クロノス騎士団:エフェメラル兄弟2
雷鳴が轟いた。
耳を裂くような爆音。
視界を焼く白い閃光。
その直後、部屋全体を揺らすほどの衝撃が走る。
窓はすべて割れた。
砕けたガラスが床へ散り、きらきらと光を反射しながら転がっていく。
焦げ臭い臭いが、一気に部屋中へ充満した。
アッシュがいた場所の床は黒く焦げている。
その中心で、ドサリと“何か”が倒れた。
黒く焼け焦げた、人の形をしたもの。
それを見た瞬間、アリスの顔から血の気が引いた。
「あ、アッシュ……?」
足が勝手に動く。
近寄ろうとしたアリスを、エドワードが慌てて止めた。
「アリス、待て!」
「う、うそよね……?」
声が震える。
アリスのルビーの瞳が、大きく揺れていた。
だが、ヴィンセントは冷たく息を吐く。
「ふん」
手を叩き、アリスたちの方へ向き直った。
「アリス、さっさと街に――」
そう言ってアリスの元へ向かおうとした、その瞬間。
すぐ後ろから、穏やかな声がした。
「あはは。生死も確認しないで勝利したと思うのは、さすがに愚行じゃないかい」
「なッ?!」
ヴィンセントが振り返る。
そこには、傷ひとつないアッシュが立っていた。
いつものように、困ったような笑顔を浮かべている。
雷を受けたはずの衣服にも、焦げ跡はない。
髪も乱れていない。
まるで、最初からその場にいなかったかのようだった。
アッシュはそのままヴィンセントの腕を掴む。
流れるような動作で、背負い投げを仕掛けた。
「ぐっ……!」
ヴィンセントの身体が宙を舞う。
そのまま壁へ叩きつけられるかと思われたが、ヴィンセントは空中でアッシュの腕を振り払い、体勢を立て直した。
ダァンッ!!
床を踏み砕くような勢いで着地し、鋭くこちらを睨む。
「……クソ化け物め」
「いやいやぁ」
アッシュは肩をすくめる。
「土人形を見て勝利を勘違いしたのは君でしょ」
アッシュに言われ、ヴィンセントは先ほど黒焦げになったものへ視線を向ける。
人の形をしていたそれは、土塊だった。
焦げた表面がぼろぼろと崩れ、やがてただの焼けた土へ変わっていく。
(あの一瞬で、いつの間に……)
ヴィンセントは目を細める。
背後で、息を詰めていたアリスが、その場に崩れ落ちるように膝をついた。
「よ、よかったぁ……」
声は震えていた。
それでも、アッシュが無事だと分かり、彼女の表情には安堵が広がっていく。
ヴィンセントは再びアッシュを睨む。
だが、アッシュは余裕の表情を崩さなかった。
「さて」
アッシュは軽く首を傾げる。
「次は僕の番だ」
パチンッ。
指を鳴らす。
その音を合図に、アッシュの周囲へ蒼い炎が現れた。
それは、普通の炎とは違っていた。
赤く燃える熱ではない。
夜空の奥で揺れる瑠璃色の光。
星屑を溶かして火にしたような、静かで美しい蒼。
小さな炎がひとつ、ふたつと浮かび上がり、アッシュの周囲をゆっくりと巡る。
炎の輪郭は柔らかく揺れているのに、その奥には鋭い魔力が凝縮されていた。
部屋に満ちていた焦げ臭い空気が、その蒼い光に照らされて、不思議なほど澄んで見える。
その炎を見た瞬間、ヴィンセントの眉がぴくりと動いた。
「その蒼い炎……」
彼は目を細める。
「貴様、アウロラフラムか?」
「あれ、君、僕のこと知ってるの?」
アッシュは少し意外そうに瞬いた。
炎をよく扱うが、この蒼い炎を見て気づかれたのは初めてかもしれない。
基本的には、ただの炎魔法だと思われることが多い。
そう指摘するほど、神子や守護者と関わりの深い者に会ったことも少ない。
「先々代から聞いている。我々と同じく、神子に仕える一族」
ヴィンセントの声は冷たい。
「だが、三年前に死滅したと聞いていたが……なるほど。貴様はその生き残りか」
