第四景 遠山 もかは演じたい!【声優さん】
声優さんのラジオとか聴いてました。
CDも、持ってますよ。
※noteにも転載しております。
隣の部屋には、コンテナが山積みになっていて。マンガや小説、CDやDVDのほかに、これまで演じた台本がつめこまれている。
だが、この部屋には必要なもの以外、あまり置かないのが彼女の主義のようだ。
大きめなディスプレイのパソコンに、ちょっとだけいいスピーカーのミニコンポ。お気に入りの、いぬのぬいぐるみを一匹だけと、シングルのパイプベッド。ペットボトルの常温の飲料を段ボールごとと、魚のオブジェを沈めた加湿用の水槽が、彼女のプロ意識をあらわしている。のどは商売道具である以上に、演じるための武器なのだ。
そしてもうひとつ。
この部屋には、似つかわしくないものが置かれていて。それがそう広くないこのスペースの、一角を占めていた。
MTR——マルチ・トラック・レコーダー。
たとえば、複数の楽器をべつべつに録音しておいて。ミックスによって、ひとつのステレオ音源をつくりあげる。そのための機材だ。
そのMTRが、この部屋に似つかわしくない理由。それは、楽器がなにひとつ、置かれてはいないことだ。マイクこそ、ノイズを軽減するポップガードつきのスタンドに、はめられてはいるものの。ギターやバイオリン、トランペットのたぐいもみあたらない。彼女も、アコースティック・ギターは遊びていどにはさわるものの。必要なものに整理されたこの部屋に、常備はしないようにしている。
——ん。じゃあ、きのうのやつかけてみよっか。
パソコンにDVD、コンポにCDをそれぞれセットすると。
まずパソコンのほうから、再生ボタンをおすが。スフィンクスとメーカーのロゴの画面がおわり、オープニング・テーマがはじまる直前で一時停止する。
つづいて、コンポのCDを再生すると。
女性の艶やかな声が、そのスピーカーからカウントを刻みだす。
「タイミング、あわせてね。3.2.1.——ぴっ!」
彼女は、声の指示どおりに。一時停止にあったパソコンのDVDの再生ボタンを押し、画面ではアニメが流れ出した。
だが、パソコンのスピーカーからは、音は流れない。
かわりに、コンポのスピーカーから、さきほどの女性の艶やかな声が、アカペラでオープニング・テーマを歌いはじめた。
——ずれた? こんなもんかな?
パソコンのオープニング・テーマのアニメと。女性の、無難をこえてまで巧いとはいえない歌がおわると。
前回までのあらすじを、ナレーションが、訥々と語りあげる。抑揚のない、低く紡ぎ出すような女性の声が、その仕事をおえれば、つぎは今回のエピソード・タイトル。強い意思をこめたような女性の声が、第8話とそのタイトルを告げた。
そこから、本編がくりひろげられる。
まだ声変わりしていない、主人公の少年。
それを慈しむ、愛情に満ちた大人の声をした母親。
舌ったらずな、妹と、ミーミー鳴く仔猫。
不吉な予言をもたらす老婆。だがそれを演じる声には、かすれさせてはいるものの、いくぶん枯れが足りないといわざるをえないであろう。
BGMや効果音もなく。
登場人物の台詞のみが、つぎつぎとコンポのスピーカーから流れてくる。
前半/後半をわけるアイキャッチを経て、Bパート。
今エピソードの山場にあたるシーンでは、黒衣の美中年男性騎士の長台詞があった。敵のなかにあっても、おのれの信念に生きる人気キャラで、その渋さが台詞まわしにもぞんぶんにこめられている——はずが。コンポのスピーカーからの声は、いくら凛々しさを演じていようとも、渋さとはほど遠いものであった。
バックには、彼のイメージソングであろう挿入歌が流れるが、こちらもアカペラの女性の声。異性が歌うのを念頭においた歌詞というのも、悪くはないのだが。この曲では、ことば選びなどに違和感を感じてしまう。
——あぁ、やっぱりだめか。あのキャラも、この曲も好きなんだけどなぁ。
苦笑いを浮かべながらも。彼女はペットボトルの水を口にしつつ、たまにスピーカーの声にあわせるように、音を紡がずに唇だけを動かしてみた。やがて次回予告とそれにつづく、アカペラのエンディング・テーマまでみおわると。DVDを停止しパソコンを終了してから、再生終了したCDのコンポの電源も切った。
