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とある異世界の黙示録 -蒼い守護者の物語-  作者: 誠珠。
第ニ章 クロノス騎士団

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クロノス騎士団:半神の魔法と治る傷

 ◇ ◇ ◇


 翌日の早朝。


 本当は昨日、ルーファスを交えて話をする予定だったらしい。


 だが、ユーリからの強制ストップが入り、その話は本日へ持ち越しとなった。


 今日は改めて話すために、ユーリがアリスたちの部屋までルーファスを連れてくるはずだった。


 しかし、そのユーリはまだ事務処理があるらしい。


 代わりに、アッシュがルーファスの様子を見てきてほしいと頼まれた。


 ユーリ曰く、



「おそらく、休まずに仕事してるだろうからな。俺も仕事で行けねぇのもあるが、自分で行くと朝っぱらから怒鳴る羽目になる」



 とのことだった。


 もし仕事中に寝ていたら、そのまま寝かせておけとも言われている。


 ただ、あの半神が素直に寝ていてくれるかどうかは不明だった。


 ユーリに言われた通り、アッシュは最上階へ向かう。


 一番広い部屋。

 そこが、ルーファスの執務室兼私室らしい。


 迷う心配はなかった。


 目立つ場所だ。

 目的地がはっきりしていれば、さすがのアッシュでも迷子にはならない。


 部屋の前に着いたアッシュは、扉を軽くノックした。


 ……。


 返事はない。



「ルーファス?」



 もう一度ノックする。


 それでも反応はなかった。


 アッシュは少しだけ眉を下げる。



(そういえば、エドワードはルーファスのこと、身体が弱いっていう感じで話してた気がする。もしかしたら、中で倒れてる可能性もありそうだなぁ)