「……」
アッシュは答えない。
その沈黙をどう受け取ったのか、ヴィンセントは剣を握り直した。
「まぁ、もしそうであっても、私がすることは変わらん」
彼の黒い瞳に、再び殺気が宿る。
「貴様がそうなら、なおさらアリスの元に置くわけにはいかない。この場で始末する」
そう言って、ヴィンセントはまた魔法を展開し始めた。
足元に雷の魔法陣が広がる。
空気が帯電し、髪がわずかに浮き上がる。
だが、アッシュは避ける素振りを見せない。
指先に灯った小さな炎を、ピンッと弾いた。
瑠璃色の火がくるりと回転する。
アッシュはその炎に向けて、ほとんど聞こえないほど小さく詠唱した。
そして、炎を放つ。
放たれた蒼い炎は、ただ一直線に飛ぶのではなかった。
空中で弾け、蒼い火花が輪を描く。
ひとつの炎が二つに、二つが四つに増え、細い糸のような光を引きながら広がっていく。
まるで、星座が空に線を結ぶように。
蒼い炎は網のように広がり、ヴィンセントの魔法陣へ触れた。
その瞬間。
パリン。
魔法陣が、ガラスのように砕けた。
「――魔法が……ッ?!」
ヴィンセントは目を見開く。
炎が触れるたび、魔法陣が割れていく。
雷の光が生まれる前に、蒼い火がそれを包み込み、静かに消していく。
激しく燃やすのではない。
淡く照らし、ほどいて、跡形もなく消す。
「さぁ」
アッシュはゆっくり歩き出した。
「次は、どうするんだい? ヴィンセント君」
魔法陣が消え、防ぐものがなくなる。
ヴィンセントはギリッと歯を食いしばり、剣を持ち直した。
次の瞬間、アッシュは一気に距離を詰める。
踏み込みは速い。
床に蒼い残光だけが残る。
ヴィンセントが剣を振るうより早く、アッシュの蹴りが腹部に入った。
「ぐッ!」
ヴィンセントの身体が後方へ滑る。
見ている限り、ヴィンセントは体術よりも魔術の方が優れている。
なら、魔法を封じてしまえばいい。
あとは簡単だ。
ヴィンセントが反撃へ転じようとする。
だが、アッシュはその動きを先読みしていた。
剣を振るう角度。
足の運び。
魔法陣を展開しようとする指先の癖。
すべてを見て、先に潰していく。
魔法であろうが、剣技であろうが、隙を与える気はなかった。
「言ったでしょ」
アッシュは低く言う。
「ねじ伏せるって」
「貴様ッ!!」
ヴィンセントが怒りを露わに剣を振るう。
アッシュは半歩ずれて避け、その懐に入り込んだ。
追撃の拳が、ヴィンセントの脇腹へ入る。
「がッ……!」
さらに一撃。
肩、腹、膝。
急所は外している。
だが、動きを止めるには十分な場所ばかりを正確に打ち抜く。
ヴィンセントは窓際まで吹き飛ばされた。
ガシャンッ。
割れていた窓の残ったガラスが、さらに砕ける。
それでもヴィンセントは、痛む身体を無理やり動かし、正面に魔法陣を展開した。
「無駄だよ」
アッシュは炎を飛ばす。
蒼い炎が、魔法の発動前に陣へ触れた。
パリンッ。
魔法は発動しないまま砕ける。
さらに炎が二つ、三つと走り、ヴィンセントの肩と腹部へ命中した。
「くっ……!」
炎は焼き尽くすものではない。
けれど、衝撃と魔力の重さは十分だった。
ヴィンセントの身体が壁へ押しつけられる。
魔法陣を砕かれ、炎で追い打ちを受けたところで、ヴィンセントは舌打ちした。
だが、もうまともに動ける様子はない。
アッシュは炎を向けたまま、追撃はしなかった。
これ以上やれば、殺しかねない。
それに、アリスの命令は止めることだ。
アッシュは炎を消さずにヴィンセントを見据える。
それから、アリスの方を見た。
「アリス、終わったよ」
その一言を聞いて、ようやくエドワードは結界を解除した。
結界の後ろにいたアリスが顔を出す。
