第一景 九死で一生【猫】
猫、好きです。
猫又。化け猫。
妖艶なのも、魅力。
※noteにも転載しております。
年老いた猫が老婆の膝のうえで、眠るように息をひきとるのをおれたちは見ていた。
「ねえ、あのコ。
十年ちょいしか生きてないでしょ?
なんで、あんなんなっちゃったわけ?」
石造りの塀に腰掛けて、脚をぷらぷらさせながら。
麻緒は心底不思議そうに、兄であるこのおれのほうを見る。
そりゃそうだ。妹であるおまえが、まだなにも知らないから。兄であるこのおれが、こうして教えてやるために、ここに連れてきたのだ。
「なぁ、あいつの尻尾をよく見てみな。
何本ある?」
ひとーつ、と数えるまでもない。
ひとつは、ひとつだ。
老婆の膝のうえの猫には、尻尾がひとつしかない。
おれの尻には、ななつ。
麻緒の、小尻にはここのつもある。
「え〜っと、てことは……」
「きゅうひく、いちは——はちだ。
あいつは、もう8回死んだことがあるってことだな」
猫は9回生きるという迷信があるらしい。
だが、そんなのはあくまで迷信だ。
事実とはちがう。
事実は、1回の生で、9回死ぬ。
死んでも8回うまれかわって、9回目めにはきちんと死ぬ。
それこそが、おれたち猫の生のおわりだ。
その猫が、何度めのうまれかわりの姿をしているのか? それを知りたければ、尻からはえている、尻尾を数えてやればいい。
どの猫も。さいしょの尻尾の数は、ここのつ。
死んで、うまれかわるごとに、その数は減っていき。
と同時に、猫が本来もつ霊力も、そのちからを減じていく。
ここのつの尻尾をはやす九尾の猫は、神の如きちからをもち。この世の安定と循環を護る役目を担う猫のなかでも、また特別な存在。肉体ではなく、高次な霊体からなる存在である猫を、低次な精神しかもたない人間どもは、認識することなどできやしない。
そしてそれは。2回のうまれかわりを経験し、尻尾をふたつと相応の霊力を失ったこのおれ。七尾の猫に対してもおなじことで。みっつ以上の尻尾をもつ猫を認識できた人間なんて、猫と人間との長い歴史を紐解いてみても、わずか数例であろう。
人間どものうち、霊力にすぐれたひとにぎりの連中だけが。尻尾がふたつの猫を、やっと認識することができるのだ。二尾の猫はねこまたと呼ばれ、その霊体は人の姿と猫の姿の、好きなほうをとることができる。
おれたち兄妹の姿を見てもらえばわかることだが。二尾よりも尻尾の多いおれたちだって、もちろん、猫の姿もとれれば、こうやって人の姿をとることも自由自在だ。
だが、尻尾がたったひとつしかない猫になると、そうはいかない。
あれほど満ちていた霊力のほとんどを、やっつの尻尾とともに失い。人間どもとほとんどかわらぬ存在にまで成り下がってしまったのが、あの姿だ。
ふたつ以上の尻尾をもつ猫とはちがい、霊体をそれのみで維持することは、もはや不可能で。
母猫の胎内に受肉することによって、肉体を得て。赤子猫として、さいごのうまれかわりを果たした姿。
その寿命は、長くて十数年——二尾でも何百年、九尾には寿命なんて、そもそもそんな概念すらない。
小さくてか弱い肉体におさまった、わずかな期間でその命を燃やし尽くしてしまう存在。
それこそが、人間どもが「猫」と呼ぶ、一尾のいきものだ。
「ふうぅん?