BGMと効果音のない、声のみの24分。
そして、その声は——たったひとり、この部屋のぬしのものだった。
——線の細い男のコの役なら、いけるんだろうけど。
さすがに、渋いおぢさまは無理ね。
軽めのためいきをひとつつくと、彼女は本来じぶんが演じることのないキャラクターたちへの、未練にひとまずけりをつける。
台本読みでキャストが全員揃わないとき。演じてみたかったほかのキャラクターのぶんの台詞も、率先してうけもったりするのが彼女である。
じぶんの出演する作品を、どこか一話まるごと。すべてのキャラクターの台詞を演じ、主題歌・挿入歌まで歌った音源を制作して。音量をゼロにして、本来の音や声を消した映像とあわせて再生してみるのだ。
そこで活躍するのが、さきほどのMTRである。
映像と同期させるのは難しいので、アフレコの要領で台詞を吹き込んでいくのだが。
まず、映像の再生をはじめるためのカウントを録音すると。
仮トラックに、登場人物の各台詞を発するタイミングを知らせる合図を、音声を消した映像にあわせて録音していく。
そして、その合図にあわせて。また音声を消した映像を流しながら、本トラックに歌や声を録音していくのだ。
話すキャラクターの位置関係で、左右のスピーカーへの振りかたを変えた、ステレオ音源にすることもあるのだが。
キャラクターひとりぶんずつ、別トラックでとるより。台詞がかぶらないときは、ひとつのトラックで声を使い分けながら、複数のキャラクターのぶんを一発録りしたほうが面白いと。なるべくトラック数を少なくして、最近では会話部分はほぼ、モノラル音源にちかいことのほうが多くなってきた。
今回のばあい。本トラックからよけて録ったのはよっつだけ。
・オープニングテーマ
・エンディングテーマ
・黒衣の騎士の台詞
・彼のイメージソングの挿入歌
うち、黒衣の騎士の台詞は右スピーカーに。挿入歌は左にと、それぞれ、音のバランスを振ってやる——そちらを反対側より強くして、まるでそちら側から聴こえるかのようにミックスするのだ。
黒衣の騎士は、彼女のお気に入りのキャラクター。
このエピソードを選んだのも、彼を演じたかったから。
台詞を別トラックで録るほどの、気合いのはいりようであった。
ただでさえ、無理があるといわざるをえない男性の声を。女性や少年の声と交互に使い、一発録りするのはさすがに諦めたらしい。
自分の声だけを吹き込んだ音源だから、歌もアカペラになってしまう。
映像中の歌声にひきずられないように。こちらもまず、仮トラックに、その歌にあわせたハミングを録音しておき。パソコンからの無音のアニメの映像を流して、ヘッドフォンのハミングを伴奏に歌いあげる。流すのはハミングだけでじゅうぶんなのだが、やはり映像があるのとないのでは、きもちのはいりかたがちがうらしい。
主人公役を演じでもすれば、主題歌まで担当することもあるし。それをのがしても、O.S.T.(オリジナル・サウンド・トラック)かイメージ・アルバムのCDでも出れば、別バージョンの収録曲として、歌わせてもらえることも少なくはないが。
今回の彼女がもらえたのは、主人公の少年役ではないため、それもまず叶わない。
自分がやりたい役のオーディションを、必ずしも受けられるわけでもないし。主題歌を誰が歌うかは、番組のスポンサーたるレコード会社に左右されるのはしかたがないこと。
そこはプロとして。彼女も、よく理解してはいる。
だが、プロであるがゆえに。
声優として、演じたい役や歌いたい歌への想いは強いものだった。
それを押し殺すことなく、次の役への糧にするために。
彼女は、自分の出演作のひとり吹き替え音源を作成する。
ネットにあげるわけにもいかないので、自分で聴いて楽しむためのものだが。
いつか、オリジナルのボイス・ドラマでも自主制作して。
仕事では、もらえないようなタイプの役を、思うぞんぶん演じてみたいと考えている彼女である。
さて、戯れはここまで、と。
明日収録の台本を、携帯書類ケースから出して。
演じてみたかったキャラクターや、歌いたかった主題歌のことは、ひとまず胸のコルクボードからはがしたら。自分に与えられた役の演技に、役者としての立ち位置をもっていく。
彼女は、プロの声優なのだ。