第13話:晩夏の夢
~これまでのあらすじ
アイワは『キセキ』をなかったことにできるかもしれないと知る。
曇り空の下、それに似合う人混みの中で、僕は前を見据える。いつもの通り、いつもの朝、いつもの人々・・・・・・いつもの地獄。
「・・・・・」
心象は、未だ崩れるか否かを反復する。激痛が、僕の脳内でのたうち回る。それを悟られぬよう、その心中を、平静に保つよう努める。
「あ・・・っと」
どうやら、下らぬ熟考に呆けて、視界への意識を疎かにしていたために、身体がぶつけてしまったようだ。向かいにいた青年が、目の前で尻餅をついている。
"縺ッ縺ゅ?√≧縺悶>縺ェ縺薙?繧ッ繧ス繧ャ繧ュ"
心象で吐露する苦言に、聞かぬふりをして、僕は手を差し出す。
「大丈夫ですか?」
「あ゛?・・・・・・・ぇ・・・ひっ!?」
青年は、苛立ちの込めた顔をこちらに向け・・・・・・目があった途端、消沈するように表情が消えた。
「どうかされましたか?」
「い、いえ・・・だ、大丈夫、です・・・」
僕の手を取らず、そそくさとその場を駆け出す青年。彼を認識して、ほんの数秒しか経ってないために、その心中の詳細を推し量ることができない。
唯一・・・・滲み出るような『恐怖』を除いては。
「キセキがなくなるって!?・・・マジかよかったなあ、アイワ君よぉ!!」
「君って・・・・なんか急に距離が」
昼休み、屋上にて。
僕らはいつもの駄弁りを繰り広げていた。概要は当然、昨日の『魔女アンナ』に関する話題。アンナとは今日の夜に合流予定であったため、すぐにでも共有しなければならない情報だった。
「いやあ、俺もこのキセキっての、流石に力の加減ずうっとやり続けるってなあ、結構大変だったんだぜ。」
「まあ、僕のも結構繊細な力だし・・・・というか、やっぱりミヤビも、キセキは捨てたいんだ。」
「当然だぜ。この変な刺青が残ってるの、正直大人になるとイタイと思ってな。タトゥーって言われて、温泉とか断られてたらやべーなーって感じだった。」
「その発想は無かったよ。」
ミヤビの、こういう自由の発想が好きだ・・・だなんて、これじゃあ僕が頭の硬い年寄りみたいではないか。けれど実際問題、公共施設を使えなくなると言うのは、正当な悩みだ。
「けど、その紋様が消えるかは、聞いてなかったな。」
「けっ!もし温泉入れない場合は・・・・お湯に唾でもつけてやるよ。これで俺だけのお湯な〜〜って。」
「おい絶対やめろマジで。即刻出禁だよ・・・・いやほんと出禁で済めば良いけど」
慌ててその策を止める・・・なんか自分のキャラを忘れているような気もするが、ミヤビ相手なら繕う必要もないだろう。
「はいはい冗談だって。ここはひとつ、キセキを無かったことになるだけで、満足しときますよーーってな・・・・・まあ俺はともかくアイワよ・・」
「ん?」
「随分と浮かねえ顔だな。キセキ無くなるってのに、嬉しかねえのか。」
砕けた笑いの余韻が消え、改まった態度でミヤビは言った。読心術も持ってない癖に、相変わらずの勘の鋭さ。
「浮かないって、僕そんな顔してる?」
「おうさ・・・・まさか、あのアンナって魔女のこと、信用し切れてねえの?だってほらよ、心が忍者だったんだっけ?」
「まあ完全に信用ってわけじゃないけど・・・・でも、今回の件に関しては、信じても良いとは思ってるよ。問題はそっちじゃなくてさ。」
対外的な悩みではない。ソレは明らかに、僕自身の心象に依るもの。
「いろんな人の死を見た。」
「・・・・ああ。」
「その上で思うんだ。自分だけ、何事もなかったように、日常に戻っていいか・・・だなんて」
ミヤビには、爆発事件の末路・・・・・シラマキの殺害の件を伝えていない。そのため、ミヤビの中では『ただの怪物の討伐』で終わっているのかもしれない。
同情されたいだなどと、カッコ悪いことを言うつもりはない。それでも、ミヤビの前くらいなら・・・本音の一つくらいは。
「もちろん、キセキは消してもらう。それは変わっていないよ。でも、この気持ちにどうやって見切りをつけようか・・・そもそも見切りをつけるのが正しいのか・・」
「てぇい!!」
「って・・うぅ゛!?」
言の葉が終わる寸前、ミヤビが学生帽に向かって、チョップを仕掛けた。真面目に熟考していたことに加え、ミヤビの前で緊張を解いていたこともあり、その心象を読み逃してしまった。
ポスっと鳴った帽子下で、ミヤビの方を見上げる。
「よしアイワ!!」
「え?」
「海行くぞ!!」
「・・・・・・え?」
前例なし、話の筋にも合わず。そんな突拍子も無い提案を言ったのち、ミヤビは職員室へと向かった。止めようとする僕を、力づくで引きづり倒して。
