第9話:最優の反則手
■■様・・・・正体不明。おそらくはエルシーや怪物(=シラマキ)の上にあたる奴。
〜これまでのあらすじ
アイワは、エルシーが死ぬ間際を垣間見た・・・・・。
喧騒はピーク時に盛り上がることは間違いないが、時間に伴って人数も減少していくのが常だ。しかし、通学路にあたる商店街付近は、その喧騒が一日中続く。ゆえに僕は、早朝から人混みに飲まれることになる。
「・・・・・・」
他者の心象は、自分が見たいから映るものではない。他人が思考を回すだけで、勝手に僕の脳へ入り込む。こんな密集地なら尚更、これらはつんざく響きとして、僕の心を侵していく。
それは、脳に直接釘を打ち込まれたかのような激痛。昨日や一昨日にも似たようなことはあったが・・・・そう易々と慣れるはずもなく。
「・・・・・っ・・・ぁ・・」
鼻奥で昇らんとする血を飲み込み、思考の疼きを抑える・・・それは、一昨日のように狂気に呑まれる恐れがあるから。誰かに殺意を向ける自分が・・・自分で無い何者かに成り変わることが、ただただ怖かったから。
「・・・・いかなきゃ・・・・」
自身の身体を抱くように、両肩に腕を回す。震える身体を抑えつけ、できる限りの早足を以て、その通りを進んだ。
「よっ・・・・昨日ぶりだなアイワくんよ」
「・・・・」
「アイワ?」
「ん?・・・・・あ、ああ。ミヤビか」
昼休みにて、屋上に佇む僕に声をかけてきたミヤビ。僕らは同クラスではないため、朝ではなく昼休みの空いた時間に会うことが多い。
「おい、寝れてんのか?・・・なーんか、隈が前より酷くなってやしねえか?」
「まあ・・・今日も登校前出勤のバイトだったからね。しょうがないしょうがない。」
腫れた目尻を掻きつつ、できる限り自然な笑みを装う。しかし、ミヤビの反応はこちらの予想していたものでは無い。心配の相をさらに曇らせた。
「昨日の女のこと気にしてんのか?」
「・・・・ミヤビも読心術を身につけたの?」
「見りゃ分かるよ・・・何年の付き合いだと思ってる?」
ため息をついたのはほぼ同時・・・・・強いて言えばミヤビの方が少し早かったか。阿吽は合うのに、内包する意味は真逆なそれ。
「・・・・まあ僕のことは気にしなくていいよ。時間が経てば切り替えられるよ・・・・うん。大丈夫。」
「そうか」
力の無い『大丈夫』を聞き、心象の靄をさらに曇らせたミヤビだったが、了承の意を示したのち、後の句を飲み込んだ。
「そうだな・・・ああ、そうだ!!なんせもう全部解決したしな!!仮にこれ以上の障害が来ても、俺がバッタバッタよ。」
「・・・・」
「おう失敬・・俺『たち』だったな。まあ何はともあれ無事大円団・・・ってあれ?そういや遺体の方ってどうなった?」
そういえばあの遺体の件は、僕の所属している新聞社の方では扱われていたが、情報としては新しすぎて出回っていないのだろうか。ならば、疑問に思考を切り替えたミヤビへ、補足を立てる必要がある。
「僕の職場のとこの・・・・今日のウチの一面は『付近のビルにて全ての行方不明者の遺体を発見』だとさ。その件での刷り直しのせいで、みんなバタバタしてたよ。なんせ行方不明者全員の照合が終わったのは未明あたりだったし。」
「そうか・・なら川島の旦那も」
「ああ。あの損壊の状態なら正直照合も難しかったはずなんだけど・・・もしかすると、あの怪物の空間から抽出された死者は、解除時にあの牢獄で色々されたことを『無かったこと』にされたのかもしれないね」
「おお?・・・・・え?それって死者限定かそれ?」
「結果論だけど・・僕らが今キセキを持っているのは、牢獄で『色々された』何かが、体に記録として残っている結果だろう?・・・・・あるいは、『勝リ者』はその牢獄における『条件分岐』に晒されないかもしれない・・とかね?」
結局それは、件のシラマキしか知らないこと。そのシラマキが消えた以上、詮索にメリットはないだろう。
「頭痛くなりそうだぜ・・ったくよ・・・まあ、とりあえず遺体は遺族の方に返せるってんなら、どっちでもいいだろ。おめえのスジも通せたってんなら、な?」
「・・ああ」
ミヤビの言う通り、これは川島さん含む犠牲者に対してできる、現状最大限の手向けだ。しかしそれと同時に、僕が成すべきだった最低限でもある。それすら、死者が一人以上出た時点で、最悪から最悪の半歩手前に匙が寄った程度だろうが。
