Juliana Cornet ― 3
閲覧ありがとうございます。
こちらは同時投稿の2話目となります。先に前の話を読んでいただくようお願いします。
学生のいない研究室で、『静月』と情報のやり取りをする。『華月』はメアリースの追跡調査で不在だ。
「よく頑張っていると思いますよ」
「…ありがとうございます」
先日のデビュー戦、学食での戦い、某日夕方の戦い。すべての成果を検分した『静月』はそう言った。
しかし、『暗月』の寄越した任務を達成するには程遠い。そもそも、どうやったら彼女を合法的に強制送還できるのか。
「誰かと恋愛したから帰れ…は通用しませんよね…」
「そうですね」
(冷静に検討していこう)
現状求められていることは1つ。国権ハーレム状態を解散させること。
メアリースは嫌われてこそいたがそれは一部分の話で、全体としては好かれている部類だ。成績も私より低いと言うだけで、中の上ぐらいにはいるのだ。あれだけ課外が充実した生活をしていてその成績ならよく保てている方ではないか。
しかし、嫌われている部分は看過できない。婚約者がいようとお構いなしに男に接触し、自分の周囲に侍らせてしまうそれは「はしたない」の一言では収まらないだろう。
「周囲の学生や教職員たちは、あの光景を見て何も思わないのですか?結局一度も、彼女の行動を咎めたり、彼女に表立って対立するようなシーンを見かけなかったのですが」
「その過程はもう終わっています」
『静月』が肩をすくめる。
「今までの一年間で様々な注意、警告、実際に危害を加えられた彼女ですが、それを利用して次々と男を落としていきましたよ」
「………」
「こういう状況を『逆ハーエンド確定』って言うらしいですね。婚約者を奪われたご令嬢…学生達から教えてもらいました」
「???」
ちょっと何言っているか分からない。今、若い人たちの間で何が流行しているのだろうか。
「しかしまあ、周回遅れでやって来たあなたの行動を評価している人もいるようですから、あなたが事態解決の鍵になることは間違いないでしょう。想定内です」
全く分からないが、想定内なら『暗月』の望み通りにはなっているのだ。良しとしよう。ヨシ。
しかし、その『逆ハーエンド』とやらを手に入れたにも関わらず、メアリースは未だに新しい男を引っかけている。先日報告を受けた騎士団長など、王宮で働く人間にまで手を出し始めたのは何故なのか。
「…メアリースの狙いは、何なのでしょう」
就職活動?何かのロビー活動?でも、今の調子だと王弟殿下の妻となって、親しい男どもの権力を使って愉快な暮らしができるだろう。これ以上何が必要なのか。騎士団長なんてもう子供がいる年齢で、…何というか、あの子の食指に触れるのだろうか。
「そこは魔王も掴みかねているところのようです」
「魔王にも分からないことはあるのですね…」
「実働の仕事は、分からないことを分かるようにすることですから、通常業務ですよ」
新しい情報はなし、ということだ。
『ヨセフカ教授』から分厚い研究書類がサーブされる。『宵闇』の話は終わり。これからは、『ユリアナ』の話――――そういうことだ。
「これ、研究報告書。王宮に持っていってください」
「私がですか?」
地味な眼鏡の下にある目が愉快そうに細められる。
「国王陛下が『たまには違う顔が見たい』と仰ったので、ヨセフカ教授代行として謁見してきてください」
「え、いや」「今すぐ」
私は大層面倒臭いという表情だったに違いない。
所変わって王宮。
あれから研究報告書、ヨセフカ教授の通行証、「彼女は私の代行です」というサイン入りのメモと共に研究室を追い出された私は、申し訳程度に身なりを整えて王宮へ向かった。すんなりと受付をパスし、侍女にくっついて王宮内を歩く。
(緊張するなあ)
国王陛下は、『宵闇』を統括する『暗月』の上司だ。言わば私も国王配下の手下というわけだが、如何せんお相手がお相手だ、遠目に見る以外したことがない。
(私、変装らしい変装をしていない…)
『ユリアナ・コルネイト』を演じているとはいえ、ほとんど『月光』と見た目が変わらないのは今後の職務として大丈夫なのだろうか。…まあ、『暗月』のことだ。何かしら考えているはず。数年海外に飛ばされるかもしれないが、それもいいだろう。
