雨の里:ボクとご主人様2
その怪物の姿はとても大きく、高さは10メートル以上ある巨体を毛皮のようなものが覆っており、蜘蛛のような手足とは別に、怪物の身体を形成するように人の手がいくつも折り重なっていた。
それは蠢いているが、ドロドロと溶けながらも形になろうとして、虫の羽が人でいう横腹辺りだろうか、そこにまばらに張り付いているようにも見える。胴体からは先程アッシュの身体を貫いたカマキリの腕のようなものが4本。そして、顔らしきところには人の顔を上下逆にしているかのような状態だ。
冒涜的なその姿に、嫌悪感が込み上げるような感覚に襲われる。
「ケホッ あんな魔物、初めて見たな……」
「……んん」
咳き込んでいると、腕の中で呻くエドワードを見ると、目をパチパチさせて彼が目を覚ます。濁っていた瞳はいつもの紫水晶の瞳に戻っていた。
状況が呑めていないのか狼狽えている彼の顔に手を当て、ペチペチと叩く。
「大丈夫かい? 意識はっきりしたのかな?」
「あ、アッシュ……?」
「うん、僕だよ。君、どうしたの? 大丈夫かい?」
「だ、大丈夫だ……。それにしてもお前、なんでここにいるんだ?」
「それはこっちが聞きたいよ。君、血塗れでこっちに歩いてきたから何事かと思ったんだからね」
「血塗れ……?」
彼にそう言われて自分の身体に目を向ける。言われた通り、全身が血だらけだった。ギョッとしているとアッシュ自身も血塗れで怪我をしている。腹と、胸元、それと手。ジワジワと塞がっているようだけど、痛々しい。
ということは、まさか、自分の身体に浴びている血はアッシュの血なのか?
「こ、これは、お前の血か?!」
「え、僕じゃないよ。この傷は今、刺されて出来たものだから、違うよ。君の血でもないようだけど、誰の血だい?」
彼を見る限り、怪我をしている様子は無い。念の為、魔力循環させても身体の何処も怪我が無いようだが、何故、こんなに血塗れになっているかは不明だ。
「わ、私もわからない。気付いたら、お前が目の前にいるし、それに、アラネアは何処に行った?」
「アラネア? 君を連れ去った蜘蛛の魔物かい?」
「あ、あぁ、アラネアと話をして、こっちまで戻ろうとしたところは覚えているんだが……」
「んー、君しか来てないし、アレが急に現れて来たから状況がよくわかんないよ」
「アレ?」
アッシュが見る方向へエドワードも視線を移すと、見た事のない怪物がいる。”うわっ?! な、なんだあアレ?!”、と、彼も初めて見た様子で声を上げた。
タイミング的に怪物とエドワードは特に関係がないようには見えないが、今はそれどころでは無い。先程よりも大きくなっている。10メートル程度だったはずなのに、それよりも大きくなっていた。
これ以上大きくなると、危険だ。この近くには里がある。せっかく逃げたアリスたちも危ない可能性を考えると、仕留めた方が良さそうだ。
「とにかく、アレはダーティネスに近い気配を感じる。僕が倒してくるから、君は――ゴホッ! ゲホッゴホッ!!」
「ッ! お、おい、アッシュ?!」
ガクンッと膝をついて大きく咳き込む。咳に混じって血が吐き出される。地面が血に濡れ、足元が血で染る。
慌てるエドワードに心配をかけないよう、顔を背け、袖で口元を隠すが、咳が止まらない。エドワードが、彼の顔を覗き込むと酷く顔色も悪く、辛そうにして、呼吸音がヒューッヒューッと喉からなっている。
「お、おい、アッシュ?!」
「だ、大丈夫、まだ毒が抜け切ってないだけだから……ッ 動けるから、気にしないで」
「ど、毒なら解毒を……!」
「毒の浄化魔法も効かないから、僕も知らない毒。術者が知らない毒とか、そういうのにはあんま魔法効かないし、元々そんな得意じゃないからしたかないよ……。それよりも、君は先に里の方に戻りな」
「ま、待て! アッシュ!!」
エドワードから手を離して、こちらが呼び止めても立ち止まらずにアッシュは怪物に向けて走り去っていってしまった。
あんなボロボロな状態で、いくら覚醒しているとはいえ大丈夫なのだろうかと不安がよぎってしまう。
アッシュは大きくなっていく怪物の方まで辿り着くと、置き去りにしていたスイの入っている水牢の方まで駆け寄る。
中に放置されていたスイはどうにかそこから出ようと、もがいていたみたいだが、動けないようで、彼が来たことでムスッとした顔で叫ぶ。
「お前ッ!! こんな怪物のところにボクを放置するな!!」
「お、まだ潰されてないね。よかったじゃん」
「よ、よくない!! なんだよ、アレ?!」
「いや知らないよ。それと、その前に……ほいっ!」