「・・・てかそだよ。なあお前さ、明後日・・・って違う明々後日、本当に行かねえの?墓参り一緒に。」
「ん?・・墓参り?」
「俺のお袋や親父のだよ」
「親・・・・あ」
そう言えば一昨日に、ミヤビと警察署にて合流した際にそのような会話をした覚えがある。『ミヤビの親の年忌』の話題を出したのは、僕だったというのに、どうしてその件を忘れていたのか。
「そういえば、来週の日曜にシフト変わって欲しいと言う先輩がいて、ちょうど休みになった。学校が僕も行ける」
「なら決まりだな。」
そういったところで、僕らは5限にあたる予鈴の音を聞いた。そう言えば、僕らの学校における予鈴は5分よりも少し早かったような・・・・。
「ってやべえ!!俺らんとこ次体育じゃねえか!!」
「早く行けよ。前に遅刻した僕んとこの一人は、ランニング量増やされてたよ、クラス全員。」
「え、まじかよ!?・・・んじゃバイビー!!」
風の勢いで屋上の出口に駆け出すミヤビ。省略に省略を重ねたような別れの言葉を聞き、僕も次の授業へ向かうため・・・・
「・・・・・・・・・・・・・・・あ・・・れ・・?」
突如・・・前触れもなく、僕の胸を痞えるような違和感。喉奥で遊ぶ靄は、確かな鈍痛として僕の思考へ信号を送る。すなわちこれは、何かを見過ごした情報があったのではないかという、自信に対しての警告。
一応、その靄は可視化される前に、小さな燻りとして存在していた。それは、ミヤビとともに件の墓参りの話をしていた時。
「何か・・・・見逃しているのか?」
件の話をしてから生まれたそれならば、違和感の要因は間違いなく『墓参りを話していた』件である。しかして、言語化どころかイメージもできないそれに、熟考の意を向けることはできない。
今はともかく、授業に遅刻しかけていることを、気にしなければならないとする。購買パンの袋を乱雑にポケットにしまい、階段を転げるような勢いで下った。
その放課後にて、そそくさと正門を抜けた僕は、自身の帰路を歩く。ただし今日は、早朝のとは別の『人通りが若干少ない』街路。遠回りにはなるが、人混みに心象を喰われ、頭を悪くするよりはまだマシだ。
今朝通らなかったのは、『早朝における車両の飽和量』が多すぎたため。たとえ人の数が少なかったとして、運転手や、その同乗者の人数がそれを超えていれば、意味がない。加えると、歩行者より搭乗者の方が『不満の声』が多い。負に偏る心象は、脳への負担をより悪化させる。人数にしても質にしても、商店街の登校の方が、都合いいのである。
けれど、下校時は別。車体の含有率も圧倒的に少ないここは、人混みの早朝より幾分かマシになる。
「っつ…」
とはいえ、負担が完全に抹消されることはない。身体へ与えられる感覚を言語化するならば、「脳に刺さる杭」の数が減った…ような気がする、かもしれない、と言ったところか。
つまるところ、登下校どちらの場合でも、のんびりしていられないのだ。
「………ああ、面倒だな」
車両や、並行して動いていた歩行者達が、進行に減速をかける。高藪のような人の群れ・・・その陰から背伸びをし、彼らが停止した要因にあたる道先を目で捉える。日が照り、黒の消え掛かったボーダー色。交差点前にて、小君リズムを保ちながら、甲高い音を立てて下りる踏切があった。
運転手も歩行者も、急に自身の歩みを止められれば、不満の声の一つや二つ挙げる。それが、列車の進行が終わるまで続く。面倒臭いことこの上ない。
"驕?>縺ェ譌ゥ縺上@繧阪h"
"遘√?諤・縺?〒繧九s縺?繧医?繝サ"
彼らに悪意はない。不平不満を心中で宣う行為は、法で認められた権利。僕がとやかく言えることでもない。だからこそ、周りに解決を求めることもできない。
自身の負担を抑える唯一の方法は、痛みから意識を遠ざけること。それはどんなことだって構わない。車両の繋ぎ止めが擦れる電車音に、心地よさを覚えるもよし。砂利道の脇にてぶっきらぼうに生える草花を、見据えるも良し。あるいは目の前の・・・・
「あ・・れ・・?」
車両間の景色が見える時は、ごく稀にある。2回の瞬きで、1度目の視界が瞼の裏にこびりつくのが良い例。つまるところ、一瞬をカメラで捉えたような特殊例でしかあり得ない。
