32
二日前、ウッチーと二人で、「居酒屋ぽんぽこ」を訪れた。
大将は時々見せる笑顔が可愛い小柄でじゃがいものような顔をした気のいいおじさんだった。
おかみさんは大将とは反対に、とてもよくしゃべる愛嬌のある人で、こちらもまた小柄で少し小太りだった。
店は真ん中が土間で半分に区切られていて、向かって左側が座敷席。大人6人、いや、少し詰めたら8人は座れそうなテーブル席が三つ。
そして右半分はカウンターになっていた。カウンターの上には大皿に盛られたお惣菜が並び、ショーケースの中には活きのいい魚がたくさん並んでいた。
奥の棚には一升瓶がズラっと並んであって、名前の札が垂れ下がったボトルキープしてあるものも多かった。こういう店って、見ただけで美味いって分かる。
「俺はね、まだまだ現役でバリバリ働けるんだけど、コイツがもう年なんだからサトシ夫婦に店は譲って隠居しなさいよって言うんだよ。だけど半人前のアイツがやってけんのかね? おりゃまだ早いと思うがね!」
「あんたが出しゃばり過ぎるから、いつまでたってもサトシは一人前になれないのよ!」
老夫婦はギャーギャー言い合って、しまいにはケンカになりそうだった。
「…どうしましょ? もう少しお話合いになられてから決められても遅くないと思いますけど…。」
つかみ合いのケンカをする二人に僕は恐る恐る声をかけた。
「やっちまってください!」
おかみさんはクルっとこちらを向いてキリっとした顔で僕に言った。
「ほら! あんたはあっち行ってな! 邪魔しかしやしないんだから!」
大将は女将さんから隅に追いやられてしまった。そんな哀れな大将を見ると、僕はいたたまれない気持ちになった。
―この店は残すべきなんじゃないか? そんな気持ちでいっぱいだったけど、仕事なのでしょうがない…。
「そうですか? では…」
カウンターの向こうでは、大将が恨みがましく上目使いでこっちを見ている。
―やりにくい…。
「息子さんのイメージをお聞きしたいのですが。」
僕が話していると、奥から息子のサトシさんが現れた。
顔は大将ソックリのじゃがいも顔で、体型はおかみさんにソックリの小太りだった。
服装は意外にも、ものすごく良く見るとオシャレなブランドの物を着ていた。
しかし顔と体型が地味すぎるので全くオシャレに見えない。
そんなサトシさんは、意味不明な大きな態度で僕らに接した。
「とりあえず、大人の癒しの空間なわけよ。わかる? ストレスがぶっ飛ぶ空間よ! まずね、言っとくけど、俺は隠れ家の裏の裏をいきたいから! あ、ちゃんとメモっといてよ! 俺の話すこと全部大事なコンセプトだから!」
サトシさんは、前置きも無しにペラペラと話し出した。
隠れ家の裏の裏って、それは表、つまり隠れる所など無い…という意味ではないのか…というツッコミ所満載の疑問が浮かんだが、こういうタイプはあまりつつくとロクな事が無いというのを経験上学んでいるのでスルーした。
「ま、おやじの料理は旨い。そりゃ俺も認める。けっこう頑張ってきたと思うよ。でもさ、こういう居酒屋ってどこにでもあんじゃん! まんまじゃん! サプライズが無いわけさ!」
柱の陰から除いている大将の血管が一気に膨らんでいくのがわかった。無理も無い…。こんなボンクラ息子…もとい、世間を分かっていな息子さんに人生の大半を費やした仕事をこんな風に言われているんだから…。
僕は大将が今にもサトシさんに襲いかかってくるんじゃないかと戦々恐々としながらも、ただサトシさんの話をおとなしく聞いているしかなかった。
「内装も外観も、ドバーっと変えなきゃなんねえよな。このしみったれた町には無かったようなオシャレで癒しの空間を爆誕させんだからな! じーさんばーさんの憩いの場じゃねーんだよ! 大人の男女が集う空間よ! こんな夜でも昼間みたいな明るいとこじゃ、癒しもなんもあったもんじゃねーからなっ!」
サトシさんの毒舌は延々と続いた。
「き、きさま、何をぬかしとんじゃー!!!!」
大将は我慢の限界に達し、とうとう奥から飛び出してきた。
真っ赤になった顔には今にもはじけんばかりに膨らんだ血管が浮き出ていた。そして大将は拳を握りしめてサトシさんに殴りかかった。
が、叫んで気分が悪くなったのか、怒りのあまり血圧が急上昇してしまったのか、その場に倒れ込んでしまった。
自力で起き上がったものの、大将はフラフラで、おかみさんに支えられて奥に行ってしまった。
去り際におかみさんは、「私らに構わずどうぞ進めてください」と言ったので、会議はそのまま続行された。
会議と言ってもサトシさんが延々と空虚な理想を語るだけだったのだけど…。
大将がいなくなったことで、邪魔者が去ったと言わんばかりにサトシさんはさらに調子に乗っていった。
「看板とか、既存の家具とか小物とか、どうされますか? リフォームする場合、昔の店の看板など、オシャレに飾って面影を残したりすることも多いんですけど。」
ウッチーがサトシさんに聞いた。
「全撤去に決まってんじゃぁーん! ちょっと君、俺の話ちゃんと聞いてた? 君さぁ~、きっと新人君でしょ? 分かっちゃうんだよなぁ、俺。浅いの! 君の理解が浅過ぎんだよ! そんなんじゃ俺の日本海溝並みの人間の深みなんて理解出来ないよっ! もっと勉強してきてよ! だいたいさぁ、コンセプト分かってんの? 大人の隠れ家の裏の裏よ! あぁ?」
―だからそれは表だ!
「この辺りですと、圧倒的に高齢者が多くて、サトシさんの求めておられる客層とは、若干合致しないところもあるかと思うのですが…。」
ウッチーは冷静に対応した。
僕には分かった。極めて普通を装っているが、彼の心の奥は怒りで煮えたぎっている…。
―偉いぞ、ウッチー!
そんなウッチーの心情を知ってか知らずか、サトシさんはさらにウッチーの神経を逆なで続けた。
「いい! 場所は関係ないわけ。良い店があると客は遠くからでもやって来るの。こんなところにこんな店がったのかぁ~って。まぁ、宝物探しする感覚ねっ! そういうのが町探検の楽しさでしょ? ほんと君、分かってないな~。ま、新人君には難しすぎるかな? こういう深い話は…。」
サトシさんは呆れて溜息をつきながら言った。
溜息をつきたいのは僕らの方だ。しかしウッチーは怒りを必死に抑えながら果敢に攻めた。
「しかし、今までのお客様は高齢の方が多いようですし、年金生活の方も多いと聞いています。このコンセプトだと費用も高めになってしまいそうですし、それを回収するとなると、客単価も上げざるをえないわけで、常連さんが来られなくなってしまう恐れもありますが…。」
ウッチーがそういうと、サトシさんはさらに大きな溜息をついて、眉間にガッツリ皺を寄せてウッチーを睨み上げた。
「上げるよ、もちろん! 当たり前だろそんなの…。分かってねぇなぁ…。俺は上質なサービスを提供する。お客からはそれに見合った対価をもらう。当然のことでしょ。他のどの店でもそうやってるだろ? お互いウィンウィンな関係なんだよ!」
サトシさんはイライラしながら言った。
「じゃ、俺、約束あるからもう行くわ。ちゃんとやっといてよ!」
サトシさんは行ってしまった。
残された僕たちは、お互い見合って溜息をついた。




