第六景 女スパイの武器【スパイ】(C.A.T. 秘密諜報班 出張版)
本編描いてないのに、出張版(笑)
※noteにも転載しております。
こう言っちゃ悪いけど、と前置きして。
ブリジット・本田は、めんどうごとをまかされたものだと感じていた。
お守りと、社会見学の引率と、インストラクターの仕事を、ぜんぶいっぺんにやりながら。彼女本来の仕事——しかも「本来」ではあるが「専門」ではない——をこなさなけばならないのだ。
もちろん、彼女の「専門」である交渉術を駆使すれば、このめんどうごとをほかの班員におしつけることは、そう難しいことでもなかったのかもしれない。
だが、こんな新人の教育を主任にやらせるわけにもいかないし。
さらに言えば、ほかの班員の専門も。現在、本部にいるふたりのものは、それぞれ爆発物と暗号解析である。とてもじゃないが、新人の研修に向いているとは思えない。
(面倒見って意味でも、わたしが適任なのかしらね)
班にはもうひとり女性はいるが、イラつきがちである暗号解析家のキッドマンとくらべれは、本田はずいぶんと社交的だ。もっとも、コミュニケーション能力に長けていなければ、交渉術を専門になどできなかったであろうが。
(たまには曲者ぞろいの男どもじゃなくて、可愛らしい男のコと組むのも悪くないかもしれないけど)
そう思い直して。今回の任務の同伴者であり、研修という意味では任務そのものである少年に、艶のある視線をむける。
べつに、色目をつかっているわけではない——職業柄、そんな目つきをする癖がついてしまっただけだ。おかげで、男性からはやたらと親しげに接されることが多いかわりに、女性からは無闇に敵視されもする。とうの本田、本人は、職業病のようなものだとわりきってはいるのだが。
(それでも。
無意識に、こんなこどもにまで、仕事用の視線を使っちゃうなんて、どうかしてるわよね)
自嘲した彼女だったが。視線を送られた少年、ハートネットも本田の魅力を解することができないほどに、幼いわけではなかった。
劣情こそ、沸かさないものの。いきなりほうりこまれた、この状況で。彼女のような「綺麗で優しいお姉さん」がついていてくれるのは、やはり安心できる。
「この状況」。それについて説明するには。まず、彼女——ブリジット・本田が、諜報員として所属する組織のことを知ってもらわねばなるまい。
C.A.T.(Confidential Agent Team = 秘密諜報班)。
その諜報部にみっつある班のなかでも、主任であるゲイリー・清水が率いるここは、変わりもの揃いであった。
はい、説明おわり。
だって、スパイ組織だよ? そうかんたんに、全貌を明かせるわけがないだろう?
だから、ここでは必要な情報だけ。
ブリジット・本田は、スパイ組織の諜報員であり。彼女の所属する組織は、ある悪の秘密結社によって誘拐された天才博士の、その助手である少年を保護したところ。彼の諜報員としての適正を見出して、今回、こうやって現場研修をおこなうことになったというわけ。
彼の適正。
天才博士の助手だったとはいえ、その仕事は資料をまとめたり、整頓と掃除、料理に洗濯。ほとんど、住みこみのバイトかお手伝いさんといった、仕事内容である。
だが、その雑務のかたわら。ハートネットは、ときおり鋭い意見やひらめきなどを見せることがあった。
天才博士でさえ陥る膠着を、打破するヒントになるようなひとこと。素人がなんの気なしに、口にしたものだとしても。雑務処理の能力だけでなく、それこそを買われて、助手の地位を確たるものにしていたのであろう。スパイ組織に保護されてそうそう、その片鱗をチラつかせてしまったのは、幸か不幸か?
