第12話「黒猫少女は、帰還する(2)」
猫耳族のメネアにとって、1週間ぶりの“我が家”。
住宅密集地で窓からほとんど光が入らないから、いつもカーテンを閉め切って電気を付けっぱなしな2Fの居間。
元々は重厚な赤だったらしいが、いつのまにやらすっかり使い込んだスモーキーカラーになっていた年代物のソファ。
テレビやエアコンといった最低限の家電こそあるが、どれも型遅れで壊れかけてて扱うにはクセが強すぎて、いつ壊れたっておかしくない。
色あせて黄ばみかけている小花柄の壁紙には、小さい頃のメネアがクレヨンで描いた店長の似顔絵の落書きが消されることなく残っている。
――当たり前に見慣れていたはずの光景。
そのどれもが今のメネアにとっては感慨深いものばかりであった。
「ところで、朝飯は食ったのかい?」
店の玄関にカギをかけた猪耳族の店長が戻ってくるなり口を開く。
会っていない1週間を全く感じさせない、いつも通りの口ぶりだ。
「……ううん」
メネアが遠慮がちに首を振ると、店長はやれやれと言わんばかりに肩をすくめた。
「腹が減っては何とやら……まずは飯にするさね!」
***
――2人前のパンとスープが、食卓の上で湯気を立てる。
ライ麦入りの大きな丸パンを厚めに切って冷凍しておいたものを、ちょっと焦げ目がつくまで焼いたカリふわトースト。
小さく切ったベーコンとキャベツと玉ねぎと特売野菜――今回はカボチャ――を、コンソメキューブでサッと煮込んだ作り置きを、鍋で温め直した熱々スープ。
パンが焼ける香ばしい匂いが、狭い部屋いっぱいに広がる。
食欲を刺激されまくったメネアは気づけば夢中で頬張っていた。
店長はともに食卓を囲みつつ、腹ペコ少女の食べっぷりを黙って見守る。
仏頂面ではあるものの、その口元はわずかに緩んでいるようだ。
いつも通りスープとパンをおかわりし、ようやくメネアがひと息ついたところで。
タイミングを見計らっていたらしい店長が口を開いた。
「――ところでアンタ、脱獄したんだって?」
「なんで知ってるの?」
きょとんとメネアが聞き返す。
「家に来やがった警察のヤツらが、御丁寧にも説明してくれたのさ。『お宅の従業員を“Gordinaのハッキング罪”で逮捕したところ、即日脱獄されました』とねぇ……ほれ」
店長が脇の戸棚から取り出したのは1枚の紙。
「ッ!?」
瞬間、椅子を倒す勢いで立ち上がるメネア。
その紙は自分の指名手配書だったのだ。
いつの間に撮られたのか覚えのない顔写真。
でかでかと書かれた自分の名前。
おまけに「この顔にピンと来たら通報を!」と大きく注意書きまでついている。
「――ままま待って!? 警察がウチに来たの!? 何しに?」
「いわゆる家宅捜索ってヤツさね。警備ロボットもいっぱい連れて、小1時間ほどかけてアンタの部屋をひっくり返していったんだ。今時の捜査って基本はロボットだけでやるんだろ? なのに生身の警察官が直々に調べるって……アンタ随分と重罪人扱いじゃないか」
食後の熱いお茶を楽しみつつ、さらっと答える店長。
「ってか店長、なんでそんな落ち着いてんの!? 警察だよ警察ッ!?!?」
「もう5日前の話だよ。今さら慌ててどうするのさ」
「いや、でも……」
おろおろ室内を歩き回るメネア。
店長はフンと鼻で笑い、そしてたずねる。
「で、アンタはやったのかい?」
「……何のこと?」
「“ハッキング”に決まってんだろ」
「あれはッ……そ、その、やったつもりはないんだけど……あくまで無意識っていうか……気がついたら偶然それっぽい感じだったというか――」
「やったんだね?」
「うッ!?」
鋭い店長の質問に、メネアは気まずい顔で目を泳がせる。
だが、かわし切れないと悟ったのだろう。
観念した様子で「やりました」と小さく答えてうつむいた。
「まったく……血ってのは争えないもんだねぇ……」
呆れた顔で溜息をつく店長。
「……なぁメネア、父親のこと覚えてるかい?」
「一応覚えてるけど……でも、“うっすら”って感じかな。最後に会ったの11年も前だったし」
「そうかい……」
店長は遠い目をして、それから言った。
「実はね、エミオット――つまりアンタの父は、Gordinaの生みの親なのさ」
「――は?」
唐突すぎる告白に理解が追いつかない。
混乱する頭を整理しつつ、メネアは聞いた。
「……店長、“生みの親”ってどういうこと?」
「言葉の通りだよ。GordinaというAIシステムを考案し、中心となって開発したのが、アンタの父『エミオット』なんだ」
「いったいどこ情報なの?」
「本人から直接聞いたのさ。エミオットは若い頃、アンタと同じくこの店で、住み込み配達員として働いてたからねぇ」