ふざけんなよ。その馬鹿力は反則だろ。
「よぅし、んじゃ見てな。」
「おいちょっと待て、ちょっと待て、何するつもりだ。」
心象を見ればわかる話ではあるが・・・流石にミヤビがここまで馬鹿だとは思いたくない。頼むから嘘だと言ってくれ。
「決まってんじゃん。今すぐ海行くってんなら、先生騙くらかさなきゃ、学校出れねえだろうよ。」
「ばかだった・・・・。」
忘れていた。この男は、コミュ力が高いだけで、勢い任せの馬鹿だった。口八丁がそこそこなもので、ソレなりの世渡りができていた分、今回もそれでいけると勘違いしている。
「仮に行くとして・・・海なら、放課後からで良いだろう?」
「放課後からじゃあ、これ見れねえのさ。」
そう言って、スマホの液晶画面をこちらに向けてきた。
「ミヤビ・・・・・」
「な、いいだろ?こういうのは俺も大好物」
「お前、こんな女が好みなのか・・・」
出てきたのは、『pixiv』の『ヤンデレ』の検索結果だった・・・いや、『なろう』じゃ無いんかい。
「え?・・・ああ!!違う!!違うんだよ!!」
「浮気ばれした彼氏かな?まさかミヤビ、今まで告られたの断ったのって・・・」
「違うわ。フィクションの性癖と、現実の性癖は別もんだろうが!!」
「へえ、じゃあシスコンっていうのは?」
「ソレは・・・・ソレはぁ〜〜〜って、違う、そうじゃなくて」
話を逸らすかのように、改めて端末をいじるミヤビ。エルシーやシラマキと戦った時も、そこまで必死じゃなかったぞミヤビ。
「ほらこいつよ、花火花火。海辺の花火よ。18時にやる、こいつを見に行きたくてな・・・いやあ青春だね。」
「青春としては、ちょっとテンプレすぎない?海とか花火とかって。」
「冷めたこと言うなよ、インドア野郎。」
「インドア野郎とはこれまた心外な・・・・・まあソレはいいとして、どうやって先生を説得させるの?」
「ふっ・・・・・まあ見とけ」
自信満々の様子で胸を張るミヤビ。格好つけた台詞を一言置き、僕が止める間もなく、職員室の中へ入って行った。
「本当に行っちゃったよ・・・・・大丈夫か?」
用も無いままに、職員室へ入るわけにもいかない。入り口の隅で、ミヤビの行方を覗くことにする。居た・・・向かいにいるのは、ミヤビの担任か。そういえばあの先生は、生徒にかなり甘めだった記憶がある。
一見、無謀で阿呆なやり方に見えて、ミヤビなりの考えはあるのだろうか。
「ミヤビ君、わたしに何か用でもあるのか?」
「ええ先生。実は俺、早退をしたくてですね。」
「おや、何か具合でも悪いのかい?」
やはり、第一関門として、その質問は立ち塞がるようだ。ミヤビの『任せとけ』発言が、どのようなアイデアから来る自信なのか、これまた見ものだ。
「・・・・・・・・・・えっと、」
先生の質問に、ダンマリをこくミヤビ。え?嘘でしょ。何も考えてなかったのか?・・・・・・・本当にノリだけで解決しようとしてるのか、あの男は。
「あ、ああ・・・・そ、そうですねぇーーーー。あ、そういや昨日早退したやつがいたじゃ無いですか、なんで休んだんですか?」
「え・・・ああ、それは・・・」
心象読みをフル稼働させ、ミヤビの意図を探る。
なるほど。昨日休みのあった人間の理由なら、最もらしい理由になるかもしれない。ここでそれを聞き出すのは、悪くない手だ。
「ああ・・・A組の丸井君ね。実はおばあちゃんがもう危ないってので。」
地雷案件だった。
「それですぐに病院に向かったんだとさ。けど、それは誤報だったようで・・・実際には、意識が持ち直すとこまでは体も治ったらしい。昨日夜遅くにもなって、電話で早退したこと平謝りしていたよ。まあそれに気にせず私も、よかったねってさ・・・・・ぐすん。」
いい話だなーーーーーなどと思っている場合では無い。休む理由にしては、あまりにも重すぎて参考にならない。結局のところ、ミヤビ自身が早退理由は考えなければならないようだ。
果たして何を考えているのかと、再度その目を凝らしてーーーーーー
「お!!いいっすね。俺も!!俺もそれにします。」
ミヤビは、どこまでいってもミヤビだった。
「なんか宿題増やされたんだぜ。」
「あたりまえだ。」
むしろあの状況から、説教で済んだのが奇跡。当然のようにミヤビの嘘がバレた。(というか騙す領域にすら行けてないのだが)その後は、こっ酷く『道徳』について、おありがたい授業を受けたのち、作文用紙を4枚ほど渡されたミヤビ。
「はぁ・・・・ミヤビがここまでアレだったとは・・・」
「・・・んだよ、はっきり言えよ」
「バカアホ間抜け」
