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それから満天の夏

 海のあと、二人はシロツメクサの花冠を作った野原に来た。


 響は前に作った時の感覚を覚えている様子で、相変わらずとても上手に花冠を作る。

 詠が試行錯誤していると、「できた」と言った響が手を伸ばして、詠の頭に花冠を飾った。


 それはどんな恋愛ドラマのワンシーンよりも綺麗で。


 頭に乗った軽い冠は、仕事でつけたどんなアクセサリーよりも、ショーケースから取り出したどんな宝石よりも価値がある。


「ありがとう」


 返事をするように響が笑うと、花を掻っさらう風が吹く。

 詠は頭に乗った形に残らない贈り物が飛ばされないように少し強引に抑えた。


 ありのままを残す為にスマートフォンで撮る写真は、違う。

 頭の中で整理して文字にする手書きの日記も、きっと違う。


 響といる時間は、いつも日常から外れていて。そしてあまりにささやかで。

 形に残そうという気にはなれなかった。


 あれほど特別だったのに、一緒にいなければきっと夏に意味なんてない。


 うだるように暑い夏の真ん中。二人きりの夏の全てを使って散りばめた思い出が、息を吸う度にもう一度焼き付こうともがいている。


「行こうか」


 響はそう言うと立ち上がって、あっさりと詠の頭に置いた花冠を野原に放り投げた。

 もし響が花冠を取ってくれなかったら、きっと名残惜しくて手放すことはできなかっただろう。だから、これでよかった。

 放り投げられた花冠の重さで草が窪んでいる。周りの草がそよそよと揺れていた。


「響が運転ー」


 それから二人は、車を停めている駐車場まで戻って来た。


「えー嫌だよ。こんな綺麗な車ぶつけたら大変だし」

「私は隣でペットボトルの蓋とか開けて渡したりしたいんだもん。それに、ぶつけたら直すからいいの」

「そういう問題じゃない」


 引こうとしない響に、詠は今にも泣きそうな顔を作って両手で顔を覆った。


「ひどいわ。私を捨てといて! どうせ遊び、」

「もうわかったよ!」


 響は詠の言葉を遮って運転席のドアに触れた。

 しかしその顔には、呆れた笑顔が浮かんでいる。


 二人で車に乗り込むと、響がエンジンをかけた。


「その無駄に演技力高いのやめてよ」

「大女優さまですから」

「自分で言うんだ」


 響はまた呆れ笑いを浮かべてブレーキから足を放すと、アクセルを踏んだ。


「アクセル重っ」

「人間ってすごいよ。このアクセル重い感覚にもすぐに慣れるの。よし! 出発!」


 車はいつも詠の祖母が駅まで送り迎えをしてくれる道を進んだ。それから、見慣れない景色になる。とは言っても、広い田んぼと時々いくつかの家が見えるだけの見晴らしのいい一本道。