ともかく、彼はそんな経緯で。今回、本田の任務に研修というかたちで同伴することになったのだ。
さて、その今回の任務であるのだが。
研修も兼ねているということで。彼は物陰から見ているだけになるであろうとも、ハートネット少年に危険のない、危険度の低いものを選んだつもりではある。
しかしながら、これはスパイの任務。
危険度は「低い」だけで「ゼロ」ではない。
だからこそ。
今回の任務に必要なブランケットをハートネットに渡しながら、本田は彼へとまず、こう告げた。
「スパイの任務は、いのちがけなのよ」
きょろきょろ。
あたりを気にしながら、人相の悪いモブ顔がこそこそと、小走りでひと気のない裏道をいそぐ。
小脇にかかえるは、重要書類と印刷された黒い筒。ごていねいに、「㊙︎」と書かれた紙まで貼りつけてある。
なかみはよっぽど、大切かつ、うしろ暗い文書なのだろう。運び屋の役割を負ったそいつは、配達さきまで気を抜けないといわんばかりの緊張感を、全身にみなぎらせていた——みたい。キャラデザがゆるいので、限界はあるが。
さて、こうして慎重に役割を果たそうとしていたそいつの目のまえに。
「それ」は姿をあらわした。
すらりとした肢体。
新品の十円玉のような明るい赤茶色の髪は、かるくウェーブがかかっている。束ねた髪どめをほどいて、揺らしてくれたなら。そのしぐさだけで、心を射とめられてしまう男性は少なくあるまい。
かなりの美女だ。顔こそこちらに見せないものの、うしろすがたからでも、それはうかがえる。
そのうしろすがたの推定美女が、なにやら、じぶんのうしろ髪をもぞもぞとやっているではないか。
しかも小声で「困ったわ」なんて、つぶやいている。その声の、甘ったるいことといったら!
運び屋の最中にとはいえそいつも、これは気にかからずはいられなかった。
「なあっ、なんか困ってんのか?
よかったら、手伝ってやるぞっ」
自制心など、どこへやら。親切心のふりをした下心に、ぴゅうと吹き払われてしまったよう。
うしろすがたの推定美女も、それに応えて、すがるような、さらに口どけのいい声で懇願する。
「助かりますぅ♡
髪どめが、うまくはずれなくて、困ってるのぉ。
はずしてくださったらぁ、すっごく助かるんですけどぉ」
推定美女のうしろ髪をとめる、髪どめ。
複雑な構造もしていなさそうだし、絡んでもいなそうだ。
だが、女性の髪をぞんざいに触れるわけにもいかない。両手を使わねば。かといって、重要な文書のはいった筒を、そこらに無造作に置くわけにもいくまい。
「わかった、まかせとけ。
でも、こいつをちょっともっててくれないか?
だいじなものなんだ」
そいつはリレーのバトンのように、うしろ手に、黒い筒を推定美女にあずけると。
両手でていねいに、髪どめをはずしにかかる。
シャンプーかコンディショナーだかわからないが、果実を思わせる香りがふわっとして。
見た目より、いくぶんとしっかりした重みがあったものの。髪どめはすんなりとはずれた。わざとらしくない範囲で、そのやわらかい髪に触れさせてもらったのは、役得というもので。
はずした髪どめからの束縛をはなれ、揺れてひろがる絹糸のふさのような光景に。そいつは、われを忘れて見入ってしまったものだ。
しかし、いまは運び屋としての役割を果たさねばならない。
もしへまをしたら、怖い上司から、頭から魔牛のようなつのをはやして怒られる。
ほんとなら、このあとスイーツでも食べになんて誘いたいところをぐっと、こらえて。
「ほらっ、はずれたぞ。
髪どめかえすから、そっちもかえしてくれ」
遭遇したランダムイベントをおわらせて、おのれの役割に、もどろうとするのだが。
推定美女は、その声にふりむくと。そいつにむけた顔に、満面の絵みを浮かべて礼を言った。
「ありがとぉごさいますぅ♡♡♡」
ふりむいた彼女の顔を目にして。
ああ、こりゃだめだ。
どきり、とか、ずきゅーん、なんてなまやさしい効果音じゃすまない。
どんがらがっしゃーん、だ。
運び屋の役割どころか、怖い上司のことも忘れてしまいかけるほどの衝撃が、人相の悪いモブ顔の全身をめった刺しにした。
もはや彼女は、推定美女などではなく、確定美女だ。
おおきく、いたずらっぽい光をおびた目。
濡れたように、妖艶な艶がありつつも、小ぶりでひかえめなくちびる。
高すぎず、ちょこんとした鼻も可愛らしい。
もちろん、好みにもよるだろうが。このシチュエーションでこの美貌にほれるなというほうが、難しいのではないだろうか。
「じゃあ、髪どめと交換で、こっちもかえしますね♡」
なかば放心状態のそいつに、確定美女はその甘ったるい声を。パンケーキのうえからの、シロップのようにかける。
視覚と聴覚——さらには、彼女の髪に触れたときの嗅覚と、触覚。
こりゃ、めろめろだ。
そして、めろめろがゆえに。
そいつに、おおきな油断と隙がうまれた!