だとするならば・・・なぜ今僕は、ただの動体視力だけで、そこにいる誰かを目に捉えることができているのだろうか。
「だ・・・・・・・・・・・・・・・・れ?」
妙なのは視界だけではない。
口が思うように動かないのだ。口を開くことに躊躇を覚えた、などという意味ではない。口が縫い付けられたかのように重い。自身の思考速度に、体の動きが追いつかない状態。途方もない悪寒を感じつつも、その誰かを見つめることしかできない。
彼女は、何もできぬ僕の顔を見据えて、ゆっくりと微笑んだ。
「み・・・つ・・け・・・・た」
「・・・っ!!」
読唇術に長けているわけではないが、女の宣ったその四字を、即座に理解。その台詞から脳裏に浮かぶのは、昨夜の一件。エルシーの記憶にいた正体不明の誰か・・・・・・かもしれない理論で頭の隅に置いた考え。
件の爆破事件は、エルシーとシラマキ以外の・・・少なくとも彼らより『上』の存在が裏で糸を引く誰かがいるという、根拠もない考察。けれど、あらゆるもしもに囚われなければ、突如として起こりうるそれに、殺されることになる。彼女が、それに関する誰かかもしれないと・・・・・考えに及んだ地点で、頬に吹き出す汗の感覚を覚えた。
後方に後退りしたその瞬間、列車の音が消えた。それと同時に、後方に寄る右足の重力感覚から、自身に掛かっていた硬直が解けていることに気がつく。しかし、目の前の女が、視界から消えたわけではない。この感覚を気のせいだと、片づけられない以上、彼女に何かあると考えるのが妥当だ。踵を返し、その場を離れようと駆け出して・・・・・
「・・・・つ、き・・・?」
上空でぶら下がる三日月を目に捉える。晩夏にしては妙に涼しい風当たりを感じつつ、二者以外の全ての人間が消えた世界を鑑みて、ようやく気がついた。
今この瞬間、僕の立つ刻が夜であることに。
黒をかき混ぜた視力に、精一杯をこめる。
容姿で特徴的だったのは、女性ではそう見ない黒髪ベリーショートに、おそらく・・・・薄褐色であろう地肌。Tシャツの裾を巻き込む紺のジーンズは、男性にもよく見る服装。加えて、服の皺とも判断しかねる胸部の微かな膨らみ。女性だと分かったのは、わずか四文字の台詞が比較的高音であったためだ。
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
『見つけた』発言以来、無言の相対をおよそ十秒。逃げても良いのか・・・彼女の顔に無言で問いかけるも、心象の解は否。僕と、その背後十数メートルを見据える瞳。すなわち、僕が後退した後の攻撃法をシュミレートしているということ。
考えなしの逃走は、死を意味する。その訳を言語化できないが・・・それほどまでに異常な威圧感。
「へえ・・・よく動かなかったねえ」
ようやく彼女が口を開いた。緊張感に苛まれた自身の身を強張らせ、コミュ障にありがちな、口の倦怠感を飲み込む。
「あ・・・あなたは・・?」
「あん?・・・・・・アンタ、アタシが名乗ると思ってんのかい?」
「・・・・・互いに名乗りを上げないのが常識なんです?」
「当たり前だろ。今の時代、身バレがどんだけ怖いことやら。名をイケイケしゃあしゃあ言うのは魔女失格さあね」
「・・・・・魔女、か」
エルシーの言及していたステージ3クラスの存在。つまり目の前の彼女は、少なくともエルシーやミヤビと同格か、それ以上の勝リ者と想定すべきか。
「おおっと・・・これ以上は無しだね。んじゃ早速、要件を言おう」
仕切り直しと言わんばかりに、敵意の鞘を研ぎ直す彼女。その敵意がいつ着火しても対応できるよう、身を強張らせて彼女を見据える。
「昨日のビルの件・・・・『光の勝リ者』が死んだ件、アンタは関与してんのかい?」
「・・・・・・・してます。僕が殺しました。」
キッパリと、答えた。台本を作らねば初対面とは話せない口だが、この意思だけは繕うことはできない。
多少の空白を予期していたのだろう。心にて予測外の解に、女は軽く目を見開いた。
「誤魔化さないのかい?・・・男らしいっちゃ男らしいがねえ」
「復讐でアナタがここに来たのなら・・・・アナタには僕を殺す権利があります。無論抵抗はしますが。」
