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 サキに言われて戸惑ってしまった。


 僕は嘘をつくのが苦手だ。タヌ子の事をかけがえのない存在としてすごく大事に思っている。だけど…僕の目には何故か分からないけどタヌキにしか見えない。


 人間の女の子として、彼女として、当たり前に思えるかというと…それは出来ていない。


 これは…男女の愛というより…どちらかというとペットを愛おしむ事に近い…。



「何…って…それは…それは…。」

僕は言葉に困ってしまった。


「ほら! 単なる同居人って事でしょ!」

サキは勝ち誇った。


―そうじゃない!そういうんじゃない!


 そう言おうとした。その時、タヌ子のただならぬ状態に気付いた。


 タヌ子は全身逆毛を立ててプルプルと震えていた。目の中が真っ白になって、いつの間にかところどころにハゲが出来ていた。そして眉も口もへの字に下がって滝のように涙を流し、背中を震わせて泣いていた。


―タ…タヌ子…。



 僕はタヌ子を抱きしめようとした。しかし。タヌ子は猛スピードで部屋の中に走って行った。


「タヌ子!違う! 違うんだ!」

タヌ子を追いかけて行って、側で叫んだ。


 しかしいくら叫んでも、もはや僕の声などタヌ子の耳には入っていなかった。


 タヌ子は初めてうちに来た時と同じ、あの懐かしい唐草模様の風呂敷を広げた。


 あの日、玄関を開けた時の恥ずかしそうにモジモジしながら微笑んでいたタヌ子の姿がフラッシュバックしてきた。


―タヌ子…タヌ子!


 僕の気持ちを余所に、タヌ子は着々と準備を進めている。


 どこに置いてあったのか、あの時風呂敷の中に入っていた昔っぽいやかんや鍋やおたまなんかを集めてきて、タヌ子はそれをガチャガチャ言わせながら風呂敷の中に包んだ。


 そして勢いよく肩に背負ったかと思いきや、凄まじい勢いで玄関へ走って行った。


「あら、タヌキのお里へ帰る決心したのね! それがいいと思うわ! あなたにこんな都会生活なんて似合わないからね! さようなら!」

サキは余裕の笑みを浮かべてタヌ子に嫌味を言った。


 タヌ子はそんなサキを無視してエレベーターに向かって走って行った。


「タヌ子!待って!」

呼んでも振り返らない。僕は急いで靴を履いた。するとサキが僕の腕を捕まえて引っ張った。


「ちょっと、ヒロキ! あんた何考えてんの? あんな子追っかけてどうすんのよ! せっかく私が戻って来たんだからもういいでしょ! 今回の事は、蚊に刺されたと思って許してあげるから!」

サキは眉間に皺を寄せて僕にそう言った。


―どうやったらこの女はこんなに腹の立つ言葉を思いつくのだろう? しかし今はこいつに構っている暇は無い! タヌ子を追いかけなきゃ!


 僕は走ってエレベーターに向かったが、サキにつかまったせいで追いつけなかった。エレベーターのドアは遥か遠くで閉まってしまった。


 僕は急いで非常階段を駆け降りた。表の通りにタヌ子の姿が見えた。僕は全速力で追いかけた。しかしタヌ子はあんな大きな風呂敷を抱えているにもかかわらず、もの凄い速さで走っている。


 タヌ子は通りの角を曲がって大通りに出た。僕は必死に追いかけた。


 大通りに出たところでタヌ子がタクシーに乗り込んでいるのが見えた。タヌ子は僕の方をチラっと見た。とても悲しそうな顔だった。そしてタクシーのドアは閉じ、そのまま発進してしまった。


―まだ間に合う! あの信号が赤で止まればタヌ子に追いつけるはず! お願いタヌ子!行かないで!


 僕は今までの人生の中でこんなに必死になったことが無いくらいに全速力で走った。


 しかし信号は決して赤にはならなかった。


 タクシーは非情にも僕からタヌ子を連れ去った。





 心臓が今まで聞いたことの無いような音で鼓動した。お腹の方から胸に向かって込み上げてくる何かで吐き気がする。


―ダメだ。違うんだ! 俺はなんてバカなんだ!





 絶望して何も考えられなかった。


 あまりにあの生活が…タヌ子と一緒に暮らした日々が…当たり前になっていたから…。


 当たり前すぎて…それはずっと続いていくと…そんな不確かな事を…僕は簡単に考えすぎていたんだ…。




 マンションに戻ると、サキがしてやったりというような顔をして俺を見た。


「今すぐ出て行け!」

サキにそう言うと、僕はサキの持ってきた荷物をまとめて彼女に渡した。


「は? 何言ってんの?」


「俺はタヌ子が好きなんだ! おまえじゃない! 二度と俺の前に現れるな!」

僕はサキが持っていた合鍵を奪い取って部屋から追い出した。


 体がフラフラする。頭も痛い。熱が出てきたみたいだ。腰からしたの力が入らなくてその場に倒れてしまいそうになった。


 僕はなんとかリビングまで行き、ソファの上に倒れた。


 

 

 さっきまでタヌ子はここにいた…。


 今朝、仕事に行く前、ここに座って踵に穴が開いた僕の靴下を繕ってくれているタヌ子の手を止めて、そのフカフカのお腹に顔を埋めたんだった。


 タヌ子は可愛く微笑んで、僕の頭を優しく撫でてくれた。


―…柔らかかった…暖かったな…タヌ子…。


 涙が止まらなく頬を伝う。


―バカだ…俺は大馬鹿物だ! 今頃になって分かるなんて! タヌ子がタヌキの姿にしか見えなくったって、俺はタヌ子が大好きだ! 世界中で一番大事で、死ぬまでずっと一緒に居たいんだ! タヌ子は、単なる同居人なんかじゃない!



 俺の彼女だ!




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