 そう思い、アッシュはそっと手を伸ばす。


 ドアノブに触れ、ゆっくり回した。


 扉は、難なく開いた。


 鍵は掛かっていない。


 その先に広がっていたのは、足の踏み場もないほど書類が散らばった部屋だった。


 床。

 机。

 椅子。

 棚の前。


 どこを見ても、書類、書類、書類。


 まるで紙の海だった。


 中央奥にある大きな机には、誰かがいる。



「おーい、ルーファス。おはよー。起きてるー?」



 声をかけながら進む。


 だが、返事はない。


 書類の山をかき分けると、その中に、ペンを握ったまま寝落ちしているルーファスがいた。


 どうやらユーリの予想通り、仕事をしていて、そのまま限界を迎えたらしい。



「……すー……」



 静かな寝息が聞こえる。


 よほど疲れているのだろう。


 顔色もあまり良くない。

 机に伏せたまま眠っている姿は、昨日の穏やかで神聖な雰囲気とは違って、少し危うく見えた。


 このままでは身体に悪い。


 一度起こして、寝るならベッドで寝直してもらった方がいい。


 そう思い、アッシュはルーファスへ手を伸ばした。



「ルーファス、起き——」



 肩に軽く触れた瞬間だった。


 ルーファスの身体が、びくりと動く。


 眠りの底から、反射だけで引き上げられたような動きだった。


 ペンを持っていない方の手が、机の陰に滑り込む。


 次の瞬間、銃口がアッシュへ向きかけた。


 殺気。


 アッシュは咄嗟に剣を顕現する。


 銃を持つ腕を掴んで制し、同時に剣先がルーファスの首へ伸びた。


 あと少し。


 そのまま押し込めば、喉を裂ける距離。


 けれど、アッシュはそこでハッとしたように動きを止める。



「ちょっ! ストップストップ! 僕だよ、アッシュだよ!」


「……? アッシュ、くん……?」


「そうそう。だから(それ)、置いてほしいかなぁ……」



 アッシュは首元に当てかけていた剣を消す。


 そして、両手を上げた。


 敵意はない。

 そう示すように。


 ルーファスは青ざめた顔のまま、乱れた呼吸を整えていた。


 何度か瞬きをし、目の前の相手がアッシュだと理解すると、ようやく銃を下ろす。



「すみません……。少し、変わった夢を見ていまして……」


「……僕、悪夢を見る人に巻き込まれる(のろ)いでも受けてんのかな……」



 アッシュはため息をつき、へらっと笑って頬をかいた。


 ルーファスもようやく銃を机に置き、近くに置いてあった水を飲む。


 喉が小さく上下した。


 それでも、指先はまだわずかに震えている。



「それにしても、ルーファスも夢を見るんだね」


「これでも一応、人族でもありますからね」



 ルーファスはグラスを置き、少し息を吐いた。



「それに、私が見る夢は大半が予知夢……予言にも近いものです」


「へー」



 アッシュは軽く返した。


 すると、ルーファスはじっとアッシュの顔を見る。


 何かを確かめるような視線だった。



「……そうですねぇ」



 ぼそりと呟く。



(え、なんだろう。それに僕、いたのかな……)



 アッシュが内心で少し不安になる。


 そんな彼へ、ルーファスはにこりと笑いかけた。



「今回の夢は、実際に起こらないと祈りたいものです」


「え、待って。そんなヤバいの? なにか怖い夢?」


「ふふふ。まだ先のことでしょうから、ご安心ください。それに、そうだったかは後で確認します」


「いつか起こることに安心できることある?」



 アッシュは思わず突っ込んだ。


 予知夢。


 エドワードもたまに視るらしい。


 それを思い出すと、やはり少し不安になる。


 ただ、夢を確認する手段があるところを見ると、さすがは神に近い存在というべきなのだろう。


 そんなことをアッシュが考えていると、下階層の方からざわめきが聞こえた。


 ただの物音ではない。


 複数の怒声。

 慌ただしく走る足音。

 そして、遠くで響く銃声。


 アッシュは窓へ近づき、下の様子を覗き込んだ。



「何かあったのかな?」



 下を見ると、正門前に大勢の人影が集まっていた。


 さすがにこの高さからでは、どんな相手かまでははっきり分からない。


 けれど、銃声や騒ぎ方からして、穏やかな客ではないことだけは確かだった。


 ルーファスも隣へ来て、目を細める。



「あー、やはり来ましたか」



 その声音に、驚きはなかった。



「下に行きましょう」


「ん、りょーかい」



 ルーファスに連れられ、アッシュはエントランスへ向かう。


 ◇


 そこには、すでにアリスやエドワードたちもいた。


 皆が見ている先。


 正門前には、武装した男たちが集まっていた。



「おいゴラァ!! 騎士団長様よぉ!! 出てこいやぁ!!」



 威勢のいい怒鳴り声。


 それと同時に、発砲音が響く。


 だが、正門からこちら側までは結界が張られているらしい。


 放たれた弾は途中で弾かれ、こちらには届かない。

 火花だけが散り、銃声の割にはまったく迫力がない。


 ユーリが気だるそうに出てきて、侵入してきた者たちを見る。


 その顔が、さらに面倒くさそうに歪んだ。



「うわぁ、アイツらまた来てやがる……。毎度懲りねぇなぁ」


「んだよ。ユーリたちの知り合いじゃねぇの?」


「いやいや、ノアさんよ。よく考えろよ。ここ騎士団だぜ?」



 ユーリは手を横に振る。



「あんな山賊連中、知り合いなわけねぇよ」



 アリスは子どもたちを一歩後ろへ下がらせながら、ユーリへ尋ねた。



「どうすんの?」


「俺らの大将待ち」



 ユーリは階段に腰を下ろす。


 表情は気だるそうだったが、視線は正門から外していない。



(多分、この騒ぎを聞きつけたルーファスが来るだろうけど、正直、徹夜続きだったからあまり無理はさせたくねぇ……。つっても、俺が単体で行ったとしても、向こうを見る限り二十人以上いるし、あれは面倒だなぁ)



 そう考えていると、子どもの一人がユーリの背中に飛びつくようにしがみついた。


 それに続いて、数人の子どもたちが近寄ってくる。



「ねぇ、ゆーり。たおしてこないのぉ?」


「さすがに俺一人は無理っての。十人くらいならいいけど、あの人数は袋叩きだっての」


「ゆーり、ださぁい」


「んだと、このチビ助ー!」



 ユーリは小馬鹿にしてきた子どもの鼻をつまみ、軽くデコピンした。


 子どもたちは、ユーリに構ってもらえて嬉しいのか、きゃっきゃとはしゃいでいる。


 しかし、ユーリの表情は変わらない。



(こうしてチビたちが怖がらずにいられるのも、ルーファスが張ってくれた結界のおかげだ。ただ、追い返すまでの力はない。退けるなら、どうしても力づくでやらないといけねぇ。あー、マジで面倒だわ……)