彼女は驚いたように、アッシュとヴィンセントを見比べた。
「アンタ、ほんとすごいわ……。ヴィンセントにも勝てるの?」
「いや、ヴィンセントも強いよ」
アッシュは困ったように笑う。
「ただ、加減しながらだとちょっと難しいものだね。どこまでしたらダメか分からないし」
「ちなみに本気出した?」
「全然。出したら殺しかねないもん」
その言葉に、アリスは『ふ〜ん』とだけ言った。
けれど、目には少しだけ複雑な色があった。
アリスはアッシュの方へ向かう。
一方で、エドワードはヴィンセントの元へ駆け寄った。
傷だらけの兄を見て、心配そうに声をかける。
「兄様……。大丈夫か?」
負けたからか。
それとも、弟に心配されるのが屈辱なのか。
ヴィンセントはエドワードの声に、ギリッと睨みつけた。
「触るな、愚弟が……!!」
「そうは言っても、傷の手当てをした方が――」
「うるさい!!」
ヴィンセントは怒鳴った。
「ただ守護者に選ばれたというだけで、なんの能力もない無能のくせに、私を見下すな!!」
「あにさ――っ!!」
ヴィンセントがエドワードを強く押し退けた。
ドンッ。
エドワードの身体が弾き飛ばされる。
衝撃で後ろへよろめいた。
背中が割れた窓枠にぶつかる。
そして、身体が外側へ傾いた。
「ッ!」
窓の外は、見下ろすだけで足がすくむ高さだった。
エドワードの身体が、そのまま落ちていきそうになる。
それを見た瞬間、ヴィンセントの表情が変わった。
怒りが消える。
血の気が引いた顔で、痛む身体を無視して弟へ手を伸ばした。
「エドワード……!」
だが。
(届かない……!!)
ヴィンセントの指先は空を掴む。
その表情が強張った。
その後ろから。
ダンッ。
迷いなく、アッシュが飛び出した。
床を蹴り、窓枠へ足をかけ、そのまま身を投げるようにエドワードの腕を掴む。
落ちる勢いを利用しながら、身体を捻った。
エドワードを部屋の内側へ引き戻す。
そのままヴィンセントの方へ投げた。
「うわっ?!」
「ッ!」
引き戻されたエドワードを、ヴィンセントが反射的に掴む。
だが、アッシュは引き戻した時の勢いを止めきれなかった。
そのまま窓の外へ飛び出していく。
落下する。
アリスが小さく悲鳴を上げた。
「アッシュ!!」
慌てて窓から下を見る。
だが、そこには誰もいなかった。
アッシュの姿がない。
「え、えぇっ?! ど、どこに行ったの?!」
アリスはきょろきょろと辺りを見渡す。
その瞬間、背後から風が吹いた。
次いで。
ゴンッ。
鈍い音がした。
音の方へ振り向く。
そこには、アッシュが床に倒れていた。
「あいたた……。やっぱ無属性の魔法は苦手だな……」
頭から落ちたらしく、痛そうに頭を押さえながら起き上がる。
どうやら空間転移で戻ってきたらしい。
ただし、着地点の計算に失敗したようだった。
無事な姿に、アリスは大きく息を吐いた。
「よ、よかった……。アンタ無事だったのね」
「あはは、まぁ着地に失敗はしたけど、なんとかね」
アッシュは苦笑する。
「それより、エドワードは大丈夫?」
「あ、あぁ。助かった……」
少し戸惑いながら、エドワードは答える。
彼の隣では、ヴィンセントがまだエドワードの腕を掴んだまま、膝を抱えるように座り込んでいた。
咄嗟にヴィンセントの方へ投げたが、どうやら二人とも無事のようだ。
エドワードは、動かなくなった兄にどう声をかければいいか迷いながら、そっと袖を引っ張った。
「あの、兄様……」
「…………」
ヴィンセントは黙ったままだった。
膝を抱え、視線を落としている。
大きく息を吸い、長く吐く。
それを何度か繰り返しながら、ぼそぼそと何か呟いていた。
「……届かなかった……」
