第2話「黒猫少女は、金色の獅子をかぶる(2)」
想定外のミスに走る気をなくした黒猫少女は、大人しく歩いて帰宅した。
「たっだいまー」
「おかえりメネア、丁度良いタイミングだねぇ」
古い玄関扉を開けるなり、何やら『箱』を抱えた店長が仏頂面でニヤッと笑う。
メネアを襲う、嫌な予感。
「……ねぇ店長、何が“ちょうどいい”わけ?」
「飛び込みの配達依頼さ。丁度、アンタが帰る直前にね」
「うわっ、やっぱその箱そうだったか……ていうか受付時間の18時はとっくに過ぎてるでしょ?」
「しょうがないだろ。常連に『どうしても』って頼み込まれちゃ断れるわきゃねぇんだから。とはいえアンタ以外の配達員は、もう全員あがっちまってるしねぇ……メネア、頼まれてくれるだろ?」
「わかったよぉ……」
しぶしぶながらもメネアは箱を受け取った。
何といっても店長は、メネアにとって“たった1人の恩人”である。
この建物は店長が経営する『配達店』兼『住居』。
メネアは物心ついた頃から住み込みバイトな居候として働いているのだ。
そりゃ人使いは荒いし、給料だってスズメの涙。
だけど身寄りもなければ未成年な15歳のメネアは、この店を追い出されたら行く宛なんかありゃしない。
血縁でもないのに三食寝床付きを保証してくれてるだけでも、足を向けては寝られない。
店の経営状況を考えると、贅沢なんかいえるわけもない。
しかも猪耳族の店長は、還暦もとっくに過ぎたお婆ちゃん。
最近は足腰も弱ってきてるのに、こんな遅い時間から1人で配達なんかさせるわけにもいかないもの、とメネアは心でつぶやいた。
「助かるさねぇ。その代わり、今夜の晩飯は珍しくデザートつきだよ」
「え?」
「しかもアンタの大好物、3丁目のベーカリーのチーズタルト」
「うそッ⁉ だってデザートなんて普段出ないじゃん」
「嘘じゃないさ。『時間外の配達で悪いから』って、依頼者が差し入れてくれたんだよ……ほれ」
店長が親指で示した先には、ベーカリーのロゴが入った茶色い箱。
ふわっと漂ってくる焼き菓子の香ばしい匂い。
ここのチーズタルト、甘くて濃厚で香ばしくてむちゃくちゃ美味しかったんだよなぁ……。
思い出すだけで、メネアの口からジュルリとよだれがあふれそうになっていた。
「ならサクッと済ませといで。帰ったら晩飯にするからね!」
「OK♪ いってきま~すっ」
すっかりご機嫌になった猫耳少女は、再び店を飛び出した。
***
「――いやァ届けてくれて助かったよ。遅くまで悪いね」
「いえ、とんでもないです!」
「じゃまたよろしく」
「ぜひぜひ! いつもご利用ありがとうございますっ」
最速最短で配達を終わらせると、メネアは営業スマイルで扉を閉める。
「……さぁて、とっとと帰りますかっ」
なんたって今日は特別だ。
彼女の帰りを “極上チーズタルト” が待っているのだから。
「最後にデザートを食べたのは15歳の誕生日、ってことはもう先々月かぁ」
店長が用意してくれる賄いは、朝昼夜いつも代わり映えしないパンとスープだけの食卓。
だけど誕生日だけは特別。
毎年、店長が何かしら“甘い物”を買ってきてくれるのだ。
「誕生日でもないのにデザート……むっちゃ贅沢じゃん♪」
メネアの脳内はチーズタルト一色。
足取りも軽く、角を曲がったところで。
――キュイィィンッッ!
――嫌ぁっ⁉⁉
耳障りな“機械音”と“悲鳴”が静かな夜を切り裂く。
反射的に振り返ったメネアは、目を疑う。
十数m先で自動清掃ロボットが荒ぶり暴走していたのだ。
AI制御で働くその機械は、みんなが通る歩道を24時間365日綺麗に保つのが仕事だ。
いつもなら歩行者優先でゆっくり動いているはずなのに、今はギュインギュイン高速移動しながらスパークを散らして、我が物顔で暴れまわっている。
その行く先には――
――ギュッと身を寄せあう親子。
「危ないッ!!!!」
考えるより先に体が動く。
次の瞬間、気づけばメネアは親子をかばってロボットの前に立ちふさがっていた!