「響、運転うまいね。全然酔わない」

「そう? 田舎は車運転できないと買い物にも行けないからかもね」


 うだるような暑さの夏の景色を冷たい車内から響と見ている。

 これは大人の特権。

 あの頃とは違うのだとしんみりと感じた。


 田園の中にポツリとあるコンビニに寄って詠はコーヒーを、響は水を買って、また車に乗り込んだ。

 車が動き出してから、詠は水が入ったペットボトルの蓋のあけて差し出した。


「どうぞ!」


 響はふっと笑って、ペットボトルを受け取った。


「ありがと」


 ずっと響と、こういう事がしたかった。


 しばらく車を走らせると、ひまわり畑へ到着した。

 車を降りると、じめじめした暑さが襲ってくる。


「このひまわり。私の顔くらいある」


 前にひまわりを見た時、確かこんな風に言った。


「詠の顔よりも、このひまわりの方が大きい」


 響はその時、どんな風に返事をしたんだっけ。

 響に関わるささやかな事を、全部を思い出したい。

 丁寧に記憶をなぞって、あんなこともあったねと言って答え合わせをしたい。

 それはとてもとても、贅沢な事なのだと知った。


 前にいたソフトクリームの移動販売車は残念ながら今日はいなかった。


「暑いね。帰ろうか」


 響の言葉を合図に、二人はぐるりとひまわり畑を大回りして再び車に乗り込んだ。

 窓の向こう側で、ひまわり達が流れていく。


 旅館に戻ってきて車を停める頃にはもう、日は傾いていた。


「次はどうする?」

「響と一緒なら、なんでもいい」


 詠がそう言うと、響は笑って「俺も」と答える。

 他にやり残したことは、なんだっけ。


「やっとみつけた!」


 二人が旅館の方向を見ると、そこには肩で息をしている颯真がいた。

 彼は自分の膝に手をついて、息を整えた。


「ずっと連絡しているのに、響全然電話でないし!」

「全然気づかなかった」

「少しだけ。本当に少しだけでいいから、二人の時間ちょうだい」


 颯真は息を整えて、それから真剣な表情でそういう。詠と響は顔を見合わせた後、小さく頷いて颯真の後に続いた。


 他愛もない話をしながら歩く。あの頃の夏の話。

 当たり前に日々が続くと思っていた。狭い世界にいた時の話。


 幸せだった。

 まるでこの夏がずっと続くと錯覚するくらい、他愛ない話が、愛しい。


 颯真は小学校の中に入っていった。

 校舎の周りをぐるりと回る。あそこが小学6年生の響がいた教室。


 グラウンドには前に一度だけ海で会った、響の同級生たちがテントの下にいた。


 一度だけ見た景色だった。


 運動会で見る真っ白なテントが横並びに並んでいて、手書きの文字で〝ラムネ〟〝りんご飴〟と書かれたパネルがテントからぶら下がっている。

 都会で開催される夏祭りと比べると、随分と迫力のない小さな祭り。


「夏祭りは、明日だろ」

「材料を少し譲ってもらったの。今年の会長は私のお母さんだから」


 唖然とした様子でそういう響に、鈴夏はわざとらしく胸を張って、それからニコリとほほ笑みかけた。


「二人で夏祭りに参加したのは、あの一回だけでしょ。今日は今までの分、思い切り楽しんで帰ってね」


 辺りはうっすらと暗くなり始めていた。


 詠はたくさんの人の優しさに触れて泣きそうになりながら、涙をこらえて響の幼馴染たちがいる店先で注文をする。

 焼きそばやリンゴ飴が出てきて、いつの間にか響の幼馴染もその子どもも店先で注文して、小さな小さなにぎやかな夏祭り。


「お疲れ、詠ちゃん」


 少し離れた所でたこ焼きを食べながら見ていると、颯真が詠にラムネを差し出した。


「ありがとう。颯真くん」


 詠は颯真からラムネを受け取って、口をつけた。


「前にもこうやって話したね。颯真くんが鈴夏ちゃんに片思いしてた頃」

「怖いもの知らずだったなーって思うよ。響に勝てるなんて自信、どっから湧いてきたんだろうってさ」


 颯真もそんなことを思うのか。

 詠は颯真の意外な部分を見た気になって、やっぱり、あの頃の夏を思い出していた。


「響はさ、昔からなんか大人みたいで、皆がはしゃぐような事でも一線を引いて見てた。今になって響はきっと無理してたんだって思うんだ。でもそう考えるといつも、詠ちゃんを思い出す。きっとあの頃の響にとって、詠ちゃんは救いだったんだろうなって」


 遠くの祭に視線をやったまま、笑いながらそういう颯真はやはり大人になっていた。


「ねえ、颯真くん」

「うん」

「鈴夏ちゃんって素敵な子だね」

「そうだろ。俺は小さい時から気付いてたけど」


 長い時間一緒にいてそう言えるのは、本当にすごい事だ。

 お似合いの二人に詠は思わず笑顔を浮かべた。


 近くに来た響が詠の隣に立った。


「詠、鈴夏と颯真の子、見た?」

「うん、見たよ」

「颯真に似てるよね?」


 響がそう言うと颯真が不思議そうな顔をした。


「みんなそう言うけど、どちらかと言えば鈴夏似だろ?」

「いやいや、びっくりするくらい颯真くんに似てるよ」

「ほら。いっつも言ってるのに、全然信じないからな颯真」


 それに対して颯真は「えー」とやはり納得してい無さそうな様子を見せている。


 夏祭りがお開きになる頃には、辺りはもう真っ暗だった。後片付けを率先して手伝おうとする詠と響は、鈴夏と颯真を筆頭にグラウンドから追い出された。


「まだいろいろできるでしょ」

「そうそう。花火とかしたら? 夏と言えば!」


 別れ際に鈴夏と颯真にそう言われて、高校3年生の夏に花火をしたことを思い出した二人は、暗い道を商店街に向かって歩き、それから咲村旅館の向かいに停めてある車に乗り込んだ。


 コンビニで柄の長いライターとろうそくと花火だけを買って、また車に乗り込んで咲村旅館まで戻る。

 しかし響は、誰もいない山道の路肩に車を止めた。


「詠。星が見えるよ」


 響にそう言われて、車を降りた。

 東京では星なんて見えなくて、だから


「空にこんなに星があるって、知らなかった」


 響は腕を伸ばして、指を空に向けた。


「あれが、夏の大三角。……織姫と彦星」

「ちゃんと目立って光ってる」


 詠はしばらく、ただぼんやりと星を眺めていた。


「そろそろ行かないと。花火できなくなるね」


 響はそう言うと、先に車に乗り込む。詠もその後に続いて乗り込んだ。


「響」


 車のエンジンをかけようとする響の手を握ると、響は何も答えずに顔だけを詠の方へ向けた。


「ダメかな。今」


 言い方が面白かったのか、響は笑うと、詠の方へと顔を近付けた。


 光のない山道。真っ暗な車内で、視界の端でふわりと光の花が咲いた。


 反射的に視線を移すと、スマートフォンの画面が光っていた。

 〝どうせ一緒にはなれないのに〟と言われているような、そんな錯覚。

 むかつく。それなのに、どうしようもなく悲しい。


 そんな考えを一瞬でせき止めたのは、響の手が頬に触れた感覚。

 響は少し強引に自分の方に詠の顔を向けると、優しいキスを落とした。


 心の隙間が埋まっていく。まるで最初から何もなかったみたいに。


 お互いの知らない季節が、それぞれを大人にしていた。互いの好意が重なる瞬間を〝求め合う〟と最初に表現した人間は、この気持ちを経験したに違いない。



「響」

「うん」


 いつもよりももっと、響は優しい声で返事をする。


「私もう、死んでもいい」


 そう発した後、麻痺した心のどこかで不謹慎だったかもしれないと思った。

 しかしそれは杞憂で、響は柔らかくて、優しい顔で笑っていた。


 詠は身を乗り出して、響の唇にキスをした。

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