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最終回です。
「待って!」
僕が呼び止めると、タヌ子は振り返った。
「あの…よかったら、信楽焼のタヌキ、見ていかない? さ、さ、さっき…君…見てたでしょ? あれ、うちの事務所なんだ。多分、君の知ってるタヌキだと思うんだけど…。俺、美味しい鯛焼きたくさん買ってくるから!」
僕はなんとかタヌ子を引き止めたくて必死だった。
初対面の男から「タヌキ見ていかない? 鯛焼きあげるからさ!」なんて言われたら、さぞかし不気味だろうけど、他に何て言っていいか思いつかない。
「何で私が鯛焼きを好きな事…ご存知なんですか?」
タヌ子は首を傾げてクスっと笑って言った。
「あ…えっと…何だろ…と、とにかくうちの事務所さ、美味しいスイーツたくさんあるんだ! 愉快な仲間たちもいるから、よかったら…なんだけど…」
―よかったら…じゃなくて、本当は「お願いだから来てください!」って土下座したい!
タヌ子をチラリと見ると、タヌキだった頃と同じしぐさで、もじもじ恥ずかしそうにしていた。
「ご迷惑でないなら…。」
タヌ子は嬉しそうに慢面の笑みで言った。
「ヤッターーーーーーーーーーーー!」
僕は両手の拳を握りしめて空高く突き上げ、嬉しさのあまり思いっきりのけ反った。
その時後方に、うち事務所の信楽焼の大タヌキが視界に入った。
タヌキはギョロリと目玉を動かして僕と目を合わせた。
そして大タヌキはニッカと笑って何かを呟きウインクをした。
―う…動いた! ずっと微動だにしなかったくせに!
「タヌ子っ! 大タヌキが動いたっ! 見たっ?」
―ハッ
言ってしまった後で後悔した。大タヌキが動いたのに動揺して、思わず今までの癖でタヌ子って呼んでしまった。
―どうしよう…。このタヌ子にとって、僕は初対面の男だ…。いきなり「タヌ子」なんて呼んで…何なんだ、この男って思われたかな…。怖くてタヌ子の顔を見れない…。タヌ子は無言のままだ…。怒っているのかもしれない…。もしかすると…気が変わって事務所にも来てくれないかも…。そりゃそうだよな…俺…きっと…変人と思われてるに決まってる…。
僕は恐る恐る顔を上げてタヌ子を見た。僕は予想外の事に驚いてしまった。
タヌ子は大粒の涙を目に浮かべて小さく肩を震わせていた。
そして溢れ出た涙は頬を伝ってボトボトと下に落ちている。
タヌ子はそれを拭うでもなく、震えたまま固まっていた。
「…あ…あの…大丈夫? ごめん、俺、変な事言ったよね。気に障ったら、ほんとにごめんね…。タヌ子って言ったのは…その…何て言うか…」
僕は何て説明したらいいか分からずしどろもどろになり、頭を掻きむしった。
―参ったな…。こんな綺麗な子にタヌ子だなんて…傷ついたんだよな…。そりゃそうだよな…。どうしたらいいんだ?
「さっき…タヌ子って…」
タヌ子が呟いた。
―来た! どうしよう? どうしたらタヌ子が納得する説明が出来る?
僕の頭は高速回転で答えを導きだそうとした。しかし何て言っていいのか全く分からない。
そうこうしているうちにタヌ子の方が話し始めた。
「その呼びかけ…何故かわからないけど…心の中に響き渡って…どうしてなんだろう…私…涙が止まらないんです…。」
タヌ子は泣きながら僕に満面の笑みを向けた。
その懐かしい笑顔に、僕はもう自分を押える事が出来なかった。
「タヌ子!」
僕はタヌ子を思いっきり抱きしめた。
「…長い…とても長い話なんだ。だけど、君に聞いてほしいんだ!」
僕の視界も涙でぼやけて見えなくなってきた。
「…聞かせてもらえますか? その話…全部!」
タヌ子はグシャグシャの顔でニコッと微笑んだ。
美味しい鯛焼きとお茶を出して、タヌ子に僕たちの物語を聞かせてあげよう。
彼女は何て言うだろう?
こんな信じられないような本当の話。
でも、急ぐ必要はないさ…。
僕らは今ここから
ゆっくりと…大切に…また新しい僕らの物語を作っていけるのだから。
終わり
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。^^
次回作はすでに書き終わっているので、最終チェックが済み次第、連載させていただこうと思います。
よろしくお願いします。^^