「兄様?」
「……落ちるところだった……また、私は……」
先ほどまで好戦的だった姿が嘘のようだった。
黒い殺気を撒き散らしていた男が、今はソファどころか床で膝を抱えている。
その落差に、アッシュもアリスも一度顔を見合わせる。
アリスは何かを察したように、そっとヴィンセントと同じ目線の高さになるようしゃがんだ。
そして、彼の肩を撫でる。
「あ、これ懐かし」
ぽんぽんと撫でながら、アリスはもう一度アッシュの方を見た。
「たぶん、これ、いじけモードだ」
「いじけモード」
思わずアッシュは同じ言葉を繰り返した。
「いつもあんな感じだけど、たまにあるのよ。落ち着いたら喋り始めると思うわよ」
「へぇ……」
アリスは慣れた手つきで、ヴィンセントの肩や背中をぽんぽんと撫でている。
ヴィンセントは特に払いのけることもなく、ただ膝を抱えている。
顔は見えにくいが、耳が少し赤い。
身動きが取れなくなったエドワードは、どうしたらいいものか分からず、アッシュとアリスを見る。
しかし、二人から明確な答えは返ってこない。
最終的に、困った顔で隣にしゃがんでいるアリスを見る。
「わ、私はどうしたら……?」
「一旦ステイで」
「え、えぇえ……」
エドワードは何とも言えない顔をしながら、ため息を吐いた。
諦めたように、その場で大人しくする。
ヴィンセントが落ち着くまでの間、ユキとノアが修復魔法を使いながら部屋を片付けていった。
割れた窓。
焦げた床。
散らばったガラス。
雷で焼けた壁。
さすがに騒ぎにならないわけがない。
しばらくして、ユーリが部屋まで駆けつけてきた。
そして、全員、かなり怒られた。
一番怒られたのは、アッシュだった。
どうやら、上からアッシュが落ちていくところを騎士団の誰かに目撃されていたらしい。
「お前なぁ!! 何で窓から落ちてんだよ?! 心臓止まるかと思ったわ!!」
「あはは……すみません……」
「笑ってんじゃねぇ! 落ちるなら落ちる前に言え!」
「それはちょっと無理かなぁ」
「口答えすんな!!」
もっと他に言うところがあるのではないか。
そう思わなくもなかったが、部屋よりも身の安全を気にするのは、ユーリらしかった。
◇
数時間後。
ようやくヴィンセントも落ち着いた。
相変わらず顔は不機嫌そうだ。
けれど、先ほどのような高圧的な様子はない。
黙って客室のソファに座っていた。
落ち着いて話し合いをするためにも、忙しいところ申し訳ないが、ルーファスにも来てもらい、同席してもらうことになった。
部屋で起こったことを一通り説明すると、ルーファスは半分ほど呆れた顔をした。
「はぁ……」
深いため息だった。
「ヴィンセント君。アリス君が心配なのは分かりますが、強制はいけませんよ。強制は」
「…………」
「ヴィンセント君」
「分かっている……。何度も言うな、先生」
ヴィンセントはルーファスのことを『先生』と呼んだ。
聞く限り、幼少期にこの騎士団で修行していたらしい。
エドワードからも、ここで世話になったことを来た当初に聞いていたが、まさかヴィンセントも世話になっていたとは意外だった。
視線を合わせず、仏頂面のヴィンセント。
そんな彼の頭を、ルーファスがこつんと軽く叩いた。
「まったく。あなたたちは昔、兄弟で仲良かったんですから、ヴィンセント君もあまり突っかかってはいけませんと、何度も言ったはずでしょうが」
「……別に、突っかかっていない」
「起こした後に殴ろうとしたのは? 突っかかっているうちに入るでしょう」
「殴る前に防がれた」
「ヴィンセント君。病人を殴るところが駄目だと分かりませんか?」
「…………」
正論だと理解しているのか、ヴィンセントは黙った。
