Juliana Cornet ― 4
夜、王宮のとある一室にて。
夜空色の瞳にろうそくの光を灯したこの国の王は、書類片手にため息を吐く。
(あの女を青田買いしたいという政府機関が出てきた)
『メアリース・コルネイト』。彼女については災難というしかない。先王たちが決めたり俺が許可を出したりした婚姻のいくつかを破綻寸前にまで追いやられ、国の有力な重要人物を根こそぎ絡めとられ、果ては異国の人間に我が国の政府機関の席を一つ開けろという。こちらから見れば問題行動を起こしているのに、彼女には法律上何の非もなく、ただ普通に生活しているだけ、普通に交流しているだけと来た。神の寵愛を受けていると言わんばかりの有り余る幸運、都合の良さは一体何なのだ。
ノックの音が部屋に響き渡る。
「兄上」
また面倒が来た。こめかみをぐりぐりと指圧してから、見てくれを整えて入室の許可を出す。
部屋に入ってきたのは血のつながった弟。瞳の色と体格は違うが、それ以外の色はほとんど同じ。弟の方が細っこい。
「やあ、弟よ。どうしたのかな」
笑って迎えれば、あちらも笑って前置きの挨拶をする。さらりと流して用件を聞けば、神妙な面持ちで口を開いた。
「紹介したい女性がいるんです」
「メアリース・コルネイトのことかな?」
またか、そう思いながら予想を話せば、弟は明らかに嬉しそうに続ける。
「ご存じでしたか!大学の同期なんです。研究室は違いますが、同じ学科の優秀な子で――――」
先日騎士団長が助けた迷子が彼女だ。間接的とはいえ、また繋がりが出来上がるのは気持ちが悪い。弟が口早に彼女の紹介をしていくのを止める。そんなことは知っている、とは言えないが、説明は欲しくない。
身内相手なので遠慮なく、単刀直入に結論を言う。
「悪いけれど彼女に興味はないし、卒業後の仕事を斡旋するつもりもないから」
「何故?!」
「王国の権力者を誑かして侍らすような女、何で喜んで近くに置かなきゃならない」
「違います!彼女とは普通に親しくなっただけです!彼女の可憐さや優秀さに嫉妬する女たちがこぞって彼女を苛めるので、皆で守っているだけです。そのことは問題ないでしょう?」
報告にあった通り、弟は随分と彼女を気に入っているらしい。だが、お前が政治的にも個人的にも可愛がらないといけない女性が別学科の同じ学年にいるはずだ。
「それより、君のかわいらしい婚約者殿はどうしてる?学科違いとはいえ、よく会っているだろう?」
「兄上、その事なのですが…婚約破棄を考えています」
高等部までは、気が付けば婚約者の話ばかりしていたのに、一体何があれば一年でここまで鞍替えしてしまうのか。とりあえず、話の続きを聞く。
「彼女の家は民から搾取して贅沢を極めています。彼女もそれをよしとしているようです。それに、連合国出身のメアリースに冷たく当たるばかりで、差別意識が抜けません。そんな女性を王族に迎え入れるのは、為にならないと思います」
「そうか。で、代わりは?」
「メアリースを婚約者にしようと思っています」
「………民衆の目前で、突如そんな発表をするような愚かさが無いことには感謝してあげよう」
呆れた。予測した通りの内容が返ってきたことよりも、状況を正しく把握できない弟の頭に絶望する。こんな奴と協力して国を治めていかないといけない現実を直視したくない。
(父上、母上。こんなことを願うのも変ですが、せめてもう一人ほしかったです。この状況を冷静に分析して弟をぶん殴れるぐらいの、まともなきょうだい。妹が良かったです)
無いものを願ってもしょうがない。とにかく、自分の身内である以上説得という努力ぐらいはしなければならない。…あまり得意ではないし、どちらかというといつもプレゼンされる側なのだが、これについては俺の義務だ。最低限はしておかないと文句を言われる。
そういう訳で、この時のために資料は準備しておいた。弟は口で説明しても分からないので、文字に起こして読ませるしかない。
「まず、彼女の家が行っているのは搾取ではない。富の再分配だ」
詳細はあらかじめ準備しておいた紙っぺら一枚を差し出す。図説付きだ。口で説明するのが面倒なわけではないが、流石にこれくらいは読んでほしい。
「次に、彼女の家が裕福なのは、一族揃って商才に長けているからだ。長男は商会を持っているし、彼女自身もドレスのデザインと販売で成果をあげている。もちろん収支は国に報告済みだし、納税もきっちり行っている。これは裏も取った」
