第三話(三)「今もいないんだ」
アーチェリーレンジを離れたぼくたちは、その向かいにあるスターボックス・コーヒーに来ていた。
期間限定のフラプチーノを注文したぼくが商品を待つ間、朝倉先輩は早々に普通のコーヒーを受け取って席取りに向かっていた。
「お待たせしました、朝倉先輩」
席で退屈そうに髪をくるくると指で巻いてもてあそんでいた朝倉先輩に声をかけて、ぼくは彼女の対面に腰を下ろす。朝倉先輩はコーヒーを一口飲んでから、じっとぼくの顔を見つめてきた。
「いや。ずっと三国志のことを考えていたから待った感がないな。司馬昭」
「子上。何か、ずっと字当てクイズの流れになっちゃって、すみません」
「まぁ、どうにかして負かしてやろうって意地になってしまってはいるが、これはこれで結構面白い。さて、まずは君がどこの小学校出身だったか聞かせてくれ。孫堅」
「ケンは堅実の堅? 権利の権? 呉武二小ですよ」
「そうか、呉武二小か。いや待てよ……よく考えてみれば、私は小学生の時は県外に住んでいたんだった。あ、堅実の方ね」
「じゃあ、それ訊く必要ないじゃないですか。そっちなら文台です。権利の方は仲謀」
「ふふ、それはただの興味本位さ。では、出身中学は? 劉禅」
「公嗣。中学は、呉武南中です」
「君は、ずっと呉武に住んでるのか。住所は変わったことがないのか? 馬良」
「李常。引っ越しはしたことがないですねぇ……先輩はどこ出身なんですか」
「北の国とだけ言っておくよ。女はミステリアスであるべきだからな。張翼」
「伯恭。朝倉先輩は、謎すぎてちょっと対応に困るんですが」
「心の扉は二十四時間年中無休でオープンにしているつもりなんだがな。何進」
「遂高。謎なのは先輩の思考回路ですよ。それに、あまりあけすけなのは逆につき合いにくいです。ぼくは割と、コミュ下手の陰キャですから」
「もったいない。君は結構、いいキャラしてるよ? 特にツッコミとか、ツッコミとか……あるいはツッコミとか? 陳宮」
「ツッコミしかキャラないんですかぼくは。ツッコミだけが人生ですか。ノーツッコミノーライフですか。公台」
「ツッコミは愛だよ、白河君。君の人生は愛に満ちているってことさ。傅士仁」
「一見賛美されてるけど、ぼくの人生イコールツッコミって部分は否定してほしかった。君義」
「愛などいらぬ、ということか。帝王の星が目覚めたのか。関興」
「ぼくは退くし媚びるし省みますよ。できることなら逃走もしたかったです。安国」
「逃げずに来てくれたことには感謝してるよ。あんなデートの誘い方では、振られても当然だろうと思っていたしな。諸葛瑾」
「先輩は振られても簡単にあきらめるような人ではないでしょう。ぼくはね、宿題は早めに片づける主義なんですよ。えっと、諸葛キンは呉の方? 蜀の方?」
「呉の方」
「では子瑜です。ちなみに蜀の諸葛均は字不明です。……って、これじゃ話が全然進まないじゃないですか。字当てクイズも、もうこの辺でおしまいにしましょう」
ぼくは両手でテーブルをタンタンと叩いて言った。
「悪い悪い。つい調子に乗ってしまったな。じゃ、次は君のご両親の話を聞いてもいいかな。お名前とご出身とご職業を」
「いいですよ。父は勝久、競輪選手です。母は頼子、専業主婦。父はずっと呉武市で、母は大阪の方の生まれだそうです」
「お父様が競輪選手とは、興味深いな。それで、コレはいかほど……」
朝倉先輩が、今までにないほどの真剣な眼差しを向けつつ、指で輪っかを作った。
「イヤらしい話しないでくださいよ! まぁ正直な所、どのくらいの稼ぎかは知りません。どんなレースに出ているのかも興味ないですし。あ、一応S級という話ですが」
「S級……競輪には詳しくないが、何だか儲かってそうな響きがするね。でも、もしかしてその上にスーパーSとかウルトラレアとか……」
「いやいやいや。ソシャゲのガチャじゃないんですから」
ツッコミはしたが、前に自分もまったく同じことを考えていたので、人のことを言えない分、多少キレが悪くなった。
「S級が最上かはさておき、その下にAやBがある感じか?」
「そうみたいですね。出られる重賞レースが違うとか? ちょっとうろ覚えで済みませんが」
「お父様がそのランクをゲットしたのは、やっぱりアレか。たくさん課金してガチャを……」
「だからソシャゲじゃないって! いい加減人の父親の職業でイジるのやめてくださいよ」
「すまんすまん、少々冗談が過ぎたな。では次に……」
その後もぼくは質問に真摯に答えていったが、途中、このように何度も話の腰を折られるので、今日一日でぼくの忍耐力及びツッコミ力はたぶん三レベルぐらいアップしたと思う。
そして、三十分ほど経過し、お互いの飲み物がすっかり空になってしまった頃。
「ふむふむ。そうか。なるほど」
朝倉先輩は、腕組みをしながら、何度もうなずいた。
「白河君、結論から言うと、君の人生と私の人生には何一つ接点がないことが分かった」
「そうでしょうね」
ぼくはソファ席でうなだれ、真っ白な灰に燃え尽きたボクサーのようになっていた。三十分も漫才をやり続けたのだ。プロの芸人ではないぼくには荷が重すぎた。
「今回、朝倉先輩につき合って分かったのは、先輩が常人以上に三国志に詳しいことだけでしたよ。まったく、無駄な時間を過ごしてしまいました」
「……本当にそう思うのか?」
「……いえ、本当はちょっと、朝倉先輩と話すのは楽しかったです」
肩をすくめて、ぼくは苦笑いをした。ひどく疲れたのも本当だが、彼女との掛け合い、問答が途中から何となく面白くなってきてしまっていたのもまた、本当のことだった。
「そう言ってくれるとありがたいな。私だけ自分勝手に楽しんだとあっては、申し訳ない」
朝倉先輩が歯を見せて笑う。最初は嫌味に見えた彼女のニヤリ笑いも、今は少し、印象が違って見えた。
「先輩はどう見ても、最初から全力で面白がっていましたからね」
「君が楽しませてくれたんだ。久しぶりに充実したひと時だった──さっきは接点がないと言ったが、今やこうして接点を持てたわけだから、以降も仲良くしてくれると嬉しい」
「ええ、まぁ……ほどほどには」
「何だ、煮え切らない返事だな。私と仲良くしては、君のカノジョに怒られるのか?」
「だから、カノジョじゃないですって。先輩がぼくのクラスであんなことを言うもんだから、ずっと周りでヒソヒソ言われて大変だったんですよ」
「あはは。冗談のつもりだったが、それは悪いことをした。おわびというわけではないが、君にいいことを教えてあげよう」
朝倉先輩は立ち上がり、空の紙カップを手にした。それをゴミ箱に放り込むと、ぼくの傍らに歩み寄って、耳打ちをするように、頭を低く下げてぼくの耳元に顔を寄せた。
「私も生まれてこの方、カレシというものがいたことはないし、今もいないんだ」
「はあっ?」
「では、私はお先に失礼するよ。機会があれば、また会おう」
朝倉先輩はさっときびすを返し、店の外に向かって足早に去っていく。ぼくは、彼女の言葉をどう受け取っていいか分からず、ただその後ろ姿を呆然として見送った。




