侍の国:全ては明日で……
寝転がったままの二人は空を見上げていると、グレンはチラッとアッシュの方を見る。
相変わらずニコニコとしていた。
そんな彼にグレンはため息を吐いて再び空の方を見上げていると、先程までどうしようもないくらいのぐちゃぐちゃな気持ちが今は落ち着いている。
「……まったく、お前と話していると、悩んでいた私がアホらしいな」
「だから言ったじゃないか。君、深く考えすぎてろくな事、考えないでしょ」
「……否定はしないが、お前に言われるとなんだ腹が立つ」
「いや、なんでよ」
「ふん」
本当はアッシュたちから離れるほうがいいと思っていたんだが、バレることになったとしても、会いに行っていいと言ってくれた。
何故か、心の何処かでホッとしている自分がいる。
(私も、随分と自分に甘くなったものだな……)
肌に触れる心地よいほどの冷たい風に目をつぶっていると隣で同じように目を閉じかけていたアッシュが、”あっ”と声を上げてグレンの方を向く。
「明日、どうするの? アティを助けに行くのはわかるけど、二人の妖刀使いの相手は君でも大変なんじゃないの?」
「ふむ」
声を掛けられてグレンは目を開けてゆっくりと起き上がり、考えるように首を傾げる。
「アイツらがどれだけ強いかは知らん。が、殺す訳にはいかなそうだからな。少し悩んではいる」
「え、なんで?」
正直、加減して抑えるより、殺しかねないかもしれないけど、潰しにかかれば早いと思う。それとも鏖殺の件があったからなのだろうか。
……それこそ僕は本当に相手の生死に関しては無頓着なのかもしれない。アティを攫った相手だからなのか、それとも単に相手に興味が無いからなのか。
「理由は二つだな。一つは伊東が羅生の事を、”羅生様”と呼んでいたことだ。あの男はそこそこ位の高い人だったから伊東よりも高い地位の者は少ないし、可能性として将軍殿の関係者、もしくは息子の可能性が出たからな」
「いとう、って誰だっけ?」
「ん? あぁ、そうか。お前はアイツの名前知らなかったのか。お前が今日、拷問して吐かせようとした奉行殿の名だ」
「あ〜、アイツの」
全然興味も無さそうなアッシュの返事にグレンは、”聞いておいてコイツは興味のない奴の名前はどうでもいいんだろうな”と思い、話を続ける。
「それで、二つ目は?」
「二つ目はアティの事だ。アイツの前で殺しをすると、変に責任を感じてしまう子だ。自分の事で誰かが死ぬなんて、きっと普通は嫌だろ」
「…………それもそっか」
攫われた原因が私にあったとしても、あの子はそう思ってしまうだろう。そういうところは……。
「あの子のそういうところは、レイチェル似だと思う」
「あはは、それはそうだね。……いやぁ、懐かしいなぁ、基準が分からない時、何回かレイチェルに確認して仕事してたよ」
「……お前の感性で、貴族の仕事が出来たのもレイチェルたちのおかげでもあるしな」
「いやぁ、あん時は大変だったよぉ。貴族の相手もそうだけど、皇帝の相手になる時とか、それこそレイチェルのお義母さんにどんだけ仕込まれたことか」
ケラケラと笑うが、昔のアッシュの場合気に食わないの事や意に沿わない事があれば殺そうとする事が多かった。嗜虐性があるんじゃないかと思うほど容赦ない。そう思うと今はかなり落ち着いた方だろう。
……まぁ、人の事を言えた方ではないがな。
グレンはため息を吐きながらあぐらをかいた足の上に肘を置き、頬杖をつく。
「話を戻すぞ。この二つを考えると殺る前提の行動は出来ない。だから、私がするのは一人で完全に戦意喪失させることだ」
「一人で?」
「あぁ、私一人で完膚なきまでにまでに叩きのめせば、多少は戦意も失せるだろ」
彼が本気で抑えるなら、ある意味では妖刀くらいでは自分の力を補えないだろうし、なんなら、普段も強いけど、彼が”覚醒”まで使えば、基本的には負けることはないだろう。
「……まぁ、向こうからしたら刀の力を使ってダメならさすがに諦めてくれるといいけどね」
「さぁ、どうだろうな。後は、それをする前にアティをどう奴らから引き剥がすか、考えないといけないがな」
そう言って彼は立ち上がり、投げ捨てられた上着を取りに行く。取りに行っている間にアッシュも立ち上がって身体に着いた草を叩く。
叩いたあとアッシュはグレンの方を見ると拾い上げた上着を着ている彼はここで見つけた時よりも顔色が良くなっている。
本当に良かった。
思わず微笑みながら見ていると、視線に気づいたグレンが首を傾げて振り返る。
「なんだ?」