「何それ初耳!?」
「言ってなかったかい? ああそうだ、その頃にちょうど撮ったのが……あったあった!」
棚の引き出しの奥をガサゴソ漁った店長が、今度は小さな写真を取り出す。
「端に突っ立ってるヒョロい男が10代の頃のエミオットさ。確か、当時の常連が『新しくカメラを買ったんで試し撮りしたい』とかで撮ったんだっけねぇ」
写っていたのは、年代もバラバラな6人の男女。
全員がお揃いの制服に身を包み、楽しそうに笑っている。
中央にいる猪耳族の女性が店長だろう。
ただし今よりだいぶ若いが。
左端に映るのは、猫耳族な細身の男。
メネアにとって“記憶の中の父”は既におぼろげ。
写真の男が父と同一人物かどうか断言できる自信はない。
だが目の色も毛並みも耳の形も自分そっくり。
はにかむような笑い顔はどこか懐かしく、どうにも他人とは思えなかった。
食い入るように写真を見つめるメネア。
店長は少し考えこんでから、ポツンと言った。
「……その写真、アンタにやるよ」
「いいの?」
「どうせ引き出しに眠らせてたんだ。ならアンタが持ってたほうがよっぽどいいだろ……ほら、無くさないうちに仕舞っときな!」
「うん……ありがと」
メネアは写真を名残惜しそうに眺めてから、折れないよう気をつけて、そっと腰のポーチに保管する。
「ってか配達員やってたお父さんが、どうしてAIを開発することになったわけ?」
「ありゃ本人の努力の賜物さ! 20歳の時に一念発起で就活して、大きな研究所に拾われたんだよ。まぁ元々賢い子だったし、夜は寝る間も惜しんで勉強してたから、別に驚きゃしなかったけど……ずっと音沙汰無かったくせに『娘を預けたい』って前触れなく連絡よこしてきた時ゃ、流石に目ん玉ひん剥いたさね」
「その“娘”って、私?」
「他に誰がいるんだい。Gordinaを開発したって聞いたのもその時だ。何でも『自分が凄い物を作ったせいでゴタついて、娘の身が危ないから、ほとぼりが覚めるまでしばらく預かってほしい』っていうもんだから、てっきり数か月ぐらいの事だと思ったんだけど……まさか11年も預かるとはとんだ誤算だったよ! それからエミオットときたら電話1本よこしゃしないし、こちらから掛けても1度たりとも出やしない。可愛い盛りの娘を放置して、一体どこで何やってんだかねぇ……」
「……なんか、ごめん」
「別に責めちゃいないさ。そりゃ苦労したのは事実だけど……あの頃のあたしは、子供が巣立って、旦那にも先立たれて1人になっちまったばかりだったし……毎日アンタが賑やかだったおかげで、少なくとも寂しがる暇だけは無かったさね!」
明るい笑みを浮かべる店長。
その顔に刻まれた無数のシワには、何とも言えない深い哀愁が漂っていた。
だが少なくとも「彼女の言葉に嘘はない」とメネアは思った。
なぜなら店長がこの11年、赤の他人である自分を、捨てることなく面倒を見てくれたというのは、紛れもない事実だからだ。
――ドンドンドンッ!!
しんみりした空気を終わらせたのは、乱暴に扉を叩く音。
「「ッ!?」」
顔を見合わせる少女と店長。
手慣れた様子で身を隠しつつ、カーテンの隙間から外を伺った店長が、顔色を変えた。
「……警察だ」
「嘘でしょッ!? なんで――」
「決まってんだろ、誰かに通報されたのさ。何たってアンタ、ここいらに顔が出回ってんだよ?」
店長が指さしたのは先ほどの手配書。
はっきり写る顔写真に、メネアは自分が指名手配犯だったことを思い出す。
「いくら早朝とはいえ人はいる……ちッ、のんびり朝飯なんか食ってたあたしが馬鹿だった」
「どうしよ、このままじゃ――」
「あたしがヤツらの気を引いてやる。その隙にアンタは逃げな」
「え!?」
店長の言葉にメネアは耳を疑った。
「ここは2階だ。あたしがヤツらと玄関で話してるうちに、猫耳族のアンタなら窓から屋根伝いにでも逃げられるだろ?」
「そりゃできなくはないけど……で、でもそれじゃ店長が――」
「あたしゃ平気さ。実はこう見えて、若い頃に結構ヤンチャしててねぇ……」
こうやって会話を続ける間にも、警察は玄関の扉を再び叩き始めた。
「ほら、とっとと行きな! このままアンタが見つかったら、あたしまで豚箱で臭い飯を食う羽目になっちまうだろ」
「……わかった」
店長は冗談っぽく笑うと急ぎ足で1Fの玄関へと向かう。
程なくして警察と何やら会話する声が聞こえてきた。
ようやく心を決めたメネア。
先の店長のようにカーテンの隙間から様子を伺って安全を確認した後、2Fの窓から屋根へと華麗にロングジャンプで飛び移ったのだった。