 そこへ、騎士団の一人がユーリに声をかける。



「ユーリ様、我々で追い返してきましょうか?」


「やめとけやめとけ。近々忙しくなるのに、あれの相手して怪我したら、それこそダルいわ」



 ユーリは手をひらひらと振る。



「ほれ、チビ助どもは向こうでボール遊びしてこい」


「はぁーい」



 子どもたちを見送る。


 その入れ違いで、ルーファスとアッシュが姿を現した。



「げっ、やっぱ降りてきちまった」


「あれだけの騒ぎだと来ますよ」



 ルーファスは正門前の山賊たちを見て、思わずため息をついた。


 次の瞬間、彼の纏う空気が変わる。


 先ほどまでの疲労や柔らかさが消えた。


 背筋が伸び、瞳の奥に静かな光が宿る。


 半神。


 その言葉が、よく似合う気配だった。


 ルーファスは喉元に手を当てる。


 音響魔法で声を拡張したのだろう。

 柔らかな声が、正門前まで澄んで響いた。



「さて。大勢でお越しいただいて誠に残念ですが、ここはあなたたちが来る場所ではございません」



 ルーファスは階段を降りながら、淡々と言う。



「どうぞ、お早めのお引き取りを」



 結界内であれば、彼らは入ってこられない。


 銃や剣でいくら結界を傷つけようとしても、山賊程度の力ではびくともしない。


 ルーファスは騒ぐ山賊たちのすぐ目の前まで歩いていった。



「もし、相手の力量の差も判断できず、引かないのであれば」



 静かな声だった。



「私が始末いたしましょう」



 ルーファスはパチンと指を鳴らした。


 山賊たちの足元に、魔法陣が広がる。


 逃げ場を塞ぐように、光の線が範囲を囲った。


 だが、山賊たちは余裕そうな顔を崩さない。


 むしろ、嫌なほどにニヤリと笑った。



「けっけっけ! 俺様たちが、化け物相手になんの策も持たずに来ると思ったか?!」


「っ!」



 山賊たちが引きずり出したのは、三人の子どもだった。


 この騎士団の子どもたちではない。

 見覚えのない、痩せた子どもたち。


 その首には、隷属の鎖。


 奴隷用の首輪が嵌められていた。


 それを見た瞬間、ルーファスの動きがぴたりと止まる。



「せんせーは、いたくガキどもを大事にされてるよなぁ! 例え、よそのガキでもよ!!」



 ルーファスの表情に、曇りが差す。


 焦りが滲んだ。



(彼らは、子どもを人質に取るつもりですか。よその子とはいえ、子どもに危害が加わるのは……)



 発動しかけていた魔法陣が消える。


 その様子を遠くで見ていたアリスたちは、ルーファスの魔法陣が消えたことに気づいた。


 ざわめきが広がる。


 心配そうに見ていたアリスは、嫌な予感に手を握りしめた。



「ルーファス、どうしたのかしら……」


「……どうやら、子どもを人質に取っているようですよ」


「え、見えてるの?」


「目はいい方なので」



 ユキが目を細めながら、アリスへ状況を説明する。


 ピンチであることに変わりはなかった。


 どうしようかと慌て始めるアリスたちをよそに、アッシュは黙ってその光景を見ていた。



(……あのままだと、多分、ルーファスは怪我をする。というか、良くない方向に行きそうだなぁ)



 アッシュはちらりとアリスたちへ視線を向ける。


 皆、明らかに心配している。


 助けたい。

 なんとかしたい。


 そんな表情だった。


 アッシュは少し考えたあと、『はぁ』と息を落とした。


 そして、エドワードへ声をかける。



「ねぇ、エドワード」


「なんだ?」


「これは僕が口出ししてもいいものかな?」


「……ッ!」



 エドワードの表情が変わった。



「その言い方だと、お前、どうにかできるのか?」



 期待の眼差しが向けられる。


 アッシュはいつものように、にこりと笑った。



「へへ。君たちが望むなら、任せてよ」



 安心させるような笑顔だった。



(僕からしたら、あの神様がどうなろうと、正直、興味はないんだけど……)