「……うぅん、元気になって良かったぁて、思っただけだよ」
ヘラッ笑いながら言うと少し驚いた顔をしてから上着のフードを頭から被り、顔が見えないように逸らす。
「別に、元から元気だ」
「あははっ そうだね」
「……さっさと屋敷に戻るぞ。朝、早いんだ。明日で終わらせる」
「うん、わかった。僕も頑張るよ」
先に崖から降りたグレンの後ろから追い掛けるようにアッシュもその場から離れていった。
◇
チリンチリンと音を鳴らしながら黒猫は駆ける。身体と同じ色の暗闇に溶け込み、青い瞳を輝かせていた。
屋根から屋根へと移動していくと、猫は一つの建物の中へとスルッと入り込む。
「あ、クロちゃん!」
中にいた金髪の少女が猫の存在に気がつく。棚の上に降り立つ猫に向けて少女が手を伸ばしているとその猫はそのままその場に座ると毛繕いを始めた。
こちらに来てくれなかった猫に少ししょんぼりしていると隣にいた陽があぐらをかいて少女の方をジッと見ている。
「つーか、お前、まだあの話を聞いても全然、態度が変わんねぇな」
「え、私ですか?」
「お前以外に誰がいんだよ」
呆れた表情をした陽にアティはニコリと笑いながら棚の上にいる猫へと手を伸ばす。奥へと逃げていこうとしたが、棚から棚へと少女もまるで猫のように登り追え、そのまま捕まえた。
観念したように猫は、フンスッと鼻でため息を漏らす。
猫を捕まえて満足したのかアティは棚の上に座るように足をプラプラとさせる。
「あと、お前、うろちょろすんなよ。大人しくここで座って寝てろよ。埃っぽいところにも登んな」
「えへへ、逃げたりしないので大丈夫ですよ!」
「……はぁ、もう、このチビガキが。兄者も帰ってこねぇし、そろそろ子守りから解放させてくれっての」
陽がそっぽを向き、頭をかいて悪態をついていると少女はなにか思い出したかのような顔をして、棚から飛び降りる。子供に抱き抱えられた猫は諦めたような様子でダランと少女に身を任せており、そんなアティは笑顔のまま陽の前まで駆け寄る。
「あ、そういえば、お腹すきませんか?」
「あ? 腹?」
「はい!」
アイテムボックスから何かを取り出す。それは小さな袋でお菓子が入っているもの。
中身はクッキーで、それを取り出して、一口食べたあと、陽にも差し出す。
「どうぞ! 見ての通り、毒も入ってませんよ!」
「へいへい」
そう言いながら陽はアティからお菓子を受け取る。クロを膝に抱えながらアティは座ってボソリと猫に向けて呟く。
「……クロちゃんはすぐ私の事、見つけたのに、お父さんはまだみたいですよぉ〜」
「にゃあ」
少女の言葉に猫は首だけ向けると小さく鳴く。猫はアティの頬へ頭をスリスリと擦り付ける。急に甘えてくるクロに少女は自分が少なからずだんだんと不安になっている事を紛らわせるように、肉球をプニプニとし始めた。
大丈夫。攫われたとはいっても私は人質としてと言っていた。あの時のような酷い目には遭うことはないはず。この方たちはそういう事をするような人じゃない。逃げるなら、お父さんたちが来た時。それまでは逃げる素振りも警戒する素振りも見せてはダメ。
そう心では自分の不安を押し殺すように言い聞かせている間も黒猫の手を揉んでいると、クロはそれがちょっと嫌なのか嫌そうな顔をしていた。だが、少女の顔が不安の色へと変わっていくのを見て再び猫は小さく鳴く。
「うにゃうにゃあ」
「……うん」
”大丈夫だよ”
そう言われてる気がして、先程まで波のように押し寄せてきていた不安がスッと引いていき、そして、疲れたからだろうか、強い眠気に襲われる。猫の背中へ顔を軽く乗せると、猫の特有のゴロゴロと喉の音に耳を傾け、少女は眠りにつく。
「……あ? ガキンチョ?」
先程までキャッキャと騒いでいたアティが急に静かになったので陽は少女の様子を伺う。
「はぁ、ようやく寝たのかよ」
これでガキの子守りをしなくていい。が、布団の上でもなく床で座ったままの少女に見て、なにか思うことがあるのかガシガシと頭を搔くとアティの方へと近寄る。
「ホント、ここまでする義理はねぇんだからな」
吐き捨てるように言って少女を抱きかかえる。抱えた少女をこの部屋に唯一ある布団の上に寝かせていると、陽は黒猫と目が合う。横向きに寝ているアティのお腹の上で体勢を変えてもジッと陽の事から目を離さない。
まるで守っているようにも感じる。
「んだよ、ネコ。安心しろよ、こんなガキンチョに欲情するほど変態じゃねぇっての」
「……にゃーん」
尻尾をパタパタさせながら猫は返事を返す。
何だこの猫、やっぱ言葉理解してんのか?