「悪口以外端折れとまでは、言ってねえよ!?悪口小学生か!」
珍しくツッコミに走るミヤビ。形で言えば、僕の方がツッコミに回ることの方が多いため、逆パターンもなかなかに新鮮だ。
「小学生結構・・・まったく、最後にせめて『ほんの出来心』だったんですぅの一言でもあれば、宿題倍増はなんとかなったんじゃない?」
「そう簡単にいくかよ。こればかりはケジメつけなきゃなぁ。」
「あっそ・・・・・で、どうするの?もう授業始まるけど」
説教が短めに済んだのも、先生の恩赦だろうが、それでももう残り十分もすれば授業が始まる。もっとも僕は、別に海に行きたいとか、花火を見たいだとか、全く考えていない。
機会なんていくらでもあるだろうし、今回は諦めて、
「はぁ〜〜〜〜〜〜〜・・・・。俺、一緒に行きたかったなぁ・・・・」
「・・・・・・・」
・・・・・。
・・・・・・・。
・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・仕方ないか。
「ミヤビ・・・・明日は土曜で、墓参りだったよね?」
「え?ああ。おうよ。」
「だったら・・・・・・・・・次の月曜は、一緒に心中だ。」
「は?」
「おいおいおい。ここって、本当に誰も見てねえのか?」
「大丈夫。うちの学校、そこんとこザルだから。」
授業始まりの刻も近い頃、僕らは正門前にいた。先導する僕とは対照的に、ミヤビは自転車を押しつつ、ビクビクしながら周りを見渡している。
「『置き手紙』して学校抜け出すたぁ、これまた堂々としてるよなぁ」
「一番最悪なのは、『僕らが行方不明』と判断されて、先生たちが警察呼んだりすることだ。だから堂々と『授業抜け出します』『悪いことだと分かってますが、行ってきます』と書いとけば、矢印は僕らにしか向かない。」
こっそり抜け出すという話になり、僕はミヤビに『置き手紙』作戦を提案した。それは、僕らが学校抜け出し、もうすでに帰ってしまったことを、知らせるためのものだ。
当然、後々お叱りをいただくだろうが、大事にされないだけマシだろう。
「僕はとりあえず謝罪文をびっしり書いたよ。十分前だからほんとにギリギリだったけど・・・そっちは?」
「『学校出ます。青春してきます』って一言な」
「えぇ・・・」
これでは、僕の書いた言い訳文が、全く通用しないではないか。なんせ、学校を抜け出したのが同時と知られれば、僕も『ミヤビと同じことをしてた』と判断されるのだから。
まあ・・・・言い訳一つで、お叱りの度合いが変わるわけでもないか。
「一応急ぐか。置き手紙見て、先生が止めに来るかもしれない。」
「お、おうよ。」
緊張混じる返事のち、ミヤビは自転車に跨る。それに倣い、僕が後方のサドルに腰掛けると、ミヤビは勢いよくペダルを踏みしめた。
「うわっ!?・・・はやってお前、こんなところでキセキは・・・もう40kmは出てないか!?」
「こんな時だからこそだろうがよ!!はっはっは!!このまま海に向かうぞ!!」
坂道だろうとお構いなしに、速度をどんどん上げていく。ビルからの落下を経験済みな僕でも、これは肝が冷える。必死になって、ミヤビの背中を掴んだ。
「そういやお前も変わったなあ!!まさか、黙ってバックれるのを、提案するたぁ思わなんだ!!」
「ああ!誰かさんの影響かなぁ!!まったくもってさぁ!!」
風圧によって忙しく響く『周り』に、大声を出さざる得なかった。こんな慣れないテンションは、ミヤビ以外なら、竜頭蛇尾ですぐ消沈してしまうだろう。
「しっかし、大丈夫かよ?明日電話きて怒られねえかよ?一応墓参りなんだが。」
「僕らには、保護者がいない!!だから、怒りの電話は無視すればいいさ!!明日も登校日ならやばかったけど、説教あるとすれば、きっと月曜だね!」
「そうか・・・って変なテンションだなお前。」
「あ」
いつの間にやら下り坂を終えて、平らな道を進む自転車。タイヤの擦れる音も、先ほどよりは遥にマシなそれだ。今なら、こんな大声立てずとも、ちゃんと耳に届くか。
「今のは忘れて」
「いいや忘れないぜ。アイワがこんなに声張れるたぁ、良い気づきだぜ・・・・気付きついでにせっかくだ。お前の色々を探ってみようかぁ?」
ケラケラと背中で笑うミヤビ。一瞬降りようかと思ったが、この運転の主導権は奴にあるよ。ちくしょーめ。
「そーだなぁ・・・おう!!まずは恋バナだ恋バナ。」
「恋バナって・・・・ミヤビが無双するだけの話題じゃないか。この女難相。」
「はんっ!!お前だって、坊主なんてやめちまえば、なかなかのツラだ。モテたいなら、まずはそっからだぜ。」