眉間の皺が濃くなる。
同じソファにひとスペース空けて座っているエドワードが、おどおどしながら口を開いた。
「ルーファス、兄様をそんなに責めないでくれ。それに、私は兄様を尊敬しているし、喧嘩というか、突っかかられても、そんなには気にしているつもりは――」
「私はお前のそういうところが嫌いだ」
「す、すまん……」
「ヴィンセント君、やめなさい」
「チッ」
舌打ちしたヴィンセントに、アッシュは口を挟もうかどうしようかとそわそわした。
エドワードはエドワードで、いつものような元気がない。
(んー、僕は兄弟がいたことがないから、こういうものなのかな)
そう思いながらも、アッシュは二人が座るソファの後ろへ回り込む。
間に入るようにして、ひょこっと顔を出した。
「君たち二人は以前、仲良かったんだ。ちょっと意外だね」
「家族の中では、兄様とは仲がいい方だ、と思う……」
「んん〜、それはちょっと触れにくいねぇ」
「おい、近づくな。殺すぞ」
「まぁまぁ、嫉妬深いヴィンセント君。そんなピリピリしてると幸運が逃げるぞぉ〜」
「黙れ。そもそも貴様がアリスと行動していることが原因だ。さっさと消えろ」
「あはは、いやだなぁ。負け犬の遠吠えって言葉、知ってる?」
「あ?」
「ちょっ! あ、兄様もアッシュも落ち着け」
バチバチと火花を散らすアッシュとヴィンセント。
とはいえ、今のところ互いに手を出す様子はない。
ルーファスも『はいはい、もうお二人ともいい大人なんですから、喧嘩しない』と注意する。
アッシュは肩をすくめながらも、少し気になっていたことを口にした。
エフェメラル家については、アリスやエドワードから少し聞いている。
代々神子に――アリスに仕える家。
魔法や刀の扱いに長けており、特に雷の恩恵が強い。
神子を守るため、幼少期から過酷な訓練や修行を受ける。
その修行先の一つが、この騎士団なのだろう。
だから、ルーファスもヴィンセントのことを知っている。
それは分かる。
けれど。
守護者であるエドワードと、兄であるヴィンセントが、ここまでぎくしゃくしているのは気がかりだった。
力に固執する家系で、力を示せない子どもが差別されることはある。
エドワードは身体が弱い。
けれど、刀の扱いも魔法も、決して弱くない。
魔力に関しては、一般より多い方だ。
アッシュはヴィンセントを見た。
「君、僕に対してあからさまに毛嫌いしてる理由はよく分かるけど、なんで家族であるエドワードに対してもそれなの?」
「何故、貴様に言わないといけない?」
「負けたんだから教えてよ」
「……」
「エドワードをずっと怯えさせてさ。兄ならもう少し気にかけてあげなよ」
「貴様に関係は――」
「あぁ、それは簡単な理由ですよ」
横からルーファスが口を挟んだ。
「純粋に、守護者に選ばれなかった腹いせですよ」
「おい、先生」
ヴィンセントがルーファスを睨む。
ルーファスはため息を吐いた。
「いつまでもそういうのもよくないですよ」
そして、静かに続ける。
「ヴィンセント君が元々ここの騎士団に来て修行していたのも、守護者としてアリス君を守れるようにするためでしたからね。子どもながら真剣に取り組んでいましたし、どの子たちよりも常に成績も腕っぷしもトップでした」
「へー、そうなんだ」
「えぇ。ですが、その修行中、彼が十五歳の時にエドワード君が守護者だと判明しましてね」
ルーファスはヴィンセントを見る。
「それ以来、こんな感じです」
「……てことは、さ」
アッシュはちらっとヴィンセントを見る。
「自分が必死に守護者として修行していたのに、自分じゃなくて、弟のエドワードが選ばれたからっていう、嫉妬から来てるってこと?」
ヴィンセントは何も言わなかった。