「そうかい・・・まあ別にアタシゃあ、復讐なんて腹で来たわけじゃあないんだがね。悪いね・・・・一応は身内関係の話なんだ。ここで無事に帰すことはできない」
乾いた砂利道を渡り、ゆっくりとこちら側の歩道に向かう女。線路の鉄を踏み締めた辺りか、おもむろにその手を胸の前に置いた。正確に言えば、首にかかるネックレス?らしきものを引きちぎった。
「『鉄の皇女』」
僕の脳内辞書に無い名。それが彼女の口から発せられたかと思えば・・・・突如、熱を帯びたかのような激痛を覚えた。
「・・・ぎっ・・・あ゛あ・・!?」
瞬時にその患部へ目を映す。鮮血は確かな体積を以って、眼前に散らばる。それが視界にとって多少の障害にもなったが、出血要因ははっきりした。僕からわずか五寸先にて、女が何か銀を帯びた何かを振り下ろしていた。
『どうやって?』という疑問を繰り返す思考は、その刃の未来を検知する。
「・・・がっ・・・がっ!?」
状況判断を一時停止し、2撃目から身を遠ざる。後退した身は寸前のところで追撃を避けた。その時点で、ようやく安定な視界に至り、僕は再度、彼女の方へ視線を上げる。
右手に携えるは剣。刀身は銀、しかして鍔の装飾は橙を主体とした絢爛豪華。特徴的なのは、西洋様式とは思えないほどの、刀身幅の細さ。僕の良く識る日本刀などとは、同サイズと見ていい。
「浅いねえ・・・勘で後退したのかい?それなら・・・随分と戦闘慣れしてるみたいだ」
「僕は、別に・・・って!?」
疑問は山ほどある。その刀がどこから湧き出たのか、なぜ僕が見た時には『斬られた後』だったのか・・・・ただし、停滞思考は、戦闘中の阻害にしかならない。
追撃の刃から、再度身を後退させつつ、できるだけ女から目を離さないように気を配る。敵意の瞬間を検知できるため、紙一重で回避することはできる。ただそれでも・・・
「・・・っ!?・・・・・また・・!?」
僕の身をなぞった剣の軌道。侵食するような痛みを感じた時には、肉体の薄皮より少し奥を抉る程度の傷ができていた。
急に夜になった件や、コマが削られたかのようにスキップされる時間の本流・・・間違いなく、キセキの成せるそれだ。
「時間・・・・いや」
最悪の想定・・・・『時間を操る』力だと一瞬考え、すぐに思考から消した。時間だけを操り、一気に夜まで時間を飛ばしたのなら、先ほどまでここに居た歩行者や車両は、未だ残存していたはず。それにそんな力を持っているのなら、近接戦闘などせずとも、時間を止めて首でも心臓でも掻っ切ればいいのだ。
それができないのなら、万能としての規格が足りない。
「思考速度か」
「・・・・・・!」
疾走する世界で、あえて聞こえるように告げた解に、女は明らかな反応を見せてくれた。おそらくは図星・・・最低でも、キセキの詳細の一つを、当てることはできたはずだ。
自身の思考速度を操り、指定した他者間で共有できるというのなら、先程の事象が納得できる。急に夜に変わったのは、彼女自身と僕の思考速度のみを『通常速度より極端に遅く』設定することで、一瞬で時間経過を錯覚したのだと予想できる。時が飛んだかのような攻撃も、同様の理屈だろう。
そして、思考速度を弄られた間、体を動かすことはできるも、思考が体に追いつくかは別の話。しかし、思考速度変更のオンオフが切り替えられる彼女は、そのタイミングを理解している・・・・それが彼女の持つ、キセキのアドバンテージ。
「意外と理解が早いね・・・・・・・で?」
「・・・っ!?」
直線上に、剣の切先と、僕の胸部中央部やや左・・・すなわち心臓位置が並んだ瞬間、背筋に寒気が走る。その意を思考に挿入する前に、身体を側方へスライドさせた。踵が砂利の感触を覚えた瞬間、時が抉れたかのように『結果』だけが現れた。
「アタシの力はね・・・別に割れようが割れまいが、何ら状況が変わるわけじゃない。タイミングでも読まれない限り」
「っ・・・・ごっぽ・・」
胸骨を砕きながら、深々と貫く刃。下方に目を移してそれを一瞥した瞬間、叫びも上げられずに吐血した。肺から喉に昇る熱の、なんとも言えぬ気持ち悪さを止めきれず、声帯もうまく働かない。
「まだやるかい?」
