魔女の旅立ち 04
「おや旦那様。お帰りなさいませ」
ロゼの背後から、ターラが姿を現した。
腰が痛そうな素振りなど全く見せずに、ハリージュにお辞儀をしている。
「扉を開けっぱなしにしていて、申し訳ございません。ホールの掃除中でして……ほら、旦那様のおかえりだよ。挨拶なさい」
「今日からお世話になります」
ターラに促され、ロゼもぺこっと頭を下げた。
大きな手の平で顔を覆い、ハリージュは完全に沈黙している。現状を理解しようと努めているのだろう。
頭の中で考えがまとまったらしいハリージュが口を開こうとした時――息も絶え絶えといった具合の声が聞こえた。
「も、申し訳ございません!」
髪を振り乱しながら、道から一人の少女が走ってくる。
「隣の森で馬車の車輪が外れてしまって――できる限り急いできたのですが……! 本日からこちらでお世話になることになった、モナと申します! どうぞ、よろしくお願い致します!」
やってきた少女モナが勢いよく頭を下げる。大きな二つのお下げが、顔にぶつからんばかりの勢いだ。
ターラとサフィーナは、不思議そうにロゼとモナを見比べる。
突如現れたモナの言い分によれば、今朝から働く予定になっていたのは彼女だ。
では先ほどからせっせと玄関を磨いていたのは誰かという話である。
先に気づいたのは、何度も魔女の庵に来ていたサフィーナだった。ハッとした顔でロゼを見ると、優雅にお辞儀をする。
それを見て、状況の掴めていなかったターラがぎょっと目を見開いた。
今日この邸宅に訪れるのは二人。
――新しい使用人と、魔女だ。
サフィーナが頭を下げた相手を見れば、どちらがどちらかなど、考えるまでもない。
「こ、これは、お嬢様……! 私の勘違いで、なんと申し訳無いことを……!!」
震えんばかりに恐縮し、ターラは深々と頭を下げた。
ロゼはターラの肩に手をやり、そっと顔を上げさせる。
「ターラさん。あとで湿布、持ってきましょうか?」
「……はい?」
顔を上げたターラは、ぽかんと口を開けてロゼを見る。
「――状況は理解した」
収拾がつかなくなりそうな気配を感じたのか、ハリージュがきっぱりと言う。
「ターラ、サフィーナ。今日から我が家に滞在なさる、魔女ロゼだ。よろしく頼む。モナ、貴方もよろしく」
使用人に労るような視線を向けたハリージュが、ロゼの元まで歩いてくる。
いつもよりも上品な服に身を包んでいるハリージュは、まるで見知らぬ紳士のようだった。控えめに言っても国一番に格好いい。目が眩みそうな輝きだ。
直視するのが恥ずかしくて、ロゼはすんすんと鼻を動かした。
「……何をしている」
「汗のにおいがするな、と思いまして」
「誰のせいだと思っているんだ……」
再び頭を抱えたハリージュが、ロゼの手を掴んで、自分の腕を持たせた。
「部屋を用意している。行くぞ」
有無を言わさぬ屋敷の主人に連れて行かれそうになるロゼに、ターラが後ろから慌てて声をかけた。
「ああっ、お嬢様! タワシ、タワシを持ったままです!!」
***
「自分の部屋だと思って寛いでくれ」
ロゼがハリージュに連れて行かれた部屋は、ちょっとぎょっとするほどの大きさだった。
魔女の庵、二つ分……いや三つ分は入るだろう。
ところどころに、何処に繋がるのかもわからない扉が見える。ロゼが扉を凝視していることに気付いたのか、ハリージュが説明する。
「あちらの扉は鍵を閉めてあるが、他の続き部屋は自由に使うといい。もし火を使う時は、台所で頼む。事前に誰かに知らせてくれ」
「はい」
基本的に調合はこれまで通り庵で行うつもりだったので、そんなことはないだろうと思いつつも、ロゼは頷いた。
美しい柄の絨毯は、靴が吸い込まれるほど毛足が長く、どれ程立っていても疲れそうに無い。マホガニー製の上品な家具は、どれも艶々に輝いていて、部屋の壁には緑色の布が貼られている。
豪華で上品なのに、まるで森にいるような落ち着きがある。
緑と茶色で統一された部屋は、ハリージュがロゼのために大急ぎで用意させたことを伺わせた。
「それで。何故、客が来るための掃除を、本人がしていたのか説明はあるのか?」
多少の批難を込めた声でハリージュが尋ねたが、深緑色の瞳をキラキラと輝かせて部屋を見渡していたロゼに負けたようだ。大きなため息をつく。
「ターラもいい年だ。からかわないでやってくれ。驚きすぎて、魂が抜けてしまうだろ」
どかり、とハリージュがロゼのための部屋のベンチソファーに腰掛ける。
こうしてみると、ハリージュは本当に貴族なのだと思わされる。この部屋に全く違和感無く馴染んでいる。
輝かしい部屋の中にいる、輝かんばかりのハリージュを見ながら、ロゼは呟いた。
「……懐かしくて」
「何がだ」
「祖母と、雰囲気が似ていたんです。白髪交じりの、髪も」
胸に手を当て、ロゼが言う。
いつもよりも随分と柔らかい声になってしまった。
ロゼの祖母は厳しい人だった。茶目っ気など一つもなく、いつも怒っているような話し方をしていた。
ターラも祖母も、口調こそ激しいが、決してロゼを侮辱することはなかった。
ハリージュは、ガシガシと頭を搔いた。せっかくの美しい髪が、ぼさぼさに跳ねる。
「――彼女は少しばかり、物言いが荒い」
「全く恐くありませんでした」
ターラに何を言われても、ひよこのように後ろをついて回っていたのは、祖母との習慣を思い出させた。たとえほんの一時のまやかしでも、ロゼはその懐かしい香りを嗅いでいたかった。
「おかげで、とてもいいお屋敷なんだなと、安心しました」
「そうか」
噛み締めるように、ハリージュは頷いた。
ロゼは魔女だ。
魔法という嘘を使う魔女は、魔法以外の嘘を使えない。
そのことを知っているハリージュは、ロゼが言葉にした真実を、しっかりと受け取ってくれる。
ハリージュは立ち上がると、ロゼのそばにやってきて、手を伸ばす。ロゼの頬を擦り、こめかみを撫でた。髪の生え際を親指で擦られ、くすぐったさにロゼが身を捩る。
「皆、信頼の置けるもの達だ。今日入ったばかりのモナという娘も、サフィーナが選んだんだ。間違い無い」
「はい」
「モナはロゼ付きの侍女として採ったということだったが――」
「弟子なら採りますが、侍女はいりません」
「そう伝えよう」
貴族の令嬢なら決して許されないような発言にも、ハリージュは反論しなかった。
先ほど自分が感じたとおり、これほどの貴族屋敷で、純粋に”魔女”でいていいのだと確信し、ロゼは胸が熱くなる。
優しく、ロゼの頬の感触を味わうようにゆっくりと動いていたハリージュの指が止まり、ポンポンと頭を叩かれる。
「改めて……よろしく」
「お世話になります」
立ち上がったハリージュと向き合って、ぺこりとお辞儀をかわす。爽やかな風が窓から入り込み、カーテンを揺らした。