僕の顔が?そういう・・・・・いやいやそれは無い。第一、そもそも僕はモテたいなどと考えたことはない。確かに、ミヤビみたいに、女から好かれるのは、悪く無い気分だろう。けど、女性と付き合うっていうのなら、別に多人数から好かれなくても・・・。
「別に、モテたいなんて・・・・僕は、本当に好きな人に好かれるならそれで・・・」
「お!陰キャテンプレ回答あざす!」
「殺すぞ」
安い殺害予告を受けても、その剽軽な態度を崩さない。振り返ることなく、その高笑いを続けている。
「はっはー!!怖かねえよ!!いいか・・・女ってなぁ、モテる奴のことを好きになるんだ。」
「え?それはまぁ、好かれるやつは、モテるっていう・・・」
「違う、モテる奴を好きになるんだ。まあ聞けよ・・・・『モテ』ってなぁ、結局、女にとっての信用なんだ。こういう奴は良い、こういう奴はダメ・・・そんなことを女友達同士で話す時、『モテる男』ってなあ、そのコミュニティの中じゃ『評価高め』からスタートするんだ。だからその『モテ男』を知らない女も、女友達の話を聞いて、すぐに好きになりやすい・・・・という戦法だぜ。」
「なる、ほど・・・・・?」
悔しいが、こればかりは舌を巻いた。様々な人の心を見て、誰よりも心象を理解しているつもりでいた。しかし、この女心への理解度に関しては、未だミヤビの方が一歩先を行く。
「アイワも、その女に好かれたいのなら、まずは髪伸ばそうぜ、俺みたいにな!」
「その女?それは・・・・・」
「いやだってお前、アンナていう魔女のこと好きだろ・・・・・って痛ででで!!??」
おっと・・・・間違えて、脇腹を強く握ってしまったみたいだ。ハンドル操作が狂い、進むための軸があやふやになる。危機を感じてか、ミヤビはブレーキをかけてその場に止めた。
「何すんだよアイワ!!」
「そんなんじゃないよ。」
「あぁ?」
ちょっとした苛立ちをもって、こちらに振り返るミヤビ。それがあまりにも急で、自身の表層を繕えているのか心配だったため、目を逸らしつつ、二の腕で唇を覆った。
「そんなんじゃ・・・・無いから。」
自分の思う以上に、辿々しくなった声。表情の方も、酷く赤いに違いない。きっとまた揶揄われるんだろうなと思いつつ、横目でミヤビを一瞥する。
けれど意外にも、その表情は呆けていた。
「いや・・・・マジじゃん。」
「だから僕は違うって・・・・」
「まあ魔女に恋するってのも、お前らしいかねぇ。」
やれやれとでも言いたげな様子で、ミヤビは再度、自転車のペダルに力を込める。僕の心中など捨て置き、自転車は
僕らを乗せて進む。
「いや聞けって・・・・」
このままでは、それ主体に話が進んでしまう。これ以上、僕の心を弄られるのは勘弁だ・・・・・なれば奥の手。
「・・・・ミヤビ、恋バナっていうのは、互いに自分の好みを曝け出すことだろ。なら、お前はどうなんだ?」
「へ?いや俺は・・・」
「言い方変えるか・・・・・ミウのこと、どう思っているの?」
「・・・・は、はぁ?」
またも自転車の軸がブレる。今度はすぐ立て直されたため、ブレーキはかけられること無く、だ。自転車の挙動がミヤビの心情を物語っている。詰まるところ、テンパっているのが、死ぬほど分かりやすい。
「ミ、ミュウちゃんは妹だろ!!そ、そんな・・・まあ大好きなのは変わりないけどよぉ!」
「その、元兄ちゃんの立場から言わせてもらうけどさ、」
「・・・・・お、おう。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・ん。」
強張る肩から、ミヤビの緊張が伝わる。心象に映るのは、僕の回答への恐れ。揶揄われるかも等という、安っぽい不安では無く・・・・ミヤビの芯を揺るがす、真の意味の恐れ。
その心象が見えた頃には、すでに僕の中で、茶化そうなどという意思は消えていた。
「・・・今はもうミヤビしかいないと思ってるよ。」
「・・・・へ?」
「だから、お前ほどの男ぐらいにしか、ミウは任せられない・・・・そう思ってるよ。」
言の葉を聞き、数秒ほど硬直するミヤビの心象。再起動した際には、心中にて、これまた忙しく暴れ回った。
「お、お前ほんとさ・・・・!!マジでさ!!新手のツンデレかよ!!急にマジでその!!」
「うん。」
「うんじゃねえよ!!はぁ・・・まあ別に俺はええっと・・・・あ、ほらよ。う、海見えたぞ」
慌ただしい心を誤魔化すように、海の方を指し示すミヤビの台詞。心象を読み取れる僕からすれば、まったくもって、見苦しいそれ。
そんなありきたりな海一つで、話題が変えられるものかという話・・・・・・だ、よ・・・?
