6.マジカル・イベント
噴水に落ちた翌日アリアは熱を出して寝込んでいた。秋の寒空の下で頭から水浸しになったのだ。かなり重たい症状で意識を失ったかのように深く眠り続けた。
そして先ほど目を覚まし、水を飲もうと起き上がって衝撃を受けた。
「っ!なんでレオナルド殿下が居るんですか」
「ああ、おはよう。アリア」
ニッコリ笑うレオナルドに、アリアは口をパクパク動かしながら何かを言おうとした。
「ああ。どうして私がここにいるかって?昨日君を送り届けたら、侯爵にこのまま帰す訳にはいかないと言われたんだよ。だからフィガロに服を借りてそのまま泊まったんだ。まだ濡れた制服が仕上がってないから待たせて貰ってる」
我が家に居る事は理解した。けれど何故アリアの部屋に居るのかが分からない。
「君のことが心配だと言ったら、侯爵とフィガロが通してくれたんだ」
可笑しそうにクスクスと笑いながら、レオナルドはグラスに水を注いでアリアに手渡した。
「何かあったらって心配しないなんて不思議だよ。ああ、何かあっても構わないって事かな?」
「……病人相手に何も起きないと思ったんですよ」
悔しくて、アリアはレオナルドに言い返した。けれどレオナルドの言ったことが多分当たっているだろうとも思っていた。
(ゲーム攻略情報を知る前なら、私だってこの状況を喜んで利用したと思うもの)
ギリギリと苦虫を噛み潰したような顔をしてアリアは受け取ったグラスから水を飲んで喉を潤した。そして侯爵令嬢である自分に対する失礼な態度に腹を立て、不満をぶちまけた。
「殿下、我が家の者が許可したことではありますが、それでも紳士的に振る舞うなら断るべきですよね。わざわざ私の前で地を出さないで下さい。みんなと同じ元のままの振る舞いに戻して下さい!」
レオナルドはアリアの言葉に、へぇと感嘆を漏らした。
「やっぱり私のことをよく理解してるみたいだ。まさかとは思ったけど、アリアなんかにバレるなんて思わなかったよ」
そしてケラケラと声を立てて笑った。まるで馬鹿にしたようなレオナルドの態度にカッとなって頭に血が上る。
「で、殿下が態度を改めないなら、私だって敬意を払ったりしませんからね!」
遠慮し続ければ、いずれ腹黒殿下の婚約者にされるのは目に見えていた。
「私は殿下から逃げ切ってみせますから!」
興奮したせいで熱が上がり涙目になりながら、それでも負けまいとレオナルドを最後まで睨めつけた。
「うん。精々頑張って私から逃げてみればいい。楽しませてもらうことにしたから。じゃあ、お大事にね」
そう言うと、アリアからグラスを取り上げてサイドテーブルに片付ける。そしてそのままレオナルドは部屋から出て行ったのだった。
□□□
その日の午後、レオナルドが帰るのと入れ替わりでソフィがお見舞いに来てくれた。
「あら、中々しんどそうね。それと今日の授業の配布物を預かってきたわ」
そう言いながら、ソフィは机に配布物を置きベッドの脇に置いてある椅子に座る。
「ちょっとイロイロあって、また熱が上がってしまったの」
イロイロが頭を過って、アリアは思わず顔をしかめる。
「何か飲む?一応お見舞いにレモネードや喉越しの良いフルーツジュースは持ってきたのだけど」
「お水を頂くわ。ソフィには紅茶を出して貰うようにするわね」
そう言って、サイドテーブルに置いてある呼び鈴に手を伸ばす。
「お気になさらず。そんなに長居はしないから」
ソフィは呼び鈴をアリアの手元から取り上げ離れた場所に置いた。そして背を向けグラスを手に取り水差しの水を注ぐ。
「ねぇ、アリア。どうして噴水なんかに落ちたの?」
「そ、それは、その。うっかり足を縁に引っかけちゃって……」
アリアは本当のことを話すか悩み、そしてやめた。レオナルドの本性を知ったソフィがアプローチを辞めたら困るのだ。それに、言ったところできっと信じて貰えない。それほどにレオナルドの評判は高いのだ。
「アリアったら。ドジな子ねぇ」
笑いながら差し出されたグラスを受け取る。
「そうね。本当に私は間抜けだわ」
折角手に入れた攻略情報も、あまり上手く活用できていない。前世で思っていた『どうせリアルでは何も出来ない』とは、こういう事だったのかもしれない。
(でも、折角ヒロインに生まれ変わったのよ。最初から諦めないでほしいわ。ちょっとくらい期待してくれても良いじゃない)
他にいたはずの攻略対象キャラクターには確かに何も出来なかった。でもそれは知らなかったからだ。攻略情報を知ってからはフィガロルートも開放できた。アリアに興味を持ったレオナルドだってフラグ回避が成功したからこの程度で済んでいるのだ。
(私、何も出来ない訳じゃないわ。このままレオナルド殿下から逃げ切って、フィガロ兄様とハッピーエンドを迎えるわよ)
自分で自分を元気づけて、手元のグラスから水を飲む。
途端に喉が焼け付くように熱くなった。
その様子をみてソフィが安堵の溜息をついた。
「ああ、やっと飲んでくれた」
その言葉を聞いてアリアは目が見開き、そして全てを理解した。
(マジカル・イベントだっ!)
痛む喉を押さえながらソフィを見上げる。
「アリアには騙されたわ。何がレオナルド殿下と私の仲を応援するよ。アリアが噴水に落ちてレオナルド殿下に抱きかかえられて学内を歩いたせいで、皆がレオナルド殿下の相手はあなただって噂してるのよ」
ポタポタと涙を流し傷ついたソフィの顔あった。
「アリアは私と競う必要が無くなったから、レオナルド殿下の所に来なくなった。そしたら殿下はアリアに会いに行くようになった。殿下はあなたを選んだと、そう言われてるの」
違うと言おうとしたが、声が出ない。
「しかも侯爵家にレオナルド殿下を宿泊させて学園を休ませるなんて。家族ぐるみで既成事実を作ろうなんて、汚いわよ!」
喉が熱く痛みが増して意識が朦朧とした。
そんなアリアに言い聞かせるように、ソフィは顔を近づける。
「これはね深海の魔女から手に入れた声の出なくなる薬なの。喋れなければ私がやったってバレないし、婚約者には相応しくないと言われるわ。アリアは貰い手が無くなってもフィガロ様がいらっしゃるから問題ないわよね。だから、これで許してあげる」
ポロポロと涙の止まらないソフィの顔が目の前にあった。
(ゲームのスチルとは、ずいぶん違う顔をするのね……)
ゲームのソフィは意地の悪い顔でライバルらしい態度をとっていた。でもアリアの知っているソフィは少しキツい言葉を使うが心根の優しい令嬢だ。だから半年でアリアも彼女と仲良くなれたのだ。
(そんなに辛そうな顔をしないでよ。恨めないじゃない……)
アリアは、自分のしたことに深く傷ついた顔をして泣いているソフィに苛ついた。
(ソフィが友達のままでいてくれて、私がフィガロ兄様と結ばれて、レオナルド殿下から逃れられる。全て願いは叶うルートなのに不満だなんて皮肉な話ね)
自嘲気味に笑いながら、アリアは意識を手放したのだった。