黙ってそっぽを向く。
その態度が、何よりの答えだった。
アッシュは少し引き気味に言う。
「うっわ。ぐれてんじゃん」
「……」
「てか何年も、ってことでしょ。いい歳してぐれすぎじゃん」
「……ッ、ブフォ!!」
耐えきれなかったアリスが吹き出した。
ルーファスとアッシュの言葉でエドワードが困惑している横で、ヴィンセントは黙って目を逸らしている。
「あっはっはっは!! なになに! もしかしてそういうこと?! 可愛いわねぇ〜」
「あーうるさい、うるさい。もういい、喋るな」
ヴィンセントはソファの手すりに頬杖をつく。
その隣まで、わざわざアリスがやってきた。
にやにや笑いながら、彼の頬をつつく。
「つんつん」
「やめろ」
「つんつんつん」
「やめろと言っているだろうが」
鬱陶しそうに払おうとするヴィンセントを見て、ユキが『あ、なるほど』と呟いた。
「何が、なるほどなんだよ?」
ノアが首を傾げる。
「いえ、僕とノアの時に、あからさまに態度が違った理由が何となく分かりまして……」
「え、まじ?」
もう一つのソファに座っていたユキとノアの声に、ヴィンセント以外の全員がそちらを向いた。
「まず一つ目が、僕とアッシュはアリスの守護者ではないじゃないですか」
ユキは淡々と分析する。
「自身も守護者ではないから同行して守ることを諦めているのに、一緒にいることが気に食わないのでしょう」
「……」
「二つ目が、アッシュを特に嫌っているのは、他の神子の守護者なのにアリスたちへ同行している、というのが尚更気に食わないのではないでしょうか?」
「あってると思うわよ、多分それ」
アリスがけらけら笑いながら答える。
全員がヴィンセントを見る。
ヴィンセントは身体ごとそっぽを向いて、こちらを見ない。
どうやら図星らしい。
さらに追い打ちをかけるように、アッシュがにやにやと笑う。
「なーんだ、そんなこと」
「……」
「嫉妬深いは、やっぱり間違いじゃないじゃん」
「……」
「んで? エドワードにはなれなかった八つ当たり? うわぁ、しょうもな」
「貴様――ッ?!」
煽ってくるアッシュに睨みつけようと、ヴィンセントが振り向く。
その瞬間、アリスが背中から抱きついた。
「なっ?!」
グリグリと額をヴィンセントの背中に擦りつける。
何事かと振り向いた彼に、アリスはニカッと笑った。
「そんなにアリスちゃんのこと大好きなら言ってくれたらよかったのにぃ〜。旅の土産話以外に、私の写真もつけてあげたのにぃ〜」
「なぁっ?!」
ヴィンセントの顔が一気に赤くなる。
「だ、誰がいるか!! アリス、お前、調子に乗るなよ!! さっさと離れろ!!」
「ふふふーん。やーだ!」
ヴィンセントは身体をぶんぶん揺らす。
だが、アリスは一切離れない。
むしろ、絶対離さないと言わんばかりにがっちり掴まっている。
「ヴィンセントが私のためにいつも頑張ってんの、アンタが子どもの時から知ってたけど」
アリスの声が、少しだけ柔らかくなる。
「私が知らないところで、もっともっと頑張ってたんだね」
「……いきなりなんだ」
「褒めてんのよ」
アリスは背中にくっついたまま言う。
「むっかしからアンタは『守護者の家系として』って責任感も強かったし、当主になってからも私たちの旅のサポートをめちゃくちゃ頑張ってたの、知ってる」
「……」
「もっと分かってやれなくて、ごめんね」
アリスがそう言うと、ヴィンセントは仏頂面のまま黙った。
けれど、耳元が少し赤くなっている。
そんな彼を見て、アリスは『えへへっ』と笑った。
だが、すぐにぷくぅと頬を膨らませる。
「でも、エドワードとはちゃんと仲直りしなさいよ? エドは結構気にしてんだからね」