これもまた、紙っぺら三枚程度に纏めてやったので差し出す。数値の計算式も付けた。重ねて言う、口で説明するのが面倒なわけではない。先のと合わせて計四枚、読んでくれるといいのだが。
「最後に、メアリースに冷たいのではない。メアリースの行動に問題があるからそれを咎め、聞き入れなかったのはメアリースの方だ」
これは流石に書類にできない。何と言えば弟が理解できるかを探りながら、口を動かす。
「身分差を理解できず王族が務まるか?連合国と我らが王国の違いを理解できず政治が行えるか?お前はメアリースにねだられれば、身の程を越えた願いも叶えるつもりではないのか?」
王国とは言うが、結局のところ貴族と市民の信託を受けて政治を行うのが王族なだけで、クーデターが起きれば政体は容易に変わる。俺が日々必死に積み立てている足場は強固なつもりではある。しかしそれも油断すれば一瞬で吹き飛ぶ。
「王国の民ならば分かることを、彼女は全く分かっていない。一年間こちらで過ごして、ここまで分別つけられない連合国からの公費留学生は彼女が初めてだ」
何もせず立ちっぱなしの弟の顔を見上げる。紹介したい女をコケにされているのに反論もできないのか。好きな女なら、それくらいして見せれば良いものを。
「逆に聞くが、お前はそこまで骨抜きにされて、彼女に有益な情報を抜かれているとは思わないのか?」
「スパイだと仰るのですか?!」
「可能性はあるだろう」
「そんなことはありえない!」
「なぜ?」
「彼女は俺を愛してくれている!」
質問に対して理論的に答えない。机の上に投げ出していた右手を固く握りしめる。
(感情オンリーで動けるほど、俺たちの首は軽くないんだぞ)
俺もお前も、国民の金を湯水のように投入して育てられたが、それは万が一の時、俺たちの首で全てを解決するための投資に過ぎないのだ。それを忘れたなら、私欲を満たす貴族たちと変わらない。
(一市民になるなら、その話は全く関係なくなるんだが)
その覚悟はあるのだろうか。
「ならお前が王族を離脱して、彼女と連合国で添い遂げればいい」
「は?どうしてそんなことを」
その言葉に、弟が明確に拒絶を示す。好きな女と身分を天秤にかけると、身分が勝るらしい。
なんとも歪な感情だ。これが洗脳でないなら、馬鹿だろう。
「その女は、お前の肩書無しでついてきてくれる女か?」
お前は、その女を本当に愛しているか?
どの言葉にも返事はない。
「頭を冷やせ。解散」
手を振って追い払う。なかなか動かないので、外にいた兵士に連れ出してもらった。
誰もいなくなった部屋。行儀悪く、机に頬杖をついて、左の足は右の膝に乗せた。やさぐれねばやってられない。
ふう、と目を閉じる。
「どう思う」
そう言って目を開ければ、さっきまで弟がいた場所に騎士団長が立っている。音も気配も皆無な突然の出現に驚くほど、『こいつ』との付き合いは短くない。
「忙しい。夜中に急に呼び出して、こんなふざけた芝居を見せられるこちらの身にもなってくれ」
「そのふざけた芝居を本気で演じられるこちらの身も考えてくれると嬉しい」
挨拶は済んだ。相手もそう思ったらしく、本題に突入する。
「先日、直接彼女と接触してきたが、香水や仕草で相手を洗脳している素振りは一切なかった。行動を分析しても、素人以下だ」
「スパイではないと?」
「確実に違う」
何てことだ。我が弟の救いようの無さよ。
止まらないため息を物理的に抑えるべく、左手でティーカップを掴む。中身は寝る前に優しい麦茶。
(苦くないし、麦にも種類がたくさんあるのは面白い。彼女の言う通りかもな)
昼、先日執務室へやってきた女を思い返し、次いでその女が脚本の登壇者どころか主役級だったことを思い出す。
「例の姉君を投下した効果は?」
「姉の行動に賛成する者は多い。何から何まで正反対の姉妹だ、比較には丁度良い。本人はそんなこと全く気づいてなさそうだが」
可愛げはないが賢さがあり、分別も弁えていそうな王国の民。あれが元は連合国出身で、まさか災害とも言えるような奴の姉だとは到底信じられない。
「なお、妹の目的は王権ハーレムではないそうだ」
「?」
「国王陛下と結婚することだそうだ」
「うわ、厄災じゃん。祓わなきゃ」
本気で教会に退魔師を依頼したい。
(勘弁してくれ)
