12
その夜、私は悪夢を見た。
もしかすると現実なのかもしれないと思うほどリアルな夢だった。
夢の中でも私は寝ていて、頭に違和感がして目を覚ました。柔らかい猫の肉球のような物が私の頭を撫でている。
クリームのような物を塗っているのか、気持ちのいい感触だ。
うっとりしながら薄っすら目を開けると、鬼のような形相をしたタヌキが私を睨みつけていた!
そしてそのタヌキは私を睨みつけたままクリームを塗り続けている!
タヌキは私の頭にクリームを塗り終わると、今度は真横に来て布団を剥ぎ、パジャマを脱がし始めた!
私は怖くなって、必死でタヌキを払いどけようとするのだが、金縛りにあってしまい体は全く動かない。
「…あががが…うがぁがが…。」
私は助けを呼ぼうと必死に叫ぶが、金縛りのせいで言葉にならない。
タヌキは私を睨み続けている。恐ろしさで脂汗が滲み出てきた。
タヌキは私のパジャマのボタンを外し、今度は別のクリームを胸の辺り全体に塗り始めた。
肉球の感触は気持ち良いが、タヌキの怨念のこもった形相は怖すぎる!
タヌキはひと通り塗り終わると、几帳面に私のパジャマのボタンを元通りに留め直し、布団までかけてくれた。もちろん鬼のような形相は変わらずに。
怖いくせに妙なところが親切だ…。そしてタヌキは私に向かってこう言った。
「悔い改めよ!」
次の朝、夕べの悪夢のせいで朝からクタクタだった。
布団から這い出るようにして、やっとの思いで洗面所まで辿り着き、顔を洗った。
タオルで顔を拭いて何気なく鏡を見ると、髪がなんだか薄くなっているのに気付いた。
―毛量が明らかに少ない! 何なんだこれは!
さらに鏡を見ていると、また違う変化があるのに気付いた。
―む、胸毛が!!!
今まで胸毛なんかほとんど無かったのに、一夜にしてモッサリ生えていた。
ー何故だ! 何故なんだ~!
朝飯を食べる気分でも無かったので、今朝はいつもよりだいぶ早い時間の電車に乗って会社に向かった。
電車に揺られながら夕べの悪夢を思い出した。
あの化け物タヌキがクリームを塗っていたのが頭と胸。髪が薄くなり、胸毛が生えてきた。この毛量の変化は、やはりあの化けタヌキが関係しているのだろうか?
確かヤツは何か言ってたな…。「悔い改めよ」とか。何をだと言うのだ!
私は34年間、必死で働いてきて家族を養ってきたんだぞ! どこを悔い改めなければならないと言うのか! 悔い改めるどころか、表彰されてもいいくらいじゃないか!
ムカムカしてると腹が痛くなってきた。会社に着くと、トイレに駆け込んだ。朝早いのでまだ誰もいない。
しばらくすると、声が聞こえてきた。声の感じからすると、うちの課の小林君と黒崎君だ。例の今時の若い連中だ。
「入江部長だろ? ほんとムカつくよな!」
「マジ、ムカつくよ。君たちの意見を言ってくれ、とか言っといて、俺たちの案なんか全く聞いてない。で、結局自分が決めてた案でやってるし。それじゃ俺たち、いなくていいじゃね?」
「そうそう! それにこっちは毎日時間内に必死で仕事終わらせてんのにさ、定時で帰ろうとしたら聞こえるようにイヤミ言ってくるしな。あんなもん、長々やってる事じゃないだろっ、おまえの仕事が遅いだけだってんだよ!」
「どーせアイツ、仕事以外に何も無いんだろ。きっとどこにも居場所ねーんだよ。みんなのこと、自分と同じ境遇にしたいだけなんだよ。」
「そーだろな! つまんね~人生だよな! 仕事だけなんて。」
「だっせ~な、あれじゃ嫁どころか子供にも嫌われてるよ。」
―酷い言われようだ…。もちろん好かれているとは思っていなかったが、あそこまで言わなくてもいいんじゃないか!
腹の辺りから怒りがムラムラと込み上げてきた。その日は一日、普段よりもかなりきつく部下たちに当たった。
―どうせ嫌われてるんだ! むしろこっちこそおまえらなんか大嫌いだ!
仕事終わりに、なんとなく真っすぐ家に帰りたくなかったので、一人で立ち飲みの店に行って一杯やった。
そして当て所なく足の向くまま歩いた。
ビルの合間から眩しい光が射していた。行ってみるとフットサル場があった。若者が楽しそうにフットサルをしている。
よく見ると、うちの課の小林と黒崎がいた。
―あいつらこんなところでノンキなもんだ! 遊んでばかりで、どうせ出世なんかせんぞ!
最初はイライラして見ていたが、ずっと見ていると、あいつらは本当に楽しそうだと思った。
仲間同士で盛り上がっていた。キラキラしたいい笑顔をしていた。
なんだか私はやるせない気分になって家に戻った。
相変わらず妻はソファに寝転び韓国ドラマに夢中で、娘と息子はスマホをいじっている。
風呂は空っぽ。かろうじて夕食はテーブルの上にあった。
その晩もタヌキは夢枕に立ち、頭と胸にクリームを塗って去っていく。
「悔い改めよ。」
と、言い捨てて。
 




