2
「僕とタヌキの出会い」
一目会った、その日から
朝、目を覚ました時、ハっとして横を見てみると、そこには誰もいなかった。僕一人だった。
―そうだよなぁ。タヌキが風呂敷包みを背負って押しかけ女房しにやってくるなんて、ありえるわけないじゃん! 変な夢を見たもんだ。
と、安心してもう一度ベッドに横になった。手足を思いっきり伸ばしてシーツや布団の少し冷たい肌触りの心地良い感触を味わった。
夕べの変な夢のせいか、今朝は体中が凝り固まっている。まるで狭いところにでも押し込められて寝ていたみたいだ。
僕はベッド脇で充電中のスマホに手を伸ばし、時間を確認した。起きるにはまだ少し早いようだ。もう少しだけゴロゴロしていよう。
そう思ってまた体を思いっきり伸ばした時、どこからか味噌汁のいい匂いが漂ってきた。
―隣の住人が作っているのかな…。しかし窓は締め切っているぞ。となると僕のマンションの部屋からに違いない。もしかして母さんが突然やって来たのか? でも来るなら連絡くらいしてくれるしな…。それに合鍵だって渡してないし…。
だんだん怖くなった…。
―もしかして強盗か? 違う! 強盗なら盗みに入った家でノンキにみそ汁なんか作らないだろ! ってことは…!
とにかく僕はキッチンに行ってみることにした。まさかとは思うけど、この目で確認しなくちゃ!
「えぇーーーーーーー!」
僕は思わず奇声をあげた。
「きゃあああああああああーーーーーーーー!」
それに驚いた彼女もまた叫び声をあげた。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーー!」
マンション中に僕らの叫び声が響き渡った。
―嘘だろ…。
冷や汗タラタラでキッチンを見ると、そこにはエプロンをつけたタヌキがフライパンと菜箸を持って立っていた。
―夢じゃなかった…。
タヌキは大きな目を見開いた。愕然としている僕を見て気まずく感じたのか、次第に眉尻は八の字の下がり、それにつられて口角も下へ下がり、なんとも情けない表情になった。
「す、すぐ出来るから! あっちでテレビでも見て待っていて下さい!」
タヌキは取ってつけたような苦笑いで僕にそう言った。僕もどうしていいかわからない。とりあえずはタヌキに害は無さそうだ。
悪さをするようでも無ければ、人間の言葉も理解している。早起きして僕の為に一生懸命朝食を作ってくれているようだし…少し様子をみてみるか…。
考える時間も必要だ。僕はタヌキに言われた通り、大人しくリビングのソファに座った。
ソファに座りテレビをつけてみるが、タヌキが気になってしょうがない。横目でタヌキをチラチラ見てみる。
見れば見るほどタヌキだ。と言っても、今までさほどタヌキを気にしたことも無かったし、動物園にいても前を素通りするくらい、僕はタヌキに関して無関心だった。
そんな風であるから、当然の事ながらタヌキに関してそれほど知識がある方では無い。
そんな僕でもタヌキがどういう動物だったかくらい何となく見当は付く。
このタヌキ女は、動物のタヌキというより信楽焼きのタヌキに似ている。
しかしちゃんと毛が生えていて、それはどう見ても本物の毛皮で、フサフサのその毛皮は撫でたら気持ち良さそうだ。動きも滑らだし、着ぐるみで中に誰かが入っているという訳でも、ロボット…でもなさそうだ。
ー…という事は…こいつはバケモノなのか?
「できたよー!」
満面の笑みでタヌキが僕を呼んだ。
エプロン姿のタヌキは丸々とした体にエプロンをつけクネクネと恥ずかしそうに体をよじらせている。
タヌキは僕を呼ぶとクルっと向きを変え、テーブルの方へ駆けて行った。
そのタヌキの背中に結んであるエプロンの紐は、長さが足りなくてギリギリの所で結んである結び目が今にも取れそうだった。
そんな事も気にせず、タヌキはいそいそと茶碗に炊き立てのご飯をよそって、ニコニコしながら僕を見つめた。
そんなヘンテコなタヌキの姿が面白くて、僕は思わずプっと吹き出してしまった。
タヌキの作った朝飯は、豆腐とアゲとわかめの味噌汁。塩鮭、キンピラごぼう、冷奴と納豆、それに十八穀米のご飯だった。
―こんな朝ごはん、久しぶりだ…。
いつも朝はギリギリまで寝ていたいので、何も食べずに家を出て行くか、取ったとしてもインスタントコーヒーをがぶ飲みするくらいだった。
栄養バランスを考えた朝食…実家に戻ったみたいに感じた。田舎のおふくろが作ってくれる朝ご飯がちょうどこんな感じだ。
―そういやしばらく実家に戻っていないな…。母さん…元気にしているだろうか…。
田舎の母に思いを馳せ、タヌキの作った料理を口にした。
―うまい! 何なんだ! このタヌキは! ウムム…こいつタヌキのくせしてやるな!
「…タヌキくん、料理上手ですね。」
僕はタヌキに賛辞を贈った。
「プッ! ごめんなさいっ!」
冗談を言ったつもりは無かったが、何故か僕の言った言葉がタヌキのツボにドはまりしたようで、タヌキは噴出して笑った。
「何かおかしなこと言ったかな?」
「だって…ヒロキ君、私の事タヌキくんだって…! プッ!」
―え? どゆこと?
「ちょっと言ってる意味が分かんないんだけど…。君…タヌキ…だよね?」
―だって…まんまタヌキじゃん…。もしかして、自分の事…タヌキだって自覚が無いとか? そう言えば、家で飼っているペットって、自分の事を人間だと思っているって…どっかで聞いたことがあったな…。
「んー、それはタヌキみたいに私の目がクリっとしてるって意味かな? ヒロキ君がそう呼びたいんだったら、それでもいいよ~。あ! でもタヌキじゃなんだから、タヌ子って呼んで!」
―…タヌ子? ま、いいけど…。
タヌ子はよっぽど自分の名前が気に入ったのか、一人でキャッキャッと笑いながらはしゃいだ。
「タヌ子って、なんか可愛くな~い? ヒロキとタヌ子、めっちゃいい~!」
タヌ子はそう言って一人で喜んでいる。しかもいつの間にか僕の名前はもう呼び捨てになっている。
―やれやれ…。
タヌ子はふと 時計を見てハッとした。
「いけないっ! ヒロキ、仕事遅れちゃうよ!」
タヌ子にそう言われて時計を見た。もうすでに8時半を回っている。
ーまずい! 遅れてしまう!
焦っていたら、タヌ子は奥から僕の仕事用の服とカバンを持って現れた。あっという間に身支度させられ、背中をどんどん押されて、気が付いたら玄関で靴を履いていた。靴はピカピカに磨かれてあった。
―…もしかして…これもタヌ子が…?
「いってらっしゃーい!」
満面の笑みでタヌ子に見送られて、キツネならぬタヌキにつままれた状態で家を後にした。
―え、ちょっと待てよ…。いってらっしゃいって…タヌ子はあのまま僕の家にいるつもりなのか? タヌキと同居って…どうなの? まあ、飯は美味かったし、性格は良さそうだ…。いやいやいやいや、タヌキだぞ! あぁ…タヌキか…ってことは動物じゃん! ペットを飼う感覚でいいってことか?
う~ん…とりあえず後で考えよう。