あれだけ国中の関係を引っ掻き回されたせいで収集つかなくなりそうなのに、よりにもよってその元凶を娶ろうという国王はどこにもいない。何より俺が嫌だ。俺にだって選択権はある。
他にもメアリースの行動やらそれに関連する貴族や政府職員の何やらをいくらか報告され、内容にうんざりした俺はついに頬杖をやめて背もたれに寄りかかる。苛立ちのままぐしゃり、と髪をかき乱した。
「うー…こうなったら俺も本腰入れて頑張らないとなあ」
手を抜くつもりは一切なかったんだが、とぼやきつつ詰めた襟元を緩める。
「でもちょうど、この脚本上でやりたいことが出来たんだ。俺個人として一世一代の大仕事になりそう」
立ち上がって騎士団長に耳を寄せ、ひそひそひそ、と耳打ちをすれば、今度は彼がため息を吐く。
「まあ、否定はしない」
「迷惑をかける。よろしくね――――『暗月』」
***
時は少し遡る。
一瞬の昼寝から目覚めた『月光』は大学へ駆け戻り、構内のどこかへ行ってしまった『静月』を研究室へ呼び出す。そう時間も掛けず到着した彼へ開口一番に告げる。
「メアリースは国王陛下が一番の狙いだそうです」
「詳細を」
かくかくしかじか、と先の会話の要約を伝える。そうすると、彼が珍しく腹を抱えて笑い始めた。
「これほどまでの一方通行、もはや大事故では?」
確かに、『宵闇』を通じて国王はメアリースへの殺意をむき出しにしていて、メアリースは国王へ近づこうと必死。これほど噛み合わない事例は初めて見た。
「しかしまあ、これで彼女がこの研究室にいる理由は分かりました。大学で国王と直接接触する機会のある教員で、一番近づきやすかったのが『ヨセフカ教授』だったのでしょう。僕から仕掛ける前に近付いてきたので不思議だったんですよ」
ここでまた私の知らなかった事情が判明する。まさか自爆――――『ヨセフカ教授』という『宵闇』の刺客に自ら近づいて情報をすっぱ抜かれていたとは知らなんだ。道理で作戦従事者の人数が少ない。
そして面白いことに、『静月』はメアリースを国王に直接接触させるつもりが皆無。本当の『ヨセフカ教授』なら、今頃国王と顔見知りになっていたのはメアリースだった…かもしれない。
(もしかして、魔王は彼女への異様な偏愛すら打ち砕くんだろうか…)
的確に『ヨセフカ教授』を『静月』にすり替えた『暗月』に畏怖すら覚える。一体どこまで分かって脚本を仕立て上げているんだろうか。
背中に冷たいものを感じてぶるりと震えていると、『静月』はこちらにミルクコーヒーを差し出す。
なお、コーヒーが苦手なのにコーヒーしか出てこないのは、本物のヨセフカ教授が極度のコーヒー党だからだ。『静月』も『華月』も、私がコーヒーを得意としないのを把握してミルクや砂糖を大量に入れてくれるが…『静月』の淹れたコーヒーは甘みが足りない。
「かのお方が絶対にメアリースに靡かないという点は安心要素ですね」
その言葉に、コーヒーを飲んでいた手を止める。
「どうかしました?」
「………でも、会わせない方がいいと思います」
言葉に詰まってしまう。しかし、不安要素は伝える。それが仕事の一環なので言うしかない。
「何というか、その………メアリースは、私と比較されたとき、周囲からの優先度が限りなく高いんです。誕生日の私を差し置いてプレゼントを貰うとか、同じ日にテストで満点をとるとメアリースばかり褒められるとか、学費がかち合ったときに問答無用で私の仕送りが無くなったりとか」
コーヒーカップを握りしめる。私は変なことを言っていないだろうか。
「国王陛下は私のことを知ってしまいました。メアリースのことを陛下が知れば、私は比較対象になります。…そうなれば、任務を果たすなけなしの自信が、霧散しそうです」
どうしよう。昔のように理解を得られないのではなかろうか。いくら『暗月』の訓練を受け、何でもこなせる実働担当の機関員でも、呪いのようなそれに抗えなかったら、私はまた、居場所を失ってしまうのではないか。
『静月』の顔が怖くて見れない。
「懸念は伝えておきます」
「すみません…」
「ですが…そうですね。心配いらない、とだけ伝えておきますよ」
ぽん、と肩を叩かれる。見上げた『静月』の顔は、何の懸念もない微笑みだった。
読んでいただきありがとうございます。
執筆が追い付く限り、毎日19時に投稿していくつもりです。
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