「あ」
「な、なあ!!綺麗だろ。」
「・・・・・うん。」
どうやら・・・・・そんな『ありきたり』に、心を奪われるほど、僕の心は貧しかったようだった。
「ってここ、浜辺なんかないじゃないか。」
「んまあ良いじゃねえか。一応海の家はあるんだし」
「何で?」
普通、海の家はビーチで造られるもの。その最低条件にあたる浜辺すらないそこで、どうして海の家が存在しているのか・・・・まあ、海の前で食事したいと言うものが一定数いるだろうし、分からなくもないが。
その海の家の前で自転車を止めたのち、僕らは、海面との高低差が激しい海岸にいた。
「で、そうするの?僕ら急に来たし、水着もない。」
「良いじゃねえか見るだけで。俺たちは、こうやって海を見て、黄昏る・・・・・青春じゃね?」
「青春ってなんだっけ?」
とはいえ、ミヤビの言う『見るだけ』というのも、そう悪くない。もう4~5年海を見なかったというのもあるが、これまでの自分を、ほんの少し忘れさせてくれるような・・・・・。
「てぇい♪」
「は、はっ!?・・・ちょ待・・・・グブち!?」
熟考にふける僕の背後で、突如として、何か二つの物体が僕を奥へと押し上げる。軸が空中へと放られる。前触れもなく足場を失った恐怖に、酷く肝が冷える。そうして、素直な自由落下は、僕の身体を海面へと叩きつけた。
海水が直に目へ入り込む感覚を覚えながら、何があったかを即判断。浮き上がるとほぼ同時に、苦言が湧き上がった。
「おいミヤビふざけっぐぷがぽぽ・・・・!?」
それが言葉になる前に、再度沈められる僕の身体。今度は、僕の顔を踏み締める、ミヤビの靴によって。
「はっはー・・・あ、悪いアイワ。間違って踏んづけちまった。」
「・・・・・・」
「お、おい。ホントごめんって。わざとじゃない・・・いや俺が突き飛ばしたのはわざとだけどって・・・・・・ってなんで無言で、岸のフジツボ剥がして」
「フジツボアタック」
「おぅわ!?」
勝リ者ならではの握力で、海岸側のフジツボを引っぺがす。そうしてミヤビの方に放り投げるも、上手く躱された。だが安心するなかれミヤビ。海岸側にいる僕は、いくらでもフジツボを引っぺがせるのだ。
「フジツボアタック、フジツボアタック」
「それしかねえのか!・・・ってうわぁ、くっついた気持ち悪い!?」
何度も飛来するフジツボに、大層気持ち悪がっている様子。いつもならここで辞めてあげるが・・・流石に今回のは許せない。
「フジツボアタック、フジツボアタック、藤壺アタック。義母を誑かした報いを受けろ光源氏」
「フジツボ違いでスジ違いだこの野郎!?てめえこの、だったら俺は・・!!」
お?やるか?・・などとやる気満々で待ち構えていると、ミヤビは海から、何やら黒くて細いそれを引っ張り出して。
「喰らえ!!ウミヘビアタッ・・!!え・・へび!?・・・ウミヘビ!?」
「え!?ちょっ、ミヤビ・・・!?」
海上から身を出したそれは、まごうことなきウミヘビ。海洋危険動物など初見のそれなので、酷く肝を冷やした。ここまでこれば、ミヤビに対する苛立ち諸々が、色々と吹き飛んでしまう。
「おい、馬鹿ミヤビ!!噛まれる前にさっさと離せ・・・!!」
「おっお!?・・・おおわっ!?・・海へび・・・」
だめだコイツ、酷くテンパっている。すぐに離せば良いと言うのに、そんな簡単な判断すら下せていない。時間が経つほど、この蛇が何かするかわからないというのに。
不安通り、シャーシャーと威嚇してきた蛇は、顎の外れる勢いでパックリと口を開いて・・・
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!? ああ!?ほわぢゃああああああああああああ!!?」
「うわぁ!!!??何すんじゃあ!!!?」
パニックにパニックを重ねた結果、あろうことかミヤビは、僕の方へウミヘビを全力投球。心象が混乱してるせいで、予測もクソもなく、直感を用いてギリギリ回避した。
「おいミヤビお前・・・」
「ってアイワ、やばい!!来てる来てる!?」
