枯渇事件:探索開始5
泣いとる母がおった。
強くて普段から泣くことなかったママン。
昔から領主としてこの地を治める男爵の家系やったけど、うちの家系は不思議と女性しか生まれへんかった。
他の地主とは違って女性しか生まれへんうちらの家系は周りから侮られ、見下されんように、強く土地を治めて、威厳を保っとった。
せやから、母は泣く姿は見てくることはなかった。
そんな母が唯一泣いたのは――。
◇ ◇ ◇
マリアから出してもらっていたノンアルコールの飲み物を片手に机に座ったままのナギは口にソレを運ぶ。
「うちのママンはなぁ、浮気が原因で女嫌いになっとるんよ」
「浮気?」
「そうなんよ」
◇
領主として働く母と婿養子に入った父の間にナギは生まれた。母親であるマーテルは日々仕事にずっと追われていた。それでも家族の時間を大切にしてくれる、そんな母親だったが、父は、そうではなかったらしい。
当時は幼かったある日の夜、寝ていたナギは寝付けず起きて屋敷内を散歩していた。そんな中、屋敷の入り口での口論を耳にし、何かと二階から一階の様子を見ていた。
父は知らない女と共に屋敷へと帰ってきた。
「そん人は、誰なん?」
「マーテル、すまないがもうここには帰らない」
「ど、どういうことなん? ここに、帰らんって、どういうことや?」
「本当に愛する人が出来たんだ。でも、ここは君の家だ。だから俺が出ていく。もう二度と会うことはないだろう」
「ま、待ってや……! 何でなん?! 愛しとるって言うてたやん! 一緒に、一緒にこの領地をもっと良くしてこうって、誓ったやん!!」
「……悪いけど、君とは、君たちとはもう一緒にいられない」
そう言って父は、出ていった。泣き崩れた母を見てナギは駆け寄ったが母はコチラを見ず、ただ、ただ、出ていく父と寄り添うように腕を組む女を睨んでいた。
そして、その日以降、父は帰って来なかった。
◇
コトンッとナギは飲んでいたグラスをテーブルへと置く。
「その時はまだ子どもやったうちは父はまた街へ行ってみんなの為に頑張ってくるんやなぁて思っとったんよ。けど、朝になっても帰ってこんやった。そっからな、ママンがうちの事も娘としてやなくて、息子として扱うようになったんよなぁ」
『そんな事が……。で、でも、ナギ様が娘なのは変わらないのに何故、息子として、なんてそんな事をされたのでしょうか?』
「自分以外の女は大切な人を奪う、穢らわしいもん、って思うようになったんよ。うちや執事らが何言うても聞かんやったし、その日のうちにメイド全員解雇してまうし、聞く耳なしや。しかも、こげなことを始めるようになった時に少しでも使えるようにって遠方の兵の訓練所に突っ込まれたし」
ケタケタと笑いながら話すナギにマリアはウルウルと涙を浮かべる。
『わ、笑い事じゃないですよ! わ、私も人間界に詳しい訳ではございませんが、そういう場所はかなり大変だとレイチェル様から聞いてますし……』
「せやなぁ、男して突っ込まれとったけん、女ってバレた時まぁまぁやばかったけんどな」
言葉を濁すナギにアッシュは何となく察した。
(……兵の訓練所か……)
僕も確か訓練所には行った事はある。元々レイチェルやアティと一緒に居た国で自国の兵士を育てるための場所。
どの場所もそうかは知らないけど、上下関係が厳しかった。
訓練自体は僕にとってはそんなに問題は無いけど、全く訓練を受けたことの無い一般の人たちからすればかなりキツイ訓練が多かった。何よりもどの人たちも血の気が多かったのもよく覚えている。
(そういえば、入った当初、余所者だったてこともあったし洗礼とかって言って集団でリンチにされかけたっけ。反撃して逆に半殺しにしたら何故か二日目で教官クラスまで上げられたんだっけな……。その時の事がレイチェルにもバレてめちゃくちゃ怒られたけど)
力加減するの、その時は苦手だったもんなぁ……。
