2.フィガロの思惑1
マレーア学園に登校するため、玄関ホールで待ち合わせする。階段を小走り駆け下りてくるアリアは最終学年に進級したのに、入学当初からあまり変わらない。
「アリア、階段を駆け下りるなんて淑女らしくないよ」
「すみません。ですがお兄様しか見ていませんから」
いたずらっぽく笑う妹の頭を撫でて、馬車へと乗り込む。
いつもと変わらない朝の風景が、今のフィガロには何よりも尊く幸せに溢れていた。
(本当に、アリアの声が戻って良かった)
この日常を守るためなら、フィガロはどんなことでもしようと心に決めていた。二度と大切なものを奪われないために、危険なものは徹底的に排除するべく目を光らせていた。
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噴水に落ちた翌日に、アリアは高熱を出し、その後熱が引いても声が出なくなった。
医者の見立てでは高熱のせいや精神的なものかもしれないと曖昧な診断をされた。治るのかどうか問いただしたら、治るとも、治らないも言われた。
そんな絶望的な状況でも、アリア自身が塞ぎ込まずに工夫しながら毎日を過ごしてくれる事だけが、せめてもの救いだった。
それなのに、そんな妹から大切なものが奪われる。
レオナルド殿下の婚約者候補の話が、喋れないことを理由に立ち消えとなったのだ。あんなに頑張っていたのだから何とかしてやりたいと切に思ったが、大公世子が相手ではそれも仕方の無いことだった。
(最悪、僕がお嫁さんに貰って侯爵家で暮らせば良いのだろうけど……)
アリアのことは妹として家族として、とても愛していた。結婚したなら妻として愛する努力をすればいい。彼女は仕事も出来るから、二人でなら上手くやっていけそうだと思っている。
(でも、せめて声だけは取り戻してあげたいんだ……)
―― お兄様、大好きです!
あの声を、もう一度聞くためならどんな苦労も厭わないと思うほどに、アリアの事が大切なのだ。
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レナルディアナ王国のエドヴァルド・モーテセン子爵と面会したのは、父がアリアの声を取り戻すために、何とかツテを辿ってのことだった。
「近年目覚ましい医学の発展を遂げたレナルディアナ王国との取り引きが出来るなんて夢のようです。娘のこともありますが、我が国の装飾品市場は既に飽和していますから、この取り引きは非常に有意義です」
「こちらこそ、バルベリーニ卿の扱うジュエリーを取り扱うことが出来るなんて夢のようだ。イゾラ公国産の真珠や珊瑚やシェルは素材が格別ですし、加工技術も素晴らしいですから」
モーテセン子爵との会談は好感触で終わった。
けれど契約を結ぶ段階になって、グリマルディ公爵が横槍を入れてきた。公爵家は貿易の実権を握っているから、取り引きの権限を寄越すように言われたのだ
(くそっ。どういうことだ!)
そんな話は聞いたことが無かったが、相手は公爵家だ。対応を間違えれば取り引き自体が頓挫してしまう。それだけはアリアの為に何としても避けなければならないのだ。そして困り果てたフィガロはレオナルドを頼ることにした。
「グリマルディ公爵家が貿易の実権を握ってる?確かに身内に外交官はいたはずだが、そもそもそんな有益な国交なら国政で取り組むように提案するのが正しいはずだ」
「国政でもいいので、僕は早くレナルディアナ王国と取り引きをしたいんです。アリアの声が戻る薬が手に入るかもしれないから」
「分かった。協力するよ。ただ、まずはグリマルディ公爵家の周辺を調べよう。きっとバルベリーニ侯爵家が貿易に手を出すと都合の悪い話があるのだろう」
(時間が掛かるが仕方ない。アリアには不便を掛けるけど、他に方法が無い)
そうして、フィガロはレオナルドと行動を共にし調査を進めたのだった。
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「フィガロ、もう少し目立たない変装はできないのか?」
「殿下こそ、何でそんなに変装が上手いんですか?」
既に何度目かの町での調査だったが、その度にフィガロは変装をダメ出しされた。
(王族なんて、普通は育ちの良さが滲み出るんじゃないのか?)
目の前のレオナルドが、どこから見ても冴えない年齢不詳な男に変装していることが納得できないフィガロは、心の中で悪態をついた。そんなフィガロを無視してレオナルドは調査の結果を説明した。
「フィガロ、これまでの調査結果だ。グリマルディ公爵家は今年に入ってから、近隣の諸外国から材料を安価に仕入れ、国内で商品に加工して市場に流し利益を上げている。けど販売価格を元々の流通価格よりかなり下げたせいで、国内品の売上が下がっているようだ」
それは犯罪ではないが、国内市場を酷く荒らしているなら話は別だ。長くその市場で商いをする者同士が切磋琢磨した結果の活性化なら良いが、貴族が加担してワザとやっているならたちが悪い。それが簒奪目的の市場独占までいけばイゾラ公国では犯罪だった。
「幸い、まだ廃業に追い込まれた経営者は出ていない。それと貿易自体に不正は無さそうだ」
「そう、ですか」
なら一体、何が目的で横やりを入れたのだろうか ――
その時、急に馬車が止まった。何事かとフィガロが外に出れば紫色の豊かな髪を一つにまとめた女性が立っていた。
「ちょっと失礼。グリマルディ公爵家に用事があるんだけど、あんた達、知り合いじゃないかい?」
「それを聞いて、どうするんですか?」
「質問に質問で返すんじゃないよ!知らないなら次の馬車を捕まえるだけさ。今日この時間にココに関係者が通るってことになってんだよ!」
だから、早く教えなさいよと腕を組んで威圧してくる。
「グリマルディ公爵と面識はあります。ただしそちらの用件を聞かないことには協力は出来ないですね」
「なんだ、あんた達で合ってるね。なら私の店まで来ておくれよ」
怪しさ満点のご婦人は、有無を言わさずレオナルドとフィガロを連れ出した。そうして大通りから一つ中に入る細い道を歩き、スカイブルーの壁の建物へと案内されたのだった。