そう思い、猫へと手を伸ばして撫でようとすると、陽の後ろにあった扉が勢いよく開く。スパンッという音に、陽はビクッと驚き、振り返ると全身血塗れの羅生がそこに居た。
息を荒くし、視点の定まらない赤い瞳で二人を見つめている。
様子のおかしい羅生にハッとした陽がアティを少し隠すように前に出て自分の持つ刀に手をそえる。
「お、おかえり。ガキンチョはぐっすり寝てるからよ。静かにしとかねぇと、な?」
「………………、…………」
「あ、兄者?」
何か呟きながらフラフラとこちらに近寄ってくる。よく見ればまだ妖刀を握ったままだった。生きてるかのように脈動を打つ妖刀をズルズルと引き摺りながらゆっくりとこちらへと歩いて来る羅生は口からか細く呟く。
「……た、り…の……っ」
「兄者!」
まずい、まずい!! 妖刀の力で発狂しかけてる!!
慌てて陽は自分が持つ村雨を持ったまま押し付けるように羅生に刀をググッと押しながらアティに近寄ろうとする彼を止める。
押さえているとようやく何を呟いていたはっきりと聞こえるようになっていく。
「足りんのや……。血が、足りんのや……!!」
「兄者! 落ち着けって!! 兄者っ!!!!」
羅生の視界はグラグラと赤く染まっていた。
目の前にいる子どもは刀を通して見ると力が強い事がよく分かる。外にいる有象無象のヒトを切るよりも、この子どもの血を刀に与えれば、もっと、もっと……!!
「兄者!! コイツは兄者の恩人なんだろ?! 傷つけんなって、言ったよな?!」
「おん、じん……?」
「そうだよ!! 俺に散々、面倒押し付けて傷つけんなって言ってたのに、落ち着けって!!」
「…………っ」
陽の言葉に意識がグラつく。
せやったわ……、わしは……。
徐々に力が抜けていく羅生はズルズルとその場に倒れるように座る。それを陽が支えながら一緒に座り込む。
「…………もう、大丈夫や。すまんな、陽」
「いいって。兄者が落ち着いたなら」
「お嬢ちゃんは……?」
「そっちも問題ねぇよ」
「そうか……」
ほっとした様子でアティの方を見ると羅生は猫と目が合う。余裕そうな顔で視線だけこちらに向けながら尻尾がパタパタとさせてうとうとしていた。
ガクッと項垂れる羅生は血に濡れた自分の手を見る。
……また、気が狂いそうになってしまっていた。日に日に正気を保てる時間が短くなっている気がする。その度に、罪のない国の人たちを自分は殺しているんだと、自覚する度に刀の影響とは関係なく、気が滅入りそうだ。
はぁ、とため息を吐いて、羅生は刀をようやく鞘へ納めた。
「…………こんなんも、明日には終いや。どうせあの男の事や。妖刀の力が薄い朝に来るはずや」
「え、ここに?」
「そうや。せやから今のうちに場所を移動するで」
「何処に?」
顔を上げて陽の問に答える。
「親父のいる、本丸や」