第1話「黒猫少女は、金色の獅子をかぶる(1)」
『――メネア・フェリス。これよりあなたは、全能なるGordinaの決定にもとづき、この独房で隔離されます。自らの犯した罪を真摯に受け止め、今後は規則を遵守した行動に努めてください』
暗く冷え切った留置所、最奥エリアの独房前。
AI制御の自動警備ロボットが放った機械的な宣告。
メネアと呼ばれた猫耳少女の頭は、一瞬、真っ白になった。
「ちょっと待って、私ほんとに何もしてなくて――」
『いえ、あなたは凶悪犯罪者です。罪状はハッキング、Gordinaが管理する世界では決して許されざる犯罪です』
メネアは必死に無実を訴える。
しかし警備ロボットは淡々と少女の収監手続きを進めゆくのみ。
「だからッ何かの間違いだってばッ! そもそも私は未成年だし、ネットとかも詳しくないし、ハッキングなんかできるわけ――」
『明確な証拠があります。抵抗は無意味です』
「きゃッ!?」
鉄格子が開いた瞬間、乱暴に独房へと放り込まれるメネア。
カチリと無情に響き渡る施錠の音。
少女の悲鳴にも一切動じることなく役割を果たした警備ロボットは、そのまま無言で立ち去ってしまった。
「いたたたたァ……てかなんでこんなことに……」
壁も床も金属造りの殺風景な独房は、ただ冷たく静まり返るのみ。
痛むお尻をさすりつつ、メネアは発端となった数時間前の出来事を思い出してゆくのだった。
***
黒猫少女が、夜を駆ける。
闇色にツヤめく髪と尻尾を、凍てつく空気にたなびかせ。
不揃いな石畳の細道を、自由なリズムで跳ね回り。
ひび割れはじめた立看板を、ひょいっと軽く飛び越えて。
変わらず佇む古い店舗の間と間を、縦横無尽に舞い踊る。
次の十字路を右折と見せかけ――
「おっとッ! メネア選手、なんとッここで走路変更だッ!!」
手慣れたセルフ実況に合わせて、丈夫なポストを素早くキック。
くるっと華麗に左へターン。
トップスピードは落とすことなく、真逆の路地へと駆け抜けていく。
「……理想通りの追い風じゃん! やっぱ今夜はこっちのルートが正解だったか」
予測が当たって思わずニヤリ。
背中を押してくる風に身を任せ。
ただひたすらに、静かな夜を突き破っては加速する――
「はは、気持ちいい~~。これだから街走りはやめらんないのよねっ♪」
晴れやかな笑顔を見せるメネアの仕事は、雇われの配達員。
1日の業務を終えた現在は、帰宅しがてら趣味を楽しむという一石二鳥のひとときを満喫中というわけだ。
このゼルン区は細い路地が入り組みまくっている。
いわゆる古い下町で、大きな車体じゃ乗り込めない場所が大半。
そこでメネアたち『配達員』の出番である。
小回りが利き、狭い路地でも何のその。
猫耳族の彼女ににとって、しなやかに走り軽やかに跳ぶなんて朝飯前なのだから。
「ただ、車と違って荷物は大量に運べないから給料安いし、来る日も来る日も朝から晩まで働きまくらないと食い扶持は稼げないんだよねェ……とはいえ未成年の私ができる仕事って限られてるし、こうやって雇ってもらえてるだけでも感謝しなきゃだけどさ!」
そんな万年貧乏メネアの密かな趣味。
――夜の街を走ること。
別に誰かに見せるためじゃない。
これで稼げるわけでもない。
実況だって独り言だし。
でもお金かからないし。
程よくストレス解消できて楽しいし。
夜なら人の少ないルートを選べば誰にも迷惑かけないし。
ほんと最高の趣味だよなぁ、と彼女は思う。
「まぁもし私がお金持ちだったらもっと色んな選択肢があったんだろうけど、無い物ねだりしてもキリがないもんね……さてっ! そんなことより、そろそろ最後の大詰めだッ!」
本日選んだ走路最大の難関にして、最高の見せ場。
――突き当たりのコンクリ塀。
高さはおよそ5m。
猫耳族であるメネアの身体能力なら飛び越えるのは楽勝。
問題は「何らかの“障害”が無いかどうか」という点だ。
「気持ち的にはイチかバチかそのまま飛び越えちゃいたいとこだけど、もし塀の向こうに誰か立ってたりとかしたら、取返しのつかない大事故になっちゃうもんなァ……しゃーない、あれに頼るかー。安全には換えられないし」
諦めたメネアは、左手の腕時計型端末に向かって呼びかける。
「ねぇGordina。あそこの塀は飛び越えても平気かな?」
『――はい、飛び越え可能です。塀の隣接領域はゼルン区役所の駐車場となります。午後7時14分現在の衛星情報によれば、着地予定地点の半径10mには、車両および機械、生物、その他の障害は確認されておりません』
「OK!」
――汎用AIシステム “Gordina” 。
電気・ガス・水道といったライフライン。
交通制御、医療サポート、教育プラットフォーム。
個人向け娯楽をはじめとするエンタメ全般。
いまや世界のシステムの90%以上を管理している。
搭載された端末に呼びかけることで、今のメネアのように必要な情報を調べたり、各種手続きを実行したりが可能。
非常に便利で、世界の人々にとって必要不可欠なシステムといえるだろう。
「……よ~し、Gordinaちゃんのお墨付きももらえたことだし、サクッと飛び越えちゃいますかっ」
タタッ……
メネアお得意の全力ハイジャンプを決めたところで。
思いっきり踏み切ったはずの右足が、嫌な角度にグニャリと曲がった。
…………バキャッ! ズル…………ベキャンッ!
気づいた時、すでに遅し。
アクロバティックに宙を舞った猫耳少女の体は、コンクリ塀へ叩きつけられて、そのまま落下。
塀の飛び越えに失敗したうえ、受け身すらとれず、やたらと硬い石畳に背中から突っ込んだ。
「にゃんッ?!」
全身を襲う強烈な衝激。
なんたる不覚。なんたる無様。
あの高さのジャンプでミスるとかありえない……。
……それもこれも道に転がってた酒ビンのせいだ。
アレさえ無けりゃ、うっかり滑りも痛い思いもしなくてすんだのに。
「ってか誰だよっ! 飲みかけワインをビンごとポイッと捨てたヤツ! 街のど真ん中はなァ、キミの家のゴミ箱じゃねぇんだぞォッ⁉」
立ち上がってブツクサ文句を垂れつつも、一応ビンは壁際に寄せておく。
自分みたいに転ぶ人が他に出るといけないから……ということで。
「にしても珍しくミスったなぁ。いつもだったらこんなことないのに……あれ?」
――違和感。
「私、さっき、ちゃんとGordinaに聞いてから飛んだよね?」
Gordinaはとにかく優秀なシステムだ。
何かをたずねると、これまでから現在までの状況もふまえ、120点以上の回答を瞬時に返してくれる。
「しかも私は仕事帰りに街を走るのがルーティーンで、AIのデータ不足ってこともないだろうし……なのに、なんでミスったわけ? いつもだったら『あそこの塀は飛び越えても平気?』って聞いたら、着地地点だけじゃなく、踏切予定地点あたりの状況もふまえて回答してくれるはずなのに」
――まさか、システムエラー……?
「いや! Gordinaに限ってそんなのありえないか~、アハハ……帰ろ」
軽く笑って終わらせた“違和感”。
それがまさか、自分の運命を変えることになるなんて……。
……このときの彼女は、想像すらしていなかったのだ。