表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/13

Juliana Cornet ― 5



 昼下がりの研究室。今日は雨が降っていて、窓の外はどんよりじめじめしている。


 『ヨセフカ教授』は所用で1日外に出ている。授業がないのだ、おそらく学生たちは誰も来ないだろう。『ユリアナ』は一人、与えられた仕事をこなしながら退勤までの時間を潰すはずだったのだが、そこに意外な来客。


「はじめまして。私、経営学を専攻するエルザ・バーネットと申します」

「ユリアナ・コルネイトです。よろしくお願いいたします」


 なんと、やってきたのは王弟の婚約者。慌てて書類を退かし、応接スペースを設けてコーヒーを差し出す。お嬢様には紅茶の方が良いのでは…と思ったがいかんせん珈琲党過激派の部屋にコーヒー以外あるわけがない。砂糖はどれだけ必要か…と聞いてみれば、案外コーヒーを飲めるらしいバーネット嬢は、きついブラックを御所望だった。


「美味しいわ。ヨセフカ教授のゼミで飲めるコーヒーは美味しいって学内で有名なのだけれど、本当だったのね」


 そう言って微笑んだので、つかみは上々らしい。いや知らないが。


「ところで、ご用件をお伺いしても…?」


 恐る恐る聞く。そうすれば、彼女はコーヒーカップを机に戻した。


「………あなたにこれを言うのはきっと間違っているんでしょうけど」


 そう言われて身構える。次は何を言われる――――と覚悟を決めていたのに、目の前のお嬢様はというと、


「っ、」


ぽろぽろと涙を流し始める。


「?!」


 あわわ落ち着いて、泣かないで、とハンカチを差し出す。素直に受け取ってもらえた辺り、彼女は私を敵視しているわけでは無さそうだった。


 そうと分かれば邪険にする必要もない、彼女が落ち着くまで、私は静かに砂糖ドバドバミルクコーヒーを飲んで待つ。


 しばらくして落ち着いた彼女は、ごめんなさいね、と鼻を啜りながら言った。


「あなたが妹…メアリースとは全く違うって聞いてはいたのよ。でも、本当だって分かって、ちょっと安心したわ」

「は、はあ…」


 何をしたって、私はただコーヒーとハンカチを提供しただけなのだが。分かりやすく首をかしげれば、お嬢様が微笑む。


「王国のこと、よく理解していらっしゃるのね。王弟殿下の目の前で、メアリースを叱ってくれたことは知っています。連合国の人は他人の婚約者を奪うことにも、異国で自分のお国の文化を押し通すことにも疑問を抱かないのかとちょっと偏見を持ちそうになってたから、あなたがいてくれて安心するわ」

「ああ…それは…申し訳ありません…」

「言葉遣いもそう。目上の人間に許されて初めて砕けた物言いが許されること、全く理解されなくて…どう説明しても、本人どころか殿下、彼の回りまで『メアリースなら問題ない』って言い始めてしまって…果ては差別主義者かって言われて、私そんなつもりはなかったのに」


(その状況とても容易に理解できましてよ…!)


 思わず頭を抱えそうになる。何をどうやってもメアリースに周囲の視線がいってしまう状況には覚えがありすぎた。私はそこから逃げ出したが、このお嬢様の場合はそこがホームでメアリースは侵略者だ。逃げ先などなく、彼女が国に帰るまで防衛に徹するしかないのは当然のことか。


(尚更早くメアリースを強制送還させねば…!)


 内心で一人誓う。四年も彼女を王国に滞在させはしない。なるはやでご帰還しろ!


 そう心で叫んでいれば、エルザお嬢様が私の手をつかむ。


「お願いです、ユリアナさん。どうか、メアリースに必要最低限の王国民としてのマナーを仕込んでくださいませんこと…!」

「は…はい?」


 予想とは違った願いに思考が吹っ飛んだ。現状理解できたのは、エルザ嬢の右手にはペンだこが出来ていて、勉学に真剣に取り組んできたことが見て取れるくらいか。


「どうせもう、王弟殿下は私を捨てる気でいますわ。なら、あとは勝手にすればいい。でも、必要最低限は王国民になっていただかないと、メアリースを受け入れる王族が困りますし、何より国王陛下が大変です」


 おおう、このお嬢様の中では、王弟殿下とメアリースのペアで話が進んでいるらしい。本当は王弟殿下はかませ、メアリース→国王なのだと知ったらもう手がつけられなくなりそうだ。


「あ、あの…エルザ様」

「?」

「王弟殿下の婚約は、家の関係でもありますよね…?よろしいのですか?」


 言えないことは多々あるが、それでも業務上聞いておかねばならないことを質問する。バーネット家と王族の間に溝ができてしまうのは、国王の意に沿わない。『宵闇』の仕事が増えるのではなかろうか。


「我が家としましても、王弟殿下との婚約なんてもうどうでもいいんです。あんなバカな男のために努力してきた自分たちが情けない。一族が失った時間のためにも、私は自分のドレスブランドに生涯を捧げる勢いで生きて参ります」


 ダメかも…と絶望しそうになるが、お嬢様の言うことにはまだ続きがあるようで。


「どうせ、国王陛下にはすでに忠誠を誓っています。あの方のなさることは嫌いではありませんし、上から下まで階級を問わず支持を得ることの出来る国王なんて滅多におりません。そういう意味でも、我が家にとって王弟殿下との婚約はもう不必要なんですの」


