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改めてタヌキを見てみても、それはどこにでもあるような信楽焼のタヌキの置物でしかない。
あれは幻覚だったのか…。頬を二、三回叩いてみた。僕は気を取り直して店の中に入った。
店内では、大将とウッチーがまだ話していた。しかし会話の内容は、もはや仕事の話でもサトシさんに対する愚痴でも無く、他の話題に変わっていた。
「まさかあんないい子が刺されるなんてよ。この辺りには似合わないようなべっぴんさんだったんだぜ。」
大将は涙を浮かべて言った。
「この町も物騒になったもんですね。」
ウッチーが同情するように言った。
「何? 何かあったの?」
僕が聞いた。
「兄ちゃん、あの事件の事知らなかったのかい? そりゃあもう、ひでぇ騒ぎだったんぜ!」
大将は事のあらましを説明してくれた。
三ヶ月前のある晩、その日は月がとてもキレイな夜だったそうだ。
大将の店、この「居酒屋ぽんぽこ」の前で女性が男に刺された。
店は営業時間を過ぎ、後片付けをしていた大将は、女の悲鳴に気付いて外に飛び出した。
すると信楽焼のタヌキの前に、女性が血だらけになって倒れていた。
通りの遥か向こうに走り去る男が見えたが、女性の救助を優先し、大将はすぐに救急車を呼んだ。
幸い急所は外れていたらしいが、その後も女性は意識不明の重体らしい。
「あの子をあんな目に遭わせやがって、まだそいつは捕まってないんだ。おりゃ許せなくてよ。」
大将は涙を浮かべて酒をぐいっと飲んだ。
信楽焼の大タヌキ
血だらけの女
半分になった魂
月夜の殺傷事件…
「自分、あのタヌキを処分するのが…なんだか忍びないんですよね。長年人々から大事にされてきた物って、付喪神になるっていうじゃないですか…。あのタヌキ…きっとそうですよ! 何か、ただならぬパワー感じるし…。」
帰り道、ウッチーが言った。
ウッチーもあの信楽焼のタヌキには、何かを感じるみたいだ。
僕はモヤモヤしながら物思いにふけった。