交換といいながらも、完全に同時ではなく。
筒をかえしてもらうより、さきに髪どめをかえしてしまったのだ。
確定美女は、筒を小脇にかかえなおして、髪どめをうけとると。
その髪どめ——バレッタに仕込まれた隠しボタンを操作して、グリップとトリガーを引き出す。この時点で、連動して安全装置は外れている。
この至近距離なら、構えるまでもない。銃口をそいつの腹にあてると。
彼女は迷いひとつなく、撃ち抜いた。
「すごい……」
物陰から一部始終を目撃——もとい、観察していたハートネット少年は確定美女こと、ブリジット・本田のその手ぎわに。そして、彼もまたその美貌にもいくらか、見とれていた。
髪どめを模した隠し銃、バレッタ94を。いったんあいてに手渡してしまい、かえしてもらってから撃ち抜く。
手渡したことで、隠し銃に気づかれるおそれもあろうが、そのリスクよりもスキンシップで油断を誘うほうを優先する。これをプロと呼ばずに、なんと呼ぼう。
それにしても、いっさいのためらいもなく撃ち抜くなんて。
ちょっとだけ、本田のことをこわくなってしまったハートネットだったが。たおれているそいつから、やすらかな寝息が聞こえてきたのに安心をおぼえる。どうやら、ただの麻酔銃のようだった。
ハートネットに持っていてもらったブランケットを、本田はそいつの肩からかけてやる。寝冷えをしないようにという配慮であろう。一流のスパイは、アフターケアも一流なのだ。
魔牛のつのをした上司から、このあと大目玉を食うのはまちがいないが。そいつにもいいみやげができたと思えば、救いもあるかもしれない。
重要書類と印刷された黒い筒を手に、帰路に着くふたり。
「本田さん。筒、袋に入れたりして隠さなくていいんですか?
そんなに重要な書類なら、ほかの組織もねらってるんじゃあ?」
「あら、ほんとそんなに重要なら、あんなしたっぱにはまかせないわよ。
おおかた、甘党の将軍がとりよせた、スイーツのレシピとかじゃないのかしら」
そんな冗談を……と、苦笑いするハートネットだったが。
その日のおやつに、手のこんだスイーツがでたとき。今回の任務が研修のための、難度と危険度の低いものであったことを、彼は思い知った。
だが、それでも。
偽装していたとはいえ、本田は銃をあいてにいったん手渡していた。
これがもっと重要な文書なら。運び屋のほかに、その安全をを監視する役目がもうひとりいてもおかしくない。
低いとはいえ、危険はきっちりとそこに在るのだ。
ハートネットは、スイーツと紅茶を楽しみながらも。
本田の、あのことばを思い出していた。
「スパイの任務は、いのちがけなのよ」
みじかい、難度と危険度の低い任務のなかにも。そのことばの重みは、たしかにずっしりと感じられる。
そして、今回の彼女の仕事ぶりを見て。
心のなかでひそかに、こうつっこむのも忘れなかったところが。
ハートネットもまた、ある種の鋭さをもっているという、その証明にほかならないのであった。
(本田さん。
それは「いのちがけ」っていうより、「いろじかけ」ですよ)