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待っていた

 響からの連絡を待っていた。

 あの夜も、次の日の朝も。電車の中も、新幹線の中も、東京でも。撮影現場でも、家でも。


 一向に、響からの連絡は来ない。

 気持ちは重なったのだからすぐに響から連絡が来るものとばかり思っていた。


 響はマメに連絡を取る性格ではないと結論付けて片付けられる気もするし、悪い予感がする気もしている。

 どちらにしても冷静ではない事だけが事実で。感じた事のない焦りに、身も心も奪われている。


 人間はなんて強欲な生き物なんだろう。

 今までは連絡を取る術を持っていなくて、言いたいことが見つかってもただ一年間じっとこらえて待っているしかなかった。それが当たり前だったのに、今はどうだ。

 待つことさえできなくて、暇さえあれば手元を覗き込んでいる始末。


 着信音を最大にして枕元に置いたまま、今日もまた連絡がなかったと思いながら眠りにつく。

 木枯らしが吹いて、木から落ちた葉が地面を擦って乾いた音がしても、それは変わらない。


 撮影終わり、時刻は午後8時過ぎ。

 家に着いてすぐに、携帯電話が鳴った。


 なんとなく、本当に何となく。

 今鳴っているこの電話は響からだと思った。


 詠はいつも通り、ポケットから携帯電話を出しながらそんなことを考えていた。

 知らない電話番号。

 指先一つで受け入れて、耳に当てた。


「もしもし」


 もしかすると、声が震えていたかもしれない。

 しかし、そんな事にも気をやれないほど、緊張している。


〈詠〉


 電話越しで聞こえる、機械音が混じった響の声。

 ゆっくりと吐く息が喉元で震えて、その音が響に届いていませんようにと頭のどこかで願った。


「響」


 この雑多な東京で響の名前を呼ぶ。響に語り掛ける。


〈うん〉


 彼の名前が初めて、音になって誰かに届いた。


 パソコンで急に画面を明るくしたような。いつも通りの部屋の中で彩度だけが上がったような、そんな錯覚。

 

 東京でこんな気持ちになるとは思わなかった。


〈……ごめん、詠〉


 しかし次に続く響の声の響きはあまり、響らしくない。


「どうしたの?」


 電話の向こう側から聞こえる響の声は少し震えている。何かあったのだろうか。響の身に何か、大変な事が。


〈高校を卒業したら、結婚する〉


 ただ淡々と、響は言う。だからその相手が自分だなんて思い上がりは、一つとしてなかった。

 

 〝結婚する〟

 それは誰が、どういう理由で。

 だから、なんだというのだろう。


「誰が」

〈俺が〉

「……誰と?」


 響の日常の事は何も知らない。だから、知っているはずがないのに。わかっているのに、それなのになぜか、それはほとんど確信しているみたい。

響の結婚する相手を知っていると思った。


〈……鈴夏と〉


 冷や水を浴びせられるというのは、こんな状況を言うのだろう。


「どういう事?」


 どうという事でもない。

 きっと、そういう事。

 響の言うその言葉のまま。何か特別な答えが欲しい訳ではない。


 自分だけでは整理のつかない、感情の吐出。


 そうか。ドラマで唖然とした人間の言う〝どういう事?〟というのは、こんな気持ちなんだ。

 意識のどこかで、こんな状況で演技の事を考える自分が、嫌い。


 〝どうしてそんなことになってるの?〟

たったそれだけの原因を追究する言葉さえ浮かばないほど。

 あの日、響と初めてキスをした日に感じた、上下左右が分からなくなる感覚。あれとほとんど、同じ。


〈鈴夏との子どもができたから、責任取って結婚する事にした〉


 簡潔に、端的に、ハッキリと言い切るくせに。それなのにどうして、ほんの少し声が震えているのだろう。


 電話の向こう側にいるのは、今年あの季節を一緒に過ごした記憶を持っている響なのだろうか。

 花火をして、それから初めてキスをした響なのだろうか。


 小学5年生で出会った時の事を全て話して聞かせれば、響は目が覚めるのではないか。


「冗談よね」

〈違うよ〉

「……この前会った時の約束は、何だったの?」

〈だから、早く言わないといけないと思って〉


 噛み合わない話に落胆して吐いた息は、喉元で震えていた。


「……からかってるだけでしょ?」


 冗談に決まっている。響が他の誰かと結婚するなんて、ありえない。


「響はそんな無責任な人じゃないよ」


 そうだ。響は結婚もしていないのに誰かを妊娠させるような無責任な人じゃない。

 きっと何か、理由があるはずで。


 そう、例えば――


〈代わって〉


 電話越し、少し遠くから聞こえた声に意識の全てが無意識に、耳だけに集中する。

 それはまるで、世界がピタリと動きを止めたみたい。


〈詠ちゃん、私。鈴夏〉


 これ以上に最悪な状況を、知らない。


〈ごめんなさい〉


 響はそんな無責任な人じゃないから


〈出来心だったの〉


 謝ってもらう筋合いなんて、これっぽっちもないはずで


「……嘘」

〈……嘘じゃないです〉


 何も答えられずにいると、電話口の向こうでほんのわずかに鈴夏がすっと息を吸って、息を止める音がする。


 役者になんてならなければよかったと思った。

 鈴夏が泣いているのが演技ではないという事も、泣く立場にないと分かっていて必死にこらえようとしている事も、手に取るようにわかってしまったから。


 こんなふうに泣けばいいのか。こんなふうに表現すれば、リアルに見ている人に伝わって

 

〈ごめんなさい〉


 これは、避けられない未来だったのだろうか。


〈本当にごめんなさい、詠ちゃん……〉


 鈴夏を責める気にはならなくて、だからと言って優しくする気になれるはずもなくて


「響に代わって」


 自分でも驚くほど冷たい声で詠が言うと、電話の向こうでガサガサと音が聞こえて、それから止まった。


「最低だと思う。響のこと」

〈うん〉


 喉元で震える声を、抑えつける。

 タガが外れれば、響を罵る言葉しか出てこない。

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