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 まさか自分の身に こんな事が起こるなんて 思ってもみなかった。

 平凡に暮らしていた筈のこの僕に…

 楽しくて 切なくて 感情がグチャグチャになってしまうほどの

 満月が起こした 奇妙な奇跡…


 これは、僕が愛したタヌキな彼女の物語





―今夜は月がキレイだなぁ。


 バルコニーの椅子に座ってビールを飲みながら、いつになく大きな月を眺めていた。さっきから遠くでサイレンの音が聞こえている。部屋の中の付けっ放しになっているテレビでは、たった今入った物騒なニュースを報道している。


 こんなキレイな月夜に、事件なんかおこすなよ…と思いながら、気を取り直してのんびりしているところだった。


“ピンポーン”


 ドアのチャイムが鳴り、モニターを見てみると、そこには何と、タヌキが立っていた。


「ヒロキ君に会いたくて、もう一日中一緒にいたくて、押しかけ女房しちゃいましたー!」

タヌキは嬉しそうに満面の笑みでそう言った。そしてモジモジしながら上目遣いで僕に熱い視線を送り、クネックネッと恥ずかしそうに体をよじらせている。


―何なんだ…コイツ…。夢だ…俺…今…夢を見ているんだ…。


 訳が分からず固まっている僕に、タヌキは考える隙も与えぬまま抱きついてきた。


―グヘッ


 思いのほかタヌキの力が強かったので気絶しそうになった。タヌキは僕に抱き着いたまま背中を丸めて僕の胸に頭をグリグリと擦り付けた。


―酔っているのか? このタヌキ…


 タヌキのフサフサな毛が僕の顎にあたる。フローラルな香りが鼻をくすぐった。一瞬クラっとした。


―野生動物って…獣臭いのかと思ってたけど…。


 タヌキは手入れが行き届いているようだった。体毛は柔らかくいい香りがしたし、さっきからチラチラ見える耳の穴も綺麗だった。


 昔、実家で飼っていた犬や猫は、ほっておくと耳の中がすぐ汚れて、僕はそれに気が付くたびに綿棒で掃除をしてあげたものだ。猫からは毎回、それを嫌がってシャーっと威嚇され、引っ掻かれてはいたものの…。


ーだから分かる! このタヌキは、とても手入れが行き届いている! ということは、野良のタヌキでは無いと言うことか? 誰かにコッソリ飼われていたのか? しかし日本では、タヌキをペットで飼う事は、確か禁止されていたはずだ! それに! そもそもコイツはタヌキじゃないぞ! デカすぎる! 何なのだ、この生き物は!


「ヒロキ君、いつでも来てイイよって、言ってくれてすっごく嬉しかった。あんまりすぐにお邪魔するのはガッついてるって思われそうで怖かったんだけど、私…ヒロキ君に会いたくて堪らなくなっちゃって…。」

タヌキはほんの少し涙目になってそう言った。


 そのタヌキは背中に唐草模様の大きな風呂敷を背負っていて、カチャカチャ音をさせている。風呂敷の隙間から、鍋やらやかんやらがチラリと見えている。おたままでつっこんでいる。


―こんな引越し姿、いつの時代なんだよ…。昭和の時代の泥棒ってか? そもそも何でこのタヌキは僕の家に押しかけて来たんだ? おかしいなあ…夢にしてはなかなか冷めないぞ…。普通、夢って気付いた時点で目が覚めるんじゃないの? 


ーもしかすると…ひょっとすると…これは現実で、僕は幻想を見ているのか? ビールを飲みすぎたのかな…。ま、しかし…夢は覚めない。幻想も止まらない。タヌキは目の前で悲しそうな嬉しそうな笑みをたたえて目に涙を浮かべている。しょうがない…この現実を楽しむことにしよう。どうせそのうち元に戻るだろ♪


 僕はタヌキを部屋の中へ入れてあげた。動物の性別など見た目では判断しかねるが、話している感じからこの子は女の子だろうと察した。


 女の子だったら優しくしてあげないとね。僕はお客様用のスリッパを取り出してタヌキの足元に置いた。そしてタヌキが背負っている、いかにも重そうな荷物を持ってあげた。


「あ…あでぃがど…う…うぅ…うぅ…。」

タヌキはいきなり号泣した。


「どうしたのっ? どっか痛いの?」

僕は心配になって聞いてみた。


「ヒロキ君…親切だがだぁ…。こんだでぃ…優しい…ひどぉ…初めでなのぉ…オウッ…オウッ…ううう…。」

タヌキは涙と鼻水をボロボロ垂れ流しながら呟いた。


 鼻水のせいで何て言ってるのかいまいち聞き取れない。僕はタヌキをリビングへ連れて行き、ソファに座らせてあげた。


ーえっと…何か涙を拭うものは…? 


 本当は女の子らしい可愛いハンカチでも渡してあげたかったが、男の一人暮らしにそんな物は無い。家にあるタオルも散々使い古した適当な物しか無かった。困ったな…。


ーあ! そういえば、僕の暮らしぶりを見かねて母が送ってくれた高級タオルがあった! あれなら肌触りもいいし、このタヌキちゃんも気に入ってくれるだろう! 


 僕は棚からそのタオルを取り出してタヌキに手渡した。薄い水色の上品なタオルだ。タヌキはそのタオルを手に取ると、ウフゥっと笑顔になった。良かった。タヌキが笑ってくれて。


 そして僕はミルクを温めて、これまた母が見かねて持ってきてくれたロイヤルコペンハーゲンのカップに入れて持って行ってあげた。


「うわぁぁぁぁ~うっうっうっうっうぅ~~~。」

タヌキはまた号泣した。大きな背中と肩を震わせて泣いている。


ーそんなに嬉しかったの?


 僕はタヌキの横に座ってその震える背中をさすってあげた。タヌキはクルッと僕に振り向き、泣き散らかし、鼻水を垂れ流している、そんなぐちゃぐちゃな顔で僕に満面の笑みを向けた。



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