「…………」
ヴィンセントはちらっとエドワードを見る。
エドワードは目が合った瞬間、びくっと身を震わせ、視線を逸らしてしまった。
その姿を見て、ヴィンセントはため息を吐く。
もう一度ソファに腰かけ、またそっぽを向いた。
「ほら、顔見て!」
「痛っ?!」
アリスが強制的にヴィンセントの顔をエドワードへ向ける。
無理やり向けさせられた時に、ごきっ、と痛そうな音がした。
ヴィンセントは首筋を擦る。
しかし、言われた通り、渋々エドワードへ視線を移した。
「……おい、エドワード」
「あ、はい。なんだ? 兄様」
エドワードは恐る恐る顔を上げる。
ヴィンセントは言葉を迷っているようだった。
視線が少し泳ぐ。
それでも、言うべきことは決めたらしい。
再び黒い瞳が、エドワードを見た。
「……さっきは悪かった」
間が空く。
「私のくだらない意地だ」
その言葉に、エドワードは目を見開いた。
ヴィンセントは言いにくそうに続ける。
「別にお前が本当に、その……き、嫌いというわけではない……」
最後の方は、かなり歯切れが悪かった。
耳も赤い。
だが、その言葉を聞いたエドワードの表情は、一気に明るくなった。
「……っ! あ、あぁ、大丈夫だ」
エドワードは少し慌てたように言う。
「兄様の気持ちを、私も汲み取れず、知らぬ間に傷つけていたんだな……」
「別に」
ヴィンセントは目を逸らす。
「さっきも言った通り、私の意地が原因だ」
少しだけ言葉を切る。
「お前は守護者として精一杯、頑張っているのは知っている」
「……」
「だから、その……謝るのは、私だ」
「……ありがとう、兄様」
エドワードは嬉しそうに笑った。
それを見て、アッシュもつられて笑う。
ヴィンセントは耳まで真っ赤になっていて、エドワードは本当に嬉しそうだった。
二人のやり取りに、ルーファスも『うんうん』と頷く。
少し間を置いて、ぱんっと手を叩いた。
「さ、問題はひとまず解消しましたね。兄弟なのですから、これからは仲良くするんですよ」
ルーファスの言葉に、エドワードは頷く。
ちらっと見たヴィンセントは無視をした。
そして、ため息を吐きながら立ち上がる。
まだ後ろにアリスがしがみついたままだったため、アッシュが引き剥がした。
「はいはい、アリス。そろそろ離れようね」
「えー」
「ヴィンセント君が爆発しちゃうよ」
「もうしてるわよ」
ようやく解放されたヴィンセントは、部屋を出ようと扉の方へ向かう。
だが、途中で立ち止まった。
「アリス」
「ん?」
振り返ったヴィンセントの顔から、先ほどまでの仏頂面は少し消えていた。
むしろ、どこか柔らかい。
呼ばれたアリスは、何だろうと首を傾げる。
「ヴィンセント、どうしたの? あ、私の写真希望とか?」
「バカか、違う」
ヴィンセントはため息を吐く。
「……ひとまず、帰るというのは保留だ」
「ほんと?」
「あぁ」
ヴィンセントはちらりとアッシュを見た。
「そこのくそ野郎が強いことはよく分かったし、お前たちに危害を加えるどころか、身を挺してまで助けに行くことも見た」
「ちょっと、くそは余計じゃない?」
アッシュが思わず突っ込む。
ヴィンセントと目が合う。
すると、舌打ちされた。
けれど、殺気は向けられていない。
「保留にするが」
ヴィンセントは低く続ける。
「もしコイツがお前たちに手を出すというなら、全力で殺しに行く」
「わー、物騒」
アッシュは呑気に返した。
その横で、アリスとエドワードは同時に思った。
先日のアッシュの事件のことは、絶対にヴィンセントにバレないようにしよう。
バレたら絶対にややこしくなる。
それどころではなくなりそうだからだ。
そう二人は思ったが、口には出さなかった。