「ッ?!」
パチンッと指を鳴らすとスイの首に首輪のようなものが着く。首に巻きついた首輪を外そうとスイはもがくが全然外れる気配は無い。
「な、なんだコレ?! 首輪?!」
「そ、ペット用のね。それより君も危ないから――」
「はぁ?! ちょっ?! ふぎゃっ?!」
エドワードが居る方向に向けて、アッシュは足に力を思っきり込めて水牢を蹴り飛ばす。勢いよく水牢ごと蹴り飛ばされたスイは弧を描きながら、エドワードの方へと飛んで行った。
飛んで行った水牢はエドワードの近くに落ちると、パシャンッと水がシャボン玉のように割れ、スイは地面に落ちる。
「ぶへっ?!」
「うわっ?! お、お前、大丈夫か?」
「いったた……ッ あの、化け物! ボクが入ったまま蹴り飛ばしやがって! 絶対に後で殺す!」
「お前、めげないな……」
「違うんだよ、ご主人様! ボクはアイツにバカにされるわ、いじめられてるんだよ!! くっそぉ! 悔しい!!」
バンバンッと地面を叩きながら悔しがるスイに苦笑いをするしかなかった。
というか、さっきまで水の中だったのに痛いだけで、苦しくないのかと思ったがスライムだし、肺呼吸とかは特に無いんだろうと妙な納得をしつつ、アッシュの方を見ると、あの冒涜的な怪物に向けて攻撃をしていた。
魔法を当てるが効果は今一つのようだった。
あの怪物の攻撃自体は初撃は不意をつかれてしまって当たったがそんなに速くもないため、躱すのは容易だ。が、如何せん全くダメージが入らないようであれば倒せない。
(それに、魔法耐性が高いのか、それとも分厚い毛皮のせいかのか、通常の魔法でもダメージが入っている様子がない……。なら――)
より強力で、より燃やし尽くせる魔法を撃って屠ろう。本当は剣に蒼い炎を纏わせて刻んでしまいたいが、毒のせいで握力が十分に出せない。
それに、さすがにコレは人語を理解するような魔物でも無さそうだから倒してしまっても問題ない。
ザザッと地面を擦りながら、アッシュは魔法陣を展開させながら、怪物の方へと突っ込んでいく。
「”殲滅魔法――”」
ダンッと高く飛び上がり、怪物の顔らしき所まで目前のところで魔法陣を向ける。
「”神炎”」
眩い光が迸り、地面を抉ると白い炎が怪物を呑み込む。少し離れた所へ、アッシュは着地をして、念の為別の魔法を準備する。
ダーティネスに似たタイプなら、もしかすると再生する可能性があったからだ。
「”殲滅魔法:神氷”、”殲滅魔法:神雷”!」
同時に発動された氷と雷が怪物を貫く。再生よりも早く雷と氷、そして炎によって形が徐々に崩れていく。最後の足掻きのように無数の手足をドタバタとさせて、暴れ回る。
勢いよく振られる脚がエドワードの方へと飛んでいく。
「エドワード!! そこから離れて!!」
アッシュが叫ぶと、エドワードはハッとして、身を守るために結界魔法を行使するが、バリンッと砕け散る。
当たる……!
そう覚悟していると、スイはエドワードの前に出ると、腕を大きく肥大化させ、弾き返した。
「ご主人様、大丈夫?」
「あ、あぁ、助かる」
「…………」
「どうした?」
「ご、ご主人様に感謝される日が来るなんて……ッ」
「お、おぉ……」
喜び悶えるスイに若干引きながらも、アッシュの方を見ると、安堵している様子が見れる。だが、いつもの動きとは違い、随分と余裕がなさそうにも見えた。
血反吐を吐きながらも暴れ回る脚を切り落とすが、さらに踏み込めないようだった。
その様子を呆れたような顔でスイも同じように眺める。
「あーぁ、今更、動けなくなってきたんだ、アイツ」
「それって……、アイツの身体に入った毒のことか?」
「そうだよ。ボクの毒で苦しそうにしてるの。ざまぁないって感じだよ。あのまま、怪物に押し潰されて死んでくれたらいいのに……って、うわっ?!」
そう呟くスイにエドワードは彼の肩を掴む。ガクガクと揺らしながら必死に叫ぶ。
「お前が作った毒なら、お前なら解毒出来るよな?!」
「で、出来なくは、ないけど、なんであの化け物のためにしないとダメなの。アイツ、スラを殺して、ご主人様までも盗ろうと――」
「スイ!!」
エドワードに名前を強く呼ばれる。呼ばれたスイはハッとして彼の顔を見ると泣きそうな顔になりながら必死に、必死に頼む。
「頼む、スイ……、お前の名前が分かったら私の言う事を聞いてくれるのだろ……? アイツはお前にとっては確かに仇だ。けど、私にとっては大事な仲間だ! アイツがした事は私が責任もって償う! だ、だから……ッ」
手を強く握るエドワードにスイは目を細める。




