 夏休みは七月の終わりからあって、今はもう八月の半ば。

 何日の何時に詠が来るのか、響にわかるはずがない。


「ずっと待っていてくれたの?」


 詠はそう言いながら響の背中を追いかけて石段を降りるが、彼は何も言わずに詠に背を向けたまま石段を降りている。


「ねーってば」

「そうじゃなきゃ、どうやって詠の来る日当てるんだよ」


 呆れた口調で響は言う。

 そこで詠ははっとして、立ち止まって自分のポケットを探った。つい先ほど、旅館に忘れてきたと思ったばかりの物を探して。


「携帯電話……!」

「携帯電話?」

「持ってる?」

「持ってないけど」

「じゃあ、私が買ってあげるよ!」

「は?」


 響は不思議そうに詠を見ていた。


 仕事をしているのだから、響の携帯電話代くらい問題なく払える。

 母は詠が自分で稼いだ金をどう使おうと口を出さない。いちいち何に使っているかなんて聞かれるとは思えなかった。なかなかいい提案をしていると思っている詠と相反して、響は不思議そうな顔付きを崩さない。


「携帯電話なんて、誰かに買ってもらうものじゃないよ」

「でも携帯電話があれば、いつ行くねってすぐに連絡が取れるし、夏まで待たなくてもいつでも話ができるじゃん!」


 詠が本気で言っていると察したのか、響は少し眉をひそめた。


「俺はいらない。本気で言ってるなら、俺には詠のその感覚は分かんないと思う」


 響は平坦な口調でそう言うと前を、向いて先を歩く。

 喜びを分かち合えるとばかり思っていた詠は、期待が外れて気持ちが萎んでいくのを感じた。何がいけなかったのか、響にどんな声をかけたらいいのかわからないまま響の背中を見ていたが、彼が立ち止まる様子はない。詠はどうすることもできずに、響の後ろを歩いた。


 きっとなにか大きな間違いを犯したのだろうと思った。

 だから、私何かした? と聞けない。自分と響の違いを自分から明確にしてしまいそうな気がして。


 響は何の前触れもなく立ち止まると、振り返る。

 視線は交わる事なく、響は下を向いていた。


「ごめん。ちょっと言い過ぎた……かも」


 決まりが悪そうに言う響に、詠は俯いたまま立ち止まって首を数回横に振った。今自分がした行動がどういう意味なのか、自分でもよくわからない。


「詠の家って、もしかしてお金持ち?」


 心臓の音がドクリとなって規則的な音が耳に響く。

 やっぱり何か大きな間違いを犯してしまったのだと思うと、詠は頭の中が真っ白になって、何も返事が出来なかった。


「別に嫌なら答えなくていいけど。詠のその感覚は普通とはちょっとずれてるよ。一般的、っていうか、多くの人はって事だから。詠が間違ってるって言ってるわけじゃないんだけどさ」

「……うん」


 〝普通〟が分かる子に生まれてきたかった。そうしたらきっと、小さな事でびくびくしなくても当たり前に〝普通〟の感覚があって、響と何の気兼ねもなく話ができたのに。


「……ごめん、俺、あんまり自分の気持ちを言葉にするって、得意じゃなくて。どんなふうに言えば詠に伝わるのかわからない」


 詠には今の響が少しだけ寂しそうに見えた。


「……私は、響が喜んでくれるって思ったのに」


 はっきりと口にする響と張り合うには、少しふてくされた口調で呟く詠の声は小さすぎる。


 お互いに携帯電話を持っていれば、いつだって連絡が取れる。

 お金を払うのは自分で、自分にはその稼ぎがある。

 本当にいい提案だと思っていた。それが今となっては、とまどいもせずに口に出した自分が恥ずかしくなっている。


「詠の言う通り、休みになってからずっとここで待ってたよ」


 そう言われて初めて、詠は響を見た。しかし響はカエルが鳴く田んぼをぼんやりと眺めている。


「いつ来るんだろうとか、もしかして今年は来られなくなったのかもしれないとか、いろんなことを考えて待ってた。で、さっきやっと詠に会えた。だから今、やっと夏が来たなー。って思ってる。俺はそんな気持ちなんだけど、詠は違う?」


 いつも通りの口調の響に、詠は首を振った。

 同じ気持ちだ。やっと夏が来た。そんな言葉じゃ足りない。足りないくらい嬉しかった。

 今までのどんな待ち合わせよりずっと。


「これから中学高校になったらみんな携帯電話を持って、嫌でもずっと繋がるようになる。今だけだよ。連絡も取らずに待ち合わせて、いつ来るのかなって思っていられるの。大人は多分、こんな思いはもうできない」


 大人だけじゃないよ。詠は心の中だけでそう呟いた。

 私立小学校に通う詠は、近所に気軽に遊べる人はいない。誰かと連絡を取って待ち合わせるなんて、当たり前の事だと思っていた。この場所は、景色も人も響との関係も何もかも日常とはかけ離れていて、詠にとっての日常の感覚を持ったままでいると、生き辛い。


「……嫌いになってない? 私の事」


 詠はそう言った後、響の反応が気になって顔を上げた。

 響は不思議なものを見る目で詠を見ていた。


「変だって、思ってない?」

「変なヤツだなーって思うけど、それって嫌いになる理由になるの? って言うか、東京の人ってみんなそういう考え方なの? それとも詠が特別変なの?」

「もう! 変、変って言わないでよ! 自分だって変わってるクセに!」

「自分で言ったんじゃん。八つ当たりー」


 呆れた様子で笑う響は、何事もなかったかのようにまた歩きだす。


「八つ当たりじゃないし!!」


 詠は響の背中に叫ぶ。演技以外で大きな声を出すなんて、いつ以来だろう。

 響はからかうように笑っている。


「別によくない? 詠も変わってて、俺も変わってる。それ変だよーって笑って言い合えばさ。はい、話おしまい」


 きっと響はどんな自分でも受け入れてくれる。

 そんな小さな確信が詠の中にあった。

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