とはいえ、ナギは今まで訓練を受けたことの無いただの男爵の娘。訓練なんてしたこともないし、行った訓練所へ男として入っていたのに、たった一人の女がそこに入れば……、嫌な予想はつく。訓練所で規律がしっかりしている場所ではそういうことは起こることは無いけど彼女の口ぶりからするとそうでは無さそうだ。
「……色んな洗礼受けたけんど、訓練所の男連中を見返すんにこうして銃の腕前は一流になって速攻卒業してやったけどな!」
訓練所で女ってバレて、傷物にされたって話してもママンは変わらんやった。男なんだからそういうことは無いやろうって、嘘言うなやって。
そん時に、あぁママンはうちの事はもう眼中に無いんやなって。こっち見てくれんのやなって思ってもうたんよ。それでも、こっちを見て欲しいから……。
「……辛くても、ママンのために頑張っとったんやけどなぁ」
ナギは急に胸が苦しくなる。
今まで我慢していたんだと思う。思わないようにしようと思っていた。目を背けたほうが、楽だったから。見なければ考えないし考えたくもなかったからだ。
俯くナギにマリアはボロボロと目から溢れんばかりに涙を流す。ナギを想って、彼女がいた環境や心境に胸が苦しくなっていた。
『ナギ様……』
「おっ?!」
泣きながらマリアはナギを優しく包むように抱き寄せる。
『お一人で大変だったでしょう……。辛い思いも痛い思いも沢山されましたね。でも、もう大丈夫です! 今はグレン様やアッシュ様や私もいます! これからは私たちにも頼ってくださいね!』
「マリアはん……」
マリアの腕の中は、かつての母の腕の中を連想させた。
優しく慈愛のあった母はよく抱きしめてくれた。父が、出ていくまでは宝物のように大事にしてもらっていた、のに。
ヘラヘラとしていたナギも目が熱くなっていく。
「は、はは……、なんや、えらい、慰めてくれるんや……。えぇよ、過ぎたことやもん」
『過ぎたことは起こったことです。辛かったのは変わりません。少しでもナギ様の痛みが無くなるよう私もお力になりますからね』
抱きしめたまま彼女の頭を撫でるマリアに心がグラグラと揺れ、堪えていた涙が溢れそうになったところでアッシュが遮るように口を開く。
「僕を混ぜないで欲しいなぁ。あくまでもナギとはちょっとした知り合い程度なんだけど」
『ちょっ?! アッシュ様ぁ?! そんな心のないことをおっしゃらないで下さいよ!』
「だって僕、そんなにナギと関わりないもん」
『それでも話の流れでそんな事を言うなんて酷いです!』
「ホンマにこの流れであんさんソレを言うのは強いわぁ」
「あははっ」
笑うアッシュに涙の引っ込んだナギは彼女から離れて零れかけた涙を袖で拭う。
ホンマにこん人もグレンはんに負けへんくらいのドライモンスターレベルや……。
呆れているナギだがアッシュは続ける。
「それより君は母親の事、どうするんだい?」
「どうするって、何や?」
「マーテルが女の人に対して思う理由は何となくわかった。グレンは下の原因をどうにかするために行ったけど結局、君が母親をどうするか返事もらってなかったじゃん。多分、グレンは君の母親を殺すことはないだろうけどさ。あの母親はここで人体実験をし、娘である君の尊厳を無視したことをさせている母親だよ。こういう事する人たちは自分が正しいって自己意識が強すぎで視野が狭くなってるんだ。言っても止まることがないんだからさ」
リクがいた手前、恐らくグレンはナギの答えを保留にしたまま向かっている。原因を止めないといけないけど、もし、ソレを止めるのにナギの母親を殺さなければならない場面になればきっとグレンは、迷う可能性がある。
彼は、そういう人だ。
だから、彼が二時間後にとは言ったけどなるべくマーテルと鉢合わせる前に向かいたいという気持ちがあった。