 ただ、アリスやエドワードたちの表情を見る限り、助けたいという気持ちは本物だ。


 それは、彼女たちの優しさだ。



 なら、アッシュはそれに応えるだけだった。


 その言葉に、アリスはすぐにアッシュの元へ駆け寄る。


 そして、彼の手を握った。



「アッシュ! どうにかできるなら、ルーファスを助けてあげて!」


「ん、いいよ」



 アッシュは軽く頷く。



「ただ、その代わり、多分向こうは何人か死んじゃうかもだけど大丈夫かな?」



 そう言って、剣を顕現した。


 簡単に言えば、山賊たちの首を切り落としてしまえば済む話だ。


 けれど、やはりと言うべきか。


 アリスは首を横に振った。



「なるべくそれもダメ! 子どもたちがトラウマになったら困るから」


「……わかった。できるだけ善処するよ」



 アッシュは困ったように笑う。


 そして、顕現した剣をその場に突き刺した。


 剣を置いたまま、階段へ向かう。


 そのまま高く跳び、階段を一気に降りる。

 着地と同時に地面を蹴り、山賊たちのいる正門前へ飛んだ。


 山賊たちは、ルーファスに結界の外へ出るよう要求しているようだった。



(結界外に出られるのは面倒だな)



 けれど、その前に、子どもとルーファスを助ければいい。


 アッシュはルーファスの服を掴み、後ろへ引いた。



「っ?!」



 突然のことに、ルーファスが目を見開く。


 同時に、山賊たちにも隙が生まれた。


 その一瞬で、アッシュは動いた。


 スパンッ。


 魔力を纏わせた手刀が走る。


 山賊数人のアキレス腱が断たれた。



「ぎ、ぎゃああああ?!」



 切られた山賊たちは立っていられず、その場に崩れ落ちる。


 動揺と困惑が広がる。


 その隙に、アッシュは人質にされていた奴隷の子ども三人を抱えた。


 そして、そのまま結界内へと跳ぶ。


 ルーファスの隣へ、ストッと着地した。


 子どもたちを抱えたまま、アッシュは軽く振り向く。



「ルーファス、もういいよ」


「っ! 【転移魔法:瞬間移動(テレポーテーション)】!!」


 ルーファスの声が響く。


 再び山賊たちの足元に魔法陣が現れた。


 今度こそ、山賊たちをどこかへ飛ばすつもりだったのだろう。


 だが、魔法陣が展開される直前。



「クソガキども!! ソイツを殺せぇ!!」



 山賊の叫びが放たれた。


 向こうは魔法で飛ばされた。


 しかし、命令だけは残った。


 アッシュが抱えていた三人の子どもたちは、いつの間にかナイフを握っていた。


 どこから取り出したのか分からない。


 その刃には、嫌な気配が纏わりついていた。


 子どもたちは戸惑っている。

 泣きそうな顔をしている。

 嫌がっている。


 それでも、隷属の命令には逆らえない。


 アッシュは子どもたちを抱えている状態だった。

 密着している。


 回避も、防御も間に合わない。


 ドスッ。


 嫌な音が響いた。


 首。

 腹。

 そして、胸元。


 紅い血が流れる。


 ごぽ、と液体と気泡の混ざったような音が聞こえた。


 ルーファスの顔から血の気が引いた。



「アッシュ君!」



 慌てて駆け寄ろうとする。


 だが、アッシュは首に深々とナイフが刺さっているにもかかわらず、変わらず優しい笑顔を浮かべていた。


 子どもたちの頭を、そっと撫でる。



「大丈夫」



 声は穏やかだった。



「君たちは自由だよ」



 パチンッ、と指を鳴らす。


 解除の魔法が走り、三人の子どもたちの首についていた鎖が、ゴトリと音を立てて外れた。


 アッシュは子どもたちをゆっくり降ろす。


 そして、泣きそうな顔をした三人と同じ目線までしゃがんだ。



「ほら、お兄さんはこう見えて丈夫だから大丈夫だよ」


「ご、ごめ、なさ……! めいれいで、止められなくて……!」


「うん。大丈夫、大丈夫」



 アッシュは微笑む。



「ほら見て。怪我してないよ」



 そう言って、刺されたはずの場所を見せる。


 ナイフが刺さっていたはずなのに、傷口がなかった。


 子どもたちは唖然としていた。