侍女に促されるまま、執務室の戸を叩く。
「王国近代史研究室付きのユリアナ・コルネイトと申します。ヨセフカ教授の代わりに研究報告書をお持ちしました」
室内から慌ただしい雰囲気がうかがえる。しばらくして扉が開き、
「待ってたよ!」
と嬉しそうな顔の国王陛下が現れた。そのまま招き入れられてしまったので大人しく部屋に入る。中には初老の男性――――苦笑交じりに書類に筆を入れる宰相がいて、慌てて頭を下げる。
「ここ座って、申し訳ないけれどちょっと待ってて」
応接セットのソファに案内され、書類を抱えて二人掛けの隅っこに座る。木目の美しいローテーブルに、侍女が用意したコーヒーが置かれた。濃紺の地色に銀砂を散らしたカップと揃いのソーサーはまるで夜空のようで、首都を囲む山の頂から見た満天の星空を思い出す。
(最近山登りをしてないな…)
王国の首都は盆地の中心にあたる。東と北西に川が流れている以外は山脈に囲まれているため、自然と盆地の中にいる人間は山登りを楽しむようになるのだ。『月光』もその一人であり、高校生のころから時々山に登っては、夜空を眺めて過ごした。
(山から見下ろす町の夜景も美しい。あれは格別だ)
『ユリアナ・コルネイト』の出生地は海沿いの平野だったので、見慣れぬ景色に心を躍らせたものである。初めて東の海から王国へ上陸し、盆地に向かう鉄道の車窓から眺めた壁のような山には思わず声を出してしまうほどだった。
(…任務が終わって休暇が取れたら鉄道旅行をしよう、そうしよう)
首都から北西の港へ鉄道で出て、景色を楽しむのだ。港に執着は無いが、たまには海を眺めるのだっていいかもしれない。そんなことを考えて一人ほくほくしていると、宰相が書類を抱えて退室する。陛下がこちらを向いたので、どうやらひと段落着いたらしい。
「お待たせ」
「いえ。こちら、研究報告書になります」
対面ではなく、横の一人掛けに座った彼は書類を受け取ると、かなりのスピードで書類を検分していく。『暗月』に負けぬ速さで書類を改めたあたり、やはり彼を従えるだけの実力者なのだろう。…私より年下なのにこれとは、ちょっと恐ろしい。
夜空色の瞳がこちらを捉える。
「ね、少し聞きたいことがあるんだけど」
「はい。私に答えられることでしたら」
姿勢を正して、彼の質問を待つ。その様子を見た彼は、くしゃりと表情を和らげる。
「そう固くならないでよ。俺が聞きたいのは君のこと!」
「…なぜ」
「妹の報告は聞き飽きた。でも、君のことは何も知らないし、何より『暗月』も認める才女にはずっと興味があってね」
陛下がどこからかチョコレートを取り出す。あげるよ、と手渡されたものを素直に口に入れる。
「『暗月』はあんまり女の子を採用しない。職務内容が体力的に厳しいからね。君みたいにギフトがあれば別だけど…そうでないと難しい」
目が覚めるようなチョコの甘さとミルクの優しさを堪能しつつ、陛下の話を大人しく聞く。
「でも君は彼が直々に声をかけた。その時点で大分偉業だが、さらにあの試験を突破して実働まで任せたのは前代未聞。だから余計に興味がある」
「…大した人間ではありませんが。肩書は、書類の通りですし」
何を話せばいいのだろうか。興味があると言われても、困ってしまう。そんな戸惑いを見抜いたのか、くつくつと陛下の笑い声が漏れる。
「そうだなあ、例えば。もしかして、コーヒーは苦手かな?」
「はい」
「次来たときには紅茶を準備するよ。好きな種類はある?」
「あ…えっと、アールグレイが好きです」
「柑橘系ね。覚えておく」
「…あの、陛下はコーヒーが好きなのですか?」
「実はそこまで好きじゃない。でも、目覚ましにはブラックがちょうど良くて」
意外だ。コーヒーを出されるくらいだし、入室時に見た陛下のデスクにあったのはコーヒーカップだった。そして、好きでもないそれを飲む理由は眠気覚ましだという。…カフェイン中毒が心配になる。
「目覚ましなら、緑茶はいかがでしょうか」
「何で?」
「何杯も飲むのであれば、あちらの方が一度のカフェイン摂取量が少ないので身体への負担は少ないです」