「え・・うわっ・・!?ってミヤビ待てよ!?」
玩具のように握りしめられ、振り回され、思い切り投げ飛ばされたウミヘビは、黙ってどこかへ消えることもなく・・・・こちらの方へ悠々と泳ぎ迫る。
普通は逃げるものだろうと内心ツッコミつつ、僕らはそのウミヘビから距離を取らんと必死になる。逃走劇が終わるまでの、約1時間。その膨大な3600秒を、僕らは全力クロールに費やした。
水泳を楽しく(?)勤しんだ後、濡れて重くなった身体を、岸辺へと引き上げた僕ら。今日は、季節でいえば、ほぼ夏の終わり・・・・晩夏と言うのが適切な日。ある意味、秋の始まりともいえる時期なので、潮風もかなり涼しい。
もっとも、ずぶ濡れの僕らからすれば、体の冷えを悪化させるそれなのだが。
「うぅ゛・・・さぁむい、な。って、僕のスニーカーは?」
「ほら、落ちてたぜアイワ。」
「ありがと・・・・って、中敷きが無くなってるし・・・・」
クッション無き靴の、感触の悪さを実感しつつ、ミヤビの方へついて行く。その先の海の家なら、タオルの一つでも売ってないだろうか・・・・などと淡い期待を抱きつつ、重い体を引きずった。
「おお、これは・・・・・ありかも。」
「ミヤビ?」
前方にて立ち止まるミヤビが、看板の方を見上げている。ミヤビに倣い、その記述内容に目を凝らした。
「ウミヘビサンドイッチ?」
「よくね!?よくね!?・・・絶対変な味するぜ!!」
「えぇ・・・・今さっき、ウミヘビへの認識が悪い方にアップデートしたばかりなんだけどさ。」
「いいから一緒に食べようぜこれ。ほら奢るからよ!!」
ミヤビの切り替えの速さには、呆れるしかない。まあ・・・今日はミヤビに最後まで付き合うと決めたのだ。そこまで言うのなら、一口くらい良いのかもしれない。
「わかったよ僕も食べ・・・っておい」
僕の答えを聞かずに、そそくさと店内へ入って・・・・・行こうとして、入り口前で止まった。
「あ・・・・・・」
「・・・・・ミヤビ、そういやお前金持ってたっけ?」
「はは、はっはーーーーーー、ごめん、金貸して。」
「・・・・・何?ミヤビ」
「なあ・・・・・・・わかるよね?心読めるならさぁ。」
「・・・・・はぁ」
店内の卓の一つ・・・・僕ら二人がいる机の中央に置かれた、無駄に豪華なプレート。一人分にしては大きすぎるそれを、僕の方へ寄せようとするも、ミヤビの瞳が全力で阻止してくる。
結局僕は、件の『ウミヘビサンドイッチ』は頼んだ。ただしミヤビ用ではなく、僕用のを一つ。しかしながら、それを羨ましがる、ミヤビの視線に耐えられず・・・・ちょっとしたイジワルも、簡単に崩れた。
二つ重なったパン生地の、やや左中心部を、爪楊枝で突き刺す。それを軸に、側のナイフで出来るだけ綺麗に切り分けた。
「半分個だ。喰えよ。」
「おおサンキュー・・・・って、肉はアイワの方が大きくねえか?」
「・・・・全部僕が食べても良いんだよ?」
「あ、アザース、ゴチになりまーす。」
ナイフで寄せたそれを、そそくさと受け取るミヤビ。それを一瞥したのち、僕もそのパン生地に齧り付いた。
「んん!?・・・こほっ!?・・・お、美味しいけど、辛いなこれ。」
臭みをとる為だろうか、中の肉には相当の香辛料が。これは覚悟してないと結構きつい。一方、ミヤビは・・・いつの間にやら全部食べ終わっていた。相当お気に召したらしい。
「思ったよりうめえな・・・・お?食わないなら、食べかけでも俺食うぜ。」
「生憎、ちびちびゆっくりと、食べさせてもらうよ」
パンの端を齧りながら、海を横目に黄昏る。
ああ・・・・こんな穏やかな気分はいつぶりだろうか。夏の終わり、平日の昼・・・・その諸々が重なった為なのだろう、この海の家およびその周辺には、ミヤビと店員の数名ほどしか人間がいない。図らずとも、心の声を集める僕にとて、この不思議な『呆け』は、本当に心地良い瞬間だった。
「どうだアイワ。ここじゃあ人もいねえ・・・てめえも楽に過ごせるんじゃねえの?」
「ミヤビ、そこまで考えて・・・」