だから、おにいちゃんは尻尾が少なくて、そんなに弱っちいんだね」
わが妹ながら、ずいぶんなことを言ってくれるものだ。おまえがうまれるまえに、この世の安定と循環を護るための、大きな闘いが幾つもあり。そのうちふたつで、おれはそれぞれ尻尾を失った。そのたび、ともに失われていく霊力。おれにはもはや、九尾のころの神の如きちからはない。
かたや、わが妹である麻緒はまだ猫としてうまれたばかりで。いちどの死も、うまれかわりも経験していないかわりに、神の如きちからをその霊体にみなぎらせている。生意気な小娘ではあるが、偉大な霊的存在である九尾の猫なのだ。
だが、それゆえに。
闘いのなかで、尻尾を失い。ちからを減ずることの。そして、それでも猫としての使命を果たしていくことの、その意味と悲しみや苦悩をまだ知らない。
もういちど言うが、だからこうして。
兄であるこのおれが、おまえに教えてやるために、ここに連れてきたんだよ。
「やっつの尻尾を失った一尾の猫は。霊体ではなく肉体に、その存在をおさめた。もはや人間どもと、ていどの変わらないいきものなんだ」
「——!」
おれのことばに、かなりのショックを受けたのであろう——それもしかたのないことだが。霊的に、はるか格下である人間と、おれたち猫がおなじレベルにまでそのちからを減じることになるとは。それこそが、おれたち猫の一生のさいごの姿だとは。
「——あたし、これ以上、あんなの見たくない。
もう、いこうよ」
ふりむいて、去ろうとする麻緒の手を、おれはつかんでひきとめる。
「おにいちゃん?」
「いいから、さいごまでちゃんと見るんだ」
いつになく、厳しい音色をしたおれの声に。麻緒は、しぶしぶながら、また石造りの塀に腰をおろす。
そして、しばしの沈黙。
間がもたないと感じたのか、口をひらきかけた妹をさえぎるように。兄であるおれは、おごそかに言う。
「見ろ。
あいつが、死をむかえるぞ。
一尾の猫にとっては、もううまれかわりのない、さいごの死だ。それはすなわち、生のおわりを意味する」
妹のほうに目もやらず、老婆の膝のうえの猫を見ながら言うおれに。妹は、だからこそわからないのよとばかりに、質問を投げかける。
「だったらさあ。なんで猫仲間とじゃなくて、人間となんてさいごを過ごすわけ?
もしかして、あのコにはあたしたちのことが見えてないから?」
たしかに一尾の猫には、みっつ以上の尻尾をもった猫を見ることはできない。
だが、さいごの死をむかえる猫が、そのときまでの短い時間を人間どもとすごすのには、ちがう理由がある。
この世の安定と循環を護る存在である、おれたち猫が。
8回の死と、8回のうまれかわりを経験しながら護ってきた存在である、脆弱な人間とともにそのさいごの死をむかえるのだ。
これまでの一生をふりかえり、そして締めくくるために。これまで、おれたちが護ってきたものに擁かれて、一生を終える。これは悪くない、ひとつのやりかただと、おれもほかの猫たちもそうおもっている。
それをいま話したところで、わが妹にはまだ理解はできないであろう。
この世の安定と循環を護る闘いを幾つも経験して、尻尾とちからを減じながら生きてこそ、その意味がわかるもの——おれたちはそうやって、そのことにおもい至ったのだ。
だから、いまは黙ったまま。
おれたち兄妹は、一尾の同胞のさいごの死を見守った。
老婆の膝のうえで、それをむかえたあいつは、安らかな顔をしているように見えた。きっと、麻緒にもそう見えたことだろう。
「もう、行くぞ」
「——うん」
同胞の死への余韻からか、その場を立ち去ろうとはしない妹をうながし、おれたちは老婆の家をあとにする。
見るべきものは見たし、識るべきものは識ったはずだ。
あいかわらず生意気な目をした妹だが、そこに灯るものの色が、ここにくるまでとは、いくらか違うようにおもえた。
「これでおまえも、いっぱしの猫ってわけだな」
「なに、それ?
尻尾がななつしかない、おにいちゃんが。
神の如きちからをもつ、九尾のあたしに、偉そうにそんなこと言うわけ?」
あいかわらずの憎まれ口を、おれは苦めのふくみ笑いで返す。
さあ、妹よ。
ここからは、おれたち猫が猫たる所以。
そのつとめを、果たすときだ。
願わくば、そのあとも。おれたちの尻には、いまとおなじ数の尻尾が揺れていますように。
もし、尻尾がその数を減じるようなことになれば。
そのときは、どこかにうまれかわって、おれたちはしばしのあいだ、離れ離れになってしまうのであろうが。
それでも、きっとおたがいをさがしあてて。
また、兄妹はともに次のつとめへとむかうため、めぐり逢う。
それは、9回の死と8回うまれかわりで。ここのつの尻尾をすべて失い、猫としての一生を終えるまで、何度も繰り返すことになる運命だ。
その悲しく、苦悩に満ちた運命を、ともにするあいてが麻緒——愛する妹のおまえで、ほんとうによかったと。
できの悪い兄であるおれは、こころからそうおもう。
九死で一生。
猫の生き様を、おまえと刻もうぞ。