侍の国:それぞれの夜・二人の守護者1
屋敷から出て、さらに国の外。この国を一望することが出来る崖。そこに一本の木があり、その根元で横になっている者がいた。
紫色の髪をしたその人は紅いマフラーを自分の顔の上に置き、せっかくの夜空を見ずにそのマフラーの上から腕を乗せていた。近くには投げ捨てるように黒い上着が転がっている。
そんな人の元へ、金色の髪をした男がストッと降り立つ。
「あ、やっぱりいたね」
「…………何しに来た?」
「んー、君ともう少し話がしたいから、かな」
そう言いながらアッシュはグレンの隣に座る。
マフラーから顔を外すことはなく、黙っている。話しかけようとは思うが、彼が落ち着くまでは黙って待っておこう。
少しの沈黙後、グレンは動かないまま声だけをアッシュにかける。
「……それで、なんの用だ? 何も無いなら、帰れ。今は、お前でも鬱陶しく感じてるんだ」
「鬱陶しいんじゃなくて、悩んでいるのを見られたくないんじゃない?」
「……うるさい」
そう返事をして、グレンはアッシュが居ない方に顔を動かす。いつも通りの声だが、それでも顔を見せようとしない。
そんな彼にクスリと笑い、アイテムボックスへ手を入れる。アイテムボックスは便利だ。扱う人にもよるが、入れた時の状態で維持される。
取り出したものを、彼のお腹の上に置くと、ようやく、顔の上にあるマフラーからチラッと顔を覗かせた。
お腹の上に置いたのは小さな袋に入れてある、彼に以前食べてもらったパンケーキだ。それを1口サイズほどの小さく焼いたもの。これなら食べやすいだろう。
「……なんだ?」
「君、松葉屋では食べてなかったでしょ? ここに来る前に厨房を借りて作ってきたんだ。少しでもいいから食べたらどうだい?」
「…………」
「いらないなら捨てるよ」
アッシュの言葉にグレンはさらにマフラーを捲り上げて、彼を見る。ため息を吐いてからお腹に乗せられたパンケーキの入った袋を持ち上げて、自分も起き上がる。
ずるい言い方だけど、こう言わないと何も食べないだろうから。
起き上がったがマフラーは頭に引っ掛けたまま。顔を見えないようになっていて様子が見えない。けど落ち込んでいるのはなんとなくわかる。
1口サイズのパンケーキを摘むが小さく齧り、ゆっくり食べ始めた。
「どう? 美味しい?」
「……ん」
小さく返事をしたグレンだが、そこから手が止まった。
「……アッシュ」
「ん?」
「…………お前、前に意識がないまま、妖怪を、人を殺したことがあっただろう」
「あ〜、あの時か」
僕に呪いをかけた張本人。●●●●●と名乗る、聞き取れない名前の自分とそっくりな奴。そいつが僕の身体を使って、その場にいた者たちを殺していた。
大量に。
勝手なことをしてくれたおかげで、その後えらい目にもあったけどね。
「あの時、お前は、どう思った?」
「何が?」
「勝手に、人殺しをさせられて、お前はどう思った?」
「……そうだねぇ」
……なんとなく彼が聞きたいことはわかった。アビスが無理矢理にでも殺しをさせていたことで彼の中で色々思うところがあるんだと思う。
「……実は、さ。君が望むような答えではないけど、僕は正直、殺しを自分の手じゃなかろうが、そうであろうが、他人の命を奪うことに関しては、僕自身は気にしたことはないよ。呪いを抜きにしてもね」
「…………まぁ、お前はそうだな」
「ま、気にしすぎるのも良くない、って言えば簡単だろうけど、君は優しいからね」
「優しくはない。あいつらが言うように、私は……」
私は、人殺しの化け物だ。
よく言われていたこと。それに、アッシュに言われた通りだ。今更、気にするのも、良くないかもしれない。そんな気持ちは無くしてしまえばいいと、ずっと思って、そうしてきたのに。
(いや、それよりも一番、私が怖いのは……)
彼はひと齧りしただけでそれ以上は食べる様子もなく、袋の中へと戻す。立ち上がったかと思うと、こちらに顔を合わせることもなく、ボソリと呟く。
「……やっぱりお前は屋敷に帰れ」
「え〜、僕も外でゆっくりしたいから来たんだよ」
「だったら、私が別の場所に移動する」
「何処か行くのかい?」
「何処へでもいいだろ」
「何処でもいいなら、此処でもいいじゃん。一緒に話をしようよ。君、深く考え込むと、ろくな事ないし」
「あ?」
声だけでも不機嫌そうにしているけど、迫力なんてものは全くない。彼はそれ以上は言わずに、座っているアッシュの後ろ側から歩いて行こうとする所を、後ろ向きのまま、彼の腕を掴み、どこかへ行こうとするのを邪魔をする。
掴むとグレンの顔は見えないままだが、立ち止まってはくれた。
「離せ」
「君、殺し云々よりもさ、僕らの事をアビスに話してしまってないか、気が気ではないんじゃないの?」
「…………」
アッシュの質問に黙りとしてしまう。
そんな彼にアッシュはクスリと笑いながら、言葉を続ける。
「やっぱり。君さ、本当、答えに困るとよく黙るよねぇ」
「……別に、言葉が見つからないだけだ」
「それに、さっ!」
グレンの腕を支えに、アッシュは寝っ転がる。彼の腕を掴んだ状態で横になっていると、ようやく見えたグレンの顔を見上げる。月の光でも分かるくらい、目元が赤く腫れていた。
「別にいいんだよ。僕らの事、話してバレたとしても君のせいじゃないんだから」
「……いいわけ、ないだろ」
「どうして?」
どうして?