「いや考えていりゃあ、お前心読んで気づくだろよ。ただ今そう思っただけだ」
「まあそうか・・・そうだな。ミヤビがそんな賢い男なワケもない。」
「おいこら」
ミヤビのツッコミを一瞥していると、軽い苦笑が漏れた。鼻息に等しい一言のそれでも、確かな心の緩み。街中の喧騒に浸っていれば、絶対に無かった心の安定。
「楽しいか?アイワ」
「・・・・・・・・・うん。」
しかし、その安寧を自覚したところで・・・・・・・心の中で突如として吹き出る、複雑な感情。きっとこれは・・・ミヤビにも言及した『日常へ戻りかける己』への『自戒』。
「・・・・・・・・・・・・・・」
「まーたか、相変わらずお前ってやつは・・・・」
「え?」
「そんなに自分が許せねえってか?」
いつもの勘の鋭さ。最近になってからずっとだ。いや、ミヤビの察しの良さと言うよりは・・・・
「もしかして結構、顔に出てる?」
「あたぼうよ。お前はいっつも、変な義務感ばっか持ちやがって・・・・・・なあ、お前さ」
身体向きを正面に戻し、僕の方へまっすぐと向かい合う。改まったような態度からして、その舌に真面目な話題を仕込んでることは、すぐに分かった。
「お前のその妙な義務感ってよ・・・・誰かの影響だったりするのか?ほら例えりゃ、死体回収の時にも『報いるべきことがあるとするなら、すべき』ってやつだったり?」
「・・・・・ああ、そうだな。ミヤビには話してなかったか。」
様々物事に立ち止まりかける時、度々僕の原動力となるその『言葉』。もうかれこれ10年経った今なお、僕の芯に染み付くそれ。
「『成すべきことを定め、ただそれを成せ』。父さんの言葉だ。」
「父さんって・・・・・それって、アイワの養護施設の長さん?」
「うん。まあちょっとした憧れってやつさ。なんせ、僕にとっての唯一の親で、恩人。あんな人間にはもう会えないって言えるほど、すごい人だった。」
背中越しで一所懸命に駆け回る彼が、どこか格好良く見えたのが印象深い。彼はその生涯を『子への救済』に費やした男。その一つに筋を通し、全うした男。
我ながら、憧れる相手を間違えなかったと自負している。
「僕も、話す機会が多かったわけじゃない。けど、時たまの教鞭の全てを・・・・小っ恥ずかしくなるような綺麗事を、あの人は全部行動で示してくれた。筋を通したあの人がカッコよかったから・・・・・その言葉の一つくらい全うしてみてもいいかなってさ。」
「・・・・それが、お前の原動力ってか。」
「どちらかといえば楔かな?」
この『心を読む力』が消えた後も、僕はその在り方を止めるつもりはない。今の自分が、父さんに誇れる程の人間なのかは分からないけれど・・・・・筋を通したのなら、その先に未来で、それなりの人間になると信じて。
「ほら早く漕げよ」
「せ、急かすなよミヤビ・・・・この坂、結構傾斜やばいんだって・・・・」
「だからいいんだろうよ、ほら」
「・・!?おおっとぉ・・!?」
刻は大体18時手前。
海の家から少し離れた丘の上に、僕らはいた。ミヤビが、今度は運転手を変えようと言うので、試乗探しに選んだそこが超急斜面の坂道。いくらバイトで自転車に慣れているとは言っても、ここまでとなれば、些か怖くなるのも仕方なしだ。
たじろぐ僕を見兼ねてか、僕の背中へと思い切り体重をかける。坂の手前で止まっていたため、その『体重掛け』が、僕らを下方へと吸い寄せた。
最初は、軸を安定させることに一生懸命であった。しかし、路面が綺麗なことに加え、坂の角度がこれ以上酷くなることもなかったために、焦りはすぐに溶け消えた。
「・・・・・!!」
「な?良い眺めだろ?ここなら花火も見えるってもんさ。」
太陽下に輝る波面の景色も良いが、夜に染められた海の情景も中々なもの。視界の下部に映るは、海岸沿いに集る人混み。思えば今日は金曜日。明日の予定を気に留める必要もないからこそ、人も多く集まっているのだろう。
「・・・・ありがとうミヤビ。」
「ん?・・・ああ。まあ、お前は人混み嫌いだしな、俺もこっちの方がいいと思って・・・」