顎の輪郭を沿う手指の感触を以て、女の顔を見つめる。肺を砕いた刃は未だ引き抜かれず、僕の命を掴んで離さない。だが、勝リ者に内包する修復力さえあるのなら、たとえ心臓を砕かれようと僕は・・・・・・・・・いや。
「まあ・・・・・・やりすぎなのは悪かったねえ。別に殺す気もなかったんだがどうにも興に乗っちまった。いやあ・・避けてくれて良かったよ」
勝リ者の修復力くらいは把握しているであろう上で、彼女は心臓を狙っていた。勝リ者の全容は未だ把握できていない・・・・・が、もし僕が心臓を砕かれていたのなら、その命は事切れていたのではないだろうか。
「アタシに着いてきてもらう。そこで生きるか死ぬかは運次第・・・と言うより、アイツの気分次第か?」
その言葉を皮切りに、身体からゆっくりと刃を抜かれていく。元々深々と奥にあったそれが、刀身の五割まで引き抜かれたところで・・・・僕は刃を握りしめた。
「何を・・・」
「今すぐ殺して・・・いや、殺さないでくれるのは・・・・・ありがとうございます・・・けど」
震える左手・・・・刀身を握りしめる方とは逆の手を、自身の衣嚢に入れる。件のアレを握りしめたのちに、手を引き抜いた。
「今あなたについていくのは怖い」
「あっそ」
用途もわからぬために、こんな使い方が正しいのかもわからない。ただ、今この瞬間が・・・僕にとっての『困った』だったから。僕はソレ・・・・金色の硝子玉を握りしめたままに、左拳を女へ突きつけた。
「・・・は?」
「・・・・・・・」
腹部と衣服の擦れる軽い打撃音・・・・ただそれだけ。
何がしたかったのかと、問う彼女の心象は妥当なものだ。実際、馬鹿らしく期待を抱いた僕はまさに滑稽だろう。
羞恥はない。自身の弱さに残念がるつもりもない。けれど、現状に一石を投じることすらできぬ今を呪った。ゆえに、もしもを願わずにはいられない。
「は、は・・・・ミヤビみたい、に・・・・・力が、あれ、ば・・・・・ごぽっ・・」
視界に映る顔がぼやく。勝リ者の修復力でも、知らず知らず出血量は危険信号を指し示していたのだろう。
そして、意識し忘れていた吐血の抑制。そのツケが今になって現れ、手当たり次第に撒き散らされる。夜ゆえか・・・妙に黒く見えたその血は、筋を沿うように手の中へ入り込んだ。
「・・・・?」
掌に走る奇妙な感覚。例えるならイナゴ等、握りしめるには体積の大きい虫が、バタバタと暴れ回るような気持ち悪さ。その感触が零コンマ数秒ほど経ったのちに・・・・ぶちまけた血液が、掌に収束されて完全に消えた。
「・・・・・・っ!!!?・・・ぁ゛!?」
瞬間、何かが僕の眼前に飛翔し停止した。ソレがあまりにも寸前だったため、動悸が冷え込んだかのような心持ちになった。そうして驚愕に麻痺させられた脳へ、凄まじい激痛の信号が送られた。
最低限の喘ぎで痛みを抑制し、源にあたる箇所を一瞥する。
「・・・・・・・・・・・・槍?」
月光を喰らう金色は、夜が跪く凛々しさ。光沢のスジに並列し、真逆に映えるはずの鮮血色すら、その輝きで無かったことにされる。
手の甲を貫かれた激痛や、命の危機にあたる自分の今を忘れ、浮世離れしたその美しさに見惚れてしまった。
「・・・おま・・・え・・・なぜそれを・・!!?」
気づけば女は、剣を抜き去ることすら忘れて後退していた。押さえ込む彼女の右腹部を中心に、衣は赤で汚れていた。そこは先ほど僕が拳を向けた位置ゆえに、要因はすぐさま理解できた。
ただ、僕が最も注視したのは脇腹の負傷ではない。初めて見せた驚愕の表情は、僕にではなく、その槍にあった。すなわち、これは彼女もとい、アチラ側にとって既知の、代物であるということ。
「・・・・な・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・え?」
予測外の事態に対する整理が終わった後に、突如として流れ込む情報。
視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚・・・・・・五感の全てに当てはまらぬ感覚は、心象を魂に刻んだ感触と同義。簡素ゆえに、情報の本流はおそらく一秒にも満たない。けれど言語化するには、あまりにも秀逸性に欠けている。だからこそ、聞き取れた中で唯一簡潔化していたその単語は、自然に僕の口から這い出た。
「『最優の反則手』・・・?」