緑茶ならば抹茶、煎茶、ほうじ茶、玄米茶と種類は多いし、茶葉を使わないお茶として麦茶等も存在する。コーヒーに詳しいわけではないが、生産地と焙煎方法で差をつけるよりも物理的に種類が多いのだ。味に飽きることもない。
「まあ、だったら最初から紅茶でいいじゃないか…という話にはなってしまいますが」
「王国は緑茶よりも紅茶が主流だからね。でも、いい話を聞いた。取り入れるよ」
「光栄です」
目を細めて微笑む彼を眺めていると、後ろからノックの音が室内に響く。陛下!と男の人の声――――宰相の声がする。
「時間切れかあ、もっと話したかったんだけど」
ため息をついた彼が立ち上がったのを見てこちらも立ち上がる。
「書類受け取った、ってヨセフカに伝えて」
「はい」
退室の許可を得て、礼をして背を向ける。歩き出そうとした時、肩を背後から掴まれる。振り返ると、こちらを見る陛下の顔が存外近い。
「?」
「背中に埃がついていたからとったよ」
「え」
いつからついていたんだ、と顔が熱くなったり冷たくなったりと行き来する。身だしなみを整えられない恥と、よりによって国王陛下に指摘させてしまった絶望。末代までの恥…といっても、末代は私なのでつまり私の恥だ。泣きたくなってくる。
「すみませんでした!失礼します!」
頭を下げ、軽くなった荷物を抱えて部屋を飛び出す。
またおいでー、と暢気な声が聞こえたが、正直緊張でどっと疲れたのでしばらくは会いたくない。
悲惨というか恥というか、とにかく謁見を終えて、大学へ戻る道すがら、ふらりと昼食を購入しにパン屋へ向かう。途轍もなく疲れたので、甘いクリームパンが食べたい。ベリーをふんだんに使ったパンも。紅茶ブレッドだって欲しい。
そんな妄想をしながら店の扉を開けて、
「お姉ちゃん!」
標的の姿を確認したので任務モードに切り替わる。
「メアリース」
「休日にこんなところで会うなんて奇遇だね!」
もしかして近所?お家どこ?――――ナンパのような言葉を躱し、パンを購入して店を出る。もちろん、メアリースはついてきた。仕方がないので河原へ向かい、石畳兼座席となっている場所で腰を下ろす。
「なんか疲れてない?まさか徹夜で研究してたの?」
食前の祈りもそこそこにクリームパンに噛り付く。こぼれんばかりのカスタードクリームが美味しい。疲れと甘さにやられた脳が、何のひねりもない言葉を発出したのは偶然だろうか。
「違うわ。王宮に行ったのよ」
言ってからその言葉の危うさに気付いたが、大学教員ともなれば、しかも王国近代史で国王の興味分野ともなれば問題は無いだろう、と結論付ける。何を言われても大丈夫なように適当な理由を考えること一秒、突然肩を掴まれる。
「?!」
「え、お姉ちゃん王宮に行ったの?!」
「教授の代行でね」
驚きつつも、差しさわりの無い事実を述べた。今日はやたら肩を掴まれる日だ。
「次は私も連れていってよ、ぜひ国王陛下にお会いしたい」
「仕事だもの、無理に決まっているでしょう」
「えー、そこを何とか!」
「ヨセフカ教授にでも頼み込めば?」
相手をするのが面倒になってきたので同僚に投げる。元とは言え身内なので相当恥ずかしい行いではあるが、私にはもう対処法が皆無。身内で聞かぬのなら他者に頼るしかない。
(…姉妹の再会を果たしてから、ここまで妹が食らいついてくるのは初めてではないか?)
何となく浮かんだ疑問。物は試しだ、とメアリースの顔を見る。
「何故、あなたはそんなに陛下にお会いしたいの」
これが重要な質問だとは思わなかった。
一方、メアリースはその可愛らしいかんばせを花開かせる。
「だって国王陛下は、一番攻略難度が高いんだもの」
「――――は?」
夢見る乙女の声で、彼女は続ける。
「私ね、あの人と一緒になりたくて頑張ってるの」
時間だ、と何の予定か知らないが、「じゃあね」とメアリースは立ち上がって町へ戻っていく。
誰もいない河原で、私の声が響く。
「ホズコック」
「報告する」
私の視界に姿はない。『宵闇』の訓練で得た指向性を絞った発声による返答が背後から聞こえてきただけだ。
「………」
荷物を枕に、硬い石の上に寝転がる。
「少しだけ」
昼寝の一瞬だけ、この現実を忘れてしまいたい。
読んでいただき感謝です。
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