「それもなんだけどさ・・・・・・・・その、色々とね。」
キセキを体に宿してからの五日間。経ったそれだけだというのに・・・・己の脆弱な心ゆえか、どうにも疲れてしまった。ミヤビも、僕のそういった疲弊を、察してくれたのかもしれない。
「僕が、ちょっと気疲れしたってさ・・・・・気にかけてくれたのかなって」
ミヤビの心象を覗きつつ、恐る恐る言の葉を紡ぐ。こういう『他者の本音』を言語化する行為は、ある意味マナー違反のそれなので、慎重な態度を心がけた。
ミヤビはため息一つ後、静かに口を開いた。
「・・・・・・・・俺は馬鹿だからさ、お前のキセキがどんなに苦しいものなのか、わかんねえんだ。けど馬鹿らしく、笑わなくなっちまったお前を、楽しませる方法考えてたんだ。」
「それが海や花火?僕を突き飛ばしたのも?」
「あれはちょっと魔が刺したっていうか、まあ悪かったぜ・・・でも、まあ気晴らしにはなったんじゃねえか?」
「・・・・・・・・それは」
「まっ!これも学校サボりたい口実にしたってなぁ、内緒だぜ!」
「締まらないこというなぁ・・・・・・・ぁ」
夜を裂く一筋の光に、僕らは口を止める。
静かな夜を躍動に染める、高らかな上昇音。その余韻が消えるか否かの瞬間、芯に響く轟音を携え、鮮やかな花火が上がる。
それは一度にとどまらない。多種多様な残光の、消えかかるたびに再展開される花弁らは、夜景の黒を色とりどりに塗りつぶしていく。
一度咲いたのち、二度とその花弁を開かぬ、淡く儚い火花達。まさしくそれは、晩夏の夢のようでーーーーー
「ようやく・・・・・ちゃんと笑ってくれたな。」
「・・・・・うん」
チカチカ、チカチカと。
最後の煌めきに至るまで、僕らに幸福を振りまいた。
花火の余韻に浸るまもなく、僕らは来た道を引き返す。丘の下方では、屋台が展開されていた。できれば周りたいものだが、こんな厄介なキセキを持つ限りは、十分に楽しむこともできないだろう。
加えて魔女との合流の件があるため、早歩きで自転車を押す。
「なー知ってるか?あの祭りって、三日開催してるらしいぜ。墓参り帰りによ、ミュウちゃんも連れて向かおうぜ。」
自転車の後方から、陽気なミヤビの声。用事がどれほど掛かるかも分からないが、少なくとも、明日の打ち上げ時間には間に合うだろう。
「いいなそれ。キセキ無くなった後なら、また場所気にせず楽しめる。」
「決まりだぜ・・・・てか、そうじゃん。俺ら一回、魔女さんとこ、寄らなきゃいけないっけな。」
「まあ一度、ミヤビん家で荷物置いてからでもいい。今夜は僕も泊まりたいけど・・・いいか?」
「お!!そんじゃあ、今夜は三人で夜更かしってな!!」
少し深夜テンションでも混じったような態度。魔女との用事が、未だ片付いてないというのに、その心持ちは早すぎやしないだろうか。でもその不遜さこそ、ミヤビに相応しいか。
そんな下らぬ対話を繰り広げて、何十分経っただろうか。歩道が少しずつ、見覚えのあるものへと変化していく。
「見えた見えた・・・んじゃ、俺に自転車パス」
「ん・・・」
握るハンドルを側方へ傾け、ミヤビの方に預ける。手持ち無沙汰に、なんとなく顔をあげる。視界の先にあるは、二人が住むには、あまりに広い敷居を持つ、よく見知った館。
「やっぱり広いなぁ」
ミヤビの実家の相変わらずの、広大さに、毎度のことながら感嘆の声を上げる。
「どうしたアイワーーー!!こっちなんだぜーーー!!」
館を目にするのは、かなり久しいことだった。だからか、無意識に足を止めてしまっていたようだ。ミヤビが手を振る先の門前箇所へ、僕も小走りで駆ける。
そんな僕に、顔を綻ばせるミヤビ。
「ほらこっちこっち・・・・あ!!ただいまーー、ミュウちゃーーーーん!!」
間の抜けた台詞に恥ずかしがることもなく、愛しい妹へと、その声を響かせた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」
先生との会話の下りは、落語『出来心』をパロリました。よければ調べてみてください。