 それでも、怪我をしていない。



 大丈夫。



 そう言われたことで、緊張の糸が切れたのだろう。


 三人はさらに泣き出してしまった。


 対処に困り果てたアッシュは、後ろで呆然としているルーファスを見る。



「あー、ルーファス。申し訳ないけど、後はこの子たちをお願いしてもいいかな?」


「え、あ、は、はい! ユーリ! 保護をお願いします!」



 同じように唖然としていたルーファスも、アッシュに言われて我に返る。


 急ぎ、三人の子どもたちを保護するよう指示を出した。


 ユーリが駆け寄り、子どもたちを受け取る。


 アッシュはそれを確認してから、軽く息を吐いた。


 しかし、ルーファスはアッシュから目を離せなかった。


 先ほど刺された箇所を、もう一度確認する。


 首。

 腹。

 胸元。


 見間違いではない。


 確かに刺さっていた。


 かなり深かったはずだ。


 ルーファスは半ば無意識のまま、アッシュの服を掴む。

 了承を取る余裕もなく、首元に触れた。



「ほ、本当に大丈夫なんですか?」


「大げさだな。ほんとに大丈夫だよ」



 アッシュは落ち着いた様子で答える。



「ほら、思ったよりもナイフが刺さらなかったようで、怪我してないからさ」



 アッシュは服を掴むルーファスの手を、そっと引き剥がした。


 確かに傷はない。


 けれど、嫌な気配は残っていた。



「え、でも、首のナイフは刺さっていた気が……」


「あはは。気のせい気のせい」



 本人はそう笑う。


 けれど、ルーファスは見ていた。


 絶対に刺さっていた。


 服をよく見ると、刺されたであろう箇所に血がついている。


 首。

 腹。

 そして、心臓の上。



「……アッシュ君、君は……」



 問いかけようとした瞬間。


 アッシュの口元から、一瞬だけ笑みが消えた。


 ほんのわずか。


 だが確かに、口角が下がった。



「……ルーファス」



 その声は、柔らかい。


 けれど、冷たいものが混じっていた。



「いくら神様でも、触らぬ神に祟りなしって言葉、知ってる?」



 取り繕うように、アッシュはにこりと笑う。


 しかし、その目は笑っていなかった。


 触れるな。

 それ以上踏み込むな。


 そう告げているようだった。


 アッシュは自分の服を軽く払う。


 すると、血がついていたはずの場所が、綺麗な状態へ変わっていった。


 しかも、血の匂いまで薄れていく。


 まるで最初から、刺されてなどいなかったかのように。


 アッシュはアリスたちの元へ戻っていく。


 その後ろ姿を見ながら、ルーファスは背筋に冷たいものを感じていた。


 子どもたちは泣きながら保護され、騎士たちが慌ただしく動いている。

 ユーリの怒号も、誰かの指示も、どこか遠くに聞こえた。


 ルーファスは、ただアッシュを見ていた。


 彼の首元。

 胸元。

 服に残っていた、血の跡。


 確かに見た。


 確かに刺さっていた。


 それなのに。


 傷が、存在しない。



(……ありえない。いや、守護者の能力だったとしても、あの傷の治りの速さは異常です)



 ルーファスは半神だ。


 神の理も、人の肉体も、どちらも知っている。


 治癒魔法ではない。


 少なくとも、彼の知るそれとは違う。


 アッシュが軽く服を払った瞬間、血の痕すら消えた。



(……触れてはいけないところでしょうか。いえ、それとも——)



 神としての感覚が、静かに警鐘を鳴らしている。


 彼は敵ではない。

 けれど今は、味方だと断言することもできなかった。


 ルーファスは無意識に、一歩、距離を取る。


 その動きに気づいたのだろう。


 アッシュは振り返った。


 そして、いつものように笑う。


 優しく。

 穏やかで。

 何もなかったかのように。


 その笑顔が、何よりも恐ろしかった。



(……アリス君)



 どうか、彼を信じすぎないでほしい。

 元の彼を()()()()()からこそ。


 諸刃の剣とならないように。

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