前方から凄い勢いで迫りくる暴走機械。
やっちまった。
一瞬にして後悔するが、もう遅い。
今から逃げれば、機械が親子に直撃すること間違いなし。
かといって非力な猫耳少女なんかが機械を壊せるわけもなく。
「お願いッ止まってッ――」
できたのは、黒い耳と尻尾をキュッと縮めて、肌身離さず身につけている御守り――金色の指輪に鎖を付けたペンダント――を握りしめ、ただただ“奇跡を願う”ことだけ。
そして次の瞬間――
何も起きなかった。
いや、起きたのだ。
“奇跡” というやつが。
暴走機械がぶつかる寸前。
メネアの切なる願いに応えるかのように、指輪が強く煌めいた。
と同時に、彼女自身も金色のオーラで包まれる。
紫の瞳も黒い髪も猫耳も尻尾も、全てが眩い金色に染まり……
――地上に舞い降りた女神のごとき荘厳な姿。
――それはまさに“金色の獅子”。
たまたま通りがかった通行人も、機械の暴走に気づいて窓を覗き込んだ近隣住民も、誰もがその神がかった美しさに目を奪われる。
次の瞬間、プシュウと気の抜けた音と共に清掃ロボが急停止。
再び動き出すこともなく、凍り付いたかのように静かになったのだった。
「え…………な、何、今の……?」
抱き合ったままワンワン涙を流し始める親子を横目に、メネアは困惑するしかなかった。
全くもって意味不明な結末。
閃光のように光っていたメネアの体も、気づけばもとの黒猫状態に戻っている。
自分が光った理由にも、機械が止まった理由にも心当たりは一切ない。
とはいえ結果的には全員ケガひとつなく助かった。
素直に喜んでいいような気もするが――
不意に鳴り響くサイレンの音。
青と赤の2色に光る回転灯とともに到着したのは、街を守る警備ロボットたち。
清掃ロボットとおなじくAIシステム「Gordina」で自動制御されていて、どんなトラブルでも適切に対処してくれるのだ。
彼らが来てくれたならもう心配いらないだろう。
ほっとしたメネアが、改めて帰路につこうとした時だった。
ガチャリ。
『――午後7時49分、ハッキング容疑で緊急逮捕します』
壊れた清掃ロボには目もくれることなく、警備ロボたちはメネアの両腕に手錠をかけたのだった。
***
警備ロボットに連行されたメネアが突っ込まれたのは、いわゆる“独房”。
無機質で簡素な金属造りの個室。
分厚そうな壁も太い鉄格子もやたら丈夫で、通路には強そうな警備ロボットが何体もウロウロしてて、逃げ出す隙もありゃしない。
「いたたたたァ……てかなんでこんなことに……」
痛むお尻をさすって溜息。
もちろんメネアは精一杯全力で抗議した。
何も悪い事なんかしてないし、捕まる理由はないはずだ、と。
だけど警備ロボットは聞く耳を持たず、『証拠はあります』『ハッキングは許されざる犯罪』『あなたは凶悪犯罪者です』と機械的にくり返すばかりで全く取り合ってくれなかった。
あれよあれよと連行されて、乱暴に牢屋に叩き込まれてしまったのだ。
手錠も外してくれないから動きづらいし。
叩き込まれた瞬間にぶつけたお尻はすごく痛いし。
――もしこのまま帰れなかったら……?
考えるだけで、底知れぬ不安に襲われる。
季節は冬に入り始めた秋。
夜になって肌寒くなり始めたせいだろう。
とても冷たい金属造りの牢獄の床が徐々に体温を奪っていく。
そういえばお腹も空いてきた気がする。
昼に食べたきり、水以外は何も口にしていない。
「……店長、心配してるかもな」
ふと浮かぶのは、ぶっきらぼうだけど優しい店長の顔。
予定通りならとっくに配達が終わって帰宅して、晩ご飯を食べて、デザートのチーズタルトまで満喫し終わっていたはずの時間。
せめて連絡できればいいのだが、腕時計型端末は捕まったときに取り上げられてしまったままだ。
店長のことだ。
ご飯に手を付けることなく、首を長くして自分の帰りを待っているんじゃないかとメネアは思う。
「私、何もしてないのに……なんでよぉ……」
理由はわからないが、メネアは“凶悪犯罪者”扱いされている。
もちろん彼女自身に心当たりはないものの、そう判定されてしまっている以上、どう頑張っても取り消してはもらえない。
なぜならGordinaがそう決めたから。
世界を管理するAIシステムの決定が覆るなんて有り得ないし、そんな話を聞いたことも無い。
“犯罪者の烙印”を押された時点で全てが終わり。
ギリギリの貧乏暮らしとはいえ、黒猫少女にだって夢はあった。
大人になったら給料のいい仕事につきたい。
美味しいものを毎日食べて、店長に恩返しして、それから……。
だけど一瞬にして、全てが泡と消えたのである。
「ってかそもそも、いつ出してもらえるんだろ? まさか一生このまま牢屋で過ごすわけじゃないだろうし、そのうち出られはするだろうけど……」
警備ロボットは無機質な回答を繰り返すだけで、肝心の説明はほぼ皆無。
遠い将来どころか、明日どうなるかさえ不明な状況。
1人きりの孤独な状況じゃ誰かに相談することもできやしない。
メネアは途方に暮れてしまった。
「……私、これからどうすれば――」
「だったら、私たちと一緒に来ませんか?」
急に響いた知らない声。
「え?」
驚いたメネアが顔を上げると。
そこに居たのは――
――犬耳族の少女が2人。
1人はショートヘアに眼帯で、キリッと賢そうな顔。
もう1人はセミロングヘアを無造作にまとめ、大きなハンマー片手に元気な笑顔を見せている。
耳の形も毛並みも瞳の色もそっくりなあたり、姉妹だろうか?
「……キミたち、誰?」
恐る恐るたずねるメネア。
犬耳少女たちは周囲を警戒しつつ答えた。
「説明は後。何てったって僕らには時間が無いからね!」
「このままだと貴方、良くて無期懲役……最悪は死罪になるだけですよ?」
「死罪ッ⁉⁉ で、でも私ッ何も悪い事なんか――」
「してないよね? 僕らもそうだったし」
「例え無実の罪であったとしても、この世界でGordinaの決定は絶対――それは貴方もよくご存じなのでは?」
「そ、それは――」
メネアは何も言い返せなかった。
なぜなら彼女もまた、Gordinaの管理のもとに生きてきた1人なのだから。
「10秒以内に決めてください。チャンスは1度きり……私たちと一緒に脱出しますか? それともこのまま無実の罪を受け入れますか?」
眼帯犬耳少女の言葉に、メネアは悩む。
悩んで、悩んで、そして答えた。
「……わかった。一緒に、行く」
犬耳少女たちは大きくうなずくと、牢の鉄格子を破壊し、メネアを連れ出したのだった。