2.乗り換えは計画的に
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クロゼットから、モスグリーンのセーラーカラーが付いた白のワンピースを取り出す。思わずフロント布に刻印された学園のシンボルマークを指で撫でた。
「マレーア学園の制服。本物だ」
その制服に手早く着替えてスクールバッグを手に取り玄関ホールへと向かえば、既に仕度を終えたフィガロが立っていた。
「おはよう。アリア」
「おはようございます。お兄様」
フィガロはモスグリーンのスラックスとネクタイ、白シャツとベストの制服に身を包み、手元の懐中時計で時間を確認している。ナチュラルブラウンのふわふわとした癖毛と少し垂れた目元は、親しみやすい柔和な顔立ちだ。
そんなフィガロと一緒にアリアは馬車に乗って毎朝学園へと登校する。
「お兄様、今日は帰りもご一緒してよろしいですか?」
「いつもソフィさんと一緒に、レオナルド殿下と帰ってくるのに珍しいね」
フィガロの言葉にアリアは笑顔を強ばらせた。
「こ、これからは毎日お兄様と帰ることにしたんです」
「レオナルド殿下を、ソフィさんと争ってるのに良かったの?」
首を傾げるフィガロに、アリアは内心冷や汗をかく。
(最悪だ!完全にフィガロの恋愛フラグが折れている気がするんですけど)
目の前の由々しき事態に、アリアは思考を巡らせた。
「き、昨日までの私は子供だったんです。我が家の家業のことを考えたら、お兄様と結婚して侯爵家を継ぎたいと思ったのです」
アリアの言葉にフィガロは目を見張る。
バルベリーニ侯爵家は美しいプライベートビーチを保有し、そこで獲れる珊瑚やシェル、真珠を加工したジュエリーブランドを展開している。メンズ向けの『Neptune』にレディース向けの『Aphrodite』はどちらも貴族御用達の人気ジュエリーラインだ。
そしてバルベリーニ家は一人娘のアリアしか子供がいないため、親戚筋からフィガロを養子として迎え跡取りに据えていた。
「私も庶民向けのアクセサリーをデザインしてます。その仕事を続けていきたいと思ったのです」
アリアは跡取り教育を受けていない。けれど生まれ育ったプライベートビーチと海の宝に囲まれた生活の中で、彼女は自分のブランドを生み出していた。
「確かにアリアの作る可愛らしいアクセサリーは人気があるからね。でも、あんなに積極的に殿下にアプローチしてたんだから、もう少し頑張ってみなよ。僕はいつだってアリアを応援するからね」
優しく笑うフィガロを見つめながら、アリアは小さく溜息をついた。
□□□
アリアは昼休みに図書室の隅でスケッチブックを開いた。昨日から時間の許す限り思い出したゲームの攻略情報を書き綴っている。
アリアが転生したのは『World of Ocean Heart』という乙女ゲームの世界であり、自分はゲームのヒロインに生まれ変わった。舞台は海に囲まれた島国であるイゾラ公国にある、十五~十七歳の貴族の子息令嬢が通うマレーア学園だ。
アリアは自分が過ごした半年間の記憶を辿っていく。
「入学式から半年、一人のキャラクターにしかアプローチしてないのよね。良かったのかな?うーん」
半年も経てばキャラクターの出現イベントなど全て終わっている。そして確かにアリアは特定のキャラクターとしか接触していなかった。
(それならフィガロお兄様とレオナルド殿下のことが解れば良いわね。でも、この際お兄様もどうでもいいのよ)
問題なのは、昨日までアリアが猛烈にアプローチをかけていた相手。イヴレーア大公の一人息子であるレオナルド・イヴレーア大公世子だ。
聡明叡知と誉れ高いレオナルドは、国中から次期大公の期待を一身に受ける人物だ。その人柄も温厚淡泊で誰に対しても優しく、まるで『理想を絵に描いた王子様』みたいだといわれている。
けれど、それは表向きの公人としての姿だった。
ゲームで攻略が進むと、腹黒さと我が儘な本性をヒロインにだけ見せて束縛する、中々に面倒臭いキャラクターに変貌するのだ。
「私とは合わない。絶対に合わないわ……」
アリアは両親と兄のフィガロにデロデロに甘やかされて育ったお嬢様だ。思い出した攻略情報通りのレオナルドと対峙して、上手くいく想像など全く出来なかった。
(レオナルド殿下は『理想の王子様』みたいだと思ってたのに。騙されたわ!)
昨日までのアリアはレオナルドの公人の部分に恋をしていただけだ。そして本性を知った今は恋よりも恐怖が勝った。
(やっぱり、私はお兄様じゃないとダメなのよ!)
アリアの心は決まった。前世で選んだフィガロルートを辿るのだ。幸い半年間猛烈アプローチした後もレオナルドの態度は公人のままだった。
(なら、このままフェードアウトすれば何とかなるわね!)
「よし!」
「何が良しなんだ?アリア」
「ひぃ!」
聞き慣れた声が、直ぐ後ろから聞こえてアリアは飛び上がった。
「しっ。図書室で騒いだら追い出されてしまうよ」
振り向くと細められた紫眼と目が合った。窓から差し込んだ光でブルネットの髪が透けている。唇に人差し指を当てる姿は何とも絵になる場面に見えた。
「レオナルド殿下。どうして……」
驚きつつ、手元のスケッチブックをさりげなく閉じる。
「いつもソフィと一緒に来てくれるのに、図書室に行ったと聞いたから気になって迎えに来たんだよ」
その整った顔で笑いかけられ、アリアはつられて口元だけで笑い返す。昨日までのアリアなら見蕩れて頬を染めるくらいしただろう。
けれど、今のアリアはあることに気付いて目から光を失った。
(あ、これスチルだ)
また一つ恋愛フラグを立ててしまったことを悟ったのだった。