第十三景 どんぶりに満ちきらぬ蕎麦【蕎麦】
古典落語っぽい。
※noteにも転載しております。
蕎麦好きの旦那が、奉公人の屯兵衛を使いにやって。いつものように、となりの蕎麦屋から蕎麦を一杯、取り寄せた。
今夜のは月見蕎麦だと腹を鳴らす旦那だったが、この屯兵衛という男、少々、手癖が悪く。
蕎麦を運んでくる途中で、 いくらか、自分の腹へとおさめてしまうのがしょっちゅう。なみなみとした一杯が、旦那のもとへと届くことはめったにないのであった。
「お持ちしましたぜ、旦那様」
蓋のついたどんぶりを大事そうに持ってきた屯兵衛だが、旦那はそれをうたぐり深く睨める。
「やい、きょうは手をつけちゃいまいな?
このまえは、麺を半分もすすりやがって。
蓋をあけたら、夜の池よりも真っ黒に、つゆだけが波打ってたじゃねえか」
「いえ、めっそうもございません。
麺など一本たりとも、すすってはおりませんとも」
屯兵衛は首を横に振る。
「このあいだなんかは、つゆを半分も飲みやがって。
蓋をあけたら、干上がったように、麺がほとんどつゆに浸かってなかったじゃねえか」
「いえ、めっそうもございません。
つゆなど、一滴も飲んでなどございませんとも」
屯兵衛は、またしても首を横に振る。
「そうか、じゃあいいけどよ」
安心して、どんぶりの蓋をとって、待ち侘びた月見蕎麦との対面を果たそうとした旦那に。
屯兵衛は、ぼそりと付け加える。
「ですが、旦那様。
残念なことに、今宵の月は満ちきっておらず、半月のようでございます」