第三景 シェフのおすすめ【外食】
ふたりぶんくらい食べます。
「ご注文が決まりましたら、お呼びくださいませ」
オレンジと白の制服が可愛い店員さんの、ポニーテールが揺れるうしろ姿を見送り。
カバーのついていないメニュー表を、あたしと夢亜のふたりはひらく。
夜のピークを過ぎたせいか、平日のパスタハウスはそれなりにすいていた。
まあ、そうでもなきゃ夢亜と店内でごはんを食べようだなんて、あたしがそんな考えをもつはずがないんだけど。
ほら、さっそくだ。
小さなテーブル。ブース状の長椅子の、むかいどうしに座ったあたしたち。
夢亜は、ひろげたメニューのうえに、財布から取り出した500円玉をのっけると。右手のひとさし指をおしあてて、なにやら唱えはじめた。
——獣にして、獣にあらざるものよ
短き生と、刹那の死、そしてそのさきの永き刻を経てきた存在よ
その身に蓄えし霊力を、か弱きわれらにしめしたまえ
その思念に流れし智慧を、愚かなるわれらに授けたまえ
今宵、この穢れたわが肉体が発する、飢えへの呻きを鎮めるために
いずれを供物とすべきかを、どうか指し示したまえ
メニューのうえの500円玉が動きはじめる。
夢亜のひとさし指が、硬貨を動かしているのではない。
硬貨のほうが、彼女のひとさし指をひきずって、動いているのだ。
もはや見慣れた光景に。
不思議におもうことも、疑いをむけることもなくなったあたしは。メニューを睨んで、とっとと注文をきめておく。
あたしはとっくに見慣れたとはいえ、この店に居合わせたほかの客たちには、これは異様な光景だからだ。
「あの、お客さま?
店内で降霊行為は、ちょっとご遠慮願えないかと……」
ほら、さっきの可愛らしい店員さんが、やや怯えぎみでやってきたじゃないか。
あたしは、ためいきをひとつつくと、夢亜から500円玉をとりあげ、手早く注文をすませる。
「シェフのおすすめパスタセットをふたつ。
ドリンクバーもふたつ、つけて。
食後には、パンナコッタもふたつ。
以上です」
注文を繰りかえし、あたしから確認の返事をひきだすと。店員さんは、そそくさと厨房のほうへ小走りでいってしまった。
揺れるポニーテールを、あたしがまた見送っていると。
「ひどいよぉ!
還っていただくにしても、ちゃんと手順があるっていつも言ってんじゃんかぁ。
夢亜が呪われちゃったら、どぉすんのぉ!」
まじないを唱えていた、音量は低くても漆黒の巫女のような口調とはちがい。まのびしたしゃべりかたで、彼女はおきまりの非難をあたしに浴びせる。
おきまりの、なのだ。
だから、とうぜん。あたしは、まともにあいてなどしてやらない。
きょうのシェフのおすすめパスタは、ブロッコリーのバジルクリームソースか。緑色がなんともおいしそうじゃないの。
まだぶつぶつ言っている夢亜を、ドリンクバーへ連れ出すと、ほかの客からの視線がちょっとちくちくした。
あたしたちはたいして気にもせず、グラスをとってドリンクをそそぐと、テーブルに戻る。
あたしは烏龍茶を。夢亜はコーラとなにかを混ぜたものを。
ストローですすりながら。ふたりぶんのその包み紙を、織りあわせてばねをつくって遊んでいるうちに、サラダとスープがやってきた。
もうちょっと、サラダにドレッシングが多めにかかってればいいのに。コンソメスープをすすりながら言っていると、パスタもやってくる。
ぷりぷりの中細麺に、緑色のバジルクリームソースをしっかり絡めて。巻きあげたフォークから、ちゅるんとほどくように口にいれるんだ。
ああ、この濃厚なソースなら。サラダはドレッシングが少なくても、はしやすめにはいいかもしれない。
でっかいかたまりではなく、ちっこいのがたっぷりはいったブロッコリー。食感も楽しく、バジルクリームソースともよくあってるわね。
さすが、シェフのおすすめ!
降霊術のおすすめにしたがいたかったはずの夢亜も、満足そうに。へたくそなフォークづかいで、パスタを巻きあげている。
どうやら、正解だったみたい。
シェフのおすすめ——「シェフ」なんて呼びかたするから、かしこまりすぎて、したがうのに尻ごみしちゃうんだ。
「シェフ」より、もっと気安くて、親しみ深い呼びかただってあるんでしょうに。
「コックさん」。
コックさんのおすすめなら、あたしだってすなおにしたがってあげてもいい。
白くて、背の高い帽子をかぶった、おひげのイメージ。そんな彼のおすすめが、はずれなわけがないじゃんか。
それでも。
やっぱり、夢亜は、いくらか抵抗するのだろうが。
彼女がしたがいたい、おすすめをくれるあいてには。
あともうひと文字。
「り」のひと文字が足りないみたいだもんね。