もし、アッシュたちのことを話してしまっていたとしたら……。
答えたいのに、言葉が出ない。
言いたいことが纏まらないのか、彼はまた黙ってしまった。
「僕らの事を話すことよりも僕は君の方が心配かな」
「…………」
「だって君、命で喋るってなったら、絶対に首切ってでも自分の口を塞ぐでしょ?」
そう言われて小さく頷く。
喋ることがあれば、容赦なく首を切り、喋れないように喉を潰す。それでも私は守護者だ。ただの刃物で切るだけでは再生してしまうだろう。
それでも、口を封じるためには死ぬ事になろうとも躊躇はすることは無い。
彼はまるで怒られている子供のように震えた声で、震える身体を押し殺すように、どうにか言いたいことを口にする。
「…………私が、私が話して、お前たちに対して主が興味を示したら……? お前たちに対して、悪意を向けてきたらどうする……?」
ギリッと歯軋りをし、悲痛な表情を浮かべる。
アビスがアッシュたちに興味を示さないわけが無い。たださえ監視をして報告をしろと言ってくるし、アッシュの事をおもちゃと扱いをしてくる奴だ。娘であるアティや神子であるアリスをきっと利用して苦しめようとする事なんて、奴がやろうとしてくることなんて、嫌なほど予測ができる。
分かるからこそ、自分の知らない間に、アッシュたちのことを言わされてる事が酷く不安で、たまらない。
下から覗き込んだままのアッシュは困ったような顔をしてヘラッと笑う。
「…………グレンは僕らと会うのは嫌なのかい?」
「嫌じゃない……」
「僕もだよ。アティもアリスもエドワードもノアもユキも、君と会うのは凄く嬉しいし、また別れたとしても、いつまた会えるかって楽しみにしてるんだ。だからさ、そんなに不安にならないでよ。君一人で抱えなくていいんだからさ」
それは、私もそうだと思う。
自分の本来の目的を忘れて、アッシュたちと過ごす事が本当に楽しくてたまらない。何を犠牲にしても守ってあげたかった。笑っていてほしかった。
あの時、スノーレインでアッシュと和解した時に、アビスの事も考えず、忘れてしまえれば、こいつらと一緒に、楽しく、旅をすることが、出来たのだろうか?
「……私が、お前たちにとって、害悪になるかも知れないんだぞ」
「きっと大丈夫だよ。もしそうなったら僕がどうにかする」
「……私が、命でお前たちに剣を向けるかも知れないんだぞ」
「あはは、君の剣を止めるのは大変だろうけど、大丈夫さ。僕も強いからね」
「……そう、か……」
ドサッとグレンは崩れるように座ると、握られた腕に手を置いてギュッと握る。
「私は、またお前が笑えなくなるのが、不安なんだ。私が居ることで、お前の大切な者たちを、アティやアリスたちを危険に晒してしまっている。それでも……」
それでも、私は……、お前と会って話がしたい。
お前と、また会えるようになって、お前たちと会って話をして、一緒に食事をしたり、過ごすことで、ずっと暗く、冷たい闇の中から照らされてるようで、とても心地よく、拠り所になってしまっていた。
分かっていたはずだ。アイツの支配下にある以上、拠り所を得てしまえばそれが弱みになって、私だけでは無い。アッシュたちにも、迷惑をかけてしまうということを。
監視という命令を言い訳に、適当な報告をするなら会わなければいいのに、それが、出来なかった。
言葉が止まったグレンにアッシュはヘラッと笑顔を向ける。
「いいんだよ、何時でも僕たちに会いに来ても」
そう言われたグレンは少しの沈黙した後に小さく頷く。
頷くグレンにクスリとアッシュは笑い、掴んでいた腕を引っ張ると、抵抗もなく、彼と並ぶようにグレンも横になった。彼の顔は見えなくなるが、これを面と向かって言うのは少し恥ずかしい。
「……それに、さ、僕は昔から君に守られてばっかだったんだから、今度は守らせて欲しいな」
「守れてないがな」
「十分、守ってもらってる。昔の時も、今もさ。でも、ずっと僕も君に守られてばかりじゃ、さすがにね、主様にも怒られそうだよ」
あははっと笑い、空を見上げるグレンの顔を横目にボソリと呟く。
「……僕は君の相棒なんだから、頼ってくれないと、ちょっと寂しいなぁ」
呟いた言葉が聞き取れなかったのか少し間を置いて、グレンもこちらを向く。
「……ん? 今何か言ったか?」
「へへ、なーんでもないよ。それより、星が綺麗だねぇ」
「…………そうだな」
二人して夜空を見上げていると明日はもっと大変だということを忘れてしまいそうなくらい、綺麗な夜空だ。