「君がこのまま曖昧な気持ちのまま母親と決着をつけるとなると、グレンはきっと迷う。君の事を僕やアティと同じように大切な人として、自分より優先してでも守る者として枠に入ったからだ。もしそうじゃないなら優先的に彼は合理的な方を選ぶ。その判断を鈍らせるようなことはしないであげて欲しいんだ」
「それは、理解しとるんやけど……」
「さっきも言った通り、マリアは僕もいるとは言ったけど、僕の優先は、君や君の母親じゃない。僕の中での優先は僕自身が大切な人と思っている人たちだ。もしグレンが君の判断のせいで危機に陥るなら、僕は君の母親を殺すつもりだ」
『あ、アッシュ様?!』
少し睨むように、突き放すように言われ、ナギはビクッとする。
(いや、アッシュはんの言葉は間違えとらん。特にアッシュはんとは今回の事が無ければ深く関わりがある訳やないし、今は感傷に浸ってる場合やないわ)
拳をギュウッと作り、歯を食いしばる。正直、まだ迷っているからだ。
(グレンはんは後悔がないようにって言うてくれてたんは、止める際に殺さない選択肢を残してくれとるってことや。殺すことで後悔してもうた人がおったから、うちに後悔せんでもえぇようにって)
後悔したアッシュはんと同じようになって欲しくないからって、言うてくれたんや。うちの答えは、もう出とるんやから。
グレンはんに、相棒と言われてから。
「それで? どうするんだい?」
「うちは、ママンを殺さへん。殺さずして止めなあかんって思っとる。グレンはんが言うてたもん。殺す判断して後悔してほしないって。まだうちはママンが元の優しいママンに戻る可能性を捨てたない。ちゃんと話もせなあかん」
「……もしそれが、グレンが危険な目になるかもしれなくても?」
「危ない目に遭わせへん! もしそうなっても、うちが助ける!! うちも守られるだけやなくて守るって決めたんや!! 相手がママンやろうとも、アビスはんやろうとも、グレンはんが出来ひんことを、やれるだけやって守ったるわ!!」
ナギの答えにアッシュは少し黙ったまま、ジッとナギを見据える。
「……強欲でワガママな人だね、君は」
「はーん! そりゃあグレンはんにもお墨付き頂いとるで!」
「いやいや、自信満々に言うようなことじゃないでしょ」
「割とマジメに言うとるわ!」
「あははっ まぁ、そういうことにしておこうか」
ナギは、ちょっとアリスに似てる。
ワガママだし、綺麗事で都合よくことを進める前提でやろうとする。そうなるようにすることも迷わずやろうとする心。
嫌いじゃないし、その手助けをしたくなる。
ナギの意志を聞いてアッシュはクスリと笑う。
「ま、いいよ。君もグレンに相棒って言われているんだからしっかり頑張りなよ。今回は僕も仕事でやるけど、君たちの望むように僕も頑張るよ」
「うわっ、遠ざけようとして急に距離感詰めるやん。怖っ」
「急激に距離感バグる君に言われたくないかなぁ」
でも、方針は決まった。
あとは、この事件をどう終わらせて決着をつけるかだ。未だにマーテルの目的も掴めていないし。
(……そう、目的がまだ分からない。ここまでくるやっている理由はなんだろう? ナギが言っていた父親、いやマーテルからしたら”旦那”か。裏切られた腹いせに何かしようってことなのかな? でも、今ここにその”旦那”がいないのにナギや街の人にあの黒いチョーカーをつけて、言うことを聞かせて、マナを、龍穴が枯れるほどの魔力を吸い取っている。目的が明確に分からなすぎる)
多分、見落としがある気がするだけどなぁ……。
”ん〜”、と悩むアッシュだったが唐突にマリアが叫ぶ。
『アッシュ様!! 上、危ないです!!』
考え事をしていたアッシュだったが、マリアの緊迫した声でハッとする。上を見上げると、誰かが転移してきた。
そのままその人はアッシュの膝の上に落ちてくる人を受け止めた。
落ちてきた人は――
『リク様?!』
「い、いたた……」
落ちてきたのは、リクだった。