 バーネット嬢の一族は王弟を切り捨て、国王陛下だけ信じることにしたらしい。『宵闇』としては大歓迎だが、国王としては良いのだろうか。弟殺しが近づく。


「…もし、メアリースが王弟殿下と結ばれず連合国に帰ることになれば、エルザ様はどうなさるのですか」

「そうなっても、私は婚約破棄してドレスに人生捧げます!納税を楽しみに生きてやりますわ!」


 齢19の貴族令嬢が話す内容ではない気がする。…いや、もう擦れてしまったのかもしれない。メアリースの罪が重い。


 でも、『逃げること』を目標に据えた過去の『ユリアナ』よりもよっぽど建設的な目標だ。希望があって、とてもいい。


「ご期待に添えるかは分かりませんが、メアリースについては最大限努力させていただきます」

「ありがとうございます!」


 『ユリアナ』の言葉に返答するお嬢様の顔は、目尻は赤くとも、泣いていたのが嘘のように晴れやかだ。


 用件がすみ、退席しようとする彼女に声をかける。


「よろしければ、エルザ様のドレスブランドをお聞きしても構いませんか?」

「ええ!勿論!」


 振り向いた彼女があんまりにも嬉しそうに、きらきらと光輝く笑顔を見せるものだから、こちらもつい口の端が緩んでしまう。


(とても眩しい)


 希望ある貴女の作るドレスに、私はとても、興味があるのだ。



 ***



 雨が降っている。


 この街は山脈に囲まれた盆地の中心地だ。年間を通して雨が少なく、日照時間が長め。一日中降り続く雨は滅多にないから、それは珍しい出来事が起きる日に『設定されている』。


 さっき、ヨセフカ教授に会った。これは珍しくともなんともないが、彼が『学会帰り』であることは重要な要素だ。『雨』かつ『ヨセフカ教授の学会帰り』は、あの人に会えるイベントが起こる日のキーワード。『神』に愛された私に間違いはない。


 街の中心から離れ、とある一軒家カフェの近くで時間を潰す。手鏡を取り出し、メイクも、編み込んでまとめた髪も、何一つ崩れていないことを確認した。見た目はバッチリ。あとは私のかわいさが、『神の寵愛』が、私をあの人と結びつけてくれる。


(やっと、ここまでこぎ着けた)


 留学の権利を手に入れ、実際に海を渡り、邪魔な女たちから男を引き剥がして一周目をハッピーエンドで終わらせた。二周目になって突然音信不通の姉が現れたのは驚いたが、同じ血を分けているくせに不美人で、印象が薄くて、いつも運が悪い彼女を恐れる必要はない。したがって、強くてニューゲームの私に怖いものは1つもない。


(先日、政府のお偉いさんの息子に誘ってもらった茶会で、挨拶はできている)


 だからあとは、あの人がここを通ったときに、曲がり角でぶつかるだけ。


 そう思っているのに、一向にあの人は現れない。


(どうして?)


 流れは決まっている。あの人とぶつかった『メアリース』は、あの人をそこのカフェに誘う。顔を合わせた時から『メアリース』を気に入っているあの人もその誘いに喜んで乗る。そして、二人がカフェに入り、二階席に座ったその時、雨が止んで、空から降り注ぐ天使のはしごと呼ばれる光芒を眺めながらお茶をする。あの人が普段、周りの人とはしない、他愛無い会話をたくさんして、美味しい紅茶を一緒に飲んで、それから――――


「何してんの」


 背後から声を掛けられ、驚いて肩を跳ね上げる。まさか、と期待して振り向けば、予想とは違う男が立っていた。


「ホズコック」

「こんな雨の日に外で突っ立ってバカなの?」

「うるさいわね」


 大学の友人、ギリアム・ホズコック。特にイケメンというわけでもなく、服装もそつのないチョイス、男性の平均身長に足りない程度の身長、細くはないが太くもない、取り立てて特徴のない男。入学初日からの付き合いで、慌ただしい一年目も特に敵対することはなかった。私に惚れているのかと思ったが、どうもそういう訳でもないらしく、つかず離れずの距離をキープしている。


「待ち合わせ?すっぽかされてんじゃない?」

「なによ。あんただって一人で歩いてるくせして」

「俺はバイト帰りだよ」


 何のバイトをしているかは知らない。興味がない。ただ、それを理由に授業をサボることも居眠りをすることもないこの男、大学と自宅とバイト先しか行くところがないのだろうか。


「暇なら飲みにでも行くか?もうじき日も沈むしちょっと早いくらいだから問題ないだろ」

「行かないわよ。忙しいし」

「あっそ」


 ほどほどな時間に帰れよ。そう言ってホズコックは背を向けて歩いて行った。


 私だけが残される。幾人も帰路を辿るべく私の前を歩いていくが、その中には私に声を掛ける人も、私がぶつかるべき相手もいない。


「………」


 街灯の電気が点く。陽が沈む。それでも目的のあの人は来ない。


(…今日じゃないのかも。まだ二年生だもの、チャンスはいくらでもある)


 傘を握りしめ、空を見上げた。


 雨は降っている。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